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第二楽章 信用と信頼
偽りの仮面
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お風呂上りになると、私はストレッチをするのが常となっていた。
ストレッチ用のマットを敷き、ゆっくりと身体を傾ける。
手が足先に届くように、丁寧に息を吐きながら全身を隈なく伸ばし、自分が満足するまで続ける。
しっかりとストレッチをしなかった次の日には疲れが残りやすい。
これをするとしないとでは雲泥の差だ。
試しで始めたつもりが、今では考えられない程にハマっている。
この先も怠ることはないだろう。
でも、今はそれ以外にも習慣になった事がある。
「ごめん、何て言ったの? ノイズで聞こえなかった」
床に置いたスマホに向かって、私は問い返す。
すると、呼応するように声が発せられた。
『だからさ、オーディションまでもう少しなんだろ? 調子はどうなのかなって』
ペンを走らせる音が聞こえる。
どうやら机に向かいながら通話をしているらしい。
「最終選考までまだ一か月あるし、今から不安なんて抱えてたら最後までもたないでしょ? それに、実際にやるのは私なんだし、私のことは私がちゃんと管理するから」
『それはそうだけどさ……』
腰を捻り、伸ばす部位を変えていく。
通話に特段集中する必要はない。
あちらも勉強が優先なのだから、私も自分のやりたい事を優先する。
最近は、こんな具合で通話する機会が多くなった。
タイミングが合った時にしていた通話だったが、最初は要件があった場合に限られていた。
それも急を要する場合だ。
結構無茶なお願いもしていた気がするけど、実際に文句を言われた事はないから問題ない。
ここ数週間からだ、今までと変わったのは。
珍しく向こうから通話を申し出たときもあったし、日付が変わる直前に電話してもウザがっている素振りも感じられなかった。
大した用がなくとも、通話を切るような真似をしなくなっていた。
私に心を開いてくれたということなのだろうか。
『どうかしたのか?』
考え事をしていると、彼はそう言った。
無言になっていたのを不思議に思ったらしい。
急かされた気がして、私は慌てて応答した。
「いや大丈夫だけど……あ、そうだ、先週のあれってどうだったの?」
『先週?』
「そうそう、この前言ってたじゃん? 試合があるって」
『あ――……』
なるべく焦りが表面に出ないように冷静な姿勢を保てたと思ったが、今の逸らし方は少々強引だった気がする。
別に悪い事はしていないが、少しでも隙を作れば、そこを追及されそうな予感がした。
『……』
電話の先から微かに熟考する声が聞こえる。
どうやら話題のすり替えには成功したらしい。
実際に目の前で追及されていたらと思うと恐ろしいが、今はスマホを介してやり取りをしている。
私は声を作るのが得意だ。
仕事を行う上での武器なのだから、それは当たり前だ。
でもそれ以上に、この程度の動揺を悟られるような自分なんて許せないと思った。
「丁度先週だったんでしょ? 一週間も報告待ちとかありえないんですけど?」
『急かすなよ……』
「いいじゃん、別に結果なんて気にしないから」
この隙に畳みかける。
形勢逆転だ。
「ほら、早く言った方が楽になるぞー」
『距離感バグってんだよ、お前は……』
「別にいいでしょ? 誰も聞いてないんだから。ほら、早くー」
『いや、いいよ……』
「いいからさっさと言っちゃいなよ……」
『……』
「……もうこのやり取りも飽きたんだけど」
『言い出したのはお前だろ……』
彼はなかなか口を開こうとしない。
もう聞かなくても良い気がして来た。
そこまで言いたくないのであれば、深追いをする必要はない。
変に深追いすれば、余計なお世話だと思われるかもしれない。
そう思っていた。
だから、私は違う話題を提案しようと口を開いた。
でも、次の言葉は私が発したものではなかった。
『……負けたよ、試合。完敗だった』
「え?」
彼が発したものだと気づくまでに時間がかかってしまった。
少しの間、言葉の意味を理解できなかった。
途方にも感じられる時間を咀嚼していく。
次第にその意味が頭の中で鮮明になっていく。
あ……
その瞬間、血の気が引いた。
またやってしまったと思った。
恥ずかしい思いをしたくないから、自分のことばかり考えて無意識に他人の領域に踏み込んでしまった。
彼は言いたそうにしていなかったのに、それを考慮せずに強引に聞いてしまった。
何でいつも後になってから気がつくのだろう。
悪意が無くても他人を傷つけることだってあるのに。
「ご、ごめん……!」
画面に向けて謝るが、反応はない。
相手の顔が見えない、それが只々恐怖を煽った。
怒ってるだろうか。
それでも仕方のない事をしたのだ。
無神経な自分を恥ずかしいと思った。
息を吸う音が聞こえる。
何を言われるのか、それだけを考えた。
『……結果は気にしないって言った癖に何で謝るんだよ?』
「だって、無神経だった…から……。失礼だって思ったから……」
『最後まで話を聞けよ。確かに負けたけどさ、正直今日は勝てる気がしなかったんだよね。相手も強かったのもあるけど、俺達が弱かったのが悪いんだし』
「……」
思っていたものと違った。
無神経なことを言ったのに、それでも彼は穏やかだった。
彼はそんなことを気にも留めていないような口振りだった。
『……と言うかさ、最初から無理だと思ってたからむしろ気楽にできたんだよね』
「そっか。それだったら平気か……」
『逆にさ、何でそんなにビビってんだよ?』
「いや、ビビってるわけじゃ……!」
笑い声が聞こえてくる。
本当に気にしていないらしい。
私が神経質になっていただけだったのだろうか。
そんな考えが頭によぎるほどに彼はあっけらかんとしている。
『いちいち気にし過ぎなんだよ。今の内から神経張り巡らせてたら、それこそオーディションまで身体もたないんじゃないか?』
いや、私が無神経なのではない。
こいつの方がよっぽど無神経だ。
絶対そうだ、そうに決まってる。
こんな気持ちにさせておいて思いやりだなんてありえない。
だから、私は内から溢れる苛立ちを言葉にした。
「負けた人に言われたくないんですけど?」
『本当のことを言っただけだろ? たかが負け一つで大騒ぎし過ぎなんだよ』
「______! それ、本気で思ってるの?」
思わず聞き返してしまった。
腹立たしくなり、抑えていた感情を表に出してしまった。
「負けたら悔しいに決まってるじゃん……! どんな相手にでも絶対負ける保証はないんだよ?! 少しでも勝てる見込みがあるんだったら頑張らないと!」
『今回はそれさえもなかったから仕方ないって』
「私だったら逃げない……絶対に勝つって気持ちで挑む、それが勝負の世界で一番大切な事だから」
自分の思いをぶつけた。
目標を掲げておいて、駄目だったら白紙に戻す。
彼がそこまで薄情な奴とは思っていなかった。
結果を求める以上、困難に挑むのは必然。
悔しいと思えるから、再び前を向けるのだ。
『……やっぱり声優は言うことも一味違うなあ』
「冗談だと思ってるでしょ?!」
『あはは、流石だな』
「違うから! 私は本気で言ってんの!」
『あ、もう時間だから切るね』
「逃げないでよ! まだ話は______」
あ……
いつの間にかホーム画面に戻っている。
通話が切れてしまったらしい。
再び電話を掛けるが応答はない。
「逃げられた……」
そこまで根性なしだったとは思わなかった。
私が彼の家を訪れた日、あの日から彼は変わったように見えた。
以前よりも積極的に相手を知ろうとしたり、目の前の事に取り組もうとしているように見えた。
なのに、今日の様子からはそんな部分を感じられない。
私の勘違いだったのだろうか。
ならば、今度会った時に文句でも言ってやろう。
今日みたいに下手に出ていたら駄目だ。
こちらの本気具合を示してあげなくては。
「ふふっ」
次に会うのが楽しみだ。
何て言ってやろうか。
きっと逃げた事を後悔しているだろう。
その弱みに付け込んで、我儘を通せるかもしれない。
最終選考を大義名分に、再び遊びに連れて行くのもアリだ。
……?
腹立たしいと思っていたのに、今はそんな気分になれなかった。
彼の態度に苛立っていたと思ったら、今度はむしろ喜びを感じている。
次に会った時に言いたいセリフがたくさんある。
狼狽える彼の姿が想像できる。
単にそれが理由なのだろうか。
「私って結構単純なのかな……」
あまり自分の悪い所を自覚したくないが、知っているのと知らないのでは雲泥の差だ。
ある意味感謝したほうがいいのかもしれない。
「……さて、と」
とりあえず今は目の前の作業だ。
私はストレッチを終えて、敷いていたマットレスを片付ける。
丸めた後は部屋の隅に立て掛けて所定の位置に戻した。
その他片づけを終えて部屋に立ち尽くし、ちらりと時計を見ると、まだ寝るには早い時間だった。
完全に手持無沙汰だ。
「テレビでも見ようかな……」
私は部屋を出て階段を降りる。
リビングは既に電気がついていなかった。
食事を済ませれば残りは入浴と就寝のみなので、用がない限りは電気を消すようにしている。
一人だからと言って毎晩電気を点けっぱなしにするのは良くない。
今日も例外なくリビングに光を灯す。
目の前には当たり障りのない風景が広がっている、はずだった。
「……え?」
見間違えかと思った。
数時間前のリビングと雰囲気が様変わりしている。
机に置かれた資料、スタンドに掛けられたカバン、どちらも存在していなかったはずだ。
もちろん私のものではない。
近くに寄って中身を確認するが、その直前で足を止めた。
――誰かいる
嫌な予感がした。
この予感は当たってほしくなかった。
でも、廊下からその人の声が聞こえてくる。
足音が段々と大きくなって、こちらに向かって来ているのが分かる。
気づいた時に部屋に戻れば良かったのに、もう私には逃げる時間はなかった。
「あら? みーちゃんもいたの?」
扉から顔を覗き込み、私の名前を呼んだ。
この名前で私を呼ぶ人物は一人しかいない。
今まで入浴していたのか、その人物は湿った髪をタオルで乾かしていた。
何気ない動作だ。
でも、その動作の一つ一つが煽りを含んでいるように見えた。
「……お帰り、お姉ちゃん」
「うん、ただいま。でも、家にいるんだったら出迎えてくれても良かったんじゃない?」
「ごめん、気づかなかった」
「そう? なら仕方ないわね」
そう言うと、感嘆する素振りもなくあっさりとした様子で、お姉ちゃんはソファーに寝っ転がった。
久々に帰って来た自宅を満喫しているようだった。
「帰って来れたのって何か月ぶりかしら? ずっと都内にいたから、こっちの方が静かで落ち着くわね」
「そう……」
「みーちゃんとも一か月ぶりだもんね……て言っても、あの時はほとんど話さなかったか。ゆっくり話す機会ってなかなか取れないものね」
「……」
「でも、まとまった仕事も当分ないから、暫くの間は家に居られてラッキーよね。みーちゃんも嬉しいでしょ?」
「……別に」
そこまで言うと、お姉ちゃんはテレビの電源を入れて、本格的にだらけ始める。
素足のままソファーをベッド代わりにしていた。
人の目など全く意に介していない。
自分の世界に浸っているように見えた。
でも、それが一番私を苛立たせる。
「部屋に戻る」
私はそう言ってこの場を去ろうとした。
でも、すぐに後ろから呼び止められる。
「え、もう行っちゃうの? こうして会うのも久しぶりなんだし、もっと甘えても良いんだよ?」
「まだやることあるし」
「今日くらい良いじゃない。昔みたいに甘えても罰は当たらないわよ」
「甘えたいなんて一言も言ってない」
「えー? 残念だなあ。『日織ひおりちゃん待ってー』っていつも言ってたじゃない?」
「……もう子供じゃないから」
「可愛かったんだから、昔のみーちゃん。ずっと私の隣にいたし、何かあったらいつも私の部屋に来てたじゃない」
「……」
「あ! 今のみーちゃんだってもちろん可愛いわよ……? ほら、整った顔立ちしてるし、髪艶も良いし、特に目もパッチリしててお人形さんみたいだし……!」
私が怒っていると思ったらしい。
お姉ちゃんは焦ったように手を動かして弁解している。
先程までの他人を見向きしない姿勢とはえらい違いだ。
一挙手一投足に気持ちが籠っている。
「……」
「ってどうしたの? 顔に何か付いてる?」
「……別に」
だから、その一つ一つの動作が私を余計に苛立たせる。
まるで私の事なんか眼中にないみたいで、自分のためにやっているみたいで、とんだ茶番だと思った。
私の思いなんて知らない癖に、もうほっといてほしいのに、それなのにお姉ちゃんは私の前に現れる。
私は視線を逸らした。
これ以上お姉ちゃんを見ていたら、もう耐えられそうにない。
「ちょっと、今日みーちゃん変じゃない?」
「変じゃない。もう行くから」
「あ、ちょっと……!」
ソファーの軋む音が聞こえた。
でも私には関係ない。
そのままリビングを後にしようと、私は廊下に向かった。
「待ってってば!」
でも、後ろからお姉ちゃんに手を掴まれる。
振り返ると、お姉ちゃんがいた。
ソファーから立ち上がり、私を見下ろすようにして立っている。
いや、実際に見下ろされている訳ではない。
自分がお姉ちゃんを意識し過ぎているだけだ。
身長差があるせいで見えているのだ。
そんな風に自分に言い聞かせても、私の心が鎮まることはない。
でも、私が劣等感に駆られている間もお姉ちゃんは顧みなしに畳みかけてくる。
「本当に変だよ、今日のみーちゃん。どこか調子悪いの?」
「そうじゃないから」
「本当に? 嘘ついてない?」
「……」
本心からの言葉なのだろうか。
それとも心の内では私を嘲笑っているのではないか。
そう思える程に、今のお姉ちゃんの表情は淡々としていた。
本当に心配しているのか、全て分かった上で蔑んでいるのか、私には全く分からなかった。
でも、これだけは分かる。
私がこれまでにどんな思いを受けてきたか。
どんなに嫌な感情を芽生えさせられたのか。
不快感のみが感情を支配する。
目の前に存在する不快感の温床に対して、私は感情を爆発させた。
「……うるさいよ、いちいち気に障ることばっかりしてさ……!」
「……え? どうしたの、みーちゃん……?」
「うるさいって言ってんの! 私が嫌な思いしてるって気づいてないの……?」
「……」
「いつもいつも私のことなんて考えないで邪魔ばっかりしてさ……! お姉ちゃんのほうが地位も名誉も上だからって、私のことにいちいち突っかかんないでよ……!」
募りに募った感情を吐き捨てた。
ずっと秘めていたお姉ちゃんへの思い。
お姉ちゃんの傀儡人形として生きるなんて、私には出来ない。
私は自分が信じる道を歩みたい、ただそれだけを願って言葉を紡いだ。
「……」
私の言葉が通じたのか、お姉ちゃんは無言だった。
表情を伺うことは出来なかったが、少なくとも私の思いは知ったはずだ。
今まで面と向かってお姉ちゃんにこんな風に意見することはなかった。
声優活動を志した時から今に至るまでの長い時間の中で初めてだ。
昔はずっとお姉ちゃんの言う通りに練習していたけど、今はもう違うのだ。
私には私のやり方がある、それをただ知ってほしい。
それだけを望んで、私は勇気を出したんだ。
「私はもう子供じゃないんだよ……? 今だって自分のやり方で結果を出そうとしてるんだから……」
「……自分のやり方?」
「! そうなの……! 日頃の練習だってしっかりやってるし、オーディションだって……しっかり受かるために原本も読み込んでるし……」
「……」
私の信じてきたやり方は通用する、それを知ってもらえばきっと……。
「それでしっかり結果も出してる……! 最終オーディションまで残れたし、あとは合格するだけ______」
「それが私のやり方だ、そう言いたいの?」
「……え?」
駄々をこねる幼児を諭すような冷たさ、そんな雰囲気をお姉ちゃんは醸し出していた。
突然の様変わりに私は返事をするので手一杯になっていた。
ぴりつくような痛みが肌を伝っている。
次第に伝播する怖気が全身を支配してしまった。
お姉ちゃんの一言、それだけで私の五感が制される。
目の前から溢れ出す圧迫感に圧し潰されないように、私は必至に目を合わせた。
それが私に出来る精一杯だった。
「レッスン、努力、成果の出し方、どれを取っても変わってないのに? 私が教えたことをただ忠実に守っているだけじゃない。それなのに、私のやり方が形成されているだなんて……面白い冗談じゃない?」
口元に笑みが浮かぶが、それを見ても今の重い空気が晴れることはない。
お姉ちゃんの目は、冷徹だった。
「で、でも、私なりに工夫して……やり方も変えて……」
「今のレッスン講師だって元々は私が紹介した人で受講料も払ってあげていたのに、そこから受講料を自分で払うようになっただけで自分が変わったって言いたいの?」
「伊予さんは凄い人だから…私が上手くなるために色々手伝ってくれるし……」
「そうね、あの人はその手のベテランだから凄い。でも、私が紹介していなかったら出会うこともなかったのよ? 自分の力だけで今のレベルまで成長できたと思うのかしら?」
「それは……」
声優がどういったものなのかさえ知らなかった頃、私がお姉ちゃんに連れられて行った先に伊予さんがいた。
その頃には私の保護者代わりになっていたお姉ちゃんがレッスン料を出してくれたから、私はあの人に出会うことが出来たんだ。
「例え書類選考の段階であったとしても、オーディションを受ける作品に原作は絶対に読み込んで理解しておくこと……これだって、私があなたに教えたことでしょ? 基本中の基本を守ったぐらいで調子に乗るのも大概にしなさい」
「……」
正論だ。
私がお姉ちゃんに教わったこと、それをなぞっていてもお姉ちゃんを超えることはできない。
だからこそ、自分なりに解釈を変えて努力してきた。
でも、それは結局無駄な努力というやつだったのだろうか。
「変わったといっても他人に答えを求めて自分はそれをただ真似るだけ……そんなちぐはぐなやり方が通用するほど甘くはないわよ」
私を突き放すように、お姉ちゃんはそう言った。
私が全て正しいのだと主張しているようであった。
……
正論だと思った。
お姉ちゃんが歩いた道を追いかけているだけでは意味がない。
自分で考えたことだって、結局はその道をなぞっているに過ぎないのだ。
それは分かる、嫌でも思い知った。
でも、私は他人に答えをもらった訳ではない。
自分で考え抜いた先に見つけた答えなんだ。
それが出来たのは、あの日祐介と過ごしたから。
二人で話し合ったから私が気づくことが出来たんだ。
確かに一人で考えていてもいつかは思いつくのかもしれない。
だけど、あの日二人で過ごしたからこそ見つけ出せた、そんな素敵な事実を信じていたい、認めていたい。
だから、それを全て否定されるのだけは それだけは嫌だ______
「……私が自分で見つけた答えなんだよ。それを知らないのに何でお姉ちゃんは邪魔ばっかりするの?」
「邪魔?」
「だってそうでしょ? 自分以外のアドバイスが欲しかったからあいつに頼んだのに……それも否定されたら、私には何も出来ない……」
「私はみーちゃんのためを想って言ってるのよ……?」
「それのどこが私のためだって言うの……!」
不気味な笑顔だ。
お姉ちゃんはその表情を変えることなく言葉は発した。
「私はね、みーちゃんが見つけ出した世界を見せてほしいの。あなたの解釈で世界を構築して、その世界を私に……そしてみんなに証明してほしいの。それが私の求める理想のあなた」
「な、なにを……」
「あなたは天才よ。昔からずっとそう……絶え間なく吸収して成長し続けている。これからだって変わり続けるの、永遠に……」
私の知らないお姉ちゃんが目の前にいた。
思わず後退りするが、相反するように距離は近づく。
喉奥が締め付けられるようだった。
「……なのに、どうして……」
「……え」
顔が離れていくと同時に、視界が明るくなった。
開放感を享受するが、様子の変わったお姉ちゃんから目を逸らすことは出来ない。
歯軋りする音が消えていくまで、私はずっと口を縛った。
そして、こだまする音が消えると、お姉ちゃんは息を吸って言葉を投げた。
「……どうしてあの子と関わるの?」
「そんなの、私の勝手でしょ……!」
「いいえ、あなたは間違ってる。あんな子と一緒にいたら汚れてしまう……今までの努力を無下にしてしまうのよ? それを正すのは悪いことなのかしら?」
「……本気で言ってんの、それ?」
「ええ、本気よ? あなたが大成するなら、私が灰汁を取ってあげる。あなたが純粋に考え抜いた作品に無駄なものが紛れ込んでいるなら、私が排除してあげる」
「……だから、祐介君に接触したの?」
「あら、知ってたの?」
私があいつの家に行った日の帰り道、私は直接彼から聞いた。
偶然なのかコンサートホールで出くわし、その時に関わりを断つように言われたこと。
そのせいで彼は生気を無くしてしまったのだ。
なのに、その元凶はさも当然かのように振舞っている。
「私に言うなら別にいいよ。甘んじて受け入れるよ……お姉ちゃんのほうが実力も実績も上なんだから。でもさ、あいつは関係ないでしょ……! 私の問題にあいつを関わらさせないでよ……!」
「関係あるわよ。あなたの純粋な演技に赤の他人の余計な油分が加わっていたら、それこそ台無しじゃない」
「アドバイスを貰うくらい誰だってやるでしょ……!」
「素人のアドバイスなんて、たかが知れてるわ。私みたいなレベルの人に教わるのなら話は別だけどね」
「でも……私はあいつのおかげで最終選考まで残れたの……!」
「最終選考に残るなんて今までも何度かあったじゃない? それに一度は合格もしているんだし……私のお陰で」
「……え?」
今……なんて……?
「あなたが出演した作品……あ、私が主演だったやつね、あの作品に出れたのも私が推薦したお陰なのよ?」
「え……」
「脇役のオーディションで候補に挙がってたあなたを推薦してあげたから出演が出来たのに……まさか本当に自分の力だと思ってたの?」
「……嘘……」
「実績があればあなたも自信をつけてもっと成長してくれる、そう思ったから挑戦させてみたの。要は私のコネってやつね……でも、そのお陰で今のみーちゃんが自信を持ってくれてるなら、やった甲斐はあったわね」
信じられなかった。
私は虚像に踊らされていた、そんな真実なんて受け入れられない。
実力は評価されていなかったなんて、そんなの信じられない。
「……私は信じない」
「そう……残酷だけど受け入れたほうが楽よ? 私がいるから苦労せずにいられるの。それが如何に幸せかなんて考えてみれば分かることでしょ?」
「そんな空虚な実績で成り上がったって意味ない……! 私は私の実力で成り上がりたいの……!」
「あ、みーちゃん……!」
私はお姉ちゃんの手を振り払って部屋に逃げた。
息を切らして階段を駆け上がり、だらしなくも音を立てて扉を閉めた。
「はあ……はあ……」
暗い部屋に電気を灯さず、私は扉を背にして縮こまる。
その姿は子供じみているのだろう。
でも、誰も見ていない。
だから、もう安心だ。
「……」
息を整えながら、私はずっと考えていた。
私の実力ではなくお姉ちゃんのコネによって選ばれたこと、私が今までやってきたことが無駄だったこと。
頭から離れなかった。
受け入れがたい事実が支配する、
「違う……私が頑張ったから……だからなの……」
振り払うように頭を手で覆った。
こんな真実なんて受け入れられない。
虚像に縋っていたなんて、そんなこと……
「……だったら、証明してやるんだ……!」
私の実力で結果を出せばいいんだ。
それが出来れば全てが私の思いのままだ。
数多の事実を塗り替える実績を作る、それが今の私に出来ること。
目に溜まった水滴を薙ぎ払い、私は立ち上がる。
復讐心が身体を突き動かしていた。
ストレッチ用のマットを敷き、ゆっくりと身体を傾ける。
手が足先に届くように、丁寧に息を吐きながら全身を隈なく伸ばし、自分が満足するまで続ける。
しっかりとストレッチをしなかった次の日には疲れが残りやすい。
これをするとしないとでは雲泥の差だ。
試しで始めたつもりが、今では考えられない程にハマっている。
この先も怠ることはないだろう。
でも、今はそれ以外にも習慣になった事がある。
「ごめん、何て言ったの? ノイズで聞こえなかった」
床に置いたスマホに向かって、私は問い返す。
すると、呼応するように声が発せられた。
『だからさ、オーディションまでもう少しなんだろ? 調子はどうなのかなって』
ペンを走らせる音が聞こえる。
どうやら机に向かいながら通話をしているらしい。
「最終選考までまだ一か月あるし、今から不安なんて抱えてたら最後までもたないでしょ? それに、実際にやるのは私なんだし、私のことは私がちゃんと管理するから」
『それはそうだけどさ……』
腰を捻り、伸ばす部位を変えていく。
通話に特段集中する必要はない。
あちらも勉強が優先なのだから、私も自分のやりたい事を優先する。
最近は、こんな具合で通話する機会が多くなった。
タイミングが合った時にしていた通話だったが、最初は要件があった場合に限られていた。
それも急を要する場合だ。
結構無茶なお願いもしていた気がするけど、実際に文句を言われた事はないから問題ない。
ここ数週間からだ、今までと変わったのは。
珍しく向こうから通話を申し出たときもあったし、日付が変わる直前に電話してもウザがっている素振りも感じられなかった。
大した用がなくとも、通話を切るような真似をしなくなっていた。
私に心を開いてくれたということなのだろうか。
『どうかしたのか?』
考え事をしていると、彼はそう言った。
無言になっていたのを不思議に思ったらしい。
急かされた気がして、私は慌てて応答した。
「いや大丈夫だけど……あ、そうだ、先週のあれってどうだったの?」
『先週?』
「そうそう、この前言ってたじゃん? 試合があるって」
『あ――……』
なるべく焦りが表面に出ないように冷静な姿勢を保てたと思ったが、今の逸らし方は少々強引だった気がする。
別に悪い事はしていないが、少しでも隙を作れば、そこを追及されそうな予感がした。
『……』
電話の先から微かに熟考する声が聞こえる。
どうやら話題のすり替えには成功したらしい。
実際に目の前で追及されていたらと思うと恐ろしいが、今はスマホを介してやり取りをしている。
私は声を作るのが得意だ。
仕事を行う上での武器なのだから、それは当たり前だ。
でもそれ以上に、この程度の動揺を悟られるような自分なんて許せないと思った。
「丁度先週だったんでしょ? 一週間も報告待ちとかありえないんですけど?」
『急かすなよ……』
「いいじゃん、別に結果なんて気にしないから」
この隙に畳みかける。
形勢逆転だ。
「ほら、早く言った方が楽になるぞー」
『距離感バグってんだよ、お前は……』
「別にいいでしょ? 誰も聞いてないんだから。ほら、早くー」
『いや、いいよ……』
「いいからさっさと言っちゃいなよ……」
『……』
「……もうこのやり取りも飽きたんだけど」
『言い出したのはお前だろ……』
彼はなかなか口を開こうとしない。
もう聞かなくても良い気がして来た。
そこまで言いたくないのであれば、深追いをする必要はない。
変に深追いすれば、余計なお世話だと思われるかもしれない。
そう思っていた。
だから、私は違う話題を提案しようと口を開いた。
でも、次の言葉は私が発したものではなかった。
『……負けたよ、試合。完敗だった』
「え?」
彼が発したものだと気づくまでに時間がかかってしまった。
少しの間、言葉の意味を理解できなかった。
途方にも感じられる時間を咀嚼していく。
次第にその意味が頭の中で鮮明になっていく。
あ……
その瞬間、血の気が引いた。
またやってしまったと思った。
恥ずかしい思いをしたくないから、自分のことばかり考えて無意識に他人の領域に踏み込んでしまった。
彼は言いたそうにしていなかったのに、それを考慮せずに強引に聞いてしまった。
何でいつも後になってから気がつくのだろう。
悪意が無くても他人を傷つけることだってあるのに。
「ご、ごめん……!」
画面に向けて謝るが、反応はない。
相手の顔が見えない、それが只々恐怖を煽った。
怒ってるだろうか。
それでも仕方のない事をしたのだ。
無神経な自分を恥ずかしいと思った。
息を吸う音が聞こえる。
何を言われるのか、それだけを考えた。
『……結果は気にしないって言った癖に何で謝るんだよ?』
「だって、無神経だった…から……。失礼だって思ったから……」
『最後まで話を聞けよ。確かに負けたけどさ、正直今日は勝てる気がしなかったんだよね。相手も強かったのもあるけど、俺達が弱かったのが悪いんだし』
「……」
思っていたものと違った。
無神経なことを言ったのに、それでも彼は穏やかだった。
彼はそんなことを気にも留めていないような口振りだった。
『……と言うかさ、最初から無理だと思ってたからむしろ気楽にできたんだよね』
「そっか。それだったら平気か……」
『逆にさ、何でそんなにビビってんだよ?』
「いや、ビビってるわけじゃ……!」
笑い声が聞こえてくる。
本当に気にしていないらしい。
私が神経質になっていただけだったのだろうか。
そんな考えが頭によぎるほどに彼はあっけらかんとしている。
『いちいち気にし過ぎなんだよ。今の内から神経張り巡らせてたら、それこそオーディションまで身体もたないんじゃないか?』
いや、私が無神経なのではない。
こいつの方がよっぽど無神経だ。
絶対そうだ、そうに決まってる。
こんな気持ちにさせておいて思いやりだなんてありえない。
だから、私は内から溢れる苛立ちを言葉にした。
「負けた人に言われたくないんですけど?」
『本当のことを言っただけだろ? たかが負け一つで大騒ぎし過ぎなんだよ』
「______! それ、本気で思ってるの?」
思わず聞き返してしまった。
腹立たしくなり、抑えていた感情を表に出してしまった。
「負けたら悔しいに決まってるじゃん……! どんな相手にでも絶対負ける保証はないんだよ?! 少しでも勝てる見込みがあるんだったら頑張らないと!」
『今回はそれさえもなかったから仕方ないって』
「私だったら逃げない……絶対に勝つって気持ちで挑む、それが勝負の世界で一番大切な事だから」
自分の思いをぶつけた。
目標を掲げておいて、駄目だったら白紙に戻す。
彼がそこまで薄情な奴とは思っていなかった。
結果を求める以上、困難に挑むのは必然。
悔しいと思えるから、再び前を向けるのだ。
『……やっぱり声優は言うことも一味違うなあ』
「冗談だと思ってるでしょ?!」
『あはは、流石だな』
「違うから! 私は本気で言ってんの!」
『あ、もう時間だから切るね』
「逃げないでよ! まだ話は______」
あ……
いつの間にかホーム画面に戻っている。
通話が切れてしまったらしい。
再び電話を掛けるが応答はない。
「逃げられた……」
そこまで根性なしだったとは思わなかった。
私が彼の家を訪れた日、あの日から彼は変わったように見えた。
以前よりも積極的に相手を知ろうとしたり、目の前の事に取り組もうとしているように見えた。
なのに、今日の様子からはそんな部分を感じられない。
私の勘違いだったのだろうか。
ならば、今度会った時に文句でも言ってやろう。
今日みたいに下手に出ていたら駄目だ。
こちらの本気具合を示してあげなくては。
「ふふっ」
次に会うのが楽しみだ。
何て言ってやろうか。
きっと逃げた事を後悔しているだろう。
その弱みに付け込んで、我儘を通せるかもしれない。
最終選考を大義名分に、再び遊びに連れて行くのもアリだ。
……?
腹立たしいと思っていたのに、今はそんな気分になれなかった。
彼の態度に苛立っていたと思ったら、今度はむしろ喜びを感じている。
次に会った時に言いたいセリフがたくさんある。
狼狽える彼の姿が想像できる。
単にそれが理由なのだろうか。
「私って結構単純なのかな……」
あまり自分の悪い所を自覚したくないが、知っているのと知らないのでは雲泥の差だ。
ある意味感謝したほうがいいのかもしれない。
「……さて、と」
とりあえず今は目の前の作業だ。
私はストレッチを終えて、敷いていたマットレスを片付ける。
丸めた後は部屋の隅に立て掛けて所定の位置に戻した。
その他片づけを終えて部屋に立ち尽くし、ちらりと時計を見ると、まだ寝るには早い時間だった。
完全に手持無沙汰だ。
「テレビでも見ようかな……」
私は部屋を出て階段を降りる。
リビングは既に電気がついていなかった。
食事を済ませれば残りは入浴と就寝のみなので、用がない限りは電気を消すようにしている。
一人だからと言って毎晩電気を点けっぱなしにするのは良くない。
今日も例外なくリビングに光を灯す。
目の前には当たり障りのない風景が広がっている、はずだった。
「……え?」
見間違えかと思った。
数時間前のリビングと雰囲気が様変わりしている。
机に置かれた資料、スタンドに掛けられたカバン、どちらも存在していなかったはずだ。
もちろん私のものではない。
近くに寄って中身を確認するが、その直前で足を止めた。
――誰かいる
嫌な予感がした。
この予感は当たってほしくなかった。
でも、廊下からその人の声が聞こえてくる。
足音が段々と大きくなって、こちらに向かって来ているのが分かる。
気づいた時に部屋に戻れば良かったのに、もう私には逃げる時間はなかった。
「あら? みーちゃんもいたの?」
扉から顔を覗き込み、私の名前を呼んだ。
この名前で私を呼ぶ人物は一人しかいない。
今まで入浴していたのか、その人物は湿った髪をタオルで乾かしていた。
何気ない動作だ。
でも、その動作の一つ一つが煽りを含んでいるように見えた。
「……お帰り、お姉ちゃん」
「うん、ただいま。でも、家にいるんだったら出迎えてくれても良かったんじゃない?」
「ごめん、気づかなかった」
「そう? なら仕方ないわね」
そう言うと、感嘆する素振りもなくあっさりとした様子で、お姉ちゃんはソファーに寝っ転がった。
久々に帰って来た自宅を満喫しているようだった。
「帰って来れたのって何か月ぶりかしら? ずっと都内にいたから、こっちの方が静かで落ち着くわね」
「そう……」
「みーちゃんとも一か月ぶりだもんね……て言っても、あの時はほとんど話さなかったか。ゆっくり話す機会ってなかなか取れないものね」
「……」
「でも、まとまった仕事も当分ないから、暫くの間は家に居られてラッキーよね。みーちゃんも嬉しいでしょ?」
「……別に」
そこまで言うと、お姉ちゃんはテレビの電源を入れて、本格的にだらけ始める。
素足のままソファーをベッド代わりにしていた。
人の目など全く意に介していない。
自分の世界に浸っているように見えた。
でも、それが一番私を苛立たせる。
「部屋に戻る」
私はそう言ってこの場を去ろうとした。
でも、すぐに後ろから呼び止められる。
「え、もう行っちゃうの? こうして会うのも久しぶりなんだし、もっと甘えても良いんだよ?」
「まだやることあるし」
「今日くらい良いじゃない。昔みたいに甘えても罰は当たらないわよ」
「甘えたいなんて一言も言ってない」
「えー? 残念だなあ。『日織ひおりちゃん待ってー』っていつも言ってたじゃない?」
「……もう子供じゃないから」
「可愛かったんだから、昔のみーちゃん。ずっと私の隣にいたし、何かあったらいつも私の部屋に来てたじゃない」
「……」
「あ! 今のみーちゃんだってもちろん可愛いわよ……? ほら、整った顔立ちしてるし、髪艶も良いし、特に目もパッチリしててお人形さんみたいだし……!」
私が怒っていると思ったらしい。
お姉ちゃんは焦ったように手を動かして弁解している。
先程までの他人を見向きしない姿勢とはえらい違いだ。
一挙手一投足に気持ちが籠っている。
「……」
「ってどうしたの? 顔に何か付いてる?」
「……別に」
だから、その一つ一つの動作が私を余計に苛立たせる。
まるで私の事なんか眼中にないみたいで、自分のためにやっているみたいで、とんだ茶番だと思った。
私の思いなんて知らない癖に、もうほっといてほしいのに、それなのにお姉ちゃんは私の前に現れる。
私は視線を逸らした。
これ以上お姉ちゃんを見ていたら、もう耐えられそうにない。
「ちょっと、今日みーちゃん変じゃない?」
「変じゃない。もう行くから」
「あ、ちょっと……!」
ソファーの軋む音が聞こえた。
でも私には関係ない。
そのままリビングを後にしようと、私は廊下に向かった。
「待ってってば!」
でも、後ろからお姉ちゃんに手を掴まれる。
振り返ると、お姉ちゃんがいた。
ソファーから立ち上がり、私を見下ろすようにして立っている。
いや、実際に見下ろされている訳ではない。
自分がお姉ちゃんを意識し過ぎているだけだ。
身長差があるせいで見えているのだ。
そんな風に自分に言い聞かせても、私の心が鎮まることはない。
でも、私が劣等感に駆られている間もお姉ちゃんは顧みなしに畳みかけてくる。
「本当に変だよ、今日のみーちゃん。どこか調子悪いの?」
「そうじゃないから」
「本当に? 嘘ついてない?」
「……」
本心からの言葉なのだろうか。
それとも心の内では私を嘲笑っているのではないか。
そう思える程に、今のお姉ちゃんの表情は淡々としていた。
本当に心配しているのか、全て分かった上で蔑んでいるのか、私には全く分からなかった。
でも、これだけは分かる。
私がこれまでにどんな思いを受けてきたか。
どんなに嫌な感情を芽生えさせられたのか。
不快感のみが感情を支配する。
目の前に存在する不快感の温床に対して、私は感情を爆発させた。
「……うるさいよ、いちいち気に障ることばっかりしてさ……!」
「……え? どうしたの、みーちゃん……?」
「うるさいって言ってんの! 私が嫌な思いしてるって気づいてないの……?」
「……」
「いつもいつも私のことなんて考えないで邪魔ばっかりしてさ……! お姉ちゃんのほうが地位も名誉も上だからって、私のことにいちいち突っかかんないでよ……!」
募りに募った感情を吐き捨てた。
ずっと秘めていたお姉ちゃんへの思い。
お姉ちゃんの傀儡人形として生きるなんて、私には出来ない。
私は自分が信じる道を歩みたい、ただそれだけを願って言葉を紡いだ。
「……」
私の言葉が通じたのか、お姉ちゃんは無言だった。
表情を伺うことは出来なかったが、少なくとも私の思いは知ったはずだ。
今まで面と向かってお姉ちゃんにこんな風に意見することはなかった。
声優活動を志した時から今に至るまでの長い時間の中で初めてだ。
昔はずっとお姉ちゃんの言う通りに練習していたけど、今はもう違うのだ。
私には私のやり方がある、それをただ知ってほしい。
それだけを望んで、私は勇気を出したんだ。
「私はもう子供じゃないんだよ……? 今だって自分のやり方で結果を出そうとしてるんだから……」
「……自分のやり方?」
「! そうなの……! 日頃の練習だってしっかりやってるし、オーディションだって……しっかり受かるために原本も読み込んでるし……」
「……」
私の信じてきたやり方は通用する、それを知ってもらえばきっと……。
「それでしっかり結果も出してる……! 最終オーディションまで残れたし、あとは合格するだけ______」
「それが私のやり方だ、そう言いたいの?」
「……え?」
駄々をこねる幼児を諭すような冷たさ、そんな雰囲気をお姉ちゃんは醸し出していた。
突然の様変わりに私は返事をするので手一杯になっていた。
ぴりつくような痛みが肌を伝っている。
次第に伝播する怖気が全身を支配してしまった。
お姉ちゃんの一言、それだけで私の五感が制される。
目の前から溢れ出す圧迫感に圧し潰されないように、私は必至に目を合わせた。
それが私に出来る精一杯だった。
「レッスン、努力、成果の出し方、どれを取っても変わってないのに? 私が教えたことをただ忠実に守っているだけじゃない。それなのに、私のやり方が形成されているだなんて……面白い冗談じゃない?」
口元に笑みが浮かぶが、それを見ても今の重い空気が晴れることはない。
お姉ちゃんの目は、冷徹だった。
「で、でも、私なりに工夫して……やり方も変えて……」
「今のレッスン講師だって元々は私が紹介した人で受講料も払ってあげていたのに、そこから受講料を自分で払うようになっただけで自分が変わったって言いたいの?」
「伊予さんは凄い人だから…私が上手くなるために色々手伝ってくれるし……」
「そうね、あの人はその手のベテランだから凄い。でも、私が紹介していなかったら出会うこともなかったのよ? 自分の力だけで今のレベルまで成長できたと思うのかしら?」
「それは……」
声優がどういったものなのかさえ知らなかった頃、私がお姉ちゃんに連れられて行った先に伊予さんがいた。
その頃には私の保護者代わりになっていたお姉ちゃんがレッスン料を出してくれたから、私はあの人に出会うことが出来たんだ。
「例え書類選考の段階であったとしても、オーディションを受ける作品に原作は絶対に読み込んで理解しておくこと……これだって、私があなたに教えたことでしょ? 基本中の基本を守ったぐらいで調子に乗るのも大概にしなさい」
「……」
正論だ。
私がお姉ちゃんに教わったこと、それをなぞっていてもお姉ちゃんを超えることはできない。
だからこそ、自分なりに解釈を変えて努力してきた。
でも、それは結局無駄な努力というやつだったのだろうか。
「変わったといっても他人に答えを求めて自分はそれをただ真似るだけ……そんなちぐはぐなやり方が通用するほど甘くはないわよ」
私を突き放すように、お姉ちゃんはそう言った。
私が全て正しいのだと主張しているようであった。
……
正論だと思った。
お姉ちゃんが歩いた道を追いかけているだけでは意味がない。
自分で考えたことだって、結局はその道をなぞっているに過ぎないのだ。
それは分かる、嫌でも思い知った。
でも、私は他人に答えをもらった訳ではない。
自分で考え抜いた先に見つけた答えなんだ。
それが出来たのは、あの日祐介と過ごしたから。
二人で話し合ったから私が気づくことが出来たんだ。
確かに一人で考えていてもいつかは思いつくのかもしれない。
だけど、あの日二人で過ごしたからこそ見つけ出せた、そんな素敵な事実を信じていたい、認めていたい。
だから、それを全て否定されるのだけは それだけは嫌だ______
「……私が自分で見つけた答えなんだよ。それを知らないのに何でお姉ちゃんは邪魔ばっかりするの?」
「邪魔?」
「だってそうでしょ? 自分以外のアドバイスが欲しかったからあいつに頼んだのに……それも否定されたら、私には何も出来ない……」
「私はみーちゃんのためを想って言ってるのよ……?」
「それのどこが私のためだって言うの……!」
不気味な笑顔だ。
お姉ちゃんはその表情を変えることなく言葉は発した。
「私はね、みーちゃんが見つけ出した世界を見せてほしいの。あなたの解釈で世界を構築して、その世界を私に……そしてみんなに証明してほしいの。それが私の求める理想のあなた」
「な、なにを……」
「あなたは天才よ。昔からずっとそう……絶え間なく吸収して成長し続けている。これからだって変わり続けるの、永遠に……」
私の知らないお姉ちゃんが目の前にいた。
思わず後退りするが、相反するように距離は近づく。
喉奥が締め付けられるようだった。
「……なのに、どうして……」
「……え」
顔が離れていくと同時に、視界が明るくなった。
開放感を享受するが、様子の変わったお姉ちゃんから目を逸らすことは出来ない。
歯軋りする音が消えていくまで、私はずっと口を縛った。
そして、こだまする音が消えると、お姉ちゃんは息を吸って言葉を投げた。
「……どうしてあの子と関わるの?」
「そんなの、私の勝手でしょ……!」
「いいえ、あなたは間違ってる。あんな子と一緒にいたら汚れてしまう……今までの努力を無下にしてしまうのよ? それを正すのは悪いことなのかしら?」
「……本気で言ってんの、それ?」
「ええ、本気よ? あなたが大成するなら、私が灰汁を取ってあげる。あなたが純粋に考え抜いた作品に無駄なものが紛れ込んでいるなら、私が排除してあげる」
「……だから、祐介君に接触したの?」
「あら、知ってたの?」
私があいつの家に行った日の帰り道、私は直接彼から聞いた。
偶然なのかコンサートホールで出くわし、その時に関わりを断つように言われたこと。
そのせいで彼は生気を無くしてしまったのだ。
なのに、その元凶はさも当然かのように振舞っている。
「私に言うなら別にいいよ。甘んじて受け入れるよ……お姉ちゃんのほうが実力も実績も上なんだから。でもさ、あいつは関係ないでしょ……! 私の問題にあいつを関わらさせないでよ……!」
「関係あるわよ。あなたの純粋な演技に赤の他人の余計な油分が加わっていたら、それこそ台無しじゃない」
「アドバイスを貰うくらい誰だってやるでしょ……!」
「素人のアドバイスなんて、たかが知れてるわ。私みたいなレベルの人に教わるのなら話は別だけどね」
「でも……私はあいつのおかげで最終選考まで残れたの……!」
「最終選考に残るなんて今までも何度かあったじゃない? それに一度は合格もしているんだし……私のお陰で」
「……え?」
今……なんて……?
「あなたが出演した作品……あ、私が主演だったやつね、あの作品に出れたのも私が推薦したお陰なのよ?」
「え……」
「脇役のオーディションで候補に挙がってたあなたを推薦してあげたから出演が出来たのに……まさか本当に自分の力だと思ってたの?」
「……嘘……」
「実績があればあなたも自信をつけてもっと成長してくれる、そう思ったから挑戦させてみたの。要は私のコネってやつね……でも、そのお陰で今のみーちゃんが自信を持ってくれてるなら、やった甲斐はあったわね」
信じられなかった。
私は虚像に踊らされていた、そんな真実なんて受け入れられない。
実力は評価されていなかったなんて、そんなの信じられない。
「……私は信じない」
「そう……残酷だけど受け入れたほうが楽よ? 私がいるから苦労せずにいられるの。それが如何に幸せかなんて考えてみれば分かることでしょ?」
「そんな空虚な実績で成り上がったって意味ない……! 私は私の実力で成り上がりたいの……!」
「あ、みーちゃん……!」
私はお姉ちゃんの手を振り払って部屋に逃げた。
息を切らして階段を駆け上がり、だらしなくも音を立てて扉を閉めた。
「はあ……はあ……」
暗い部屋に電気を灯さず、私は扉を背にして縮こまる。
その姿は子供じみているのだろう。
でも、誰も見ていない。
だから、もう安心だ。
「……」
息を整えながら、私はずっと考えていた。
私の実力ではなくお姉ちゃんのコネによって選ばれたこと、私が今までやってきたことが無駄だったこと。
頭から離れなかった。
受け入れがたい事実が支配する、
「違う……私が頑張ったから……だからなの……」
振り払うように頭を手で覆った。
こんな真実なんて受け入れられない。
虚像に縋っていたなんて、そんなこと……
「……だったら、証明してやるんだ……!」
私の実力で結果を出せばいいんだ。
それが出来れば全てが私の思いのままだ。
数多の事実を塗り替える実績を作る、それが今の私に出来ること。
目に溜まった水滴を薙ぎ払い、私は立ち上がる。
復讐心が身体を突き動かしていた。
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