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ーー月島 澪。
海都に住んでいて、この名を知らぬ者はまずいない。移住したばかりの結友でも知っているくらいだ。本土でも彼女の名前を聞く。その優美な容姿と泰然とした風格から、若手ながらビッグネームの女優と勘違いされることもあるが、彼女は芸能人ではない。一般市民――とも言い難い。彼女の立ち位置は、人工島の背景に深く関わっている。
端的に言おう。<月島澪>は人工島設立の立役者である<月島グループホールディングス>の代表取締役のご令嬢である。要は、超絶お嬢様だ。しかも、その才覚と優れた人格、そして美貌から、齢18歳にして、すでに会社経営に携わっており、いくつかの大ヒット商品を生み出してしまった才媛である。本人がCMやネット広告に出演しているので、小さなお子さんでも知ることとなった有名人だ。
ただ学業を優先しており、テレビやネットに露出する頻度はかなり少ない。にもかかわらず、類稀なる美貌と風格、先を見透す聡明さまで兼ね備えた圧倒的存在感と、あの月島HDのご令嬢という社会的地位が、殊海都においては、芸能人や政治家よりも知名度が高く、その動向が注目され、海都の政治にも影響を与えているのではないか、と噂されていた。ちなみに、文化面にも影響力があり、彼女が着た服や靴などは、ブランド物だろうがなんだろうが、次の日には市場から消えてしまう。自分の子供に見習ってほしい人物、堂々の第一位だ。
そして、結友にとっては忘れがたい<フェンリル討伐戦>において陣頭指揮を執った<蒼髪エルフのミヲ>でもある。仮想電子世界<ウィズ>のアバターは、本人そのもののデータで構成されている。もちろんA.W.sでのエルフの長い耳は仕様だが、上記の理由によって、顔立ちやスタイルそのものは彼女由来のモノだ。彼女がいかに美しく、聡明で、度胸があり、人望が厚いかが分かるだろう。人生何周目なのか。
海都全体が彼女に好意的でファンと言っても差し支えない。特に一部の熱狂的なファン層だけが<ミオリア>という独特の呼称を得ていた。そのミオリアの中で月島澪は偶像化されており<聖女様>の愛称で親しまれている。結友も蒼髪エルフにして聖女な彼女に心奪われた者の一人であった。
ーーさて。では、話を戻すとしよう。
澪に勝るとも劣らない、しかし別ベクトルの研ぎ澄まされた容姿を持つユノに「恩人を忘れている。月島澪を知っているか」と尋ねられた後のことだ。
「え、それってあの有名な? うぐっ……!」
ズキン! 頭を抱え、よろめく結友。頭が割れるように痛んだ。脳内で時を遡る。鮮烈な記憶の逆光に立っていられない!
あの時の痛み。あの時の恐怖。あの時の苦しみ。あの時の決意。あの時の彼女の笑顔!
あの時の悉くが怒涛となって押し寄せ、結友のこころに覆し掛かり、圧し潰し、引き千切る。強い吐気を催し、美少女の前だったが、たまらず海へ吐き出した。胃の内容物を出し切るが、それでもえずく結友の姿に、ユノは端整な顔立ちに渋面を作って、ひとり恨み言をつぶやく。
「……あの隊長、損な役回りを押し付けて。いつか思い知らせてやるわ」
胃にはもう何もないと体も理解したのか、吐き気が弱まる。すると結友はすぐさまユノに取りすがる。病的に青白い顔のままで。
「澪さんはッ!? はぁッ、はぁッ! み、澪さんはッ……! ゲホッ、ゴホッ!」
頭が白熱した結友は、そこまでしか言えない。過呼吸気味だ。目も血走っている。落ち着くべきだったが、こころが絶叫している。「彼女は無事なのか!」と。
そんな精神状態でも、理性と意識は手放さなかった。強烈に過ぎる――それこそ、人格を壊しかねないほど過酷な体験を思い出し、ふたたび味わったと言うのに。これは、ひとえに<蒼髪バニーエルフ>への大きな恋慕ゆえだった。
それが分かるからか、ユノはありのままを教える。事実をウソや誤魔化しで覆うことはしなかった。
「生きているわ……無事にとは言えないけどね」
「ーーーッ!!」
「待って、落ち着いて。呼吸しなさい呼吸を。吸わない吸わない。吐いて……そう、ゆっくりね。…………どう? 少しは落ち着いた? 続きを話すけれど、いいかしら。無理そうなら正直に言いなさいよね……って言っても聞かないでしょうけど」
仕方なそうに溜息をこぼすユノ。
ひとまず生きていると知り、結友は涙をこぼしてしまう。深い安堵に包まれる。共に死ぬと覚悟したとは言え、生きたいという願いも真実だった。あの時の心境に嘘も偽りも勘違いもないが、それはそれ。これはこれである。不惜身命にして但惜身命。今はその時ではない、と天が導いてくれたのだろう。無論、澪先輩のお陰様でもある。何もできなかったのは、自分だけだ。無力感に苛まれる……。
とは言え。今は自身の感情よりも優先すべきことがある。澪先輩のことだ。結友が落ち着かない限り、ユノは詳細を教えてはくれまい。
調息につとめて気を安定させる。完全に平常心とはいかずとも、他人の話を聞く程度の余裕は作れたつもりだった。
多少は、結友も落ち着いたと観て、ユノは先を続けてくれた。
「それで、一命は取り留めているわ。まぁ、私たちが特別何かしたわけではないのだけれど。おそらく恒常性自己再生でしょうね。それも特級の。どれだけの魔力と魔力操作の技術があれば……いえ、それよりも、そういう訳だから、ひとまず最悪の事態は免れているわ。
ただ体のダメージは深刻よ。酷い凍傷だったから。峠は超えたのだけど、目を醒まさないままね。まぁリジェネが継続してるし、回復薬も飲ませたから、ヒーラーの見立てでは、このまま治療に専念すればいずれ目を醒ますとのことだけど。何にせよ、今は面会謝絶よ。大丈夫、そのヒーラー、超有能だもの。彼女、ツイてるわ。さすが月島澪。そのヒーラー、普通ならお目通りすらできないのよ? たまたまこの船にいてくれたんだから」
先輩は大怪我したものの、生命は繋ぎ留めたようだ。傷も残りづらいそうである。凄腕のヒーラーがそばに付いているようだ。へなへなと結友はへたり込みそうになる。というか、実際にへたり込んだ。足腰から力が抜けてしまっていた。
(よかった……ホントに……ホントに……)
その場にしゃがみこんだ姿勢で、結友はユノを見上げてみる。こうして下から見ても、ユノは美人だった。麗しの長い黒髪を横風が梳っている。切れ長の目を伏し目がちにして、流れる黒髪を耳元で押さえる姿は、一つの絵になった。おっぱいはさすがに先輩ほどではない。先輩のおっぱいは国宝である。もちろん、甲乙をつけるつもりはない。それはおっぱいへの冒涜だ。どれも違ってどれもイイ。ユノのおっぱいは程よい高さで、形が素晴らしかった。ロケットタイプと観た。
さて、結友はおっぱいも好きだが、脚も好きだ。ユノはからだ全体の均整が取れていて、モデルのようなプロポーションだ。特に脚が長い。ヒップも張りがあって、いつまでも眺めていられる。そんなことすれば、たちまちビンタをもらってしまうだろうが。気の強さを考慮すれば、今度は鉄拳かもしれない。あな恐ろしや……。
結友はひとり失笑する。安心した途端、コレである。自分でも、ようやく調子が出てきたなと感じた。
「なんで急にニヤニヤしてんのよ。舐めるような視線も気持ち悪いし……見ないでくれる?」
「さすがにヒドくないか? それで先輩はどこに?」
「それを知ってどうするのよ」
「あー……様子だけでも見たくて……ダメか?」
「はぁ……話、聞いてた? 面会謝絶と言ったはずよ。絶対安静なの」
「……………………」
ユノは日本人らしからぬ紫紺の双眸で睨みつける。それでも結友は自身の胸の内を灼くく情動に居ても立ってもいられない。とにかく先輩が心配だ。なにやら凄い回復魔術で治癒しつつあるとしても、昏睡状態が続いているそうではないか。一目でいい。この目で確認したい。自分の思いのままに振る舞いたい衝動に躰が震える。
だが、結友を取り巻く状況がそれを許さなかった。そして状況を把握して分をわきまえられるくらいには、結友は落ち着きを取り戻してしまっている。せめて、ユノの端整な美貌を見て、妄想を捗らせて気を紛らわせないと……。それは得意分野だ。幸運にも、ユノが着ている軍服は、異世界補正がかかって、軍服なのに割と肌の露出が多い。素晴らしきかな異世界!
俯きがちに肩を震わせる結友に、純粋なユノは、澪の心配に打ち震えていると思い込み、哀れに思ったのか、気遣わしげな顔色になる。よもや、自身に劣情を沸かせているとは微塵も思わなかった。
ーー結友の沽券のため、ここに改めて記そうと思う。モチロン、彼は澪の心配をしている。意中の人の心配をしない男がどこにいると言うのか! ユノの制止を振り切ってしまいたくなるくらいには動揺している。ただ、今の状況ではユノたちの不興を買うのはマズイ。結友も澪もユノとカロンに助けられている状況だ。だからこの強い情動に耐えねばならない。そこで、結友は気を紛らわそうとして、澪とはまた別ベクトルで好みのタイプであるユノで桃色の妄想を捗らせているのだ! …………彼のためと思ったが、あえて記さない方が良かったかもしれない。すまん、結友よ。閑話休題――。
「それに、あなただって、無傷とは言え、気を失って倒れていたのよ? 無理をするものではないわ。安静にしてなさい。月島さんのためだけじゃなくて、あなた自身のためにも」
「……あいたた」
「ほら、見なさい。体が痛むなら休んでなさい。月島さんなら私も気にかけておくから。彼女を失うことは我々としても避けたいのだし」
(ゴメン、痛いのはこころです)
ここまで決して優しいとは言えなかったユノが、初めて結友に柔らかい声をかけた。ちょっと口には出せないレベルでの桃色の妄想をしていた結友は、さすがに良心が痛む。ただ、おかげで気を紛らわせることには成功したが、ちょっと自分でもどうかと思う結友であった。
いや、これは仕方ないことだったのだ。絶対、そうなのであった。異論は認められそうにない。と、そこで結友は違和感に気付いた。
「……待った。無傷だったの? 俺」
「? そうだけど」
「ユノ達が治療してくれたんじゃなく?」
「しれっと呼び捨て……まぁいいけど。そうよ。別に私たちは何もしてない。たぶん、月島さんが何かしてくれたのではないかしら」
(……それはそうかもだけど、あの状況で? いや、先輩ならできなくはないだろうけど……)
結友は強い違和感を拭えない。あの時、すでに先輩はボロボロだった。衰弱して、魔力が残っていたとも思えない。自分に一つも傷がなかったのは望外の僥倖だが、では、氷魔狼の氷のブレスに炙られたのは、極限状態による記憶違いなのだろうか。あるいは、幻覚か。そうだとすると、今度は先輩が昏睡している状況に説明がつかない。
(……ダメだ。コレ以上は考えても答えを出せそうにない。まぁ、今1番大切なのは、先輩が無事に目を覚ますことだから、分からなくてもいいんだけどさ)
「……ねえ。何があったのよ」
ユノが船べりに細い背をあずけて、流し目で聞いてくる。引き続き気遣わしげではあるが、だからこそ聞いておきたいという想いが感じ取れる表情だった。
「話してて、あなたが本当に何も知らない一般人ということは感じたわ。一応は言っておくのだけれど、異世界《こっち》に来れる人って、かなり限られているのよ? 何も知らない人が紛れ込むなんて普通じゃないの……だから聞かせてちょうだい。思い出したのでしょう?」
「それは…………」
結友は正直に話そうとして、途中で口が止まってしまう。自分としては、あったことをありのままに伝えようとしたのだが、ふっと、蒼髪バニーエルフにとってはどうなのだろうと疑問が頭を過った。
なんとはなしに、先輩は、ユノと艦長とは距離があるように思えた。先輩について話すとき、ふたりの言い回しには距離を感じる。少なくとも、単純な仲間というわけではないだろう。仲間なら、もっと色々とリアクションがあってイイはずだ。結友にだけは、あえて、先輩は仲間だと伝えない理由などないだろう。
「その件については、ボクも聞きたいなァ……と、そう言われても、話していいかどうか判断に迷うよねェ。肝心の月島女史は眠り姫のままだしサ。分かるヨ、君の気持ち。けどさ、ユノ君の言ったとおりでね。ボクらも見過ごせない理由があるのサ。話してくれると嬉しいんだけどド。月島女史が目を覚ましたら、ユノくんが説明するからサ」
伝えるか伝えまいか結友が迷っていると、呑気そうな声が届いた。言うまでもなく、天然モノクルパーマで少々胡散臭い笑顔のカロン艦長だ。糸目でないのが救いだろう。
先の格好と違い、胸当てなどで身を固めた戦闘服である。頭の上には艦長を示す鳥の羽がついた三角帽子。腰のベルトには中世の海賊が使っていたような、単発式の拳銃が吊るされている。やけにゴツい。装飾もないそれは、白亜のスタイリッシュな軍服には、ちょっと似つかわしくなかった。
結友の視線に気づいたカロンは、左目のモノクルを光らせると、黒い拳銃を引き抜き、手の中でクルクルと自在に回して踊らせるや、最後に銃口で三角帽子のつばを持ち上げてポーズを決める。悔しいが、カッコいい……!
「ふっふーん。どうだい、似合うだろう? ガンアクション、憧れてコソ練たくさんしたんだよネぇ~。これが中々に難しくてさァ~」
「隊長……後でお話があります」
猛練習したガンアクションをお披露目できて、結友の反応に気が良くなったカロンが語りだすと、ユノが静かに告げた。許しがたい罪状を言い渡したのかと思うほど、ユノの眼光は冷たく鋭い。氷の剣のようだ。さしもののカロン艦長もたじろいで、いそいそと拳銃をホルスターに戻す。手が震えて、一度ではしまえなかった。
「う、うむ。まぁ時間が取れたら、ネ……? こう見えて、ボクって忙しいからサ」
「ガンアクションの練習をする暇があるのに?」
「あー……練習はネ? 自由時間にしたんだヨ? ホントだヨ? だからそう怒らないでくれたまえ」
「大丈夫です。怒っていません。ええ、怒ってませんとも。あ、知ってます? 隊長の残した仕事、私が全部やりきりました。しばらく何もありませんので……覚悟してくださいね?」
「そ、それは助かるなァ~~……あは、あははは(た、助けてくれ神城くん! これ、控えめに言って命の危機じゃないかなァ!? ボクが何をしたって言うんだ!)」
「(いやしてるでしょ。因果応報とか、年貢の納め時とか、善因善果・悪因悪果とか、昔の人たちはよく言ったものですねー……って、おいコラ! そそくさと俺の背中に隠れるんじゃない! アンタのほうが背が高いんだから無理があるだろ!)」
「……結友?」
ユノの紫紺の双眸が怪しく光っている!
「うひっ?! そんな目でこっち見ないでくれ! 八つ当たりだぞソレ! このダメダメな艦長は即刻引き渡すから! もとより俺は艦長を庇い立てする気なんてサラサラない! 正義も力もユノのもとにある!」
「そ、そんな! 命の恩人であるこのボクをそんな簡単に売り飛ばすのかイ!? なんて薄情な少年なんダ! 情けは人の為ならずって言葉、知らないのかイ!?」
やはり、自由奔放に過ぎるカロンには色々と溜まっていたようだ。ユノの眼光は底冷えするような温度だ。二度とあの目で睨まれたくない。心臓が凍りついてしまう。恩人であることに違いはないが、結友も我が身が可愛い。差し出しても良心がちっとも傷まないので、ダメダメな艦長を潔く贄として差し出した。
こうして、静かな修羅と化した氷の黒髪乙女に、モノクル天然パーマ艦長が折檻されそうになった時ーー。
カンカンカンカン!
マストの頂上から激しく鐘が鳴らされた。まるで危急を告げるように。艦長の胸元から焦燥感のにじむ音声が届く。
『五時の方向、上空より敵襲! 上空より敵襲! 距離、およそ300レイル! 数、天馬8騎!』
本当に危急だった。結友は急転直下の変化についていけないが、艦内は騒然として、慌ただしく甲板に上がってくる騎士や船乗りたち。誰もが緊張で強張った顔をしている。騎士は武器を、船乗りたちはロープや櫂といった操船用具を携え、持ち場へと走る。ほとんどの人が無傷ではない。疲弊している状態で、それでもなお、この突発的な危機に対応するため走っていた。カロンの胸元から、野太い男性の声が届く。
『艦長! どうしますか!? ご下命を!』
「無論、第一種戦闘配備。順次、応戦せよ。射程に入り次第、砲撃隊は魔砲術を展開し、一斉掃射。術式を爆炎系と閃光系に固定。敵の視界を奪え。天馬を混乱させろ。近づけさせるな。魔術隊は術式展開直前で待機。掃射をすり抜けた敵天馬を撃ち落とせ。騎士隊は白兵戦に備え甲板で待機。徹底抗戦だ。降伏はない」
今までの、のほほんとした空気を一変させ、泰然自若とした指揮官となって、命令を下すカロン。その豹変ぶりに、結友は目を白黒させる。これが本来の彼の姿だったのか!
結友がそう驚いたところで、カロンの雰囲気がまた変わる。軟派なほうに。誰にも見えやしないのに、ウィンクまで添えていた。
「まぁ、安心したまえ、諸君……ひとまずの徹底抗戦サ。我に策あり、だヨ」
胸元のブローチから、船のあちこちにいるだろう様々な人の音声が届く。疲弊しているのに、一様に朗らかな声で、慌てていた結友は困惑する。敵が迫っているとは思えない気楽さだ。……事ここに至り、深刻になっても仕方ないのだろうと察する。だからって、結友も気楽になれるなんてことはないが。
『……実に胡散くさいお言葉ですが、今回も我々はそれに乗っかると致しましょう……総員、死力を尽くせ! 出自不明の我らが怪しい艦長殿が起死回生の一手を用意してくれてるらしいぞ!』
『聞けば聞くほど胡散臭いでやがりますなぁ』『まぁ、結果出してくれりゃ、俺は何も言わん』『それな』『元々俺たちゃ行き場のねェ半端モンの集まりだからな。胡散臭いのは俺らも同じよ』『あ、ユノ副官は違いますゾ! 拙者、ファンでありますゆえ!』『メシと食いもんと酒と女にありつけりゃあ文句ねぇよ』『それな!!』『コラ男ども! 今じゃあ女の子だっていンだよ! 口を慎みなッ! メシ抜きにするよ!』『『『モイ母ちゃん!?』』』
あまりにウルサイからか、カロン艦長は通信ブローチをポケットにしまってしまった。指示とか出さなくていいのだろうか。
「ウ~ン……みんな好き勝手言ってくれちゃって。これは減俸ものかもしれないネぇ」
カロンがそうボヤく間にも、甲板には武装した騎士と魔術士が並び、5時の方角の空を注視している。ローブを着た術者たちは、3人1組で杖を掲げて、大きい術式を構築していた。
「な、何!? 魔物が襲ってきてるのか!?」
まだ状況の変化に追いついていない結友は、強い戸惑いから声を大きくしてしまう。甲板のうえはすでに臨戦態勢を整え、緊迫感で静まり返るなか、結友の声はうるさいくらい響いた。
「……違うわ」
「残念なことに、相手は人間だネ」
「な…っ!?」
ユノと艦長の返答に結友は絶句する。それじゃあ今から人間同士で魔術を撃ち合おうというのか!? それは殺し合いではないのか?!
結友の驚愕とそれに伴う詰問に、ユノは平然と端的に、そして冷淡に答える。異世界でも現実世界でも、どちらであっても、コレはあり得る状況なのだと言うように。
「そうよ」
「いや待て待て! そんなの聞いてないッ!」
「だろうねェ……ボクらだって聞いてないヨ。なにせ、ここはウチの領海だ。うーん、接敵まであと数十秒ってとこか。みんな優秀だね。特に物見についた船員には特別手当を出そうかナ」
戦闘準備を完了した甲板で、カロンは双眼鏡を覗きながら、満足そうに言う。確かに、物見がいち早く見つけたからこそ、迎撃準備を整えられた。ちなみに、結友にはまだ何も見えない。本当に来ているのかと疑ってしまう。
「…………実は仲間だった、とかは?」
「ないわね」ユノが即答する。
「なんでそんな断定できるんだよ!」
「そりゃできるサ」答えたのはカロン。
「ボクたち、これでも極秘任務中だからねェ。援軍なんて来やしないのサ。来たら来たで問題だし……まァ、じゃあなんで彼らはそんなボクらを見つけたのかってことなンだけど」
カロン艦長から、少しばかり漏れた怒気を感じ取り、結友は息を呑む。それから慎重に、敵の正体を確認した。
「……彼らって?」
相手が人と言っても、ファンタジー的な定番には色々とある。盗賊、冒険者崩れ、野盗などによる襲撃だ。大体は、可憐なお嬢様や美人なお姫様が狙われたりするのだが、ここにそれらに該当するステータスの人物はいない。ユノは美人だが、お嬢様やお姫様というより、戦乙女という感じだ。……決して「こんな気も強くて手を出すのも速いお嬢様なんかいねぇよ!」という訳ではない。決して……。
少し話が逸れた。もとに戻すと、カロン率いるは正当な軍隊だ。訓練され、資金が注ぎ込まれ、明確な規律のもと組織だった公的軍事力である。野盗や冒険者崩れのソレとは訳が違う。疲弊しているからとて、ちょっとやそっとの相手では負ける道理がなかった。
と、そう頭では理解しているのに、結友の動悸と冷や汗はやまない。最近、妙に当たってしまうイヤな予感が、ねっとりと胸の内にこびり付いて拭えないのだ。
そんな精神状態で青白い顔の結友に、カロンは端的に答える。先ほど感じられた怒りはどこへやら、艦長は実に軽やかに答えるのだった。
「帝国軍だヨ。仮想でもなんでもなく、立派な敵国サ」
海都に住んでいて、この名を知らぬ者はまずいない。移住したばかりの結友でも知っているくらいだ。本土でも彼女の名前を聞く。その優美な容姿と泰然とした風格から、若手ながらビッグネームの女優と勘違いされることもあるが、彼女は芸能人ではない。一般市民――とも言い難い。彼女の立ち位置は、人工島の背景に深く関わっている。
端的に言おう。<月島澪>は人工島設立の立役者である<月島グループホールディングス>の代表取締役のご令嬢である。要は、超絶お嬢様だ。しかも、その才覚と優れた人格、そして美貌から、齢18歳にして、すでに会社経営に携わっており、いくつかの大ヒット商品を生み出してしまった才媛である。本人がCMやネット広告に出演しているので、小さなお子さんでも知ることとなった有名人だ。
ただ学業を優先しており、テレビやネットに露出する頻度はかなり少ない。にもかかわらず、類稀なる美貌と風格、先を見透す聡明さまで兼ね備えた圧倒的存在感と、あの月島HDのご令嬢という社会的地位が、殊海都においては、芸能人や政治家よりも知名度が高く、その動向が注目され、海都の政治にも影響を与えているのではないか、と噂されていた。ちなみに、文化面にも影響力があり、彼女が着た服や靴などは、ブランド物だろうがなんだろうが、次の日には市場から消えてしまう。自分の子供に見習ってほしい人物、堂々の第一位だ。
そして、結友にとっては忘れがたい<フェンリル討伐戦>において陣頭指揮を執った<蒼髪エルフのミヲ>でもある。仮想電子世界<ウィズ>のアバターは、本人そのもののデータで構成されている。もちろんA.W.sでのエルフの長い耳は仕様だが、上記の理由によって、顔立ちやスタイルそのものは彼女由来のモノだ。彼女がいかに美しく、聡明で、度胸があり、人望が厚いかが分かるだろう。人生何周目なのか。
海都全体が彼女に好意的でファンと言っても差し支えない。特に一部の熱狂的なファン層だけが<ミオリア>という独特の呼称を得ていた。そのミオリアの中で月島澪は偶像化されており<聖女様>の愛称で親しまれている。結友も蒼髪エルフにして聖女な彼女に心奪われた者の一人であった。
ーーさて。では、話を戻すとしよう。
澪に勝るとも劣らない、しかし別ベクトルの研ぎ澄まされた容姿を持つユノに「恩人を忘れている。月島澪を知っているか」と尋ねられた後のことだ。
「え、それってあの有名な? うぐっ……!」
ズキン! 頭を抱え、よろめく結友。頭が割れるように痛んだ。脳内で時を遡る。鮮烈な記憶の逆光に立っていられない!
あの時の痛み。あの時の恐怖。あの時の苦しみ。あの時の決意。あの時の彼女の笑顔!
あの時の悉くが怒涛となって押し寄せ、結友のこころに覆し掛かり、圧し潰し、引き千切る。強い吐気を催し、美少女の前だったが、たまらず海へ吐き出した。胃の内容物を出し切るが、それでもえずく結友の姿に、ユノは端整な顔立ちに渋面を作って、ひとり恨み言をつぶやく。
「……あの隊長、損な役回りを押し付けて。いつか思い知らせてやるわ」
胃にはもう何もないと体も理解したのか、吐き気が弱まる。すると結友はすぐさまユノに取りすがる。病的に青白い顔のままで。
「澪さんはッ!? はぁッ、はぁッ! み、澪さんはッ……! ゲホッ、ゴホッ!」
頭が白熱した結友は、そこまでしか言えない。過呼吸気味だ。目も血走っている。落ち着くべきだったが、こころが絶叫している。「彼女は無事なのか!」と。
そんな精神状態でも、理性と意識は手放さなかった。強烈に過ぎる――それこそ、人格を壊しかねないほど過酷な体験を思い出し、ふたたび味わったと言うのに。これは、ひとえに<蒼髪バニーエルフ>への大きな恋慕ゆえだった。
それが分かるからか、ユノはありのままを教える。事実をウソや誤魔化しで覆うことはしなかった。
「生きているわ……無事にとは言えないけどね」
「ーーーッ!!」
「待って、落ち着いて。呼吸しなさい呼吸を。吸わない吸わない。吐いて……そう、ゆっくりね。…………どう? 少しは落ち着いた? 続きを話すけれど、いいかしら。無理そうなら正直に言いなさいよね……って言っても聞かないでしょうけど」
仕方なそうに溜息をこぼすユノ。
ひとまず生きていると知り、結友は涙をこぼしてしまう。深い安堵に包まれる。共に死ぬと覚悟したとは言え、生きたいという願いも真実だった。あの時の心境に嘘も偽りも勘違いもないが、それはそれ。これはこれである。不惜身命にして但惜身命。今はその時ではない、と天が導いてくれたのだろう。無論、澪先輩のお陰様でもある。何もできなかったのは、自分だけだ。無力感に苛まれる……。
とは言え。今は自身の感情よりも優先すべきことがある。澪先輩のことだ。結友が落ち着かない限り、ユノは詳細を教えてはくれまい。
調息につとめて気を安定させる。完全に平常心とはいかずとも、他人の話を聞く程度の余裕は作れたつもりだった。
多少は、結友も落ち着いたと観て、ユノは先を続けてくれた。
「それで、一命は取り留めているわ。まぁ、私たちが特別何かしたわけではないのだけれど。おそらく恒常性自己再生でしょうね。それも特級の。どれだけの魔力と魔力操作の技術があれば……いえ、それよりも、そういう訳だから、ひとまず最悪の事態は免れているわ。
ただ体のダメージは深刻よ。酷い凍傷だったから。峠は超えたのだけど、目を醒まさないままね。まぁリジェネが継続してるし、回復薬も飲ませたから、ヒーラーの見立てでは、このまま治療に専念すればいずれ目を醒ますとのことだけど。何にせよ、今は面会謝絶よ。大丈夫、そのヒーラー、超有能だもの。彼女、ツイてるわ。さすが月島澪。そのヒーラー、普通ならお目通りすらできないのよ? たまたまこの船にいてくれたんだから」
先輩は大怪我したものの、生命は繋ぎ留めたようだ。傷も残りづらいそうである。凄腕のヒーラーがそばに付いているようだ。へなへなと結友はへたり込みそうになる。というか、実際にへたり込んだ。足腰から力が抜けてしまっていた。
(よかった……ホントに……ホントに……)
その場にしゃがみこんだ姿勢で、結友はユノを見上げてみる。こうして下から見ても、ユノは美人だった。麗しの長い黒髪を横風が梳っている。切れ長の目を伏し目がちにして、流れる黒髪を耳元で押さえる姿は、一つの絵になった。おっぱいはさすがに先輩ほどではない。先輩のおっぱいは国宝である。もちろん、甲乙をつけるつもりはない。それはおっぱいへの冒涜だ。どれも違ってどれもイイ。ユノのおっぱいは程よい高さで、形が素晴らしかった。ロケットタイプと観た。
さて、結友はおっぱいも好きだが、脚も好きだ。ユノはからだ全体の均整が取れていて、モデルのようなプロポーションだ。特に脚が長い。ヒップも張りがあって、いつまでも眺めていられる。そんなことすれば、たちまちビンタをもらってしまうだろうが。気の強さを考慮すれば、今度は鉄拳かもしれない。あな恐ろしや……。
結友はひとり失笑する。安心した途端、コレである。自分でも、ようやく調子が出てきたなと感じた。
「なんで急にニヤニヤしてんのよ。舐めるような視線も気持ち悪いし……見ないでくれる?」
「さすがにヒドくないか? それで先輩はどこに?」
「それを知ってどうするのよ」
「あー……様子だけでも見たくて……ダメか?」
「はぁ……話、聞いてた? 面会謝絶と言ったはずよ。絶対安静なの」
「……………………」
ユノは日本人らしからぬ紫紺の双眸で睨みつける。それでも結友は自身の胸の内を灼くく情動に居ても立ってもいられない。とにかく先輩が心配だ。なにやら凄い回復魔術で治癒しつつあるとしても、昏睡状態が続いているそうではないか。一目でいい。この目で確認したい。自分の思いのままに振る舞いたい衝動に躰が震える。
だが、結友を取り巻く状況がそれを許さなかった。そして状況を把握して分をわきまえられるくらいには、結友は落ち着きを取り戻してしまっている。せめて、ユノの端整な美貌を見て、妄想を捗らせて気を紛らわせないと……。それは得意分野だ。幸運にも、ユノが着ている軍服は、異世界補正がかかって、軍服なのに割と肌の露出が多い。素晴らしきかな異世界!
俯きがちに肩を震わせる結友に、純粋なユノは、澪の心配に打ち震えていると思い込み、哀れに思ったのか、気遣わしげな顔色になる。よもや、自身に劣情を沸かせているとは微塵も思わなかった。
ーー結友の沽券のため、ここに改めて記そうと思う。モチロン、彼は澪の心配をしている。意中の人の心配をしない男がどこにいると言うのか! ユノの制止を振り切ってしまいたくなるくらいには動揺している。ただ、今の状況ではユノたちの不興を買うのはマズイ。結友も澪もユノとカロンに助けられている状況だ。だからこの強い情動に耐えねばならない。そこで、結友は気を紛らわそうとして、澪とはまた別ベクトルで好みのタイプであるユノで桃色の妄想を捗らせているのだ! …………彼のためと思ったが、あえて記さない方が良かったかもしれない。すまん、結友よ。閑話休題――。
「それに、あなただって、無傷とは言え、気を失って倒れていたのよ? 無理をするものではないわ。安静にしてなさい。月島さんのためだけじゃなくて、あなた自身のためにも」
「……あいたた」
「ほら、見なさい。体が痛むなら休んでなさい。月島さんなら私も気にかけておくから。彼女を失うことは我々としても避けたいのだし」
(ゴメン、痛いのはこころです)
ここまで決して優しいとは言えなかったユノが、初めて結友に柔らかい声をかけた。ちょっと口には出せないレベルでの桃色の妄想をしていた結友は、さすがに良心が痛む。ただ、おかげで気を紛らわせることには成功したが、ちょっと自分でもどうかと思う結友であった。
いや、これは仕方ないことだったのだ。絶対、そうなのであった。異論は認められそうにない。と、そこで結友は違和感に気付いた。
「……待った。無傷だったの? 俺」
「? そうだけど」
「ユノ達が治療してくれたんじゃなく?」
「しれっと呼び捨て……まぁいいけど。そうよ。別に私たちは何もしてない。たぶん、月島さんが何かしてくれたのではないかしら」
(……それはそうかもだけど、あの状況で? いや、先輩ならできなくはないだろうけど……)
結友は強い違和感を拭えない。あの時、すでに先輩はボロボロだった。衰弱して、魔力が残っていたとも思えない。自分に一つも傷がなかったのは望外の僥倖だが、では、氷魔狼の氷のブレスに炙られたのは、極限状態による記憶違いなのだろうか。あるいは、幻覚か。そうだとすると、今度は先輩が昏睡している状況に説明がつかない。
(……ダメだ。コレ以上は考えても答えを出せそうにない。まぁ、今1番大切なのは、先輩が無事に目を覚ますことだから、分からなくてもいいんだけどさ)
「……ねえ。何があったのよ」
ユノが船べりに細い背をあずけて、流し目で聞いてくる。引き続き気遣わしげではあるが、だからこそ聞いておきたいという想いが感じ取れる表情だった。
「話してて、あなたが本当に何も知らない一般人ということは感じたわ。一応は言っておくのだけれど、異世界《こっち》に来れる人って、かなり限られているのよ? 何も知らない人が紛れ込むなんて普通じゃないの……だから聞かせてちょうだい。思い出したのでしょう?」
「それは…………」
結友は正直に話そうとして、途中で口が止まってしまう。自分としては、あったことをありのままに伝えようとしたのだが、ふっと、蒼髪バニーエルフにとってはどうなのだろうと疑問が頭を過った。
なんとはなしに、先輩は、ユノと艦長とは距離があるように思えた。先輩について話すとき、ふたりの言い回しには距離を感じる。少なくとも、単純な仲間というわけではないだろう。仲間なら、もっと色々とリアクションがあってイイはずだ。結友にだけは、あえて、先輩は仲間だと伝えない理由などないだろう。
「その件については、ボクも聞きたいなァ……と、そう言われても、話していいかどうか判断に迷うよねェ。肝心の月島女史は眠り姫のままだしサ。分かるヨ、君の気持ち。けどさ、ユノ君の言ったとおりでね。ボクらも見過ごせない理由があるのサ。話してくれると嬉しいんだけどド。月島女史が目を覚ましたら、ユノくんが説明するからサ」
伝えるか伝えまいか結友が迷っていると、呑気そうな声が届いた。言うまでもなく、天然モノクルパーマで少々胡散臭い笑顔のカロン艦長だ。糸目でないのが救いだろう。
先の格好と違い、胸当てなどで身を固めた戦闘服である。頭の上には艦長を示す鳥の羽がついた三角帽子。腰のベルトには中世の海賊が使っていたような、単発式の拳銃が吊るされている。やけにゴツい。装飾もないそれは、白亜のスタイリッシュな軍服には、ちょっと似つかわしくなかった。
結友の視線に気づいたカロンは、左目のモノクルを光らせると、黒い拳銃を引き抜き、手の中でクルクルと自在に回して踊らせるや、最後に銃口で三角帽子のつばを持ち上げてポーズを決める。悔しいが、カッコいい……!
「ふっふーん。どうだい、似合うだろう? ガンアクション、憧れてコソ練たくさんしたんだよネぇ~。これが中々に難しくてさァ~」
「隊長……後でお話があります」
猛練習したガンアクションをお披露目できて、結友の反応に気が良くなったカロンが語りだすと、ユノが静かに告げた。許しがたい罪状を言い渡したのかと思うほど、ユノの眼光は冷たく鋭い。氷の剣のようだ。さしもののカロン艦長もたじろいで、いそいそと拳銃をホルスターに戻す。手が震えて、一度ではしまえなかった。
「う、うむ。まぁ時間が取れたら、ネ……? こう見えて、ボクって忙しいからサ」
「ガンアクションの練習をする暇があるのに?」
「あー……練習はネ? 自由時間にしたんだヨ? ホントだヨ? だからそう怒らないでくれたまえ」
「大丈夫です。怒っていません。ええ、怒ってませんとも。あ、知ってます? 隊長の残した仕事、私が全部やりきりました。しばらく何もありませんので……覚悟してくださいね?」
「そ、それは助かるなァ~~……あは、あははは(た、助けてくれ神城くん! これ、控えめに言って命の危機じゃないかなァ!? ボクが何をしたって言うんだ!)」
「(いやしてるでしょ。因果応報とか、年貢の納め時とか、善因善果・悪因悪果とか、昔の人たちはよく言ったものですねー……って、おいコラ! そそくさと俺の背中に隠れるんじゃない! アンタのほうが背が高いんだから無理があるだろ!)」
「……結友?」
ユノの紫紺の双眸が怪しく光っている!
「うひっ?! そんな目でこっち見ないでくれ! 八つ当たりだぞソレ! このダメダメな艦長は即刻引き渡すから! もとより俺は艦長を庇い立てする気なんてサラサラない! 正義も力もユノのもとにある!」
「そ、そんな! 命の恩人であるこのボクをそんな簡単に売り飛ばすのかイ!? なんて薄情な少年なんダ! 情けは人の為ならずって言葉、知らないのかイ!?」
やはり、自由奔放に過ぎるカロンには色々と溜まっていたようだ。ユノの眼光は底冷えするような温度だ。二度とあの目で睨まれたくない。心臓が凍りついてしまう。恩人であることに違いはないが、結友も我が身が可愛い。差し出しても良心がちっとも傷まないので、ダメダメな艦長を潔く贄として差し出した。
こうして、静かな修羅と化した氷の黒髪乙女に、モノクル天然パーマ艦長が折檻されそうになった時ーー。
カンカンカンカン!
マストの頂上から激しく鐘が鳴らされた。まるで危急を告げるように。艦長の胸元から焦燥感のにじむ音声が届く。
『五時の方向、上空より敵襲! 上空より敵襲! 距離、およそ300レイル! 数、天馬8騎!』
本当に危急だった。結友は急転直下の変化についていけないが、艦内は騒然として、慌ただしく甲板に上がってくる騎士や船乗りたち。誰もが緊張で強張った顔をしている。騎士は武器を、船乗りたちはロープや櫂といった操船用具を携え、持ち場へと走る。ほとんどの人が無傷ではない。疲弊している状態で、それでもなお、この突発的な危機に対応するため走っていた。カロンの胸元から、野太い男性の声が届く。
『艦長! どうしますか!? ご下命を!』
「無論、第一種戦闘配備。順次、応戦せよ。射程に入り次第、砲撃隊は魔砲術を展開し、一斉掃射。術式を爆炎系と閃光系に固定。敵の視界を奪え。天馬を混乱させろ。近づけさせるな。魔術隊は術式展開直前で待機。掃射をすり抜けた敵天馬を撃ち落とせ。騎士隊は白兵戦に備え甲板で待機。徹底抗戦だ。降伏はない」
今までの、のほほんとした空気を一変させ、泰然自若とした指揮官となって、命令を下すカロン。その豹変ぶりに、結友は目を白黒させる。これが本来の彼の姿だったのか!
結友がそう驚いたところで、カロンの雰囲気がまた変わる。軟派なほうに。誰にも見えやしないのに、ウィンクまで添えていた。
「まぁ、安心したまえ、諸君……ひとまずの徹底抗戦サ。我に策あり、だヨ」
胸元のブローチから、船のあちこちにいるだろう様々な人の音声が届く。疲弊しているのに、一様に朗らかな声で、慌てていた結友は困惑する。敵が迫っているとは思えない気楽さだ。……事ここに至り、深刻になっても仕方ないのだろうと察する。だからって、結友も気楽になれるなんてことはないが。
『……実に胡散くさいお言葉ですが、今回も我々はそれに乗っかると致しましょう……総員、死力を尽くせ! 出自不明の我らが怪しい艦長殿が起死回生の一手を用意してくれてるらしいぞ!』
『聞けば聞くほど胡散臭いでやがりますなぁ』『まぁ、結果出してくれりゃ、俺は何も言わん』『それな』『元々俺たちゃ行き場のねェ半端モンの集まりだからな。胡散臭いのは俺らも同じよ』『あ、ユノ副官は違いますゾ! 拙者、ファンでありますゆえ!』『メシと食いもんと酒と女にありつけりゃあ文句ねぇよ』『それな!!』『コラ男ども! 今じゃあ女の子だっていンだよ! 口を慎みなッ! メシ抜きにするよ!』『『『モイ母ちゃん!?』』』
あまりにウルサイからか、カロン艦長は通信ブローチをポケットにしまってしまった。指示とか出さなくていいのだろうか。
「ウ~ン……みんな好き勝手言ってくれちゃって。これは減俸ものかもしれないネぇ」
カロンがそうボヤく間にも、甲板には武装した騎士と魔術士が並び、5時の方角の空を注視している。ローブを着た術者たちは、3人1組で杖を掲げて、大きい術式を構築していた。
「な、何!? 魔物が襲ってきてるのか!?」
まだ状況の変化に追いついていない結友は、強い戸惑いから声を大きくしてしまう。甲板のうえはすでに臨戦態勢を整え、緊迫感で静まり返るなか、結友の声はうるさいくらい響いた。
「……違うわ」
「残念なことに、相手は人間だネ」
「な…っ!?」
ユノと艦長の返答に結友は絶句する。それじゃあ今から人間同士で魔術を撃ち合おうというのか!? それは殺し合いではないのか?!
結友の驚愕とそれに伴う詰問に、ユノは平然と端的に、そして冷淡に答える。異世界でも現実世界でも、どちらであっても、コレはあり得る状況なのだと言うように。
「そうよ」
「いや待て待て! そんなの聞いてないッ!」
「だろうねェ……ボクらだって聞いてないヨ。なにせ、ここはウチの領海だ。うーん、接敵まであと数十秒ってとこか。みんな優秀だね。特に物見についた船員には特別手当を出そうかナ」
戦闘準備を完了した甲板で、カロンは双眼鏡を覗きながら、満足そうに言う。確かに、物見がいち早く見つけたからこそ、迎撃準備を整えられた。ちなみに、結友にはまだ何も見えない。本当に来ているのかと疑ってしまう。
「…………実は仲間だった、とかは?」
「ないわね」ユノが即答する。
「なんでそんな断定できるんだよ!」
「そりゃできるサ」答えたのはカロン。
「ボクたち、これでも極秘任務中だからねェ。援軍なんて来やしないのサ。来たら来たで問題だし……まァ、じゃあなんで彼らはそんなボクらを見つけたのかってことなンだけど」
カロン艦長から、少しばかり漏れた怒気を感じ取り、結友は息を呑む。それから慎重に、敵の正体を確認した。
「……彼らって?」
相手が人と言っても、ファンタジー的な定番には色々とある。盗賊、冒険者崩れ、野盗などによる襲撃だ。大体は、可憐なお嬢様や美人なお姫様が狙われたりするのだが、ここにそれらに該当するステータスの人物はいない。ユノは美人だが、お嬢様やお姫様というより、戦乙女という感じだ。……決して「こんな気も強くて手を出すのも速いお嬢様なんかいねぇよ!」という訳ではない。決して……。
少し話が逸れた。もとに戻すと、カロン率いるは正当な軍隊だ。訓練され、資金が注ぎ込まれ、明確な規律のもと組織だった公的軍事力である。野盗や冒険者崩れのソレとは訳が違う。疲弊しているからとて、ちょっとやそっとの相手では負ける道理がなかった。
と、そう頭では理解しているのに、結友の動悸と冷や汗はやまない。最近、妙に当たってしまうイヤな予感が、ねっとりと胸の内にこびり付いて拭えないのだ。
そんな精神状態で青白い顔の結友に、カロンは端的に答える。先ほど感じられた怒りはどこへやら、艦長は実に軽やかに答えるのだった。
「帝国軍だヨ。仮想でもなんでもなく、立派な敵国サ」
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