やっぱり義姉には敵わない!/天才少年パティシエのオレ、母が再婚するんで渡航して義妹に会ったら義姉だし内戦が起きてるんだが?

春倉らん

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第4章 ただのパティシエに何ができる?

第2話 動物園で交差する軌跡

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「あゆもよく理解できない人だな~。えーと、仕事はだな~、……もとは農業機械の技術屋さんだったかな? それで農政の勉強家さんになって、JICA(国際協力事業団)という団体に専門家として雇われて、こんな海外めぐりをいろいろと…… それでワール国にも来たんだが、忙しい人なので、今もダメジャンにいない。地方巡業ドサ回り、とゆっていた。これはもののたとえなのだが~……」
 京旗は、話を聞きながら、一気に見た形を写し取り、よし、デッサン終わりっ!と、鉛筆を置く。ふと、振り返ってのぞきこむと、あゆの画板の上の用紙は真っ白だった。
――え?
 それでも鉛筆の先がとろとろと動いているので、よくよく目をこらして見てみると――見えるか見えないかというへろへろの線が、小学生と変わらない抽象度で、イノシシの足下の草だけを、ぽそぽそと描いていた。
「…………」
「んーと、彼の仕事は、視察旅行のひとびとが日本からやってくる前に、事前教練というか、農業訓練センターとかのワール国人に、どうふるまえば、いい国だと思って日本が援助を増加してくれるか、入れ知恵をしてあげることだそうだ~」
 おっとりと話しながら、おっとりと鉛筆を動かす。筆圧が低い。
 つか、日が暮れても書き終わらないだろ、そのスピードじゃ。イノシシ本体とか、色つけとか、どーするつもりだよっと、京旗は頭を抱えそうになる。
 もしかして、この要領の悪さで、提出物重視の科目もぶっちぎりの落第点だったんじゃないだろうか、この人。
 余計なお世話だろうが、イライラする。
 ピエスモンテ――工芸菓子――のために鍛えた、想像力や色彩感覚。飴細工やチョコレートの彫刻を作るにも、紙の上で完璧なデッサンができなければ立体で造形できるわけがないといわれているくらいで、一流のパティシエを目指す京旗は、画家の素養も心がけて身につけていた。だから、余計にイラつくのかも知れないが。
「うわーん! チンパンジー色のピンクにならなーいっ!! レイさぁんっ!」
 めいあもあっちの方で、またまた騒々しくやっている。
 日本人会協賛の遠足で、お弁当も出るし、在留邦人の参加は積極的に呼びかけられているので、大使の娘も一緒に来ていた。
 結局中学一年生だった桑原めいあは、どうやらチンパンジーの鼻のローズ色を作ろうとして、単純に赤と白の絵の具を混ぜたらしく、どピンクにしてしまって泣きついていた。
――オレンジ混ぜろよ、オレンジをよ。ちったぁ考えろ!
 また余計なお世話ながら、イライラして、憮然とそちらへ視線をやった京旗は、その向こうの象の檻からやってくる男を見て、あれ? と表情を変えた。
――白人の相撲取り?
 いや、違う。
――セザール・グディノー!! なんで、こんなところにッ?!
 パリでショコラトリー・コンクールの不名誉な大敗退のあと、こんなところでただの中学生に身をやつしていることを、一番知られたくない相手の一人。京旗が失格したコンクールの優勝者。
 いや、セザールは一色京旗がまさかワール国にいるなどとは夢にも考えないだろう。それに十七歳という業界向けのプロフィールしか知らないはずだから、中三で日本人学校に居るとも思わないに違いない。さらに今はこんな黒い学生服姿だし、顔を伏せていれば、気付きもしないはず……!!
 画板に向かい、何気なく水彩絵の具をパレットに絞り出し、ただの中学生の顔をする京旗。
 こっちに視線がつきささっている気がする。
 バレたか?!
 京旗は慌てる。いざとなったらどう誤魔化す?!
 パティシエのケイキ・イッシキは十七歳だ! ここにいるのは彼ではなくて、他人のそら似の山田太郎! そうだ、そういうことにしよう!!
 赤毛のフランス人は、ゆっくりと近付いてくる。
 かちーん、と固まっている京旗。
 セザール・グディノーの目は、真っ直ぐに京旗を――ではなく、真っ直ぐにあゆを捕らえていた。


「アユ」
 呼ばれて、あゆが怪訝そうに顔をあげた。
 彼女の目に、細い目をした人のよさそうな小太りの白人青年が映った。
 逆向きに座っているのを幸いと、京旗は必死に顔を伏せていたが、セザールが次に喋った言葉と、それが流暢な日本語だったのを盗み聞きして、仰天した。
「魚屋のアユだろ? 一〇年ぶりだね」
「ほへ? おじさん、会ったことありましたっけ~……?」
 へらりと言ったあゆが、たっぷり五秒おいてから、ザッと青ざめた。
「ひ、人違いじゃないですかぁ~ッ?!」
 あゆの声が、裏返っていた。
 セザールはにこにこと、細い目であゆに笑いかけ、断りもせずにあゆの隣に腰掛けた。
「いや、人違いじゃない。ひと目でわかったよ。僕が日本に菓子修行で留学していたとき、ホームステイ先の町の商店街の魚屋で、おじいさんの手伝いをよくしていた、アユだね」
「…………」
 あゆは、知らぬ顔で、絵を描いている。集中していて、動揺など微塵もしていないようだ。
 だが、その手は突然ぐいぐいと、画用紙の上を走りだしていた。鉛筆のぶっとく黒々とした線が縦横に、画用紙を削るような力強さで、イノシシの顔を刻んでしている。
「日に灼けてアラブ人みたいな女の子で、日本語を喋れないヘンな看板娘で――」
「…………」
 鉛筆の先が、剣呑なイノシシの牙を描写し、用紙の余白に四本の脚とヒヅメをてんでんばらばらに配置したところで、
――ボキッ。
 折れた。
 あゆはしかしめげず、よどみなく別の鉛筆をペンケースから取る。
「それで、そんな変わり者のキミは、小学校の同級生に、村八分にされていた――」
「…………」
――ボキッ。
 また折った。
 その折れた鉛筆の先をぐーいと回し、溝で描線を、文字通り刻んでいくことにするあゆ。
イノシシの背中を描く前に背景のゴムの木を描き、前景の草花を描いて、尻尾を描いてから腹に下がる毛をざくざくと描いていった。
「ふはははは。そんな昔のことを、よく覚えているな。あゆはすっかり忘れていたぞ~」
 言いながら、水筒の水を筆洗にドバドバと注ぎ、パレットに水彩絵の具をねじりだしていく。素早い。
「日本の専門用語で、<いじめ>って言うんだっけ? よくランドセルを奪取されたり、靴を盗まれて側溝でドロドロに汚されたり、零点の国語のテストを掲示板に張り出されたりして、からかわれてたよね」
「…………」
 筆先で絵の具が濃く溶かれ、セルリアンブルーでイノシシの輪郭が描かれた。すいすいと背景が朱色に塗られ、雑草がショッキングピンクと紺色の点描の乱舞に化けた。檻の鉄柵がきみどりで、ジグザグと雷鳴のように走る。
「おまけにキミは、お母さんにも、変な娘だとうとましがられていた。お父さんは海外に出てばかりで、だからおじいちゃん子で、魚を上手にさばけるのだけが、キミの唯一の取り柄だったんだ」
「…………」
 クレヨンが乱入した。レモン色のクレヨンと肌色のクレヨンがダブルアタックでイノシシの上空に何か斑点を描くと、むらさきに交代。足元にもギザギザと文字をかき入れ、回路図のように全面をびっしりとシュールに装飾する。
「でも、そのおじいちゃんは、キミの母方のおじいちゃんだった。ご両親の離婚で、すぐに、キミのおじいちゃんじゃなくなってしまったんだよね? キミは魚屋と関係ない子供になったんだ」
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