40 / 93
第四章 ハルピュイアと悲劇の少女
第十話 犬神今日子始動!
しおりを挟む
朝になり、朝食の時間になった。
それでもオレの気持ちは変わらず、自分の部屋に籠っていた。
妹に呼ばれ、一応自分の部屋から抜け出し、ダイニングに行く。
すでに朝食の準備は出来ており、良い匂いが漂っている。
朝はパンケーキのようだった。
「これが私の試作ケーキ第一号です。
ここまでフワフワにするのに、一晩かかってしまいました。
どうぞ、召し上がれ!」
遠野さんがそう言い、オレのテーブルの前にパンケーキを差し出す。
見るからに美味しそうだったが、オレはそれを食べるわけにはいかなかった。
目に多少のクマが現れていたが、今のオレには分からなかった。
「もうオレに近付くなと言ったはずだ。
そのケーキはいらない。オレは朝食を抜く!」
「キャア!」
オレはそう言い、遠野さんを押し退けてダイニングから出て行く。
オレの背後から遠野さんの声が聞こえた。
徹夜でケーキを作っていたにもかかわらず、気遣いは怠らない。
「分かりました。ラップに包んで取って置きます。
お腹が空いた時に食べてください」
オレは構わずに自分の部屋に戻って行った。
多少の罪悪感はあるが、彼女の為だと言い聞かせる。
「まあ、パンケーキは初級中の初級。
この程度のケーキでは、木霊君の心を開く事は出来ないという事。
次は、硬くても良いので、ショートケーキに移りますよ。
これで遠野さんのケーキが苦手度をアピールし、後々に進歩している事を示します。
昼食を食べた後、最終的なケーキを焼き、木霊君に見せつけます。
おそらくは今回と同じような結果になりますが、それでも良いのです。
その後、三時間の昼寝をした後、遠野さんと木霊君で夕食の買い物をしつつ、お互いの距離を縮めます。
荷物持ちという口実を使い、木霊君を引き摺り出すのです。
なんだかんだ口実を使い、気が付いたら結局は一緒にいるという状況を作り出します。
そして、夕食後はまたケーキの訓練です。
今日は十時くらいで終了にしましょう!」
「はい!」
黒沢さんの熱い計画に、遠野さんも付いて行っているようだ。
水霊は呆れ顔で見ている。
「なんか、不毛な計画に見えるけど、大丈夫かしら?
ケーキは美味くなるかもしれないけど、木霊の心は開かないかも……」
黒沢さんはその言葉に返答するように言う。
たとえ腐っても独身の女性、男を虜にする術を知り尽くしているのだ。
「男というのは、料理のうまい女の子に惚れる者です。
原則とは、あらゆる計画をも超える最高の戦術になるのです。
たとえ最初は効いていない様に見えても、徐々に反応を示すでしょう。
そこを見極め、その反応に合わせて変化するのが戦略です。
まずは、うまいケーキを木霊君に食べさせることを目標にしていきましょう。
どんな頑丈な砦も、わずかな隙間から崩す事ができる様に、わずかな許容が木霊君の想いを変えるのです」
「木霊の奴、もう許容しまくっていると思うけど……。
朝食の場に来たり、遠野さんと会話したり……」
水霊の言葉も聞かず、黒沢さんと遠野さんはまたキッチンに消えて行った。
その日は、黒沢さんの計画通りに運んだものの、オレも遠野さんと微妙な距離を保っていた。
遠野さんの差し出したケーキは食べないが、ラップに包んでおいたケーキは食べるという感じだ。
パンケーキは普通の味だったが、ショートケーキは硬くて不味かった。
これなら、お店で買った方が良いという感じだ。
でも、一応全部食べておいた。
ゴールデンウィーク中は、二人はケーキ作りに没頭しているらしく、朝昼晩の食事以外は、ほとんど家事をしていなかった。
そのため、水霊が掃除と洗濯を済ませていた。
オレは、ショックで自分の部屋に引き籠ったままだった。
買い物以外の手伝いはしていない。
学校と部活が始まり、バイトの予定もあったが、オレは部活とバイトは止める事にした。その旨を貞先生に伝え、店長にも報告しておく。
これで、遠野さんとの関係も終わりだ。
オレはそう思っていた。
遠野さんも部活は中断し、ケーキ作りに専念するつもりだ。
バイトはしばらくメアリーに預け、空いた穴を埋める。
メアリーのバイトは、入学試験の一環として許可された。
そのため、メアリーは幻住高校に入学する事ができたのだ。
私立だからそんな試験内容でも許可させるのだろう。
遠野さんは学校が終わると、すぐに黒沢さんとケーキ作りに専念する。
そして、必ずオレにケーキを食べさせようとする。
そんな一週間が続いた。
オレは未だに遠野さんを避けていた。
家に帰るのも別々にし、帰った後は自分の部屋に閉じ籠っていた。
遠野さんは、毎日オレの家に来て、黒沢さんとケーキの訓練を続けている。
その頃になると、遠野さんは、オレが食べなかったケーキは学校に持って行く。
オレ以外の男子生徒にはあげないが、女子生徒には無償で配っている。
捨てるのはもったいないし、材料費もハンパなくかかっている。
遠野さんはそうする事で、次第に女子生徒の間では人気者になった。
昼休みの時など、遠野さんの席は人でいっぱいになる。
オレはそれを見て、遠野さんもようやくオレに関心を持たなくなると思った。
しかし、オレの予想とは逆に、遠野さんは露骨にオレに近付いて来るようになる。
新しく友達になった女子生徒が、遠野さんの背中を押して、オレにどんどん近付くように勧めて来たのだ。
朝には学校でケーキを渡され、夕方には家でケーキを渡されるという生活が続く。
女子生徒の圧力に負け、オレはケーキを受け取っていたが、遠野さんが見ている前では絶対に食べなかった。
食べてしまえば、絶対に感想を言わなければならなくなる。
美味しいと言ってしまえば、ほとんど強制的に仲直りさせられてしまうだろう。
遠野さんが見ている前では食べないというのが、オレの最終防衛ラインだった。
遠野さんと仲良くなった女子生徒は、遠野さんを励ますように話す。
アホらしいが、男の意地なのだ!
「木霊君、きっと意地になっているだけだよ。
もう一押しで仲直りできると思うよ」
「ありがとう」
「でも、その一押しが難しいけどね。
まさか、あんなに頑固とは思わなかったよ。
ゴールデンウィークを含めると、三週間近くまともに話をしてないみたいだし……」
「うん、もうそんなになるんだ……。
気が付かなかった」
「遠野さんも頑張り過ぎだよ!
手なんて皸で、ボロボロじゃない。
もう女子高生の手じゃないよ。
お婆ちゃんみたいになっちゃって」
友人に手を握られ、遠野さんは顔をしかめる。
確かに、ボロボロで手が荒れていた。
「イタタタタ……」
「ケーキ作りもだいぶ上達したんだし、ペースを落とさないと駄目だよ。
遠野さんの方が逆に倒れちゃうよ!」
「うん、ありがとう。
でも、もう少しだけこのペースで頑張ってみるよ。
お祖母ちゃんとの決戦があるの。
そこに木霊君を審査員として来てもらって、私のケーキを食べてもらう計画なの」
「そっか。これ、少ないけどケーキの材料代だよ。
C組のみんなが喜んでいたから、私が代表でお金を集めたの。受け取って!」
「ありがとう!」
「それと、メアリーって転校生が、遠野さんを狙っているようだから気を付けて!
えるふは僕の彼女だとか言っていたから……」
「うん、知り合いだから良く分かっているよ」
遠野さんがケーキを配る時間になると、他のクラスの女子生徒もC組に来るようになった。
この時点で、遠野さんはケーキ職人と同じくらいのレベルに達していた。
お店で売っているケーキと、ほとんど差がないレベル。
その情報を犬神今日子も聞きつける。
情報を収集しているのは、犬山公子の仕事だ。
「ここで美味しいケーキが食べられるのね」
「はい、今日子さん。作っている子は、遠野えるふ。
私も一度会った事があります。
なんでも、ここ最近になってケーキ作りがうまくなったとか……。
一部でうわさされているケーキ作り上達の裏には、木霊とかいう男子生徒が好きで、仲直りをするためにうまくなっていったと聞きます。
残念ながら未だに仲直りは出来ていないと聞きました」
「まあ、ステキ♡ 愛が一番の調味料というわけね。気に入ったわ」
犬神今日子と犬山公子は、一年C組の教室に入って来る。
有名人だけに、教室中がざわめく。
「ふふふ、遠野さん。私達にもケーキをもらえるかしら? 甘い物には目が無いのよ」
「はい。まだまだありますんで、どうぞ! 今日のケーキは、レアチーズケーキです」
犬神今日子はケーキを一口食べ、感想を述べる。
「なるほど。クリーミーな味わいね。
ヨーグルトの酸味も程好くて、さっぱりしているわ。
素晴らしい!」
犬山公子も食べ始め、疑問に思う。
「これほどのケーキを食べていながら、遠野さんのどこが不満だというのかな?
そこにいる木霊君!」
犬山公子がオレの方を見ると、教室中の生徒がオレに注目する。
犬神今日子も残りのケーキを食べながら、オレの方に近付いてきた。
「確かに、このケーキを味わえば、惚れてしまうほど魅力的よね。
それでも彼女を嫌っているという事は、遠野さんではなく彼に問題があるという事かしら?
最近、不仲になったと聞きますし、日付に問題の答えがあるのかしらね?
どう、公子さん?」
「はい。ゴールデンウィークが終わった次の日には、遠野さんの手は荒れていたとクラスの人々は言っています。
そこから察するに、ゴールデンウィーク時に何かが有ったと推測できます。
ちなみに、木霊君の成績はあまり良くなくクラスでも下の方です。
運動神経もそこそこ。特技が魔法(マジック)です。
三年のA組に彼の兄弟がいて、彼も魔術師(マジシャン)であり、かなり成功している模様です。
その辺の事情が関係しているのではないでしょうか?」
「なるほど。
轟君なら、私達の方がよく知っているわね。
学年でも成績第三位の実力を誇る人物よ。
公子さんが一位、私が二位。
仕事が忙しいから成績に差は出ているけど、実際のところは彼の方が成績は上だったのよ。
そう、彼の弟なの。
お兄さんと実力差を指摘されて、一方的に遠野さんを怒っているってところかしら?
好きな子には良い所を見せたいものね。
分かるわ、あなたの気持ち♡」
犬山公子は、こう提案する。
「それならば、私達が君の公演できる舞台をセッティングしてあげようか?
訓練する時間と場所さえあれば、君も魔術師(マジシャン)として有名になれると思うが……」
「オレは、もう魔法(マジック)は出来ないんだよ! 放っておいてくれ!」
オレは怒り口調でそう言い、教室を後にした。
「あら、怒ってしまったかしら?
さすがに、成績の事をみんなの前で話したのは、失敗したかしらね?」
犬神今日子は爪の手入れをしながらそう言う。
「まあ、C組には良くある事よね。
自分の実力を悟り、絶望してしまう事なんて。
そして、成績もあまり良くない。
でも、好きな女の子に自分の堕落していく姿を見られたくない。
そんな所ね。
私は結構好きよ、そういう男の子。
女の子に頼るような男よりずっと良い!」
犬神今日子は眼を光らせ、笑顔になる。
犬山公子は、冷静に分析を続ける。
「しかし、どうしたら良いでしょうか?
彼があのままでは、折角美味しいケーキを作れるようになった遠野さんも、いずれはやる気を失ってしまいますが……」
「そうね。彼のために作っているとなれば、彼の喜ぶ顔が見たいはず。
それ無しにケーキを作り続けるのは、せいぜい持って数週間。
報酬を手に入れる事ができなければ、いずれ彼女の進歩も止まってしまうはず……。
惜しいわ、もう少し頑張り続ければ、プロの領域にまで達するというのに……」
「木霊君の様な生徒の才能を見付けるのも、この学校の方針のはず……。
この学校の目的は、才能ある生徒を伸ばす事もありますが、挫折する生徒も多い。
そういう生徒の才能も発見するのが、この学校の本当の目的のはずだったのですが……」
「まあ、才能ある子を伸ばす方が楽だし、見返りも大きいわ。
才能ない子の才能を捜すなんて、失敗する可能性の方が高いし、生徒自身が気に入るかどうかも分からないからね。
でも、遠野さんのケーキのために、私達も出来る限りの事をするわ!」
犬山公子は、メモ帳に何かを書く。
「即席で思い付いた物ですが、こういうのはどうでしょうか?」
犬神今日子は、差し出されたメモ帳を見て答える。
「あら、良いじゃないの。
さすがに、木霊君の才能を開花させるには、時間が必要よ。
協力はするけど、本人の努力次第が大きいわ。
でも、遠野さんと木霊君の関係を仲直りする事は、それほど難しい事じゃないわ。
遠野さんも安心して、ケーキ作りに没頭してください。
報酬は、美味しいケーキを食べさせてくれる事!
じゃあ、もう一つケーキをもらって、私達は教室に帰るわね」
「はい。ありがとうございます」
犬神今日子は、遠野さんの頭を軽く撫で、ケーキを持って自分の教室に戻る。
「このケーキを食べたら、秋子も喜ぶでしょうね。
成績最下位で落ち込んでいましたから……」
犬山公子もそう言い、後に付いて帰って行く。
オレ達の教室は、静寂に包まれた。
それでもオレの気持ちは変わらず、自分の部屋に籠っていた。
妹に呼ばれ、一応自分の部屋から抜け出し、ダイニングに行く。
すでに朝食の準備は出来ており、良い匂いが漂っている。
朝はパンケーキのようだった。
「これが私の試作ケーキ第一号です。
ここまでフワフワにするのに、一晩かかってしまいました。
どうぞ、召し上がれ!」
遠野さんがそう言い、オレのテーブルの前にパンケーキを差し出す。
見るからに美味しそうだったが、オレはそれを食べるわけにはいかなかった。
目に多少のクマが現れていたが、今のオレには分からなかった。
「もうオレに近付くなと言ったはずだ。
そのケーキはいらない。オレは朝食を抜く!」
「キャア!」
オレはそう言い、遠野さんを押し退けてダイニングから出て行く。
オレの背後から遠野さんの声が聞こえた。
徹夜でケーキを作っていたにもかかわらず、気遣いは怠らない。
「分かりました。ラップに包んで取って置きます。
お腹が空いた時に食べてください」
オレは構わずに自分の部屋に戻って行った。
多少の罪悪感はあるが、彼女の為だと言い聞かせる。
「まあ、パンケーキは初級中の初級。
この程度のケーキでは、木霊君の心を開く事は出来ないという事。
次は、硬くても良いので、ショートケーキに移りますよ。
これで遠野さんのケーキが苦手度をアピールし、後々に進歩している事を示します。
昼食を食べた後、最終的なケーキを焼き、木霊君に見せつけます。
おそらくは今回と同じような結果になりますが、それでも良いのです。
その後、三時間の昼寝をした後、遠野さんと木霊君で夕食の買い物をしつつ、お互いの距離を縮めます。
荷物持ちという口実を使い、木霊君を引き摺り出すのです。
なんだかんだ口実を使い、気が付いたら結局は一緒にいるという状況を作り出します。
そして、夕食後はまたケーキの訓練です。
今日は十時くらいで終了にしましょう!」
「はい!」
黒沢さんの熱い計画に、遠野さんも付いて行っているようだ。
水霊は呆れ顔で見ている。
「なんか、不毛な計画に見えるけど、大丈夫かしら?
ケーキは美味くなるかもしれないけど、木霊の心は開かないかも……」
黒沢さんはその言葉に返答するように言う。
たとえ腐っても独身の女性、男を虜にする術を知り尽くしているのだ。
「男というのは、料理のうまい女の子に惚れる者です。
原則とは、あらゆる計画をも超える最高の戦術になるのです。
たとえ最初は効いていない様に見えても、徐々に反応を示すでしょう。
そこを見極め、その反応に合わせて変化するのが戦略です。
まずは、うまいケーキを木霊君に食べさせることを目標にしていきましょう。
どんな頑丈な砦も、わずかな隙間から崩す事ができる様に、わずかな許容が木霊君の想いを変えるのです」
「木霊の奴、もう許容しまくっていると思うけど……。
朝食の場に来たり、遠野さんと会話したり……」
水霊の言葉も聞かず、黒沢さんと遠野さんはまたキッチンに消えて行った。
その日は、黒沢さんの計画通りに運んだものの、オレも遠野さんと微妙な距離を保っていた。
遠野さんの差し出したケーキは食べないが、ラップに包んでおいたケーキは食べるという感じだ。
パンケーキは普通の味だったが、ショートケーキは硬くて不味かった。
これなら、お店で買った方が良いという感じだ。
でも、一応全部食べておいた。
ゴールデンウィーク中は、二人はケーキ作りに没頭しているらしく、朝昼晩の食事以外は、ほとんど家事をしていなかった。
そのため、水霊が掃除と洗濯を済ませていた。
オレは、ショックで自分の部屋に引き籠ったままだった。
買い物以外の手伝いはしていない。
学校と部活が始まり、バイトの予定もあったが、オレは部活とバイトは止める事にした。その旨を貞先生に伝え、店長にも報告しておく。
これで、遠野さんとの関係も終わりだ。
オレはそう思っていた。
遠野さんも部活は中断し、ケーキ作りに専念するつもりだ。
バイトはしばらくメアリーに預け、空いた穴を埋める。
メアリーのバイトは、入学試験の一環として許可された。
そのため、メアリーは幻住高校に入学する事ができたのだ。
私立だからそんな試験内容でも許可させるのだろう。
遠野さんは学校が終わると、すぐに黒沢さんとケーキ作りに専念する。
そして、必ずオレにケーキを食べさせようとする。
そんな一週間が続いた。
オレは未だに遠野さんを避けていた。
家に帰るのも別々にし、帰った後は自分の部屋に閉じ籠っていた。
遠野さんは、毎日オレの家に来て、黒沢さんとケーキの訓練を続けている。
その頃になると、遠野さんは、オレが食べなかったケーキは学校に持って行く。
オレ以外の男子生徒にはあげないが、女子生徒には無償で配っている。
捨てるのはもったいないし、材料費もハンパなくかかっている。
遠野さんはそうする事で、次第に女子生徒の間では人気者になった。
昼休みの時など、遠野さんの席は人でいっぱいになる。
オレはそれを見て、遠野さんもようやくオレに関心を持たなくなると思った。
しかし、オレの予想とは逆に、遠野さんは露骨にオレに近付いて来るようになる。
新しく友達になった女子生徒が、遠野さんの背中を押して、オレにどんどん近付くように勧めて来たのだ。
朝には学校でケーキを渡され、夕方には家でケーキを渡されるという生活が続く。
女子生徒の圧力に負け、オレはケーキを受け取っていたが、遠野さんが見ている前では絶対に食べなかった。
食べてしまえば、絶対に感想を言わなければならなくなる。
美味しいと言ってしまえば、ほとんど強制的に仲直りさせられてしまうだろう。
遠野さんが見ている前では食べないというのが、オレの最終防衛ラインだった。
遠野さんと仲良くなった女子生徒は、遠野さんを励ますように話す。
アホらしいが、男の意地なのだ!
「木霊君、きっと意地になっているだけだよ。
もう一押しで仲直りできると思うよ」
「ありがとう」
「でも、その一押しが難しいけどね。
まさか、あんなに頑固とは思わなかったよ。
ゴールデンウィークを含めると、三週間近くまともに話をしてないみたいだし……」
「うん、もうそんなになるんだ……。
気が付かなかった」
「遠野さんも頑張り過ぎだよ!
手なんて皸で、ボロボロじゃない。
もう女子高生の手じゃないよ。
お婆ちゃんみたいになっちゃって」
友人に手を握られ、遠野さんは顔をしかめる。
確かに、ボロボロで手が荒れていた。
「イタタタタ……」
「ケーキ作りもだいぶ上達したんだし、ペースを落とさないと駄目だよ。
遠野さんの方が逆に倒れちゃうよ!」
「うん、ありがとう。
でも、もう少しだけこのペースで頑張ってみるよ。
お祖母ちゃんとの決戦があるの。
そこに木霊君を審査員として来てもらって、私のケーキを食べてもらう計画なの」
「そっか。これ、少ないけどケーキの材料代だよ。
C組のみんなが喜んでいたから、私が代表でお金を集めたの。受け取って!」
「ありがとう!」
「それと、メアリーって転校生が、遠野さんを狙っているようだから気を付けて!
えるふは僕の彼女だとか言っていたから……」
「うん、知り合いだから良く分かっているよ」
遠野さんがケーキを配る時間になると、他のクラスの女子生徒もC組に来るようになった。
この時点で、遠野さんはケーキ職人と同じくらいのレベルに達していた。
お店で売っているケーキと、ほとんど差がないレベル。
その情報を犬神今日子も聞きつける。
情報を収集しているのは、犬山公子の仕事だ。
「ここで美味しいケーキが食べられるのね」
「はい、今日子さん。作っている子は、遠野えるふ。
私も一度会った事があります。
なんでも、ここ最近になってケーキ作りがうまくなったとか……。
一部でうわさされているケーキ作り上達の裏には、木霊とかいう男子生徒が好きで、仲直りをするためにうまくなっていったと聞きます。
残念ながら未だに仲直りは出来ていないと聞きました」
「まあ、ステキ♡ 愛が一番の調味料というわけね。気に入ったわ」
犬神今日子と犬山公子は、一年C組の教室に入って来る。
有名人だけに、教室中がざわめく。
「ふふふ、遠野さん。私達にもケーキをもらえるかしら? 甘い物には目が無いのよ」
「はい。まだまだありますんで、どうぞ! 今日のケーキは、レアチーズケーキです」
犬神今日子はケーキを一口食べ、感想を述べる。
「なるほど。クリーミーな味わいね。
ヨーグルトの酸味も程好くて、さっぱりしているわ。
素晴らしい!」
犬山公子も食べ始め、疑問に思う。
「これほどのケーキを食べていながら、遠野さんのどこが不満だというのかな?
そこにいる木霊君!」
犬山公子がオレの方を見ると、教室中の生徒がオレに注目する。
犬神今日子も残りのケーキを食べながら、オレの方に近付いてきた。
「確かに、このケーキを味わえば、惚れてしまうほど魅力的よね。
それでも彼女を嫌っているという事は、遠野さんではなく彼に問題があるという事かしら?
最近、不仲になったと聞きますし、日付に問題の答えがあるのかしらね?
どう、公子さん?」
「はい。ゴールデンウィークが終わった次の日には、遠野さんの手は荒れていたとクラスの人々は言っています。
そこから察するに、ゴールデンウィーク時に何かが有ったと推測できます。
ちなみに、木霊君の成績はあまり良くなくクラスでも下の方です。
運動神経もそこそこ。特技が魔法(マジック)です。
三年のA組に彼の兄弟がいて、彼も魔術師(マジシャン)であり、かなり成功している模様です。
その辺の事情が関係しているのではないでしょうか?」
「なるほど。
轟君なら、私達の方がよく知っているわね。
学年でも成績第三位の実力を誇る人物よ。
公子さんが一位、私が二位。
仕事が忙しいから成績に差は出ているけど、実際のところは彼の方が成績は上だったのよ。
そう、彼の弟なの。
お兄さんと実力差を指摘されて、一方的に遠野さんを怒っているってところかしら?
好きな子には良い所を見せたいものね。
分かるわ、あなたの気持ち♡」
犬山公子は、こう提案する。
「それならば、私達が君の公演できる舞台をセッティングしてあげようか?
訓練する時間と場所さえあれば、君も魔術師(マジシャン)として有名になれると思うが……」
「オレは、もう魔法(マジック)は出来ないんだよ! 放っておいてくれ!」
オレは怒り口調でそう言い、教室を後にした。
「あら、怒ってしまったかしら?
さすがに、成績の事をみんなの前で話したのは、失敗したかしらね?」
犬神今日子は爪の手入れをしながらそう言う。
「まあ、C組には良くある事よね。
自分の実力を悟り、絶望してしまう事なんて。
そして、成績もあまり良くない。
でも、好きな女の子に自分の堕落していく姿を見られたくない。
そんな所ね。
私は結構好きよ、そういう男の子。
女の子に頼るような男よりずっと良い!」
犬神今日子は眼を光らせ、笑顔になる。
犬山公子は、冷静に分析を続ける。
「しかし、どうしたら良いでしょうか?
彼があのままでは、折角美味しいケーキを作れるようになった遠野さんも、いずれはやる気を失ってしまいますが……」
「そうね。彼のために作っているとなれば、彼の喜ぶ顔が見たいはず。
それ無しにケーキを作り続けるのは、せいぜい持って数週間。
報酬を手に入れる事ができなければ、いずれ彼女の進歩も止まってしまうはず……。
惜しいわ、もう少し頑張り続ければ、プロの領域にまで達するというのに……」
「木霊君の様な生徒の才能を見付けるのも、この学校の方針のはず……。
この学校の目的は、才能ある生徒を伸ばす事もありますが、挫折する生徒も多い。
そういう生徒の才能も発見するのが、この学校の本当の目的のはずだったのですが……」
「まあ、才能ある子を伸ばす方が楽だし、見返りも大きいわ。
才能ない子の才能を捜すなんて、失敗する可能性の方が高いし、生徒自身が気に入るかどうかも分からないからね。
でも、遠野さんのケーキのために、私達も出来る限りの事をするわ!」
犬山公子は、メモ帳に何かを書く。
「即席で思い付いた物ですが、こういうのはどうでしょうか?」
犬神今日子は、差し出されたメモ帳を見て答える。
「あら、良いじゃないの。
さすがに、木霊君の才能を開花させるには、時間が必要よ。
協力はするけど、本人の努力次第が大きいわ。
でも、遠野さんと木霊君の関係を仲直りする事は、それほど難しい事じゃないわ。
遠野さんも安心して、ケーキ作りに没頭してください。
報酬は、美味しいケーキを食べさせてくれる事!
じゃあ、もう一つケーキをもらって、私達は教室に帰るわね」
「はい。ありがとうございます」
犬神今日子は、遠野さんの頭を軽く撫で、ケーキを持って自分の教室に戻る。
「このケーキを食べたら、秋子も喜ぶでしょうね。
成績最下位で落ち込んでいましたから……」
犬山公子もそう言い、後に付いて帰って行く。
オレ達の教室は、静寂に包まれた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ゲームコインをザクザク現金化。還暦オジ、田舎で世界を攻略中
あ、まん。@田中子樹
ファンタジー
仕事一筋40年。
結婚もせずに会社に尽くしてきた二瓶豆丸。
定年を迎え、静かな余生を求めて山奥へ移住する。
だが、突如世界が“数値化”され、現実がゲームのように変貌。
唯一の趣味だった15年続けた積みゲー「モリモリ」が、 なぜか現実世界とリンクし始める。
化け物が徘徊する世界で出会ったひとりの少女、滝川歩茶。
彼女を守るため、豆丸は“積みゲー”スキルを駆使して立ち上がる。
現金化されるコイン、召喚されるゲームキャラたち、 そして迫りくる謎の敵――。
これは、還暦オジが挑む、〝人生最後の積みゲー〟であり〝世界最後の攻略戦〟である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる