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ヒトの皮を捨てた者

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 目元に涙がにじむ。大怪我の経験があったから、最も軽症でも骨にひびが入っているのだと分かった。

「……肋骨いったかな、これは」

 どさくさ紛れに襲ってくる蛇の首を握り潰しながら、愛生《あい》はうそぶく。怪我はいずれ治るが、瞬時に回復したりはしない。──決戦前に、なかなかキツいハンデだ。

「けっこうな重傷ね。泣いて助けでも求めてみる?」

 苦しむ愛生を見て、軽い調子でラミアが言う。愛生は腹を押さえる振りをして、隠し持っていたナイフを投げた。ナイフはラミアの胴に突き刺さる。

「悪いな。俺はそんなに腑抜けじゃないんだ」
「……一撃入れたのは褒めてあげる。でも、ここはもう私の間合いよ!」

 ラミアが吠えた。大きく両手を広げ、愛生に飛びかかろうとしている。投げナイフの手持ちも、一旦尽きた。刀は向こうに転がっている。残っているのは短刀だけ──

 その状況で、愛生は振り返った。

「龍《りゅう》、今だ!」
「承りました」

 愛生から少し離れた、柱と柱の間。その間から答えた声は、幻聴ではなかった。壁面に楔を打ち込んで、それを昇ってきた龍の姿があった。

 彼女は手首だけ上に出して、銀の銃弾を撃ちまくる。あてずっぽう撃ちでほとんど当たらないが、弾数の多さが幸いして、ラミアの体が押し切られた。

「ちっ!」

 ラミアは、死体を飛び越え、より卿を守れる奥の位置へ移動する。この戦いの中で初めて、彼女が逃げた。

 愛生のさしのべた手を最後の支えにして、龍が柵をまたいで広場に上がってくる。

「……少しは休めと言いたいところだが、力を貸してもらわなきゃならんな」
「そのつもりで来ました。しかし、驚かないのですね」
「はは、敵に砦の状況を教えるような間抜けがこの城を作ったと聞いた時点で……ちょっと期待はしてたからな」

 愛生は龍に煙幕弾を渡し、彼女の前に立つ。龍は愛生の邪魔にならない位置に移動した。

 状況が読めない雑魚はこちらに向かって疾走してくるが、龍はそれを次々に射撃で倒す。誰を倒せば後続が転んでドミノ倒しになるか読み切っているため、雑魚は早々に片付いた。

「娘、一体どこからまぎれこんで来たの」

 ラミアが硬い声で聞く。狼狽している彼女に、龍は余裕の表情で相対した。

「最短距離を通ってきたに決まっているでしょう」
「すでに階段はないのよ! どうやって……」
「壁ならどうですか? ワイヤーを打ち付ければ、クライミングの要領で登れます」
「か、壁?」
「あなたにその発想がなかったおかげで、壁には罠がなかった。昇って追いつけました。螺旋階段と違って、これなら三十分もあれば昇れます」
「卑怯者……」

 ラミアは顔を真っ赤にした。

「これくらい想定の範囲内でしょう。思いつかないあたり、間抜けですね」

 ラミアから放たれる殺気を、龍は涼しい顔で受け流した。ずいぶんと甘い考えだったな、と挑発している。

 蛇女の幼体の攻撃を、龍は頭を振って軽くかわす。勢いよくつっこみすぎてたたらを踏む幼体に向かって、龍は引き金を引いた。

 尖った銀の杭が、何本も幼体の外殻を貫通する。たった今生まれたばかりの幼体は、銀を打ち込まれる痛みに耐えかねて絶叫した。

「お好きなだけどうぞ。私は痛くも痒くもありませんから」

 返り血すら一滴も浴びていない龍の切り捨ては、相変わらず容赦がない。頭脳が退化しているのか、同じような動きをしている幼体は、あっという間に片付けられてしまった。

「仕方の無い子たちね」

 ラミアが鏡に向かってわずかに指を動かす。

「そこです」

 しかし龍が眉間に皺を寄せ、跳躍していてもぶれない手つきで引き金を絞った。

 容赦なく、鏡から出てきたところの蛇に向かって弾丸が撃ち込まれる。過酷な集中攻撃を受けた蛇がのけぞり、苦痛の声をあげた。

「迷いなく、そんな」
「待機時間は山ほどありました。鏡の解析は完全に終了しています。敵が出現してくる前兆があれば、虎子《とらこ》がすぐに教えてくれます」

 言うまでもなく、敵の出現地点さえ割れてしまえば、罠としての鏡の価値は極端に落ちる。虎子のかけ声を聞いたら、待ち構えてすぐに排除すればいいのだから。

 龍は次々標的に向けて撃ちまくっていた。愛生の背後を狙っていた雑魚の尾が銃弾を受けてしなる。龍は続けざまに撃ちながら場所を変え、常に高所をとっていた。

「こいつらは私が引きつけます。愛生はあの馬鹿を」
「わかった」

 返事だけして、蛇の体を稲葉のウサギのように足場にして、上へ上へと向かう。足場にされた蛇が悲痛な声をあげたが、構わず踏み抜く。左右から蛇が食らいついてくるのを、間一髪でかわした。

 そして蛇をつかみ、スカーレット卿めがけて投げる。とって返そうとする彼の前に立ちはだかった。卿は、愛生を見つめて長く息を吐く。

「どうしてこんなことをしたか、聞かないと諦めなさそうな顔だな」
「ああ、知りたがりなんだ。探偵だからな」

 詰め寄る愛生を見て、卿は口を開く。

「不老不死だ」

 スカーレット卿は、短く言った。

「本気かよ」

 愛生だって、不老不死を追い求めた存在のことは知っていた。自分に課された生を全うすることを知らず、人生を使い切ることもできずに這い縋る、時間の使い方が下手な強欲人間。それが愛生が彼らに抱く印象だった。

「どれだけの人間が、これを追い求めて虚しく死んでいったことか。我々は長きにわたって研究し、ようやくその手がかりをつかんだ」
「それがその蛇か?」
「そうだ。所詮人の体は、いずれは一つ二つと機能が欠け、最後には全てを失う。ならば、人間以外の生物を研究するしかない。ようやく見つけたのが、この大蛇だ。人間の三倍は生きられる個体だよ。研究すれば、もっと寿命を延ばせる」

 らんらんと輝いていた卿の目が、ここで不意に暗くなった。

「……しかし、その研究を続けるためには金が要る。それこそ国が傾くような、莫大な金がな」
「あんたの上がりじゃ足りなかったのかい。そんなはずないだろう」
「貴族らしい生活を続けるのにも金が要る。妙に質素にし出したら、理由を問う者が必ず出てくるだろう。……貴族の世界も、味方などいない足の引っ張りあいだからな」

 愛生も、その一点だけには感じるものがあり、うなずいた。

「このことを説明しても、腰抜けの王たちは真面目に理解しようとしないに違いない。協力してもらったところで、先に自分たちを不老不死にしろと言われるのは目に見えている」
「だから密造酒に手を染めたのか」
「さらなる権力と金を得る、とりあえずの取っかかりとしてな。──しかし、いきなり最初でつまずいた。子供に見られたと分かって、困ったことになったよ」

 スカーレット卿はどすのきいた声で低く唸る。

「子供は駄目だ。酒の必要性も、貴族の怖さも骨身に染みていない。いずれどこかで喋るに決まっている。殺しておかなければならなかった」

 それを聞いた愛生は、大きくため息をついた。そして力説するスカーレット卿を、鼻で笑ってみせた。

「がっかりしたよ。平凡でくだらない。──そんなもののために殺されたとは、被害者も浮かばれないな」
「なんとでも言いたまえ」

 しかし、卿も挑発には乗らなかった。男二人が広場でにらみあう中、下では女同士の戦いが続いている。

 ラミアが距離を詰めようとすると、龍が離れて銃を構える。しかし相手の素早さが上がっており、杭を打ってもなかなか当たらない。

「視界は悪くないのにな。あの弾、通常のものより着弾が少し遅いようだ。助けに入ってやらないのかね?」
「バカを言うな。俺がつっこんだら、お前が間違いなく背後から来るだろう」
「違いない。そしてそれは、私が助けに入っても同じ事」

 その言葉と同時に、戦局が動いた。

 ラミアが爪で、地面に突き刺さった杭を切り払った。なぎ払われた杭の上部が、砲丸のようにうなり龍に襲いかかる。そのうちのいくつかが、彼女の肩や頭に痛打を与えた。

「ぐっ!」

 龍は倒れ込み、肩で息をしている。辛うじて手に銃は持っていたものの、狙いはまるでつけられていない。ラミアは高笑いをしながら、ひたすら前に進んでいった。

 追うラミアの足は止まらない。愛生がそう思った次の瞬間、ラミアが急に前のめりに倒れる。

「あれは!」

 ラミアを引っかけたのは、龍のワイヤーだった。足元すれすれに張られたそれに、ラミアが足をとられて倒れていたのだ。当たらないと分かっている杭を打ち続けたのは、攻撃のためではない。ワイヤーを張るための杭を確保するためだったのだ。

「言っていませんでしたが、見えにくい白いワイヤーも装備していますので」

 うつぶせに倒れてうなじをさらしたラミアに、龍が容赦なく銃口を向けた。今度は逃げても間に合わない。

 発砲音が響く。首筋に、銀の杭が深々と突き刺さった。ラミアは二、三度痙攣した後、手足をだらりと伸ばして動かなくなる。

 龍がどうだ、と言わんばかりに顔を上げてみせた。彼女の笑い顔を見て、愛生も軽く笑い返す。

 スカーレット卿は駆け寄りもせず、その光景にしばし目をやる。それは、妻がいなくなったのを悲しんでいるような顔には見えなかった。──そして、敗軍の将の顔でもなかった。

「……やれやれ、まさかこの姿を捨てなければならないとはね」
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