59 / 101
絶望の野原
しおりを挟む
空は暗く闇に沈み、山に近付くにつれてかすかな星明かりさえなくなっていった。目が疲れるのを励まして、龍《りゅう》はなんとか自警団に追いついた。
谷間、人里から離れた静かな空間。
夜の闇の中、松明やランプで照らされた氷は、相変わらず高くそびえたっている。それでも、人の背丈のところまでが熱によって溶け、大穴をさらしていた。熱の直撃を受けていない氷にもヒビが入り、いつ大きな崩落が起こるか分からない。その隙間をくぐりぬけて、自警団が北に進んでいく。龍はしれっと中に混じった。
「おい、あんた何者だ!?」
「危ないから、この先の山には入らん方がいいぞ」
驚きの声があがるが、無視する。この狭い場所を抜けたら、姉妹と出会った道。そこから四角い土地があって、里までの罠だらけの道につながっている。自警団の乗馬の腕がベルトランと大差ないなら、振り切れる。龍は少し緊張しながら、そう思っていた。
だがその予想は外れた。すでに道幅一杯、集まってきた騎馬が埋めている。龍が前に出るのに、いささか時間がかかった。
「なに……これ……」
龍はすぐに悟った。手遅れだと。認めたくないという感情が頭をもたげ、体の中で暴れている。しかしそれは、あっという間に絶望の声で追い払われた。
うなだれた龍の横で自警団のひとりが、大きく手を振りながら悲鳴じみた叫びをあげた。
「応援呼んでこい! この数じゃ、十や二十できかない人間が死んでるかも……」
駆け寄ってきた仲間も、眼下の光景を見てすぐに事情をのみこんだ。馬の腹を足で蹴り、砂煙をあげて走って行く。
龍はひとり、どこにも行けずに困り果てていた。
里の入り口は何者かによって蹂躙され、荒れ果てた後だった。どこからか集まってきた虫が、うるさく鳴いている。
暗闇の中で動くカンテラの光をうけて輝くのは、夜露でも蛍でもない。死体ですらなかった。龍の眼下に広がるのは、尖った氷と無数の眼球だった。黒い土の上に、神経のような白い線がいくつも垂れている。
「なんだ……」
「地獄か、ここは……」
松明やランプを持って駆けつけてきた自警団員に動揺が走る。もしかしたら賊との戦いになるかもしれないとは予想していても、こんな光景を想定できた者がいたはずがない。修羅場と言うと生ぬるい気さえしてくる。悲鳴すら出ない。走ろうとした伝令が派手に転び、そこここで誰かが吐く音が聞こえてきた。
「間に合わなかった……」
人が集まり、現場が明るくなると、より惨状の詳細が分かるようになってきた。
「あっちにもあるぞ!」
「くそ、ここにもだ!」
眼球のある場所は半径百メートルくらいの範囲内におさまっているようだ。里で村人から目をえぐり、ここまで運んできたのだろうか。
なぜ。どうしてそんなことを。
驚きを通りこして、寒気がしてきた。龍は悄然として、馬を降り地面に座り込む。悔しいとか悲しいとかいう感情が不思議と湧いてこない中、動くことができずにいた。
不意に、後ろから肩をたたかれた。人の良さそうな垂れ目の男性が、龍の顔をのぞきこんでいる。
「お嬢さん。こんなもの、自警団以外が見るもんじゃない。街に戻りなさい。道は分かるかね?」
「……はい」
慰められていることは理解できた。うつむいていた龍は頭を振る。
自分が里にいたら、せめてあの姉妹だけでも逃がせただろうか。益体のないことと分かっていても、無性に悔しくてそう思わずにいられなかった。
弱っているのだ──こんなに動揺して私情が交じった状態では、まともな推理などできない。自分は探偵に向いていない、愛生《あい》が一緒にいないと。
「龍さん」
聞き覚えのある声に顔を上げる。ベルトランだ。
「護衛として、街までお送りします」
「……ありがとう。あなたは大丈夫なんですか?」
龍がベルトランに目をやると、彼は声をひそめて言った。
「かろうじて吐かずに我慢してますよ。軍隊所属ですからね」
無理に作ってはいたが、かれは笑顔を見せた。なんだかそのおおらかな様子が京に似ていて、龍はふと和んでしまった。どうにか気分が上向きになってきたようだ。下手な慰めの言葉より、よほどいい。
「汗をぬぐってはいかがですか。だいぶ顔色が悪いですよ」
差し出されたハンカチで顔をぬぐった。柔らかい布の感触が肌に心地いい。
ハンカチに顔を埋めるようにしながら、龍は言った。
「……趣味の悪い殺人鬼ですね。黒幕は誰なんでしょう」
「斬新なつもりなんでしょうかね……なぜ神は、こんなことをお許しになるのか」
ベルトランは返答に窮していた。当然だろう。
「いいですか、私はこの件も調査します。絶対に、犯人を捕まえる」
腹を立てている龍は、ハンカチから顔を上げ、熱い感情をぶちまけた。ベルトランは嬉しくなさそうだったが、龍が決して引き下がらないであろうことを察した様子だ。黙って首を振り、ハンカチを受け取って後ろに下がった。
「夜明けと同時に警察と軍も介入するようですから、もっと詳しいことが分かるでしょう。では、また明日」
谷間、人里から離れた静かな空間。
夜の闇の中、松明やランプで照らされた氷は、相変わらず高くそびえたっている。それでも、人の背丈のところまでが熱によって溶け、大穴をさらしていた。熱の直撃を受けていない氷にもヒビが入り、いつ大きな崩落が起こるか分からない。その隙間をくぐりぬけて、自警団が北に進んでいく。龍はしれっと中に混じった。
「おい、あんた何者だ!?」
「危ないから、この先の山には入らん方がいいぞ」
驚きの声があがるが、無視する。この狭い場所を抜けたら、姉妹と出会った道。そこから四角い土地があって、里までの罠だらけの道につながっている。自警団の乗馬の腕がベルトランと大差ないなら、振り切れる。龍は少し緊張しながら、そう思っていた。
だがその予想は外れた。すでに道幅一杯、集まってきた騎馬が埋めている。龍が前に出るのに、いささか時間がかかった。
「なに……これ……」
龍はすぐに悟った。手遅れだと。認めたくないという感情が頭をもたげ、体の中で暴れている。しかしそれは、あっという間に絶望の声で追い払われた。
うなだれた龍の横で自警団のひとりが、大きく手を振りながら悲鳴じみた叫びをあげた。
「応援呼んでこい! この数じゃ、十や二十できかない人間が死んでるかも……」
駆け寄ってきた仲間も、眼下の光景を見てすぐに事情をのみこんだ。馬の腹を足で蹴り、砂煙をあげて走って行く。
龍はひとり、どこにも行けずに困り果てていた。
里の入り口は何者かによって蹂躙され、荒れ果てた後だった。どこからか集まってきた虫が、うるさく鳴いている。
暗闇の中で動くカンテラの光をうけて輝くのは、夜露でも蛍でもない。死体ですらなかった。龍の眼下に広がるのは、尖った氷と無数の眼球だった。黒い土の上に、神経のような白い線がいくつも垂れている。
「なんだ……」
「地獄か、ここは……」
松明やランプを持って駆けつけてきた自警団員に動揺が走る。もしかしたら賊との戦いになるかもしれないとは予想していても、こんな光景を想定できた者がいたはずがない。修羅場と言うと生ぬるい気さえしてくる。悲鳴すら出ない。走ろうとした伝令が派手に転び、そこここで誰かが吐く音が聞こえてきた。
「間に合わなかった……」
人が集まり、現場が明るくなると、より惨状の詳細が分かるようになってきた。
「あっちにもあるぞ!」
「くそ、ここにもだ!」
眼球のある場所は半径百メートルくらいの範囲内におさまっているようだ。里で村人から目をえぐり、ここまで運んできたのだろうか。
なぜ。どうしてそんなことを。
驚きを通りこして、寒気がしてきた。龍は悄然として、馬を降り地面に座り込む。悔しいとか悲しいとかいう感情が不思議と湧いてこない中、動くことができずにいた。
不意に、後ろから肩をたたかれた。人の良さそうな垂れ目の男性が、龍の顔をのぞきこんでいる。
「お嬢さん。こんなもの、自警団以外が見るもんじゃない。街に戻りなさい。道は分かるかね?」
「……はい」
慰められていることは理解できた。うつむいていた龍は頭を振る。
自分が里にいたら、せめてあの姉妹だけでも逃がせただろうか。益体のないことと分かっていても、無性に悔しくてそう思わずにいられなかった。
弱っているのだ──こんなに動揺して私情が交じった状態では、まともな推理などできない。自分は探偵に向いていない、愛生《あい》が一緒にいないと。
「龍さん」
聞き覚えのある声に顔を上げる。ベルトランだ。
「護衛として、街までお送りします」
「……ありがとう。あなたは大丈夫なんですか?」
龍がベルトランに目をやると、彼は声をひそめて言った。
「かろうじて吐かずに我慢してますよ。軍隊所属ですからね」
無理に作ってはいたが、かれは笑顔を見せた。なんだかそのおおらかな様子が京に似ていて、龍はふと和んでしまった。どうにか気分が上向きになってきたようだ。下手な慰めの言葉より、よほどいい。
「汗をぬぐってはいかがですか。だいぶ顔色が悪いですよ」
差し出されたハンカチで顔をぬぐった。柔らかい布の感触が肌に心地いい。
ハンカチに顔を埋めるようにしながら、龍は言った。
「……趣味の悪い殺人鬼ですね。黒幕は誰なんでしょう」
「斬新なつもりなんでしょうかね……なぜ神は、こんなことをお許しになるのか」
ベルトランは返答に窮していた。当然だろう。
「いいですか、私はこの件も調査します。絶対に、犯人を捕まえる」
腹を立てている龍は、ハンカチから顔を上げ、熱い感情をぶちまけた。ベルトランは嬉しくなさそうだったが、龍が決して引き下がらないであろうことを察した様子だ。黙って首を振り、ハンカチを受け取って後ろに下がった。
「夜明けと同時に警察と軍も介入するようですから、もっと詳しいことが分かるでしょう。では、また明日」
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。
カレンと晴人はその後、どうなる?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる