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絶望の野原
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空は暗く闇に沈み、山に近付くにつれてかすかな星明かりさえなくなっていった。目が疲れるのを励まして、龍《りゅう》はなんとか自警団に追いついた。
谷間、人里から離れた静かな空間。
夜の闇の中、松明やランプで照らされた氷は、相変わらず高くそびえたっている。それでも、人の背丈のところまでが熱によって溶け、大穴をさらしていた。熱の直撃を受けていない氷にもヒビが入り、いつ大きな崩落が起こるか分からない。その隙間をくぐりぬけて、自警団が北に進んでいく。龍はしれっと中に混じった。
「おい、あんた何者だ!?」
「危ないから、この先の山には入らん方がいいぞ」
驚きの声があがるが、無視する。この狭い場所を抜けたら、姉妹と出会った道。そこから四角い土地があって、里までの罠だらけの道につながっている。自警団の乗馬の腕がベルトランと大差ないなら、振り切れる。龍は少し緊張しながら、そう思っていた。
だがその予想は外れた。すでに道幅一杯、集まってきた騎馬が埋めている。龍が前に出るのに、いささか時間がかかった。
「なに……これ……」
龍はすぐに悟った。手遅れだと。認めたくないという感情が頭をもたげ、体の中で暴れている。しかしそれは、あっという間に絶望の声で追い払われた。
うなだれた龍の横で自警団のひとりが、大きく手を振りながら悲鳴じみた叫びをあげた。
「応援呼んでこい! この数じゃ、十や二十できかない人間が死んでるかも……」
駆け寄ってきた仲間も、眼下の光景を見てすぐに事情をのみこんだ。馬の腹を足で蹴り、砂煙をあげて走って行く。
龍はひとり、どこにも行けずに困り果てていた。
里の入り口は何者かによって蹂躙され、荒れ果てた後だった。どこからか集まってきた虫が、うるさく鳴いている。
暗闇の中で動くカンテラの光をうけて輝くのは、夜露でも蛍でもない。死体ですらなかった。龍の眼下に広がるのは、尖った氷と無数の眼球だった。黒い土の上に、神経のような白い線がいくつも垂れている。
「なんだ……」
「地獄か、ここは……」
松明やランプを持って駆けつけてきた自警団員に動揺が走る。もしかしたら賊との戦いになるかもしれないとは予想していても、こんな光景を想定できた者がいたはずがない。修羅場と言うと生ぬるい気さえしてくる。悲鳴すら出ない。走ろうとした伝令が派手に転び、そこここで誰かが吐く音が聞こえてきた。
「間に合わなかった……」
人が集まり、現場が明るくなると、より惨状の詳細が分かるようになってきた。
「あっちにもあるぞ!」
「くそ、ここにもだ!」
眼球のある場所は半径百メートルくらいの範囲内におさまっているようだ。里で村人から目をえぐり、ここまで運んできたのだろうか。
なぜ。どうしてそんなことを。
驚きを通りこして、寒気がしてきた。龍は悄然として、馬を降り地面に座り込む。悔しいとか悲しいとかいう感情が不思議と湧いてこない中、動くことができずにいた。
不意に、後ろから肩をたたかれた。人の良さそうな垂れ目の男性が、龍の顔をのぞきこんでいる。
「お嬢さん。こんなもの、自警団以外が見るもんじゃない。街に戻りなさい。道は分かるかね?」
「……はい」
慰められていることは理解できた。うつむいていた龍は頭を振る。
自分が里にいたら、せめてあの姉妹だけでも逃がせただろうか。益体のないことと分かっていても、無性に悔しくてそう思わずにいられなかった。
弱っているのだ──こんなに動揺して私情が交じった状態では、まともな推理などできない。自分は探偵に向いていない、愛生《あい》が一緒にいないと。
「龍さん」
聞き覚えのある声に顔を上げる。ベルトランだ。
「護衛として、街までお送りします」
「……ありがとう。あなたは大丈夫なんですか?」
龍がベルトランに目をやると、彼は声をひそめて言った。
「かろうじて吐かずに我慢してますよ。軍隊所属ですからね」
無理に作ってはいたが、かれは笑顔を見せた。なんだかそのおおらかな様子が京に似ていて、龍はふと和んでしまった。どうにか気分が上向きになってきたようだ。下手な慰めの言葉より、よほどいい。
「汗をぬぐってはいかがですか。だいぶ顔色が悪いですよ」
差し出されたハンカチで顔をぬぐった。柔らかい布の感触が肌に心地いい。
ハンカチに顔を埋めるようにしながら、龍は言った。
「……趣味の悪い殺人鬼ですね。黒幕は誰なんでしょう」
「斬新なつもりなんでしょうかね……なぜ神は、こんなことをお許しになるのか」
ベルトランは返答に窮していた。当然だろう。
「いいですか、私はこの件も調査します。絶対に、犯人を捕まえる」
腹を立てている龍は、ハンカチから顔を上げ、熱い感情をぶちまけた。ベルトランは嬉しくなさそうだったが、龍が決して引き下がらないであろうことを察した様子だ。黙って首を振り、ハンカチを受け取って後ろに下がった。
「夜明けと同時に警察と軍も介入するようですから、もっと詳しいことが分かるでしょう。では、また明日」
谷間、人里から離れた静かな空間。
夜の闇の中、松明やランプで照らされた氷は、相変わらず高くそびえたっている。それでも、人の背丈のところまでが熱によって溶け、大穴をさらしていた。熱の直撃を受けていない氷にもヒビが入り、いつ大きな崩落が起こるか分からない。その隙間をくぐりぬけて、自警団が北に進んでいく。龍はしれっと中に混じった。
「おい、あんた何者だ!?」
「危ないから、この先の山には入らん方がいいぞ」
驚きの声があがるが、無視する。この狭い場所を抜けたら、姉妹と出会った道。そこから四角い土地があって、里までの罠だらけの道につながっている。自警団の乗馬の腕がベルトランと大差ないなら、振り切れる。龍は少し緊張しながら、そう思っていた。
だがその予想は外れた。すでに道幅一杯、集まってきた騎馬が埋めている。龍が前に出るのに、いささか時間がかかった。
「なに……これ……」
龍はすぐに悟った。手遅れだと。認めたくないという感情が頭をもたげ、体の中で暴れている。しかしそれは、あっという間に絶望の声で追い払われた。
うなだれた龍の横で自警団のひとりが、大きく手を振りながら悲鳴じみた叫びをあげた。
「応援呼んでこい! この数じゃ、十や二十できかない人間が死んでるかも……」
駆け寄ってきた仲間も、眼下の光景を見てすぐに事情をのみこんだ。馬の腹を足で蹴り、砂煙をあげて走って行く。
龍はひとり、どこにも行けずに困り果てていた。
里の入り口は何者かによって蹂躙され、荒れ果てた後だった。どこからか集まってきた虫が、うるさく鳴いている。
暗闇の中で動くカンテラの光をうけて輝くのは、夜露でも蛍でもない。死体ですらなかった。龍の眼下に広がるのは、尖った氷と無数の眼球だった。黒い土の上に、神経のような白い線がいくつも垂れている。
「なんだ……」
「地獄か、ここは……」
松明やランプを持って駆けつけてきた自警団員に動揺が走る。もしかしたら賊との戦いになるかもしれないとは予想していても、こんな光景を想定できた者がいたはずがない。修羅場と言うと生ぬるい気さえしてくる。悲鳴すら出ない。走ろうとした伝令が派手に転び、そこここで誰かが吐く音が聞こえてきた。
「間に合わなかった……」
人が集まり、現場が明るくなると、より惨状の詳細が分かるようになってきた。
「あっちにもあるぞ!」
「くそ、ここにもだ!」
眼球のある場所は半径百メートルくらいの範囲内におさまっているようだ。里で村人から目をえぐり、ここまで運んできたのだろうか。
なぜ。どうしてそんなことを。
驚きを通りこして、寒気がしてきた。龍は悄然として、馬を降り地面に座り込む。悔しいとか悲しいとかいう感情が不思議と湧いてこない中、動くことができずにいた。
不意に、後ろから肩をたたかれた。人の良さそうな垂れ目の男性が、龍の顔をのぞきこんでいる。
「お嬢さん。こんなもの、自警団以外が見るもんじゃない。街に戻りなさい。道は分かるかね?」
「……はい」
慰められていることは理解できた。うつむいていた龍は頭を振る。
自分が里にいたら、せめてあの姉妹だけでも逃がせただろうか。益体のないことと分かっていても、無性に悔しくてそう思わずにいられなかった。
弱っているのだ──こんなに動揺して私情が交じった状態では、まともな推理などできない。自分は探偵に向いていない、愛生《あい》が一緒にいないと。
「龍さん」
聞き覚えのある声に顔を上げる。ベルトランだ。
「護衛として、街までお送りします」
「……ありがとう。あなたは大丈夫なんですか?」
龍がベルトランに目をやると、彼は声をひそめて言った。
「かろうじて吐かずに我慢してますよ。軍隊所属ですからね」
無理に作ってはいたが、かれは笑顔を見せた。なんだかそのおおらかな様子が京に似ていて、龍はふと和んでしまった。どうにか気分が上向きになってきたようだ。下手な慰めの言葉より、よほどいい。
「汗をぬぐってはいかがですか。だいぶ顔色が悪いですよ」
差し出されたハンカチで顔をぬぐった。柔らかい布の感触が肌に心地いい。
ハンカチに顔を埋めるようにしながら、龍は言った。
「……趣味の悪い殺人鬼ですね。黒幕は誰なんでしょう」
「斬新なつもりなんでしょうかね……なぜ神は、こんなことをお許しになるのか」
ベルトランは返答に窮していた。当然だろう。
「いいですか、私はこの件も調査します。絶対に、犯人を捕まえる」
腹を立てている龍は、ハンカチから顔を上げ、熱い感情をぶちまけた。ベルトランは嬉しくなさそうだったが、龍が決して引き下がらないであろうことを察した様子だ。黙って首を振り、ハンカチを受け取って後ろに下がった。
「夜明けと同時に警察と軍も介入するようですから、もっと詳しいことが分かるでしょう。では、また明日」
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