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意外な助っ人

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 直撃は避けたものの、龍《りゅう》は足をゴミに払われて倒れる。堆く積まれたゴミが、衝撃でいくつも体に落ちてきた。炎が近くまでやってきて、肌がちりちりと嫌な感覚を伝えてくる。

「さよならだ。せいぜい来世では慎重に暮らせ」

 やってきたクララが捨て台詞を吐く。足をゴミにつっこむようになっていた龍は、もがいたが位置を大きく変えられなかった。

 もうだめか。龍は震えながら、業火の到来を覚悟した。かろうじて泣き叫ぶのだけを、意思をもって堪える。

 しかし、いつまでたっても、おかしなことに衝撃が来ない。龍はおそるおそる身動きし、口の中に入った土を吐き出した。

「あら、これで終わりはあんまりじゃない?」

 前方から誰かの声があがる。クララのものではなかった。視線で声のした方を追う。

 次の瞬間、息が止まるかと思った。

 目の前にいたのは、あの派手な女だ。ここにあってさえ、目立っている。しかし少なくとも、ふざけた格好ではなかった。女は、真っ黒な軍服姿だったのだ。

 驚きで目を丸くする龍に向かって、女が笑った。

「どうやって、ここまで……」
「さあね。都合が良いときに登場するのが、味方というものでしょ」

 余裕を見せる女に対して、龍は荒い呼吸をなだめながら言った。

「逃げなさい、炎が追ってくる──」
「知ってるわ。そうじゃないと、こんなものは持ってない」

 女の横顔が炎で照らされる。その中、彼女は確かな手つきで、炎に向かって掌を指しだした。手の先が消し墨になる、と龍が思った次の瞬間──氷が彼女の手からほとばしった。

 傍らにいる龍を守るように、氷はどんどん大きくなっていく。炎は回り込もうとして裂けるが、それによって威力は弱まっていった。

 溶けた氷が水となってしたたり、女の靴を濡らす。女は濡れるのも構わず、手を上にかざした。炎はますます大きくなった氷に吸い込まれ、わずかな煙と共に完全に消え去った。

「なに!?」

 それを見たクララの顔色が変わった。高飛車だった様子がなりをひそめ、あわてて屋敷の奥へ走って行く。その様子を、女は高らかに笑いながら見ていた。

「あら、御託を並べる前に逃げ出したわ」
「油断しないでください!」

 誰もいなくなった庭──風に乗って、生臭い臭いがする。瘧のように痙攣する痩せた犬が再び姿を現した。今度の犬は、なぜか首が二つ生え、そのいずれもが龍たちをにらんでいる。開いた口からは、がちがちと歯を鳴らす音がしていた。

「大丈夫よ、試したい物があるからちょうどいいわ」

 そう言って女が胸元から引き出したのは、小型の瓶だった。周囲を見渡し、化け物が密集しているあたりに向かって投げる。瓶が割れて、油のようなものがぱっと飛び散る。犬が、ふと油のかかった背中を見た。

 そこへ向かって、女はマッチの火を投げ込んだ。盛大に上がった炎が、犬の体をなめつくす。しかも犬がじたばたと鳴き声をあげながらもがいても、なかなか消えなかった。

「指一本で倒せるなんて、開発者に感謝しなくちゃね」
「こんな倒し方が……」
「クララは普通の生き物より少し火に強いだろうけど、こいつらはただの寄せ集めだからね。焼いてやれば結合が切れて、そのうち死ぬと思ってたのよ」

 女の言葉の端々から、自信がうかがえる。龍はとりあえず安堵の息を吐いた。

「……ありがとう、ございます」
「お仕事をしたまでよ」

 女はさっさと犬から離れて体勢を整え、次の瓶を取りだした。素人の動きではない。それに、さっきの知識はどこで手に入れたのだろう。

「……何者なんですか?」

 きょとんとしている龍を見て、女は笑った。

「ずっと勅使が帰ってこない。それをつかんだ王国側もただぼーっとはしていなかったってことよ。知ってたの、その女の本性。私はそいつを捕らえるための先鋒ってわけ」

 クララを有罪にすべく、そして速やかに屋敷を壊滅させるべく、外堀を埋める用意をしていた。だから最初は龍が邪魔だった。お偉いさんの鼻の下を伸ばす女性は、一人でなくては効果が半減するし、不用意な行動でクララに逃げられたら元も子もない。

「不思議よねえ。あんたの素性はいくら調べても、旅行者だということしか分からない。それなのにベルトランと行動を共にしてるし、頼られてる。素直に聞いたって教えやしないだろうし、どうしようかと思ったわ」

 見限るか、協力をあおぐか。その判断を迷っているうちに、時間が経った。そのうちに、クララの注意を龍が引いていると分かったので、結局接触はしなかったという。

「まあ、敵じゃなさそうだったから一応安心したの」

 女はそう言って、口元に笑みを浮かべた。その説明を聞いて、ようやく龍も納得がいく。

「あんたが動き回ってくれて、こっちの隠れ蓑になってくれて助かった。お礼を言うわ」
「別に、あなたのためだけではないので」

 気づかなかったことが悔しかったので、龍はそう言って背を向けた。

「ああ、そうそう。生きてるわよ、彼ら。川で待ってるって」

 その言葉で龍は全てを察した。

「その氷も、まさか」
「そうよ。彼らとは協力関係にあるの。あいつにも、今のでそれが分かったはず。だから逃げたの」



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