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傷ついた英雄
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氷はドラゴンの首から胴に向かって落ちていく。首から腹へと、落ちたところを凍らせていくたびに、赤かったドラゴンの体が灰色に変化していった。
「体内に氷が入った……」
水をまとった剣はまだ曲がっていないが、さすがに愛生《あい》の腕もしびれている。下に腕を垂らし、愛生はいくつも空中に浮いている氷を駆けて地上に戻る。
愛生は地上に降り立ち、一旦安堵の息を吐く。
「本当に死にそうだな」
それは蓄積するにつれ大きな損害を与えていた。体が凍ると痛みが走るのか、ドラゴンが悲痛な叫びをあげている。
しばらくドラゴンはただ氷の勢いに押されていた。後ろ足がよろめいて巨体が後ろにかしぐ。ドラゴンがよろめくところなど初めて見る冒険者たちが、目を丸くして驚愕の声をあげるのが聞こえた。
しかし、まだ死なない。ドラゴンが咆哮をあげたので、愛生はぎょっとした。愛生の計画ではこれで終わりのはずだったが、残念なことに思ったより相手はしぶとかった。
「もう一回、行かないといけないみたいだな」
下からドラゴンを見つめ、愛生は言う。つくづく相手が頑丈で、不公平な勝負だ。……まあ、今まで公平な勝負などなかったが。
「大丈夫か?」
「ええ。愛生ももう少し頑張って!」
少しほっとした表情で、やってきた龍《りゅう》が言う。
龍の励ましさえあれば、名前を呼んでくれるのなら、どこまでだって愛生は戦える。
接近したいという愛生の意図を理解し、再び氷の板が作られるみしみし、という音がした。
「怪我人には手を貸してやれ! 氷の盾の陰に入るんだ!」
ノアは気を取り直した様子で、この場の全てを見張ってくれている。すでに傷だらけの彼らから遠ざかるようにして、愛生は空中からドラゴンに肉薄した。
しかし、ドラゴンもそれに気づいていた。眦をつり上げ、愛生の背中を打ち据えようと尾を回してくる。
愛生はその尾の先をすり抜け、白灰色になったドラゴンの首をめがけて剣を振った。だが、先をこされて身をよじられ、届きそうで届かない。あとほんのわずか数センチが埋まらず、愛生の手は空を切った。
もう一度。もう一度、と愛生が手を伸ばした次の瞬間。強い風圧で、愛生の体がよろめいた。浮上しかかっていた足が、氷から落ちる。その先には、ドラゴンの大きな爪があった。
「くそっ!」
愛生はなんとかそれをよけたが、落ちた先には尖った岩があった。岩の先端は愛生の脇腹を容赦なくえぐり、血があふれ出して服を濡らす。気を失いそうな痛みが全身を駆け抜けたが、愛生はなんとかこらえた。
傷口はひどいことになっていて、内臓が見えていた。それでもぎくしゃくとした動きのまま、立つ。まだもう少し、やらなければならないことが残っているから。
その思いは、周囲の誰にも伝わらないと分かっていても。
「どうして怪我がすぐ治らないんですか!? 何をしてるんですか、戻ってきてください!!」
背後で龍が叫んでいる。泣き声だ。あの整った顔が歪んでいるかと思うと、愛生は心苦しかった。だが、この要求は拒否せざるを得ない。誰もが首をかしげると分かっていても、ドラゴンを欺くこの手段は、愛生にしか使えないのだから。──ちょっと最初に想定していた方法と違う形になっただけだ。
足に怪我はないが、踏み出そうとする度に体が鉛のように重く感じる。まとわりついてくる服が鬱陶しく、愛生は嫌な脂汗を流しながら自分自身と戦う羽目になっていた。
血だまりを踏んで先へ進む。意識がはっきりしているのは、あと一分か、二分か。
体勢を崩したが、剣を落とさないように抱え込む。その瞬間、愛生の足元から低い地鳴りが聞こえてきて目を瞠った。
「龍、ありがとうな」
愛生は一気に伸び上がった氷に乗って、単身空を飛んだ。氷の上でなんとか立ち上がり、剣を構える。後は愛生本人は器用なことはいらない、重力に従って落ちるだけだ。──その前に、ちょっと仕込みは必要だが。
『命を捨てたか、人間!!』
食い下がる愛生に、ドラゴンが声を荒げる。この状態になっても向かってくるのが不思議で、不気味に見えるのだろう。相手にとって悪夢のような状況になっているかと思うと、少しだけ面白く感じる。
その声が不意に終わった。氷から落ちてきた人影を認めたドラゴンが、大きく口を開けて最後の炎を放つ。大幅に威力が落ちてはいたが、それは間違いなく人影をすっぽりと飲みこんだ。
『貴様も滅べ!!』
歓喜の声をあげたドラゴンは、ふと違和感に気づいた。今焼かれた男は、何か違う。そう思わせたのは、今までの蓄積からくるものだった。おかしい。あの男はまだ生きていたのに、どうしてあんなにおとなしく焼かれたのか。
すぐにその理由は分かった。ドラゴンが見下ろしているそれは愛生ではなく──人形だった。その人形は、ぱっと塵になって空中に散る。愛生の血液でできていたから、蒸発してしまったのだ。
立腹したドラゴンは再度口を開いたが、そこから炎はわいてこなかった。それに、方向感覚も狂っていて、愛生にむざむざと首筋をさらしている。
「囮で力を使い果たしたな」
「体内に氷が入った……」
水をまとった剣はまだ曲がっていないが、さすがに愛生《あい》の腕もしびれている。下に腕を垂らし、愛生はいくつも空中に浮いている氷を駆けて地上に戻る。
愛生は地上に降り立ち、一旦安堵の息を吐く。
「本当に死にそうだな」
それは蓄積するにつれ大きな損害を与えていた。体が凍ると痛みが走るのか、ドラゴンが悲痛な叫びをあげている。
しばらくドラゴンはただ氷の勢いに押されていた。後ろ足がよろめいて巨体が後ろにかしぐ。ドラゴンがよろめくところなど初めて見る冒険者たちが、目を丸くして驚愕の声をあげるのが聞こえた。
しかし、まだ死なない。ドラゴンが咆哮をあげたので、愛生はぎょっとした。愛生の計画ではこれで終わりのはずだったが、残念なことに思ったより相手はしぶとかった。
「もう一回、行かないといけないみたいだな」
下からドラゴンを見つめ、愛生は言う。つくづく相手が頑丈で、不公平な勝負だ。……まあ、今まで公平な勝負などなかったが。
「大丈夫か?」
「ええ。愛生ももう少し頑張って!」
少しほっとした表情で、やってきた龍《りゅう》が言う。
龍の励ましさえあれば、名前を呼んでくれるのなら、どこまでだって愛生は戦える。
接近したいという愛生の意図を理解し、再び氷の板が作られるみしみし、という音がした。
「怪我人には手を貸してやれ! 氷の盾の陰に入るんだ!」
ノアは気を取り直した様子で、この場の全てを見張ってくれている。すでに傷だらけの彼らから遠ざかるようにして、愛生は空中からドラゴンに肉薄した。
しかし、ドラゴンもそれに気づいていた。眦をつり上げ、愛生の背中を打ち据えようと尾を回してくる。
愛生はその尾の先をすり抜け、白灰色になったドラゴンの首をめがけて剣を振った。だが、先をこされて身をよじられ、届きそうで届かない。あとほんのわずか数センチが埋まらず、愛生の手は空を切った。
もう一度。もう一度、と愛生が手を伸ばした次の瞬間。強い風圧で、愛生の体がよろめいた。浮上しかかっていた足が、氷から落ちる。その先には、ドラゴンの大きな爪があった。
「くそっ!」
愛生はなんとかそれをよけたが、落ちた先には尖った岩があった。岩の先端は愛生の脇腹を容赦なくえぐり、血があふれ出して服を濡らす。気を失いそうな痛みが全身を駆け抜けたが、愛生はなんとかこらえた。
傷口はひどいことになっていて、内臓が見えていた。それでもぎくしゃくとした動きのまま、立つ。まだもう少し、やらなければならないことが残っているから。
その思いは、周囲の誰にも伝わらないと分かっていても。
「どうして怪我がすぐ治らないんですか!? 何をしてるんですか、戻ってきてください!!」
背後で龍が叫んでいる。泣き声だ。あの整った顔が歪んでいるかと思うと、愛生は心苦しかった。だが、この要求は拒否せざるを得ない。誰もが首をかしげると分かっていても、ドラゴンを欺くこの手段は、愛生にしか使えないのだから。──ちょっと最初に想定していた方法と違う形になっただけだ。
足に怪我はないが、踏み出そうとする度に体が鉛のように重く感じる。まとわりついてくる服が鬱陶しく、愛生は嫌な脂汗を流しながら自分自身と戦う羽目になっていた。
血だまりを踏んで先へ進む。意識がはっきりしているのは、あと一分か、二分か。
体勢を崩したが、剣を落とさないように抱え込む。その瞬間、愛生の足元から低い地鳴りが聞こえてきて目を瞠った。
「龍、ありがとうな」
愛生は一気に伸び上がった氷に乗って、単身空を飛んだ。氷の上でなんとか立ち上がり、剣を構える。後は愛生本人は器用なことはいらない、重力に従って落ちるだけだ。──その前に、ちょっと仕込みは必要だが。
『命を捨てたか、人間!!』
食い下がる愛生に、ドラゴンが声を荒げる。この状態になっても向かってくるのが不思議で、不気味に見えるのだろう。相手にとって悪夢のような状況になっているかと思うと、少しだけ面白く感じる。
その声が不意に終わった。氷から落ちてきた人影を認めたドラゴンが、大きく口を開けて最後の炎を放つ。大幅に威力が落ちてはいたが、それは間違いなく人影をすっぽりと飲みこんだ。
『貴様も滅べ!!』
歓喜の声をあげたドラゴンは、ふと違和感に気づいた。今焼かれた男は、何か違う。そう思わせたのは、今までの蓄積からくるものだった。おかしい。あの男はまだ生きていたのに、どうしてあんなにおとなしく焼かれたのか。
すぐにその理由は分かった。ドラゴンが見下ろしているそれは愛生ではなく──人形だった。その人形は、ぱっと塵になって空中に散る。愛生の血液でできていたから、蒸発してしまったのだ。
立腹したドラゴンは再度口を開いたが、そこから炎はわいてこなかった。それに、方向感覚も狂っていて、愛生にむざむざと首筋をさらしている。
「囮で力を使い果たしたな」
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