渡る手のひら

Z.PJ

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一首 百の歌

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 放課後。
 職員室に呼び出され、シュガースティックを咥えた担任の後ろに立つと、彼は背を向けたまま一枚の紙を渡してきた。
 渡してきたというより捨てるようだったが、僕はひらひらと落ちる紙を拾い上げ、渋々目を通すことになる。
 
 有馬高嶺単語ありまたかね――顔写真に並ぶ名前はもちろんその顔も、僕の知らないものである。
 その下には個人情報が詳しく書いてありそうだったのでそれ以上を読むことはなかったが、なんにせよ、僕は彼の意図がうまく汲み取れずにいた。

「転校生」
「はあ」

 だから何だというのだ。
 クラス替えがあったにもかかわらず二年連続同じ担任を引いてしまったおかげで、おそらく面倒ごとを任せるためだと思うけれど、僕は柄でもなくクラス委員長なんてものをやらされている。
 特にこれといって仲が良かったわけでも、尊敬していたわけでも、信頼されていたわけでもなかっただろうに――お互いにほぼ接点がなかったはずだが、担任である溝口浩太郎(みぞぐちこうたろう)は、僕を指名したのだった。

「仲良くしろなんて言うんじゃないでしょうね」
 
 お湯をポポポと紙コップに注ぎ、彼は「いんや」と否定する。
 ならばなぜわざわざ僕にこんなことを教えるのか。
 溝口は僕が思うに、変わっている人間である。ならば彼がそんなことをするというのは『溝口だから』いう理由が十分に通ってしまうほど――「うわぁ」と、僕はまた彼の奇行に声を漏らしてしまう。
 そんな思わず声を上げてしまった人の顔を見るのが堪らないと言うのが、溝口浩太郎という担任教師である。
 変人というには言葉が足りない男だ。

 シュガースティック数本分を混ぜただけのお湯を喉を鳴らして飲み込み、ゲップ混じりに息を吐いたと思えば、結局僕に渡した紙を回収して「面倒を見てやってくれ」と言った。
 
 それはつまり、仲良くしろということではないのかと、僕はため息を吐いた。
 そのまま軽く頭を下げて、職員室を後にする。
 何か文句を言ったところで、転校生が来なくなるということはないのだ。

 結局のところ、喜ばしいことだと僕は思ってしまうのである。
 変化のない生活を嫌う僕には、転校生なんていうビックなイベントは、待ち焦がれていたものだと言ってもいいだろう。
 なんせ転校生なんて、僕がどうにかして起こすことのできるイベントではないのだから。

 ただ、人の面倒を見るということについては気が重くなってしまう。
 すでに一人「コミュニケーションを取れるようにしてくれ」なんていう難題を解決したばかりだったのだから。

 溝口は生徒の問題を生徒達に解決させるなんていう立派な教師理念を掲げているらしく、そういったかなり、とてもとても面倒な事柄は僕に押し付けてくる。
 そのせいで彼女と僕の妙な噂が広まってしまったのだが、そのことについては話し出すと止まらなくなりそうなのでやめておこう。
 タイミングよくその彼女が廊下の先に見えたので、話の切りどころとしてはいい具合だ。

「沖石。おう、沖石。よう、沖石」

 僕の声に嫌々振り返る沖石志穂単語おきいししほは、いつもと同じように手を振ってそのまま去ろうとしてしまうので、軽く走って隣に並んだ。
 これだけ声をかけても離れていくような人間である。

「明日転校生が来るんだが……」
「追いかえせよ」

 彼女は着飾ったりしない。
 学生の服に着飾るも何もないのだけれど、彼女は寝癖をつけたまま平気で学校に来るし、ピアスも、バレにくいカラコンも付けないし――つまり彼女は、自然体そのままなのである。
 彼女の性格からすれば、面倒だから何もしないといったところだろうけれど、何をしても、彼女は彼女のまま変わることがないところは、尊敬できるところだった。

 と言っても、その性格のおかげで問題生徒として扱われていたのは、目も当てられないと言うべきか。

「そんな可哀想なことを言ってやるなよ沖石。いきなり知らない人だらけの場所に来るっていうのは、結構恐ろしいことだと思うぜ」
「とすれば、追い返してやることも彼女の為になる」

 なんて沖石は言うけれど、言っている声自体にトゲのようなものはない。
 分かりにくいが、彼女なりのジョークのようなものなのだろう。

「にんまりするな気持ち悪い。笑うならはっきり笑え」
「ああ、そうだったな。うしし」

 彼女ははっきりしないものを嫌うのだと僕は思っている。
 にんまりという妙に変化のある表情が一番嫌いだと以前言われたことがあったけれど、笑みは無意識にでてしまうこともあって、指摘されないと気づかないことがほとんどだった。
 だからこうして指摘されたら、僕は「うしし」とわざとらしく笑みを作る。
 作った笑顔に彼女はいい反応を見せないけれど、何も言ってこないのなら平気だと思っていいだろう。

 問題があるならはっきり言ってくれる性格は、相手にする上で変に考える必要もない気楽さのようなものがある。
 僕は女の子と話すことなんてできたものじゃないけれど、沖石を相手にすることには何の躊躇いもない。
 そんなことを本人に言えば「あまり馴れ馴れしくするな」なんて風に言われるだけで、女の子として扱っていないことに関して咎めてきたりすることはないだろう。

「それで、わざわざあたしにそんなことを話してどうするんだ。あたしが誰かと仲良くするはずないって、もう知っているだろうに」

 まあ確かにと思いはするけれど、はっきりしている彼女にも、まだ僕には理解できない部分があるのである。
 
 まるで自意識過剰なようで口に出すことは避けたいが、この学校内において、沖石志穂と多くコミュニケーションが取れるのは僕だけだ。
 しかし、全くコミュニケーションが取れない生徒はいない。
 彼女はこんな性格をしているけれど、つまり話し相手に関して言えば、何一つ困っていないのだった。

 そんなこともあって、担任教師溝口に《彼女とのコミュニケーション》を頼まれた時には困惑したのだ。
 話すことは誰にだってできるはずなのに――と、不思議に思って沖石とこれまで話したことを思い出そうとしたけれど、何も思い出すことができなかった。
 彼女は深い話を何一つしないから、どうでもいいような、何一つ記憶に残らない事しか話さないから、ただ声を聞きあっただけのようなものだったのだ。

「僕と沖石はすごく仲良いじゃないか」

 だから、僕から話しかける時は、彼女に関係のない話でも押し付ける。
 そうして、無理やり深く話せる関係になったのだった。
 結局、彼女の事を話し始めると止まらないから、やはりこれ以上はやめておこう。

「じゃあ、あたしはもう帰るけど、転校生をあたしに話しかけさせるようなことはやめろよ。全部自分でなんとかしろ。あたしは関係ないからな」

 手を振って帰っていく沖石を見送って、僕は転校生の顔写真を思い返した。
 写真だけで大人しそうなことはわかったけれど、実際に話してみるまで、人というのはわからないものだ。

 それは沖石を見ればわかる。
 彼女は見た目と口調があっていない。
 いい加減なところは寝癖を見ればわかるけれど、しかし制服はしっかりと規則に従っていて、顔はちょっぴり丸く、高校生というには少し幼すぎる顔立ちだ。
 まあ、少なくとも、転校生が沖石のような少女である可能性はないだろう。
 ただ気になるのは、あの顔写真の表情はなんというか、どう言えばいいのか分からないのだけれど――。
 消えそうだな、と僕は思ったのだ。
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