2 / 4
一首 百の歌
ろ
しおりを挟む
■■
次の日。
案の定といったところか。
転校生、有馬高嶺は、ぼそぼそと名前を言って窓際のあらかじめ僕が用意した席についたあと、ぶつけられる好奇心に何一つ答える事なく、傷だらけの使い古された机を見下ろしていた。
一度も笑う事なく――はっきりしているとなると、沖石のことを思い浮かべてしまうけれど、いくらはっきりしているものでないと嫌だとしても、有馬の掴み所のない暗さは許容外と見える。
昨日あんなことを言っていたとはいえ誰とでも話す彼女は、僕の見ていないところで話しかけるだろうと思っていたけれど、有馬のことを全く見ないということは、きっとそういうことなのだ。
朝礼を終えて教室から出て行く溝口は、ちらりと僕を見ていったところを考えると「あとはお前の仕事」と言っているのだろう。
集まっていた好奇心は行き場を失い散り散りになってしまい、そのおかげが、有馬は丸まっていた背を少しだけ起こした様子である。視線は机を見たままだが、解放されてホッとしているのかもしれない。
と、僕は有馬高嶺の表情を盗み見た。
しっかり手入れされていることがわかる艶のある長髪が、肩を撫でて机に降りる。
きっちりと並べた指は、腿の上でおとなしく座っている。
窓からくる春の日差しが、汚れのない爪を白く光らせていて――僕は彼女ことを、大人だと思ったのだった。
僕は、一度は目をそらした有馬高嶺の顔を、もう一度盗み見る。
「――」
顔写真を見て、消えそうだなんて僕は思っていたけれど、そんなことをもう一度思うことはなかった。
もう消えているのだ。
表情というよりも、感情そのものが欠落したかのようにも見える。
だから僕は、話しかけなければいけない義務を忘れて、一度は持ち上げた腰を、また元の場所に落ち着かせたのだった。
どう話しかければいいのか。
いや、そう話しかけたとしても、彼女のあの表情は、決して変わらないだろう。
笑顔で話しかけたとしても、僕のぎこちない笑顔が、吸い込まれるように失われてしまうに違いない。
どうしたものかと動けないまま観察していると、有馬はブレザーの胸ポケットから何かを取り出した。
眼鏡をかけていないとはいえ、僕の視力は並でしかなく、教室内でほぼ正反対の位置にある僕の席からでは、それが何なのかわからない。
手紙にしては妙な形で、縦長である。
大きさで言えば、ポイントカードのような、そのくらいの大きさだろうか。
表面には何か書いてあるようで、裏面は濃い緑色。それ以上は分かりそうにない。
有馬は目を閉じて一呼吸置いた後、カードを元の場所に仕舞った。
「……」
表情に僅かだが、動きがあったように思えた。
勘違いしているだけかもしれない。
感情を表に出すということが苦手だというだけで、話してみれば存外心温かな女子生徒かもしれないではないか。
気のせいではなかったらしい。
有馬が目を開くと、表情に色が付いていた。
それは黒一色にほんのちょっぴりの赤色が混じったような――よく見ても違いなんてわからないはずなのに、僕には彼女が笑ったように見えて仕方がなかったのだ。
僕は意を決して立ち上がり、有馬の側に立った。
きっと彼女は恐ろしかっただけなのだ。
引っ越しなのか、急な転校をさせられて、知らない人ばかりに囲まれて――。
きっと今見ていたものはお守りなのだ。それで気持ちが落ち着いたのだ。
「僕は蝶谷渡(ちょうやわたる)。クラス委員長をしているんだ」
有馬は机横に掛けた鞄に手を伸ばし、ゴソゴソと何かを探しているようである。
しかし僕の声を無視できなかったようで、そっと顔をあげた。
「……」
何も言おうとはしないが、何も言う必要はないだろう。
初日なのだから、声を聞いてもらうだけでも、きっと十分なのだ。
鞄から目的のものを見つけたようで、有馬は姿勢を戻す。
それが一瞬何なのかがわからず思考が停止してしまい――ああ、何かと思えば、それはハサミだ。
持ち手が水色の刃先が丸いハサミだ。
学生なら持っていてもおかしくないものだが、机の上に置かれてもなお、異質さは失われなかった。
ほんの少し開いた刃先を見ていると、言いようの無い寒気に襲われる。
「有馬――」
言葉を失った。
彼女が急に髪を後ろにまとめ始めたからだ。
彼女は何をしようとしているのだろう。
髪ゴムを手に持っていれば、束ねるだけだ。
でも彼女が机に置いているのは、ハサミだけだ。
まとまった髪を片手で押さえて、有馬はついに、ハサミに手を伸ばした。
「有馬!」
拒絶だったのだ。
ばさりと床に落ちた髪束を追って、落ちそびれた髪がふわりと遅れて着地する。
彼女は何も言わない。
けれど、その行為のメッセージ性はあまりに強烈だった。
話しかけないでほしいなんて言われた方が、きっとマシだっただろう。
でも、彼女にとってみればそのたった一言の言葉も、苦痛だったのかもしれない。
女の子にとって髪は命なんていうけれど、それは結局のところ個人の価値観によるだろう。
有馬高嶺にとって、話しかけられるくらいならばっさりと切ってしまってもいい程度のものだったのだから。
ああ、この場合、話しかけられるということが、命と同等の髪の毛と同じ重さだったのかもしれないが。
なんにせよ、彼女のその行為のおかげで、僕はもう話しかけにくくなってしまったのだ――もう一度話しかけるなんて簡単なのかもしれないが、そうやって気楽に話しかけてしまい、すでに短くなってしまった髪がまた短くなってしまい、やがて髪を切る限界を迎えてしまったら、有馬高嶺が何をしてしまうか想像もつかない。
教室には悲鳴が反響していた。
そしてやはり、ここまで担任教師溝口が想定していたとは思えないが、彼女はひっそりと――いや、ばっさりと、孤立したのだ。
次の日。
案の定といったところか。
転校生、有馬高嶺は、ぼそぼそと名前を言って窓際のあらかじめ僕が用意した席についたあと、ぶつけられる好奇心に何一つ答える事なく、傷だらけの使い古された机を見下ろしていた。
一度も笑う事なく――はっきりしているとなると、沖石のことを思い浮かべてしまうけれど、いくらはっきりしているものでないと嫌だとしても、有馬の掴み所のない暗さは許容外と見える。
昨日あんなことを言っていたとはいえ誰とでも話す彼女は、僕の見ていないところで話しかけるだろうと思っていたけれど、有馬のことを全く見ないということは、きっとそういうことなのだ。
朝礼を終えて教室から出て行く溝口は、ちらりと僕を見ていったところを考えると「あとはお前の仕事」と言っているのだろう。
集まっていた好奇心は行き場を失い散り散りになってしまい、そのおかげが、有馬は丸まっていた背を少しだけ起こした様子である。視線は机を見たままだが、解放されてホッとしているのかもしれない。
と、僕は有馬高嶺の表情を盗み見た。
しっかり手入れされていることがわかる艶のある長髪が、肩を撫でて机に降りる。
きっちりと並べた指は、腿の上でおとなしく座っている。
窓からくる春の日差しが、汚れのない爪を白く光らせていて――僕は彼女ことを、大人だと思ったのだった。
僕は、一度は目をそらした有馬高嶺の顔を、もう一度盗み見る。
「――」
顔写真を見て、消えそうだなんて僕は思っていたけれど、そんなことをもう一度思うことはなかった。
もう消えているのだ。
表情というよりも、感情そのものが欠落したかのようにも見える。
だから僕は、話しかけなければいけない義務を忘れて、一度は持ち上げた腰を、また元の場所に落ち着かせたのだった。
どう話しかければいいのか。
いや、そう話しかけたとしても、彼女のあの表情は、決して変わらないだろう。
笑顔で話しかけたとしても、僕のぎこちない笑顔が、吸い込まれるように失われてしまうに違いない。
どうしたものかと動けないまま観察していると、有馬はブレザーの胸ポケットから何かを取り出した。
眼鏡をかけていないとはいえ、僕の視力は並でしかなく、教室内でほぼ正反対の位置にある僕の席からでは、それが何なのかわからない。
手紙にしては妙な形で、縦長である。
大きさで言えば、ポイントカードのような、そのくらいの大きさだろうか。
表面には何か書いてあるようで、裏面は濃い緑色。それ以上は分かりそうにない。
有馬は目を閉じて一呼吸置いた後、カードを元の場所に仕舞った。
「……」
表情に僅かだが、動きがあったように思えた。
勘違いしているだけかもしれない。
感情を表に出すということが苦手だというだけで、話してみれば存外心温かな女子生徒かもしれないではないか。
気のせいではなかったらしい。
有馬が目を開くと、表情に色が付いていた。
それは黒一色にほんのちょっぴりの赤色が混じったような――よく見ても違いなんてわからないはずなのに、僕には彼女が笑ったように見えて仕方がなかったのだ。
僕は意を決して立ち上がり、有馬の側に立った。
きっと彼女は恐ろしかっただけなのだ。
引っ越しなのか、急な転校をさせられて、知らない人ばかりに囲まれて――。
きっと今見ていたものはお守りなのだ。それで気持ちが落ち着いたのだ。
「僕は蝶谷渡(ちょうやわたる)。クラス委員長をしているんだ」
有馬は机横に掛けた鞄に手を伸ばし、ゴソゴソと何かを探しているようである。
しかし僕の声を無視できなかったようで、そっと顔をあげた。
「……」
何も言おうとはしないが、何も言う必要はないだろう。
初日なのだから、声を聞いてもらうだけでも、きっと十分なのだ。
鞄から目的のものを見つけたようで、有馬は姿勢を戻す。
それが一瞬何なのかがわからず思考が停止してしまい――ああ、何かと思えば、それはハサミだ。
持ち手が水色の刃先が丸いハサミだ。
学生なら持っていてもおかしくないものだが、机の上に置かれてもなお、異質さは失われなかった。
ほんの少し開いた刃先を見ていると、言いようの無い寒気に襲われる。
「有馬――」
言葉を失った。
彼女が急に髪を後ろにまとめ始めたからだ。
彼女は何をしようとしているのだろう。
髪ゴムを手に持っていれば、束ねるだけだ。
でも彼女が机に置いているのは、ハサミだけだ。
まとまった髪を片手で押さえて、有馬はついに、ハサミに手を伸ばした。
「有馬!」
拒絶だったのだ。
ばさりと床に落ちた髪束を追って、落ちそびれた髪がふわりと遅れて着地する。
彼女は何も言わない。
けれど、その行為のメッセージ性はあまりに強烈だった。
話しかけないでほしいなんて言われた方が、きっとマシだっただろう。
でも、彼女にとってみればそのたった一言の言葉も、苦痛だったのかもしれない。
女の子にとって髪は命なんていうけれど、それは結局のところ個人の価値観によるだろう。
有馬高嶺にとって、話しかけられるくらいならばっさりと切ってしまってもいい程度のものだったのだから。
ああ、この場合、話しかけられるということが、命と同等の髪の毛と同じ重さだったのかもしれないが。
なんにせよ、彼女のその行為のおかげで、僕はもう話しかけにくくなってしまったのだ――もう一度話しかけるなんて簡単なのかもしれないが、そうやって気楽に話しかけてしまい、すでに短くなってしまった髪がまた短くなってしまい、やがて髪を切る限界を迎えてしまったら、有馬高嶺が何をしてしまうか想像もつかない。
教室には悲鳴が反響していた。
そしてやはり、ここまで担任教師溝口が想定していたとは思えないが、彼女はひっそりと――いや、ばっさりと、孤立したのだ。
0
あなたにおすすめの小説
黒に染まった華を摘む
馬場 蓮実
青春
夏の終わりに転校してきたのは、忘れられない初恋の相手だった——。
高須明希は、人生で“二番目”に好きになった相手——河西栞に密かに想いを寄せている。
「夏休み明けの初日。この席替えで、彼女との距離を縮めたい。話すきっかけがほしい——」
そんな願いを胸に登校したその朝、クラスに一人の転校生がやってくる。
彼女の名は、立石麻美。
昔の面影を残しながらも、まるで別人のような気配をまとう彼女は——明希にとって、忘れられない“初恋の人”だった。
この再会が、静かだった日常に波紋を広げていく。
その日の放課後。
明希は、"性の衝動"に溺れる自身の姿を、麻美に見られてしまう——。
塞がっていた何かが、ゆっくりと崩れはじめる。
そして鬱屈した青春は、想像もしていなかった熱と痛みを帯びて動き出す。
すべてに触れたとき、
明希は何を守り、何を選ぶのか。
光と影が交錯する、“遅れてきた”ひと夏の物語。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
フラレたばかりのダメヒロインを応援したら修羅場が発生してしまった件
遊馬友仁
青春
校内ぼっちの立花宗重は、クラス委員の上坂部葉月が幼馴染にフラれる場面を目撃してしまう。さらに、葉月の恋敵である転校生・名和リッカの思惑を知った宗重は、葉月に想いを諦めるな、と助言し、叔母のワカ姉やクラスメートの大島睦月たちの協力を得ながら、葉月と幼馴染との仲を取りもつべく行動しはじめる。
一方、宗重と葉月の行動に気付いたリッカは、「私から彼を奪えるもの奪ってみれば?」と、挑発してきた!
宗重の前では、態度を豹変させる転校生の真意は、はたして―――!?
※本作は、2024年に投稿した『負けヒロインに花束を』を大幅にリニューアルした作品です。
俺は陰キャだったはずなのに……なぜか学園内でモテ期が到来した件
こうたろ
青春
友人も恋人も居ないボッチ学生だった山田拓海が何故かモテだしてしまう。
・学園一の美人で、男女問わず憧れの的。
・陸上部のエースで、明るく活発なスポーツ女子。
・物静かで儚げな美術部員。
・アメリカから来た金髪碧眼でハイテンションな留学生。
・幼稚園から中学まで毎朝一緒に登校していた幼馴染。
拓海の生活はどうなるのか!?
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる