渡る手のひら

Z.PJ

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一首 百の歌

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■■■■

 と、彼女が転校してきて一週間が経ったけれど、状況は想像より悪くなかった。
 というのも、噂はほとんど消えていたし、彼女が来る前の状態に戻ったという段階である。

 転校生というイベントは、どうやら僕だけでなくほとんどのクラスメートに影響があって、皆の足が浮き上がっているような状態だったのだ。
 初日にあった事件のおかげで、彼女の本性を掴みきれていないことも、その興奮状態の原因のひとつだっただろう。

 いきなり教室で髪を切るなんて――。

 女子生徒からすれば、恐怖の対象にもなっていたようだけれど、次の日には整っている髪型を見て納得してしまったらしい。
 誰かが言った「かわいくて、似合っている」という言葉のおかげで、彼女にあった負のイメージは完全に消え去っていたのだ。

 けれど、だからといって、話しかけるようなクラスメートはいなかったが。

 このままであったとして、外部から見ればいじめ現場とも見られる光景は、有馬高嶺にとっては苦でないように思えるけれど、僕には可哀想なんていう感情とは関係なしに、彼女をなんとかしなくてはならない義務感のようなものがある。

 担任溝口浩太郎に、恩を売る必要がある。
 将来のため――いわゆる、内申点のためというやつだ。
 いい学校へ進学するためには、大きな踏み台があるに越したことはない。
 自分を大きく見せるためには、勉学とは違ったアプローチも必要なのである。

 まあ、僕にとってそれが、本当に必要なのかは別の話だが。

 ともかく、有馬高嶺の現状は、どうにかしなくてはならないことは確かである。
 もう数ヶ月すれば、学生生活の中でも特に大きなイベント、修学旅行があるので、いざそのときになって孤立している生徒がいるとなると、苦しい展開になってしまうことは目に見えている。
 ではなくとも、日々の授業で、数人でのグループに分かれるなんてことはよくあることである。
 この頃は気を使って、あらかじめグループを分ける教師も増えてきたけれど、結局そのグループの中で孤立してしまえば、グループの意味がない。
 少なくとも一人、欲を言えば二人、有馬と話せる人物を探さなくてはならないだろう。

「一人は確保できているから、他はもういいだろ」
「本当か!?」

 沖石の言葉に反応し顔を上げた。
 まさか沖石が、その一人になってくれるのかと期待したけれど、ピッと指を立てたと思うと「ここに一人」と僕の胸をつついた。

 まあそうなるか、と肩を落とす。
 それでは何の解決にもなっていないのだ。
 僕は人数には数えられない。
 クラス委員長という立場上、クラスメート全員とのコミュニケーションは必須であるから――。

「ほら、答え出たじゃねえか」
「待て待て、それは早計ってやつだぜ沖石。ただコミュニケーションをとる必要がある関係と友人関係の差はかなり大きいんだぞ。沖石だって、僕と他とはまるで態度が違うじゃないか。信頼し合っている感というものが、僕たちの間では滲み出ているんだぜ」
「ナチュラルにあたしとお前の関係を偽造するな。ただの話し相手だろうが」

 何を言われようとも、僕は沖石のことは誰よりも信頼しているのだが、片思いの辛さってやつなのだろう、きっと。

「ところで沖石、どうして有馬を避けるんだ?」

 沖石は窓際の席から動くことがない有馬の姿を一瞥し沈黙する。
 僕は沖石の瞳の動きを見逃さなかった。
 困惑しているようにも見える、揺れるような視線の動きは、初めて彼女を見かけたころの弱々しさを思い出させた。

「お前らしくない。だって沖石は、誰とだって話をして、仲良くしているんじゃないのか」
「蝶谷には、そう見えるのか」

 らしくもない声色で、沖石は答えた。

「だとしたら、蝶谷は誤解している。あたしはお前が思っているような人間じゃない。あたしはただ、自分が生きやすいようにしているだけさ」
「……そうか」

 生き方は人それぞれだ。
 僕が変化を求めているのと同じように、彼女も彼女なりに、考えていること、思っていることがあるのだろう。

「つまり、僕と話すことが生きやすいってことなんだな」
「……にんまりするな」
「うしし」

 否定しないのは、彼女がやっぱり、はっきりしているからだろうなと考えてしまい、緩む口元を自覚し「うしし」とまた笑ったが、まだにんまりしていたようで、頬をつねられてしまった。
 
 このにんまりが偽物だと気づいていないのなら、それでいいだろう。

 生きやすいために誰とでも話しているというのなら、なぜ彼女は、有馬とだけは話さないのだろうか。
 彼女が言っていることをそのまま受け取れば、彼女と話すということが、生きにくいということになるではないか。
 その特別性は、誰とでも話す話し相手のうち、より多く話しをするだけの僕よりも上のように思えてしまう。
 嫉妬するわけではないが、意識してしまうことは確かだ。

 あとは、それほど嫌がっているにも関わらず、有馬の話題に乗ってくることだけは妙なズレを感じてしまうが、まずは沖石よりも有馬のことから済ませなければならない。

 席を立った僕は、誰も近寄らない短髪の転校少女、有馬高嶺に声をかけることにした。

 今日もばっちり寝癖を決めてきた沖石とは違い、有馬の髪型は跳ねどころか僅かな歪みもないように見えた。
 ばっさり切ったあと、美容院かどこかで整えてきたのだろう。
 にしても、一週間経っても僅かな歪みもないというのは、恐るべき努力である。
 朝どれだけ時間をかけて用意をしているのだろうか。

 振り返ると、机に肘をつき、僕の視線に気付いて目をそらした沖石がいた。
 沖石の寝癖は、睡眠時間分だけかかっている超大作であるが、当たり前だがそれは無意識にできるものである。
 その外見は意図して作られたものではない。

 改めて有馬の姿を見ると、まるで沖石とは正反対とも取れる容姿だった。
 制服が同じなのは当たり前として、他に似ているところは――髪が短いくらいだろうか。
 それでも沖石の髪型は男でもできるようなさっぱりとしたものだし、比べて有馬は、よくみるショートヘアより少し長いから、ミディアムとでもいうのだろうか。
 よくわからないから、Mサイズの髪型ということにしておこう。とすると、沖石の髪型はメンズのLサイズだ。

「有馬ちゃん」

 と言い、ああ、なんか違うなと思ったので「有馬さん」と言い直したけれど、彼女はやっぱりというか、反応しなかった。
 小説本を開いて、完全に外の世界とは線を切っているようである。
 ここで「ねえなんでこの間髪切ったの」なんて言ったら、きっと彼女は反応してくれるだろうけれど、いい関係にはなれないだろうからそれはしてはいけない。

「有馬、ちょっとだけ、僕と話をしてみないか」

 ああこれだなと、結局呼び捨てをしているが、意外にも有馬はこの一言で反応し、小説本から僕の顎あたりに目を向けたのだった。
 顎なのか首なのかの曖昧な場所を見つめられているおかげで、首を絞められるような息苦しさを感じつつ、さらなるコミュニケーションを試みる。

「ああ、忘れているかもしれないから、もう一度自己紹介をしたほうがいいかもしれないな。僕は蝶谷渡だ」
「……そう、ですか」

 有馬、そこは僕の顎であって、僕を顎として覚えられたら困る。
 と言ってやりたいけれど、いまはとりあえず、返事をしてくれただけで喜ぶべきことなのだ。

「……」

 やっと視線が動いたと思えば、今度は僕の視線を通り過ぎて、すぐに止まった。
 人の目をみることが苦手だという人が、よく眉間を見るなんていうけれど、彼女の場合、それにしては上を見上げすぎである。
 頭まではいっていないことを思えば、見ているのは額だろう。

 有馬、そこは僕の額であって、顎と額の人として覚えられると困る。
 と言ってやりたいけれど、いまはとりあえず、興味を示してくれているのなら喜ぶべきなのだ。

「初めまして」
「あ、うん」

 ん?

「クラス委員長をしているから、何か困ったことがあったら、僕にできる範囲で手伝うぜ。といっても、僕は見ての通り男だから話しかけにくいかもしれないけれど、その時は僕のことを女だと思ってくれて構わないから」
「そう。あなたは女の子なのね」

 それは違うぞ有馬。

「まあ、その、もういいよそれで。まあ、気楽に話しかけてくれ。だから代わりに、僕からも気楽に話しかけさせてくれないか」
「ええ、拒否は、しません」

 それで会話は終わりだと、彼女は小説本に視線を戻した。
 なんだ、話してみれば普通の女の子じゃないか。

 席に戻ってみると、ずっと僕たちの会話を見ていた沖石は、嫌な笑みを浮かべていた。

「……なあ沖石」
「なに」
「まさかとは思うけど、これまで僕の噂を広めていたのって、お前じゃないよな」

 満面の笑顔で、沖石は頷いた。
 その笑顔はどちらの意味にも取れるから、沖石の好きなはっきりとしたものではないように思えたが、思わずそうなってしまっているのなら、なんだかより打ち解けたようで嬉しかったりもする。

 席を立った沖石は、テキストを抱えて先に教室を出て行った。
 次の授業が特別教室で行われるのである。

 クラス委員長である僕は、最後に教室を出なくてはならない決まりがある。
 生徒の鞄が置いたまま離れることになるため、防犯の都合上、鍵を閉めなくてはならないのだ。
 もう数分で鈴が鳴るところで、有馬が一人でのんびりと教室を出て行くのを見送った。

 最後に出て行ったクラスメートの後で、机の上にテキストがないかを確認する。
 もしあれば、トイレにでも行った生徒が戻ってくるという可能性と、忘れ物という二つの可能性があるから、それを回収する必要があるのだ。
 慣れた視線移動で机の上には何も置かれていないことを確認した僕は、なんとなく、最後にもう一度有馬の席を見返した。

「……ん?」

 何かが光を反射している。

 猶予はなかったが、ここはクラス委員長の特権、授業開始後五分までの遅刻は許されるという権利を施行させてもらうとしよう。
 最後に教室を出る以上、遅刻をしてしまうことは仕方がないのだ。
 だから僕は、鈴の鳴る教室の中を横切って、有馬の席にあったものを拾い上げた。

「ひとしれすこそおもひそめしか――」

 裏返すと、緑の面――これは、有馬が以前大事そうに見ていたものだ。
 いったい何なんだろう。
 僕はスマートフォンを手に取った。
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