36 / 50
第3章 追放と孤立
36. 返ってこないツッコミ
しおりを挟む
焚き火を起こしたわけでもないのに、夜はしっかりと冷え込んでいた。
俺は小枝を踏まないように気をつけながら、静かな林の中に腰を下ろしていた。地面は硬く、背中に当たる木の感触も決して心地いいとは言えない。それでも、昨日よりは少しだけ眠れそうな気がしていた。
理由は分からない。ただ、胸の奥が妙に疲れていた。
(……今日は、考えすぎたな)
自嘲気味に思う。ブラック企業時代の記憶を掘り返し、自分で自分を殴るような真似をしたのだ。そりゃ疲れる。
外套の前をきゅっと掴み、体を丸める。その拍子に、無意識のうちに口が動いた。
「……今のは、さすがに言い過ぎだろ」
ぽつりと、独り言。
いつもなら、その直後に声が飛んでくる。
『いやいや、そこじゃないだろ!』
『なんでそこで説教始めるんだよ!』
少し高めで、歯切れのいい声。
──リディアだ。
もちろん、返事はない。
俺はそのことに、一拍遅れて気づいた。
「……あ」
言葉が宙に浮いたまま、静寂に溶けていく。風が葉を揺らす音だけが、やけに大きく聞こえた。
胸の奥が、きゅっと縮まる。
(そうだ。もう、いないんだ)
分かっていたはずなのに、改めて突きつけられると、思った以上に効いた。
勇者一行と行動していた頃、俺の言動に真っ先に反応していたのはリディアだった。ミラは怒り、ガレスは怒鳴り、カインは黙って眉をひそめる。
でもリディアだけは、違った。
『正しいかもしれないけどさ、それ今言う必要ある?』
そう言って、俺の言葉を一度止めてくれた。
『相手、今いっぱいいっぱいだぞ』
俺が見落としていたものを、当たり前のように拾い上げてくれた。
(……助けられてたんだな、俺)
今さらそんなことに気づく自分が、ひどく情けない。
小さく息を吐き、空を見上げる。星はよく見える。昨日と同じ夜空なのに、今日はやけに遠く感じた。
「……お辞儀の角度は三十度が適切で……」
試しに、声に出して言ってみる。
しん、とした空気。
何も起きない。
「……スープは音を立てずに……」
やっぱり、何も返ってこない。
胸の奥が、じわじわと冷えていく。
リディアがいた頃なら、ここで即座に突っ込まれていたはずだ。
『だからそれ今じゃないって言ってんだろ!!』
その一言で、俺は我に返っていた。言い過ぎたと気づけた。空気のズレを修正できた。
だが今は、そのブレーキがない。
(……俺、歯止め役を全部リディアに任せてたのか)
自分で自分を止める術を、持っていなかった。
そう思った瞬間、背筋に冷たいものが走る。
リディアがいなければ、俺はただの“空気を壊すやつ”だったのだ。
「……そりゃ、嫌われるよな」
苦笑が漏れる。笑っている場合じゃないのに、笑うしかなかった。
焚き火もない暗がりで、俺は一人、自分の言葉を反芻する。
正しさ。
マナー。
礼儀。
それらは、本来、人と人の間を滑らかにするためのものだったはずだ。なのに俺は、それを武器みたいに振り回していた。
『突っ込んでくれる人がいる前提でやるなよ』
もし今、リディアがここにいたら、きっとそう言うだろう。
そして俺は、きっと何も言い返せない。
喉の奥が、きゅっと詰まる。
「……リディア」
名前を呼ぶと、胸の奥がじんと痛んだ。
返事はない。それでも、呼ばずにはいられなかった。
(いなくなってから分かるなんて、遅すぎだろ……)
目を閉じると、リディアの姿が浮かぶ。腕を組んで呆れた顔をしているかと思えば、戦場では真剣な目で前を見据えていた。
あの背中に、俺はどれだけ甘えていたのか。
小さく息を吸い込み、ゆっくり吐く。
「……自分で、止まらないとな」
誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。
突っ込んでくれる人はいない。代わりに、自分で考え、自分で踏みとどまるしかない。
それができなければ、また同じことを繰り返すだけだ。
夜風が吹き抜け、木々がざわめく。その音が、まるで返事の代わりみたいに耳に届いた。
俺は外套を握り直し、目を閉じた。
孤独は、はっきりとそこにあった。
そして同時に、リディアという存在が、どれほど大きな“支え”だったのかを、嫌というほど思い知らされる夜だった。
俺は小枝を踏まないように気をつけながら、静かな林の中に腰を下ろしていた。地面は硬く、背中に当たる木の感触も決して心地いいとは言えない。それでも、昨日よりは少しだけ眠れそうな気がしていた。
理由は分からない。ただ、胸の奥が妙に疲れていた。
(……今日は、考えすぎたな)
自嘲気味に思う。ブラック企業時代の記憶を掘り返し、自分で自分を殴るような真似をしたのだ。そりゃ疲れる。
外套の前をきゅっと掴み、体を丸める。その拍子に、無意識のうちに口が動いた。
「……今のは、さすがに言い過ぎだろ」
ぽつりと、独り言。
いつもなら、その直後に声が飛んでくる。
『いやいや、そこじゃないだろ!』
『なんでそこで説教始めるんだよ!』
少し高めで、歯切れのいい声。
──リディアだ。
もちろん、返事はない。
俺はそのことに、一拍遅れて気づいた。
「……あ」
言葉が宙に浮いたまま、静寂に溶けていく。風が葉を揺らす音だけが、やけに大きく聞こえた。
胸の奥が、きゅっと縮まる。
(そうだ。もう、いないんだ)
分かっていたはずなのに、改めて突きつけられると、思った以上に効いた。
勇者一行と行動していた頃、俺の言動に真っ先に反応していたのはリディアだった。ミラは怒り、ガレスは怒鳴り、カインは黙って眉をひそめる。
でもリディアだけは、違った。
『正しいかもしれないけどさ、それ今言う必要ある?』
そう言って、俺の言葉を一度止めてくれた。
『相手、今いっぱいいっぱいだぞ』
俺が見落としていたものを、当たり前のように拾い上げてくれた。
(……助けられてたんだな、俺)
今さらそんなことに気づく自分が、ひどく情けない。
小さく息を吐き、空を見上げる。星はよく見える。昨日と同じ夜空なのに、今日はやけに遠く感じた。
「……お辞儀の角度は三十度が適切で……」
試しに、声に出して言ってみる。
しん、とした空気。
何も起きない。
「……スープは音を立てずに……」
やっぱり、何も返ってこない。
胸の奥が、じわじわと冷えていく。
リディアがいた頃なら、ここで即座に突っ込まれていたはずだ。
『だからそれ今じゃないって言ってんだろ!!』
その一言で、俺は我に返っていた。言い過ぎたと気づけた。空気のズレを修正できた。
だが今は、そのブレーキがない。
(……俺、歯止め役を全部リディアに任せてたのか)
自分で自分を止める術を、持っていなかった。
そう思った瞬間、背筋に冷たいものが走る。
リディアがいなければ、俺はただの“空気を壊すやつ”だったのだ。
「……そりゃ、嫌われるよな」
苦笑が漏れる。笑っている場合じゃないのに、笑うしかなかった。
焚き火もない暗がりで、俺は一人、自分の言葉を反芻する。
正しさ。
マナー。
礼儀。
それらは、本来、人と人の間を滑らかにするためのものだったはずだ。なのに俺は、それを武器みたいに振り回していた。
『突っ込んでくれる人がいる前提でやるなよ』
もし今、リディアがここにいたら、きっとそう言うだろう。
そして俺は、きっと何も言い返せない。
喉の奥が、きゅっと詰まる。
「……リディア」
名前を呼ぶと、胸の奥がじんと痛んだ。
返事はない。それでも、呼ばずにはいられなかった。
(いなくなってから分かるなんて、遅すぎだろ……)
目を閉じると、リディアの姿が浮かぶ。腕を組んで呆れた顔をしているかと思えば、戦場では真剣な目で前を見据えていた。
あの背中に、俺はどれだけ甘えていたのか。
小さく息を吸い込み、ゆっくり吐く。
「……自分で、止まらないとな」
誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。
突っ込んでくれる人はいない。代わりに、自分で考え、自分で踏みとどまるしかない。
それができなければ、また同じことを繰り返すだけだ。
夜風が吹き抜け、木々がざわめく。その音が、まるで返事の代わりみたいに耳に届いた。
俺は外套を握り直し、目を閉じた。
孤独は、はっきりとそこにあった。
そして同時に、リディアという存在が、どれほど大きな“支え”だったのかを、嫌というほど思い知らされる夜だった。
0
あなたにおすすめの小説
極限効率の掃除屋 ――レベル15、物理だけで理を解体する――
銀雪 華音
ファンタジー
「レベル15か? ゴミだな」
世界は男を笑い、男は世界を「解体」した。
魔力も才能も持たず、万年レベル15で停滞する掃除屋、トワ。
彼が十年の歳月を費やして辿り着いたのは、魔法という神秘を物理現象へと引きずり下ろす、狂気的なまでの**『極限効率』**だった。
一万回の反復が生み出す、予備動作ゼロの打撃。
構造の隙間を分子レベルで突く、不可視の解体。
彼にとって、レベル100超えの魔物も、神の加護を受けた聖騎士も、ただの「非効率な肉の塊」に過ぎない。
「レベルは恩恵じゃない……。人類を飼い慣らすための『制限(リミッター)』だ」
暴かれる世界の嘘。動き出すシステムの簒奪者。
管理者が定めた数値(レベル)という鎖を、たった一振りのナイフで叩き切る。
これは、最弱の掃除屋が「論理」という名の剣で、世界の理(バグ)を修正する物語。気になる方は読んでみてください。
※アルファポリスで先行で公開されます。
【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~
シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。
木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。
しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。
そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。
【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
異世界転生目立ちたく無いから冒険者を目指します
桂崇
ファンタジー
小さな町で酒場の手伝いをする母親と2人で住む少年イールスに転生覚醒する、チートする方法も無く、母親の死により、実の父親の家に引き取られる。イールスは、冒険者になろうと目指すが、周囲はその才能を惜しんでいる
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
出来損ない貴族の三男は、謎スキル【サブスク】で世界最強へと成り上がる〜今日も僕は、無能を演じながら能力を徴収する〜
シマセイ
ファンタジー
実力至上主義の貴族家に転生したものの、何の才能も持たない三男のルキウスは、「出来損ない」として優秀な兄たちから虐げられる日々を送っていた。
起死回生を願った五歳の「スキルの儀」で彼が授かったのは、【サブスクリプション】という誰も聞いたことのない謎のスキル。
その結果、彼の立場はさらに悪化。完全な「クズ」の烙印を押され、家族から存在しない者として扱われるようになってしまう。
絶望の淵で彼に寄り添うのは、心優しき専属メイドただ一人。
役立たずと蔑まれたこの謎のスキルが、やがて少年の運命を、そして世界を静かに揺るがしていくことを、まだ誰も知らない。
平凡なサラリーマンが異世界に行ったら魔術師になりました~科学者に投資したら異世界への扉が開発されたので、スローライフを満喫しようと思います~
金色のクレヨン@釣りするWeb作家
ファンタジー
夏井カナタはどこにでもいるような平凡なサラリーマン。
そんな彼が資金援助した研究者が異世界に通じる装置=扉の開発に成功して、援助の見返りとして異世界に行けることになった。
カナタは準備のために会社を辞めて、異世界の言語を学んだりして準備を進める。
やがて、扉を通過して異世界に着いたカナタは魔術学校に興味をもって入学する。
魔術の適性があったカナタはエルフに弟子入りして、魔術師として成長を遂げる。
これは文化も風習も違う異世界で戦ったり、旅をしたりする男の物語。
エルフやドワーフが出てきたり、国同士の争いやモンスターとの戦いがあったりします。
第二章からシリアスな展開、やや残酷な描写が増えていきます。
旅と冒険、バトル、成長などの要素がメインです。
ノベルピア、カクヨム、小説家になろうにも掲載
スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる