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第二章
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その冊子のことを知らせてきたのは、倉持芳明(くらもち・よしあき)くんだった。
「やあ優実ちゃん。元気? 今日もかわいい? 声聞きたくて電話したよ!」
という感じで、彼はたまに電話をかけてくる。それは彼の挨拶みたいなもので、その直後には本の出版に関する真面目な打ち合わせが始まるのだが、その日は打ち合わせの会話の途中で、思い出話になった。
「そういえば高校の時、卒業間際に高柳からもらった冊子があったんだけど、優実ちゃん覚えてる? 『21th Century Flight』っていうタイトルの」
と、彼はふと思い出した様子で話し始めた。
私はそのタイトルを聞いて息を呑んだ。私の人生を大きく変えた冊子だったからだ。
倉持くんは、私と、私の夫である高柳錦司とともに文藝部に所属していた。つまり高校時代の同級生だ。当時、部活では私と錦司が常に読書や創作に没頭していたのに対し、彼はいつも部室に「遊びに来ている」というスタンスで漫画を読むことをメインにしており、迷惑に感じることもあったが不思議と安定した関係だった。
「俺? 優実ちゃんのファンだからここにいるんだって。一緒に帰りたいときはいつも言ってくれよ!」
彼は、いつも発言を繰り返して私をうんざりさせていた。また倉持くんは当時の学校内でも屈指の美少年で、トレードマークは茶色がかったふわふわしたヘアスタイルと黒ぶちメガネ。背も高くて女子から大モテだったのだが、不思議と浮いた話はなく、それでいて文藝部などに入り浸っているものだから、私は多くの女子の嫉妬と反感を一身に受けていたものだった。
「俺は優実ちゃんのファンだからさ。君が作家になったら絶対に俺が編集者になって本を出す」
と、かるい口調で常に豪語していた彼は、大学卒業後に、本当に小さな出版社を立ち上げてしまった。私と錦司と彼の縁が未だに続いているのはそのためである。
彼の言葉に、私は平静を装って答えた。
「なんとなく覚えてるわ。彼が文藝部に入ったばかりの頃に書いた、処女作よね」
「そうそう」彼は電話口で、いつものかるい調子の相槌を打つ。「俺も一度読んだだけだったんだけど、部活を引退する直前にいろいろ片付けしてて、あいつからもらったんだよね。捨てるつもりだったみたいだから」
「へえ。まさか、それって今も取ってあるの?」
思わず唾を飲んで聞き返していた。すると彼は、
「いや、実は読み終わってから、こっそり学校の図書館の本棚に入れておいたんだよ。いたずらさ。で、この間行ってみたらまだちゃんと本棚に残ってて――」
それを聞いて私は絶句した。
「あっごめん、ちょっと人が来た。また今度電話するよ」
ここで、その冊子を入れておいた場所を聞いておけばよかったのだが、話の途中で電話は切れてしまった。
ちょうどその時、夫の錦司は保育園に子供の迎えに行っているところだった。二人が帰宅して、娘を着替えさせながら、私は彼にさっきの電話のことを話した。
「そうらしいね。僕にも昨日、彼から電話があって聞いたよ」
風呂場の掃除を終えた彼は、淡々とした口調で答えた。全てのものに興味がなさそうな、澄ました表情と声のトーンは昔っから全然変わっていない。
「気にはならないみたいね」
尋ねると、彼はうん、と即答した。
「面白い話だとは思うけど、十代の頃に書いたものにあまり執着はないかな」
「分からなくはないわね」
できるだけいつもと変わらない調子の会話になるように、私もややそっけなく受け答える。
「今日は僕がお風呂に入れるよ」
彼もすぐ話題を変えて、裸になった娘を抱っこしてバスルームへ引っ込んでいった。
夫婦そろって専業作家である私たちは、やや遅めにできた一人娘の育児も適当に分担してやっている。最近は私の方で複数の納期が重なっており、こちらが執筆に集中しているときは娘をドライブに連れ出すなど、いろいろ助けてくれる。いつも言動が淡々としている彼だが、娘と何かやってるときは楽しそうだ。
ついでに言えば、彼も高校時代はルックスの良さから校内でも有名で、偶然にも私は部活動で美少年二人を常に侍らせている形になっていたのだった。倉持くんは現在は年相応に老けたが、なぜか錦司だけはあの頃から全然変わっていない。おっさんどころかどう多く見積もっても二十代後半である。前に倉持くんと話していて、錦司のことを「まるで死蝋だわ」と評したら、彼は息が止まるほど笑っていた。そして、
「あいつ、優実ちゃんと同じでいつまでも若いもんな。とても俺と同い年には見えないよ」
と言っていたものだ。
錦司が若い、というのは外見だけではない。高校時代の彼はずいぶん大人びているように感じられたが、逆にそのまま成長せずに来た感がある。いつの間にか私と倉持くんは彼を追い越してしまい、彼だけが「落ち着きのある高校生」のままだ。変な意味で若いのである。
前にこんなことがあった。外出先から私が帰ってくると、彼はこう尋ねてきた。
「今日、ケーキを買ってくるとしたら何が食べたい?」
「じゃあレモンケーキ」
少し考えてから答えると、彼はうん、と頷いた。
「やっぱりそうだよね。冷蔵庫の中を見てごらん」
言われた通りに冷蔵庫を開けるとケーキ屋の小箱があって、レモンケーキが入っていた。
「どうして分かったの?」
驚いて尋ねると、錦司は澄ました表情のままでごく微細な笑みを浮かべた。彼がイタズラ心を起こして、してやったりと言いたげなときに出てくる微笑だ。
どうして分かったも何もない、真相はこうである。彼は私が特に好むケーキを全種類購入していたのだ。そして、冷蔵庫にはレモンケーキ、戸棚にはモンブラン、食器棚にはミルクレープと、私がどう答えたとしても対応できるように仕込んでいたのである。おかげでその後は、彼が買い込んだケーキを一日一個ずつ食べなければならなくなった。
先回りして、いちいち何かを仕込むのが彼は好きだ。私はそういうのは苦手で、まだ子供が生まれていない頃に二人でよくやったチェス――珍しい色付きの品だ――でも、ハンデをつけないと負けがちだった。とにかく先読みが得意なので、囲碁や将棋も強い。
話を戻そう。ともあれ、こうして私は『21th Century Flight』を見つけ出すことを誓ったのである。
私には、そうしなければならない理由があった。
その冊子のことを知らせてきたのは、倉持芳明(くらもち・よしあき)くんだった。
「やあ優実ちゃん。元気? 今日もかわいい? 声聞きたくて電話したよ!」
という感じで、彼はたまに電話をかけてくる。それは彼の挨拶みたいなもので、その直後には本の出版に関する真面目な打ち合わせが始まるのだが、その日は打ち合わせの会話の途中で、思い出話になった。
「そういえば高校の時、卒業間際に高柳からもらった冊子があったんだけど、優実ちゃん覚えてる? 『21th Century Flight』っていうタイトルの」
と、彼はふと思い出した様子で話し始めた。
私はそのタイトルを聞いて息を呑んだ。私の人生を大きく変えた冊子だったからだ。
倉持くんは、私と、私の夫である高柳錦司とともに文藝部に所属していた。つまり高校時代の同級生だ。当時、部活では私と錦司が常に読書や創作に没頭していたのに対し、彼はいつも部室に「遊びに来ている」というスタンスで漫画を読むことをメインにしており、迷惑に感じることもあったが不思議と安定した関係だった。
「俺? 優実ちゃんのファンだからここにいるんだって。一緒に帰りたいときはいつも言ってくれよ!」
彼は、いつも発言を繰り返して私をうんざりさせていた。また倉持くんは当時の学校内でも屈指の美少年で、トレードマークは茶色がかったふわふわしたヘアスタイルと黒ぶちメガネ。背も高くて女子から大モテだったのだが、不思議と浮いた話はなく、それでいて文藝部などに入り浸っているものだから、私は多くの女子の嫉妬と反感を一身に受けていたものだった。
「俺は優実ちゃんのファンだからさ。君が作家になったら絶対に俺が編集者になって本を出す」
と、かるい口調で常に豪語していた彼は、大学卒業後に、本当に小さな出版社を立ち上げてしまった。私と錦司と彼の縁が未だに続いているのはそのためである。
彼の言葉に、私は平静を装って答えた。
「なんとなく覚えてるわ。彼が文藝部に入ったばかりの頃に書いた、処女作よね」
「そうそう」彼は電話口で、いつものかるい調子の相槌を打つ。「俺も一度読んだだけだったんだけど、部活を引退する直前にいろいろ片付けしてて、あいつからもらったんだよね。捨てるつもりだったみたいだから」
「へえ。まさか、それって今も取ってあるの?」
思わず唾を飲んで聞き返していた。すると彼は、
「いや、実は読み終わってから、こっそり学校の図書館の本棚に入れておいたんだよ。いたずらさ。で、この間行ってみたらまだちゃんと本棚に残ってて――」
それを聞いて私は絶句した。
「あっごめん、ちょっと人が来た。また今度電話するよ」
ここで、その冊子を入れておいた場所を聞いておけばよかったのだが、話の途中で電話は切れてしまった。
ちょうどその時、夫の錦司は保育園に子供の迎えに行っているところだった。二人が帰宅して、娘を着替えさせながら、私は彼にさっきの電話のことを話した。
「そうらしいね。僕にも昨日、彼から電話があって聞いたよ」
風呂場の掃除を終えた彼は、淡々とした口調で答えた。全てのものに興味がなさそうな、澄ました表情と声のトーンは昔っから全然変わっていない。
「気にはならないみたいね」
尋ねると、彼はうん、と即答した。
「面白い話だとは思うけど、十代の頃に書いたものにあまり執着はないかな」
「分からなくはないわね」
できるだけいつもと変わらない調子の会話になるように、私もややそっけなく受け答える。
「今日は僕がお風呂に入れるよ」
彼もすぐ話題を変えて、裸になった娘を抱っこしてバスルームへ引っ込んでいった。
夫婦そろって専業作家である私たちは、やや遅めにできた一人娘の育児も適当に分担してやっている。最近は私の方で複数の納期が重なっており、こちらが執筆に集中しているときは娘をドライブに連れ出すなど、いろいろ助けてくれる。いつも言動が淡々としている彼だが、娘と何かやってるときは楽しそうだ。
ついでに言えば、彼も高校時代はルックスの良さから校内でも有名で、偶然にも私は部活動で美少年二人を常に侍らせている形になっていたのだった。倉持くんは現在は年相応に老けたが、なぜか錦司だけはあの頃から全然変わっていない。おっさんどころかどう多く見積もっても二十代後半である。前に倉持くんと話していて、錦司のことを「まるで死蝋だわ」と評したら、彼は息が止まるほど笑っていた。そして、
「あいつ、優実ちゃんと同じでいつまでも若いもんな。とても俺と同い年には見えないよ」
と言っていたものだ。
錦司が若い、というのは外見だけではない。高校時代の彼はずいぶん大人びているように感じられたが、逆にそのまま成長せずに来た感がある。いつの間にか私と倉持くんは彼を追い越してしまい、彼だけが「落ち着きのある高校生」のままだ。変な意味で若いのである。
前にこんなことがあった。外出先から私が帰ってくると、彼はこう尋ねてきた。
「今日、ケーキを買ってくるとしたら何が食べたい?」
「じゃあレモンケーキ」
少し考えてから答えると、彼はうん、と頷いた。
「やっぱりそうだよね。冷蔵庫の中を見てごらん」
言われた通りに冷蔵庫を開けるとケーキ屋の小箱があって、レモンケーキが入っていた。
「どうして分かったの?」
驚いて尋ねると、錦司は澄ました表情のままでごく微細な笑みを浮かべた。彼がイタズラ心を起こして、してやったりと言いたげなときに出てくる微笑だ。
どうして分かったも何もない、真相はこうである。彼は私が特に好むケーキを全種類購入していたのだ。そして、冷蔵庫にはレモンケーキ、戸棚にはモンブラン、食器棚にはミルクレープと、私がどう答えたとしても対応できるように仕込んでいたのである。おかげでその後は、彼が買い込んだケーキを一日一個ずつ食べなければならなくなった。
先回りして、いちいち何かを仕込むのが彼は好きだ。私はそういうのは苦手で、まだ子供が生まれていない頃に二人でよくやったチェス――珍しい色付きの品だ――でも、ハンデをつけないと負けがちだった。とにかく先読みが得意なので、囲碁や将棋も強い。
話を戻そう。ともあれ、こうして私は『21th Century Flight』を見つけ出すことを誓ったのである。
私には、そうしなければならない理由があった。
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