イケニエアゲハ~執着の檻に囲われて~

小達出みかん

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第二部 王様の牢屋

プレゼント

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 体が温かい。指や足の先までだ。布団の中にどこまで足をのばしても冷たくならない。冷え性の玲奈には珍しい事で、その快適さを、玲奈は布団の中で思う存分味わった。


(あぁ、あったかいって気持ちいいなぁ…)


 たとえ隣に一ノ瀬がいても、あのマンションで温かいと感じた事はなかった。あそこは自分の部屋だけど、心から安心できる場所ではなかったのだ。

 温かい理由は、それだけではない。単純に、隣の人間が熱を発しているからだ。以前ならば他人の体温など疎ましいだけだったが、こうして寒い冬の朝、自分の身体を温めてくれる熱はありがたかった。


(でも…そろそろ、起きなきゃな)


 玲奈はそっと自分だけベッドから出て、空調の温度を上げた。とうとう12月になったらしい。朝起きると窓越しに、外がしんしん冷えこんでいるのがわかる。


師走というだけあって、ここのところ築城は忙しそうだった。だけどどんなに仕事が遅くなってもこの部屋に帰ってきて玲奈を抱きしめる。まだ眠っているその顔は無防備で、思わず玲奈は微笑んだ。


(もう少し、寝かせてあげよう)


玲奈は静かにキッチンへ向かって朝食の準備を始めた。


「あ、先生。もう少し寝てたら」


 寝ぼけているのか、築城はキッチンの玲奈をぼんやり眺めている。


「はい、できたよ」


 いつも通りの朝食を置いて玲奈が座ると、やっと築城も座った。


「大丈夫?ちゃんと寝れた?」


「ああうん。ごめんな」


「ん?」


「いつもご飯、ありがとう」


 玲奈は笑って肩をすくめた。


「…そんなの。今日も残業?」


「まぁな」


「早く冬休みくるといいね。28日からだっけ」


「そうだな…」


 築城はそう言いながらじっと玲奈を見た。こうやって凝視されるのはいつまでたっても慣れない。照れかくしで、玲奈は話をつづけた。


「大みそかもクリスマスも奇数だから先生の日だね。何か食べたいものある?」


「…玲奈が作ってくれるならなんでも」


 玲奈は口を尖らせた。


「先生が食べたいものを聞いてるの」


「…そうだな、野菜炒めかな」


「そんな簡単のでいいの」


 すっかり夫婦みたいな会話だなと思いながら玲奈はうなずいた。


「…玲奈は」


 そこで不意に築城が黙った。何が言いかけて、やめたのかすぐにわかった玲奈はちょっとおかしくて笑った。


「もう一冊過去問が欲しいな。プレゼントはそれでよろしく」


 先手を打たれて不服なのかほっとしたのか、築城はやれやれと首を振った。


「わかったよ、玲奈」


「欲しいものは」と聞こうとしてとっさに思いとどまった。そこで「外へ行きたい」と言われるのが怖かったからだ。


 この間ハヤトと電話で話した。彼は言ったのだ。「玲奈をもう放してあげよう」と。先にお坊ちゃんにそう言われたことで、築城は負けた、と思った。


(年は下でも、人間としては彼の方が上ってことか)


 築城も一度もそれを考えなかったというわけではない。だけどそんな決心はできなかった。


 せっかく玲奈は俺に慣れたのに。俺に笑いかけて、俺の帰りを待ってくれるまでになったのに。それに…元の場所へ戻すより、俺の所にいた方が彼女にとっていい。勉強する時間だってあるではないか。


 だけどそれが空しいごまかしである事もわかっていた。受験の時はどうするのだ。もし受かったら?出願の書類はごまかすことができたが、今のままでは出席日数が足りなくて留年になってしまう。本当に彼女の事を思うなら、一刻も早く学校に戻してやらなければならない。


築城は無意識に頬を触っていた。いつも出がけに玲奈がキスをしてくれる場所。最初は強制していたが、だんだん玲奈は自分から頬にキスしてくれるようになった。柔らかくて、いつも少し冷たい玲奈の唇。


(玲奈…)


 いつでも玲奈の事を考えている。考えていない時はない。玲奈を放すということは、永遠にあの時間を失うということだ。


(…耐えられるかな)


 無意識にそう考えている自分に、築城は驚いた。


(そうか…俺も、彼女を放してやりたいんだ)


 彼女を手に入れるために、教師として、人間としてもしてはいけないことに手を染めた。もう自分はすっかり悪に染まったのだと思っていたが、まだ良心が残っていたのだ。


 いや、彼女によって良心が「呼び覚まされた」のだ。


 築城の事を「満足するまで好きになる」と宣言した玲奈。あの日から玲奈は築城のためにいろいろな事をしてくれた。

玄関に足を踏み入れると漂う夕食の匂い。朝玲奈が入れてくれるコーヒーの匂い。いくら残業で遅くなっても寝ないで待っていてくれた。

築城が忙しいときも、疲れている時も優しく笑って憂鬱を晴らしてくれた。そして、最初はぎこちなかったが、最終的に築城を受け入れ、愛してくれるようになった。


 抱き合ったあの夜、築城の涙をぬぐってくれた玲奈。あれが嘘だとは思えない、思いたくない。一時のまやかしでも、きっと玲奈は自分を愛してくれるようになったのだ。


 あの瞬間、築城はたしかにそう思ったのだ。玲奈の愛情を受け取ったのだ。それは完全無欠の麻薬のように、心に無限の快楽をもたらした。素晴らしい贈り物だった。


(そうだ、俺はそれを受け取った…)


 築城は拳をぎゅっと握った。その決意には少し時間を要した。


(だから、最初にした彼女との約束を、守らなくては)


 校舎を出て、築城は携帯を取り出した。ハヤトと話をしなくては。









 12月に入ると、街も人も浮足立つ。玲奈は毎年、それが嫌いだった。12月は好きじゃなかった。皆が恋人や家族と肩を寄せ合い、プレゼントを贈りあって休日を過ごす。テレビから場末のスーパーまでも、温かい愛情の押し売りにあふれている。


(…じゃあ、誰からもプレゼントをもらえない、あげる人もいない私は?)


 そう思わない事は不可能だった。世間から弾き飛ばされたような気持ちで一人すり切れたコートを着込み、家にも帰れない玲奈は黙々と街を歩き続けた。


その孤独はキャバ嬢として人気が出てからも変わらなかった。いやむしろ、もっとひどかった。下心なしに玲奈に贈り物をしてくれる相手など、一人もいなかったからだ。


しかし、とある人物が玲奈の脳裏に浮かんだ。不愛想だけど優しい学と、姉御肌で面倒見の良いエリカ。もし元通り生活していれば、きっと玲奈は二人に贈り物をしていただろう。


(でもエリカさんは、遠くへ行ってしまった。それに三上くんは…)


 私がいなくなって、どう思っているだろう。もう私のことなんて、忘れただろうか。

 そう思うと、言葉に言い表せない悲しさが玲奈の心に広がった。薄氷が張ったように、胸の中が冷たくなった。


(でも、しょうがないよね…もう彼と私じゃ…不釣り合いだ)


 自分は今、二人の男と交互に寝ているのだ。しかも、最近では自分から進んで。こんな状況では、もうとても彼に合わせる顔がない。あの花火の夜の日の事は、もう幻のようだった。


(幻…そう、私が勝手に見た夢だったんだ。だから、現実じゃない)


 玲奈はそう思い込むことにした。これ以上考えると、流したくもない汁が目から出てしまいそうだ。

自分からこの状況に満足してしまった癖に嘆くなんて、そんな矛盾した苦しみを抱え込むのはごめんだ。玲奈は別の事を考える事にした。


(先生もハヤトも、何かプレゼントを考えているみたい…私も、何かあげるべきだろうな)


 だけど、この状況では何一つ自分の好きにはならない。買い物などもってのほかだ。


(それに、二人が何をあげたら喜ぶか、わかんないなぁ…)




 こういう時は、定番のもので済ますのが無難だろう。店にいた時は、時計やネクタイ、ハンカチや手袋…そんなものを用意していた。


 その時、玲奈はひらめいた。


(そうだ!手袋は無理だけど…)





仕事帰り、築城は駅前の百貨店に足を踏み入れた。玲奈からお使いを頼まれたからだ。


「先生、好きな色の毛糸をたくさん買ってきて。マフラー作ってあげるから」


「いきなりどうした?」


「クリスマスのプレゼントだよ。ここにいちゃ、自分で買い物いけないでしょ」


 玲奈はそう口をとがらせて言った。一瞬理解が追い付かなくて、築城は目をしばたかせた。


「プレゼントって…誰に?」


 玲奈はふうと息をついて築城を睨んだ。


「先生に決まってるでしょうが」


「えっ…玲奈が、俺に?」


 彼女が自分にものをくれるのは初めてじゃないだろうか。築城の心臓は嬉しさにはねた。


「そうだよ。だから先生の好きな色選んでって」


「し、信じられないな、玲奈が…」


 一人感極まってる築城に、玲奈は首を振った。


「できるだけ早く買ってきてね。編み物なんて久々だから、時間、かかるかも」


 築城はうなずいた。


「今日、すぐに買ってくる。それで帰り、ドアの前に置いておくから、回収してくれ」


 今夜から明日朝はハヤトの日だから、築城はそう言った。


「いいよ先生、どうせ明日の夜また会うんだから」


 また会うんだから。その言葉を思い出して、築城の胸はずきっと痛んだ。たくさん並んだ毛糸の中から地味な色を適当につかんで、買い物を済ませた。


手芸店を出てデパート出口に向かうと、クリスマスに向けて入り口付近は満艦飾にきらめいていた。アクセサリーに、服に、化粧品に…女性への贈り物は、選びきれないほどたくさんのものが並んでいる。

きらびやかなショーケースの前で、築城は立ち止まった。ダイヤ、サファイア、トパーズ。どんなアクセサリーも、きっと玲奈には似合う。美しい玲奈を、さらに輝かせるだろう。だが。


(きっとこういうものを贈っても、玲奈は喜ばない)


 それどころか、受け取れないと拒否するかもしれない。何をあげれば、喜んで素直に受け取ってくれるだろう。悩みながら、築城はぐるぐる店内を回った。


(それに…長く使ってくれるような、そばで彼女を見守ってくれるようなものがいい)


 築城の胸が再びツキンと痛んだ。玲奈を開放すると決めてから、痛まない日はない。つきたての傷のように、思い出すたびにそこは痛んだ。


(あと少しで、玲奈とお別れだ。見送ることしか、できない…)


 卒業すれば二度と会えないと思うと、焦燥感で喉がひりつくように痛んだ。大事なものを無理やり奪われるような感覚だ。お門違いの思いだと思っていても、彼女を失う事は築城にとって耐えがたいことだった。


(だからせめて…記念に、彼女がずっと使ってくれるようなものを)


 何が良いだろう。時計?万年筆?いや、どれも古臭い気がした。あきらめて百貨店を出た築城の目に、向いの店の看板が飛び込んだ。


(iPhone最新…)


 そういえば、玲奈の前の携帯は築城が使えないように壊してしまった。


(携帯は、必要だよな…俺たちの所を出たらすぐに)


 それに携帯なら。どんな時も肌身離さず玲奈の一番すぐそばで、彼女を見守ってくれる。俺はもう一緒に居られなくても、俺の贈った携帯がその役目を果たしてくれるなら…


(そうだ、これがいい)


 築城の足は自然とその店へ向かった。









「カイくん、オツカレサマ。今日はもう帰っていいヨ」


 店長がそう言ったので、ハヤトは元気に挨拶して店を出た。


「はい!お疲れ様店長」


「ジャアネ~、がんばって、クダサイ」


 白いひげに青い目の彼はそうウインクをして、厨房に引っ込んだ。今日がクリスマスだから気を利かせてくれたのだ。


(ありがたいな…)


 ハヤトは先月から、ここのアイスクリーム屋でバイトをしていた。表参道から少し裏道に入った所にあり、木の看板に店構えにアメリカ人の店長。アイスの本場の国からやってきた彼の作るアイスはベーシックながらも独創的で、ハヤトは前々から好きだった。SNSなどもやっていない、隠れた名店だ。


もう冬だったが、バイト募集の張り紙を見て、ハヤトがわけを話すと店長はうんうんと聞いて採用してくれた。あまり深く考えていないのかもしれないが、ありがたかった。


(ちゃんと自分で稼いだお金で、玲奈にプレゼント、買えたから…)


ハヤトは大事なプレゼントが入ったカバンをぎゅっと握って、マンションへ急いだ。

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