イケニエアゲハ~執着の檻に囲われて~

小達出みかん

文字の大きさ
55 / 60
君を追いかけて(ハヤトEND)

意地

しおりを挟む
土日だろうが、玲奈に休みはなかった。目いっぱいバイトを入れている。家庭教師として受け持っている子どもの家を出て、玲奈は湯島にある喫茶店へ向かった。ここは美知子に紹介してもらったバイト先で、唯一玲奈がほっとできる場所だった。

「こんにちは、マスター」

「ああ、お帰り」

 ここのおじいさんマスターは、お客でも誰にでもそういうのだ。昔ながらの喫茶店で、来るのは年配のお客さんばかり。

「そんな急がなくて大丈夫だよ」

 少し遅れて、走ってきた玲奈に対して彼はのんびりと言った。このお店は全体的にゆったりした時間が流れていて、せっかちな人や若い人はまず来ない。だから玲奈も少し肩の力が抜けるのだった。

「ありがとうございます」

 そう返してから、玲奈はコーヒー豆の選別を始めた。豆にこだわるお店なので、空き時間があるといつもこの作業だ。それも、玲奈は気に入っていた。時給は家庭教師の方がいいが、大事な人に紹介してもらったこのバイトを、玲奈は長く続けたいと思っていた。

 が、その平安は突然破られた。扉がばっと開かれて、カランカランと吊るされたベルが耳障りな音を立てる。常連客はそれを知っているので、いつもゆっくり扉を開ける。

…ということは、それを知らない無粋な客が来たということだ。でも仕事だから対応しなければ。もしかしたらただうっかりしただけの人かもしれないし。そう思って玲奈は立ち上がった。

「…ハヤト」

 戸口に現れた彼に、玲奈は思わず一歩下がった。

「…そんな顔しないでよ」

 玲奈はマスターをちらりと見た。彼は何も気にしないでコーヒーを選別している。

「ん?お友達?」

「あ…ええと」

「この時間帯は暇だからね。席でおしゃべりしてていいよ」

 マスターののほほんとした笑顔に、玲奈は毒気を抜かれた。

「…お席に案内します」

 玲奈はしぶしぶそう言って、ハヤトに水を出した。

「注文は?」

「玲奈がウエイトレスなんて意外。でも、エプロンかわいいね」

「注文は?」

 玲奈がギっと歯を食いしばったのを見て、ハヤトは慌てて言った。

「ごめんごめん、じゃあカフェラテ」

 乱暴に作ってやりたい所だったが、マスターの手前、いつも通りに牛乳とアイスコーヒーを注いで持って行った。

―自分のわがままだとはわかっているが、貴重なオアシスが踏み荒らされたようで嫌な気持ちだった。

「…何でこの店知ってるの?」

「理沙ちゃんに聞いた」

 いつの間に。玲奈はため息をついた。

「…なんで週末、来てくれなかったの」

「行くなんて言ってないんだけど」

「…そうだけど」

 ハヤトは拗ねたような顔で玲奈を見上げた。その表情を見たくなかった玲奈は目をそらした。

「悪いけど忙しいんだ、土日もバイトで」

「…玲奈に俺の作ったアイス、食べてほしかったのに」

 ハヤトは口をへの字に曲げて言いつのった。

「俺がアイス屋開いたら行くって…玲奈、あの時言ったのに」

 そういわれて、玲奈はたじろいだ。でももうあの時とは事情が違うのだ。

「…私がいかなくても、ハヤトくんには友達がいっぱいいるでしょ」

 玲奈は低い声でつぶやいていた。

「え?」

「…悪いけど、今自分の事で精一杯。余裕がないの。ハヤトくんと違って」

「俺だって、一生懸命…」

「私は働かなきゃ、家賃すら払えないの。…あなたとは違う」

「玲奈…」

「もう来ないで。特にここには」

「な、なんでだよ」

「仕事の邪魔になるから」

 そういって玲奈はキッチンに引っ込んで、豆の選別を再開した。いい香りのコーヒーも、今ばかりは心を落ち着けてはくれなかった。

(…私、またハヤトを傷つけたな…)

 最後玲奈を見るハヤトの顔は、傷ついた子どもそのものだった。自分の性格の悪さが、またつくづく嫌になった。

(でももう、彼と関わりたくない。彼といると、私はどんどん意地悪になる…)

 美知子さんのような、優しい穏やかな人になりたいのに。逆行もいいところだ。

(ごめんハヤト。もう私のこと、忘れて…)




 喫茶店のあとは夜間の家庭教師の仕事をしに行き、へとへとになって帰りついたのはもう夜遅くだった。隣の部屋に明かりがついている。まだ理沙は起きているようだ。

 そうっと自分の部屋のドアを開けるが、古いせいでいつもギイーっと音がする。すかさず隣の部屋のドアがあいて、理沙が顔を出した。

「玲奈…ハヤトくんから電話あったよ」

 理沙の静かな声に、玲奈はぎくっとした。

「そ、そう…」

「彼、泣いてたよ?自分勝手な事して、玲奈を怒らせちゃったって。謝りたいって」

 責める声ではなかったが、玲奈も言い分があった。

「ええ…。でも私だって困るよ。仕事中だったし…」

「じゃあ終わってから話してあげればよかったのに」

「だって、その後もバイトあったし…」

 理沙がくすっとわらった。

「でもでもだってって、玲奈にしては珍しいじゃん」

「っ…だって、」

 墓穴を掘ったとわかって玲奈は口をつぐんだ。

「そんなに邪険にしなくてもいいじゃん。なにか…あったの?」

 玲奈は即首を振った。

「なにも。でもどうせ、付き合った所でうまくいかないし」

「え?なんで」

 玲奈ははっとした。

「あー今の、ハヤトには言わないでね!」

「えぇー、どうしよっかなぁ」

「お願い」

「じゃあなんでか聞かせてよ」

「うーん」

 玲奈はしばし考え込んだ。

「あいつ家が激太なんだよ。超お坊ちゃん。だから金の心配とかしたことない。価値観違い過ぎて、一緒にいるとキツイよ」

「えっ、そうなの?ぜんぜんわからなかった。」

「そうなんだよ。もう身分が違うから、無理」

 今度は理沙が考え込んだ。

「そんな風には見えなかったけど…すごく気さくだし。周りに合わせられるタイプなんじゃないかなぁ」

「そうかもしれないけど。でも今私そんな余裕ないんだよ、付き合うとか彼氏とか」

「そんな事言って~、本当はまだ振られたのがショックなんでしょ」

「なんでそれを!?…あぁ、ハヤトか…」

 理沙はよしよしと玲奈の頭を撫でた。

「可哀想だったね。玲奈はプライド高いから、振られて辛かったでしょ」

「それ慰めになってない」

「しかし玲奈を振る男とかいるんだねぇ、目ぇ腐ってたのかな」

 理沙が笑いながら言ったので、思わず玲奈も笑った。

「性格が地雷なの見抜かれたのかも」

「なーるほど」

「肯定するんかい」

 ひとしきり笑いあったあと、理沙は言った。

「謝罪くらいは聞いてあげなよ。会いたいって言ってたでしょ?」

 玲奈はスマホを取り出した。たしかに彼からラインが来ていた。

「…わかった」

 理沙を取り込むとは、一本とられた。仕方がないから玲奈は返信した。

「明日の夜なら時間取れるから、三鷹まで来て」




「玲奈…来てくれないかと、思った」

 改札を出てきたハヤトは、はぁはぁ息切れをしていた。

「大丈夫?」

「うん。まにあって、よかった」

「てっきりタクシーで来ると思ってたよ」

「ほとんど使わないよ、そんなん」

「ふぅん…忙しいの?」

「まぁ、ぼちぼち。でもやりたいことやらせてもらってるから、文句は言えない」

 あの時から一年もたっていない。なのに、隣を歩くハヤトは前よりたくましくなったような感じがした。

「成長したんだね、ハヤトくんは」

 玲奈が言うと、ハヤトははっとした。

「そうだ、ごめん。昨日はいきなり押しかけて…玲奈の気持ちを考えないで」

「いいよもう。」

「…もう会わないなんて言わないよね?」

 ハヤトはおそるおそるそう言った。

「そうさせないために、理沙に取り入ったんでしょうが」

 ふんと玲奈が言うと、ハヤトはうろたえた。

「ごめん、理沙ちゃんは、悪くないよ。俺が泣きごと、一方的に言っただけだから」

 玲奈はため息をついた。ハヤトはますます焦った。

「ごめん、玲奈…」

 その声は泣きそうだった。昔の記憶がよみがえった。

「…私のことなんか、もう忘れればいいのに」

「え?」

「いつも私、ハヤトに意地悪してばっかじゃん、嫌にならない?」

「嫌なわけ、ないだろ!」

「…なんで私なの?」

 ハヤトは驚いた声を出した。

「なんでって…わからないのかよ?」

「わからないっていうか…ハヤトはもう、私なんて忘れた方がいいよ」

 ハヤトの表情が固まった。そして叫んだ。

「もう忘れたのかよ!あんなに…俺は玲奈に、言った、のにっ…!うわあああ!」

 叫びながら泣き始めたので、周りの視線が一気に集中した。

「ちょ、ちょっとハヤト」

「玲奈の、玲奈のバカあっ!うっ…うぐっ…」

 ハヤトが玲奈を睨みつけた。その目からは、大粒の涙がぼたぼたと滴っている。そういう所はやっぱり変わらない。

「何なに?喧嘩?」

「別れ話じゃない?」

 周りからそんな声がひそひそ聞こえてくる。焦った玲奈はハヤトの手をひっぱって歩きだした。しかしいつまでたっても泣き止まない。延々無言で歩き続け、ついに寮まで帰ってきてしまった。

「うっ…ひぐっ…」

 ハヤトはまだぐずぐず泣いていた。玲奈はとりあえずハヤトに言った。

「あれが寮」

「えっ…」

 そのあまりにも不気味な光景に、さすがのハヤトも立ち止まった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました

大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

【R18】幼馴染がイケメン過ぎる

ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。 幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。 幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。 関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

女の子がほとんど産まれない国に転生しました。

さくらもち
恋愛
何番煎じかのお話です。 100人に3~5人しか産まれない女の子は大切にされ一妻多夫制の国に産まれたのは前世の記憶、日本で亭主関白の旦那に嫁いびりと男尊女卑な家に嫁いで挙句栄養失調と過労死と言う令和になってもまだ昭和な家庭!でありえない最後を迎えてしまった清水 理央、享年44歳 そんな彼女を不憫に思った女神が自身の世界の女性至上主義な国に転生させたお話。 当面は2日に1話更新予定!

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハーレム異世界ラブコメ〜

ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉 転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!? のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました…… イケメン山盛りの逆ハーレムです 前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります 小説家になろう、カクヨムに転載しています

甘い匂いの人間は、極上獰猛な獣たちに奪われる 〜居場所を求めた少女の転移譚〜

具なっしー
恋愛
「誰かを、全力で愛してみたい」 居場所のない、17歳の少女・鳴宮 桃(なるみや もも)。 幼い頃に両親を亡くし、叔父の家で家政婦のような日々を送る彼女は、誰にも言えない孤独を抱えていた。そんな桃が、願いをかけた神社の光に包まれ目覚めたのは、獣人たちが支配する異世界。 そこは、男女比50:1という極端な世界。女性は複数の夫に囲われて贅沢を享受するのが常識だった。 しかし、桃は異世界の女性が持つ傲慢さとは無縁で、控えめなまま。 そして彼女の身体から放たれる**"甘いフェロモン"は、野生の獣人たちにとって極上の獲物**でしかない。 盗賊に囚われかけたところを、美形で無口なホワイトタイガー獣人・ベンに救われた桃。孤独だった少女は、その純粋さゆえに、強く、一途で、そして獰猛な獣人たちに囲われていく――。 ※表紙はAIです

処理中です...