ひどい目

小達出みかん

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撫子の花(3)

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「これは弱ったね…」


 爭琴が、眉をひそめて誰にともなくつぶやいた。その手は、撫子の額の上に置かれている。

 今日は宴の前日。撫子は数日前から高熱を出して寝こんでいた。


「どうしたものかな」


 そこへ襖がすっと開き、近江が盆を片手に入ってきた。


「生姜湯をお持ちしましたよ」


「ああ、近江か」


 爭琴は撫子を抱き起こし、自然な動作で口元に椀を持っていった。近江があたふたとする。


「お師匠様、そんな事は私がやります!うつってはいけませんからどうぞ座敷の方へ…」


「いや、良いんだよ。姫がここまで思い詰めていたのに気づけなかった私の責任もあるからね」


 爭琴の言葉に、近江も視線を落として俯く。


「…姫様の悩みは、誰かに解決してもらえるものではございませんよ」


 意識朦朧として横たわる撫子に視線を落とす。昔から、一人でぎりぎりまで頑張る子供だった。その甲斐あって、舞の才能は見事に花開いた。だが…。義母には疎まれ、父親には複雑な思いを寄せられ、表面は無関心に扱われている。彼女が両親から与えられたのは、舞の稽古に打ち込む環境だけ。


それでもまだよかった。愛情も関心も、近江と夕那がおぎなっていたから。

 だが、それが崩れた今…


 近江の脳裏に、奥方様の言葉がよみがえる。


「近々、夕那は縁談を結ぶ予定だよ。でもその前にあの落とし子をどこかに片づけなくてはねぇ。まったく面倒だよ」


 忌々しげに、葛野は夫の愚痴をこぼした。


「だけどまあ、ご立派な嫁ぎ先なんてあの子にゃ気が重いだろうから」


 口の端だけ吊り上げて葛野はつぶやいた。


「嫁になんぞ出すより、どこかに奉公にでも出させた方が良いと思わないかい?え?」


 問われた近江は、当たり障りない答えを返した。実際のところ葛野が撫子をやっかい払いしたがっているのはわかっていた。それも、できるだけ悪い場所へ。


 今は、父の義成がそれを許さないだろう。だが葛野が夕那を手中に収めれば、それが可能になるかもしれない。もし、葛野が撫子を追い出すつもりなら、その行き先は…。考えただけで、近江はぞっとするのだった。だが一方で、夕那がそんな事許すはずがないという確信もあった。


 同じ屋敷、同じ乳母で育ったが、夕那と撫子の性格は正反対だ。夕那には、生来の人の良さ、天真爛漫さがあった。その性質は母の過度の溺愛にも溺れることなく、すくすくと育った。

 そして夕那は、撫子を慕っている。だから母親の計略に負けず、二人が元通り仲のいい姉弟に戻ってくれれば…撫子の将来も、保証されるのだ。


 だが、近江が本当に望むのは、葛野が心の傷をいやし、もとの明るく優しい彼女に戻ってくれる事だった。


「う…」


 と、その時、撫子が何かを口にした。近江はあわてて考えごとを中断し、撫子の口元に耳を寄せた。


「姫さま?」


「ゆう…な…」


 苦しげに義弟の名を口にする撫子を見て、近江はただ胸を痛めた。そして爭琴は、近江が気づかぬよう静かに部屋から出ていった。






 人気のない廊下を、気配を消して爭琴は移動した。

 仮にも屋敷の姫が伏せっているというのに、乳母一人しか看病によこさない。それは、奥方に疎まれているからだ。いくら父親が撫子を思っていても、家政をしきるのは北の方。なので撫子はいつも辛酸を舐めてきた。


 だが撫子は、ただ不運を嘆くような少女ではない。むしろ逆境をバネにして才能を伸ばした。世間知らずの姫とは思えない意思の強さで。


 爭琴は台所の流しにそっと生姜湯の椀を戻し、母屋へ向かった。

 撫子が後ろ盾を失うのを、なんとか回避させてやりたい。そう、あの才能を潰してはならない。

 義成様は体が悪い。ぐずぐずしているうちに奥方が手を回してしまったら…。


(そうなる前に先回りして、動かなければね)


 離れとちがいみがき上げられた廊下に足をかけると、向こうからお目当ての人物が歩いてきた。夕那だ。


「…!」


 箏琴の姿を認めた夕那の表情は固くなった。


「ごきげんよう、若様」


 対する箏琴は優雅なものごしで挨拶をした。


「お館様は奥にいらっしゃいますかな?」


 その見透かすような目に射すくめられ、夕那は警戒した。


「おやおや、なぜそんなに身構えるのですか」


 優雅としかいいようのない仕草で、箏琴は口元に扇子をあてがった。


「若様は、姫君の事が気にならないのですか」


「熱を出して休んでいる、と…」


「いえいえ、今のことではなく、これからのことですよ」


「え?」


「今後の姫様の行く末について、でございます」


 予測もしなかった言葉にあっけにとられたが、夕那の心は決まっている。撫子の行く末、それは僕とずっと一緒に――!


「撫子の身分をご存じないのですか。あなたのお父上の庶子なのですよ」


 その箏琴の言葉に、夕那は色めきたった。


「いくら先生でも、撫子をばかにするのは…!」


 許さない、という前に箏琴の表情が綻んだ。


「ははは!」


 突然からからと笑いだした箏琴に、夕那は目をみはった。


「若さま、私はあなたを誤解していたようです。まったく、申し訳ありません」


「な、何を…」


 箏琴はふとまじめな表情になった。


「若様、差し出た言動をお許しください。ですが姫様の事を思うのなら、今すぐ仲直りなさってください。でないと…」


「…!」


 まさか自分と撫子の今の仲を見破られていたとは思わず、夕那は度肝を抜かれた。だが、次の一言は、夕那の背筋を凍らせた。


「…彼女に永遠に会えなくなってしまうかもしれませんよ」


 夕那はさっと顔色を変えて、離れに向かって走り出した。それを見送りながら、箏琴はふう、とため息をついた。


 もし夕那が一時の戯れで撫子を疎み、母と手を組んで撫子を苦しめるつもりなら…と釘を指すつもりだったが。若君は、撫子を疎んじているわけではなかったのだ。むしろその逆だ。

 それがわかって、いささかほっとした。


「こういう時は、一波乱あるものだからね」


 にこりと笑みをうかべ、ささっと静かに、歩みを早めた。


「さて…と。先回りして近江をあの部屋から退出させないと」





 夕那は、血相を変えて撫子の小部屋に飛び込んだ。


「撫子、撫子!」


 撫子は、目を閉じて布団の中にいた。


「な、撫子・・・?」


 夕那は布団のすぐそばに膝をつき、呼びかけた。すると、うっすらと撫子が瞼を開いた。


「夕那?なんで…」


 夕那は思わず、撫子の手を握って懇願した。


「撫子お願い、死なないで!」


 必死の目から、ぼたぼたと涙がこぼれ落ちる。


「ごめん、ほんとにごめん、撫子…」


 その水滴がぱた、っと撫子の握られた手にかかった。


「君がいなくなったらと思うと…撫子、」


 撫子はぼんやりとした頭で夕那の表情を眺めた。ああ、なんだか最近、夕那を泣かせてばっかりだ…。

 それにしても変わったな。前はこんな、深刻な表情しなかった。いつも無邪気でのんきで…それに

「君」なんて呼び方もしなかったのに。


 夕那の目…なんでそんなに悲しそうにしてるんだろう。


「僕は…ずっと、君と一緒にいたい、今だけじゃなくて、死ぬまでずっと」


 夕那の手にぎゅっと力がこもった。


「私も…夕那…」


 頭がふらふらしたが、撫子はそのまま上半身を起こした。

 夕那はなぜかぽかんとしている。ふわふわの髪が乱れて、あちこちはねている。まんまるに見開いた大きな薄茶の瞳から、またぽとんと一滴、涙が垂れた。


 なんだか大きな子犬みたいだな、と撫子は思った。私を心配してこんな泣いてくれるなんて。うしろめたさとうれしさがないまぜになって、自然と目がほほえんだ。


そのままそっと、夕那の唇に自分の唇を重ねた。夕那の動きが止まる。自分より、柔らかい夕那の口。ずっとこうして、いたい。だがそれ以上触れていると何かが変わってしまいそうな気がして、撫子はまたそっと、唇を離した。


夕那はびっくりして、固まっていた。


「ごめん、風邪が移るね…」


熱に浮かされた、ぼんやりとした口調で撫子が言った。


 頬が上気し、着崩れた寝着・・・いつもの颯爽とした撫子とちがった風情に、さっきの行為もあいまって、夕那はからだがかあっと熱くなった。心臓は爆発しそうな速度で鼓動を打っている。


「でも…夕那、どうしたの?いきなりそんな心配するなんて…」


 そこで夕那もはっと我に返った。


「ど、どうしたもこうしたもないよ!い、い、命が危ないほどの病気だって先生が…!」


「え?」


「だっ、だから、さっき先生が!」


「いや……ただの、熱なんだけど…」


「えっ?じゃあ先生は、何で…?」


 そうか、師匠が夕那を担いだのか。撫子は納得した。一拍遅れて、夕那もそれに気がついた。


「うっ…」


 恥ずかしさに、夕那の顔は真っ赤になった。逆に撫子はくっくっと笑った。


「もう、なんで笑うんだよ!」


「いや…別に…っ」


 そう言いながらも、撫子の笑いは止まらない。


「ひどい!」


「いや…だってうれしい。夕那とまたこうしてはなせるんだから」


 そこで夕那もはっとなった。


「ごめん撫子、今まで僕…」


「いいよ、もう」


 二人は見つめあった。そして、またそっと唇を重ねた。










 そして、明くる日。


 撫子は見事に舞台を終えることに成功した。みんなが見ていた。師匠、近江、父上、母上そして・・・夕那。それ以外にも、たくさんの客たちが撫子を見、騒然となっていた。


「いやあ義成殿の家にあのような美姫がおったとは」


「今まで隠していたのですな、水くさいですぞ」


 招待客にほめにほめられ、義成は上機嫌で杯を傾けた。


「いやいや、姫といってもまだまだ頑是無い年でして」


「殿は良いお子たちをもって幸せにございまするな」


 と、そばに侍る老練な武士がふと口を滑らせた。


「なにを言う、そちこそ立派な男子が大勢いるではないか」


 義家は言った。彼には息子ばかりたくさんいることで有名だった。


「いや、男ばかりで家がむさくるしくてかないませぬ。もう帰るのが嫌で嫌で」


「確かに!そちの長男は、その腕っ節で暴れ馬と有名ですしな!」


 わっと一座が盛り上がる。当の暴れ馬は涼しい顔で酒を飲み干している。彼、純四朗は豪胆で抜け目なく、力試しでは誰にも負けないと評判だった。


「まったくその通りで面目次第もありませぬ。歌の一つも読めない、風流を解さぬぼんくらでして」


 彼はまんざらでもなく言った。彼が慣習をやぶり、長子ではない純四朗をわざわざ嫡子に指名した騒動を知らないものはいない。それだけこの息子に期待を寄せているのであった。


「何を言う、これは父上から授かった気質だというのに。そうは思いませぬか」


 酒を干した純四朗が皆に言った。そのおおらかさに、義成もつい笑ってしまった。

 その時、ふいにすっと純四朗が目を細めた。


「しかし殿、撫子姫は実に…お美しいですね」


 その瞬間、純四朗の目に炎が宿ったのを、父親も義成も見逃さなかった。


「あんな女人を、俺は初めてみたように思います」


 義成は内心穏やかでなかった。もし、純四朗が撫子を欲しいなどと言いだしたら…。


 そう、あれも近い未来に嫁に出さなければいけない事はわかっている。それも弟の夕那より先に。できることならば、良い婿を選んでやりたい。そこで筝琴と一計を講じ、この宴の目玉を千寿にしたのだ。千寿の舞を見れば、所望する男が殺到するだろう。その中から一番いい男を選んでやれば良い。


 純四朗は、たしかにいい男だ。だが血の気が多すぎる。身分も違う。婿向きではない…。


 親ばかとわかっていながら、早くもそう点数をつけてしまう義成であった。
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