ひどい目

小達出みかん

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涙の別れの桜雨(4)

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「すみません、少し休みます。ひどい風邪のようです」


 客が帰った後、千寿は内証で仕事する松風に声をかけて部屋に下がった。嫌な顔をされたが、もうかまわない。あとは野となれ山となれ、だ。


(どうやったら、一人でも死ねるかな・・・)


 千寿は部屋を見渡した。今すぐ実現可能なのはかみそりか、首つりだ。


(首つりのほうが、確実かな)


 そう思ったらふっと胸が楽になった。千寿は箪笥を探り、手ごろな紐を捜した。


(帯は重すぎる・・・。こっちのたとう紐でいいかな)


 ほどけないようしっかりと鴨居に結びつけた。


 これで楽になれる。千寿はゆらゆらゆれる紐をながめふっと微笑んだ。地獄へ行くにしても、ここよりはきっとましな場所のはずだ。


(夕那と恋しなければ、まだ生きていられたかもしれない。でも、それはできなかった・・・・。しょうがない)


 千寿は紐を持ってすっくと立ち上がった。


(さようなら。みんな)


 がくんっ、と体が宙に浮く。頭がくらくら、ふわーっとして、そのまま千寿は目を閉じた。


 頭の中に、さまざまな光景が浮かんでは消え、また浮かんで・・・・そして、何も見えなくなった。


 無になった。











「ごめん、撫子・・・」


 その日のうちに手元に戻ってきた根付を手のひらにのせて、夕那はつぶやいた。


 これはきっと、千寿の完全な決別の意思だろう。文使いの男が持ってきたのはこれだけで、手紙はおろか一言の言付けさえもなかった。


 自分にもっと力があれば。今まで感じたことがないほど強い焦燥感が夕那の中で膨らんでいった。


(きっと今、彼女は落ち込んで、傷つている・・・でもそれを隠して仕事をしているんだろう)


 夕那は根付の紐をつまんで持ち上げた。木彫りの女の子に、悲しげな彼女の顔が重なる。


(撫子・・・会いたい・・・)


 そう思った瞬間にぷつんと紐が切れ、ぽとりと女の子が畳の上にころがった。


(何・・・・・?)

 夕那はいぶかしげにそれを拾いあげた。ずっと大事にしまいこんでいたものだ。こんな唐突に紐がちぎれるのはおかしい。


 不吉な予感がした。









 白い霧の中を、千寿は漂っていた。いや、それを「千寿」とは呼べない。「撫子」でもない。「無」に限りなく近い何かだった。


 「それ」は夕那の屋敷の上空を漂っていた。すると、夕那が庭へ出るのが見えた。不安そうに早足で行ったり来たりしている。やがて意を決したように門へ向かった。それをすかさず使用人が見咎める。夕那はふりきって出ようとしたが、次々とほかの使用人たちもやってきて取り押さえられてしまった。


 「それ」は夕那のそばまでおりていった。霧の粒のような粒子が夕那の周りにただよっている。それに触れた瞬間、彼の悲しみとあせりが鋭く伝わってきた。


 「それ」は夕那の顔に近づいた。夕那ははっとした。何かに気がついたようだ。


 頬にやわらかい空気を感じた夕那は宙をじっと見つめた。


(撫子・・・君なのか?)


 そんなバカな、と思いつつ夕那はその空間から千寿の気配を感じ取った。夕那がわがままを言った時や無茶をしようとした時の千寿の不安気な、気遣うまなざしを・・・。


(ごめん、ごめん千寿。僕は大丈夫だから・・・)


 おとなしくなった夕那を、使用人たちはなだめた。


「さ、旦那さま。お部屋にお戻りください」


 夕那はぼんやりと宙を見つめつづけて、言った。


「いや・・・。しばらくここにいるよ。外の空気の中で少し考えたいんだ・・・・」







 「それ」は再び上空へ舞い戻った。今度は町並みが下に広がっている。人の行き交う大きな橋の上を通り過ぎ、立派な店構えの建物の中に2人の男女が座っているのが見えた。


「ちょっと、あなた。食べすぎですよ」


「なんだ?鈴鹿もいるかい?」


 男は女に菓子の乗った皿を差し出した。


「いりませんよう。ただでさえ太っちゃったんだもの。これ以上太ったらこの子に良くないもの」


 男は目を細めて彼女のお腹を見つめた。


「そうかい・・・。そういや安産祈願がまだだったねえ。住吉様に行かなきゃな」


「そうね・・・・ありがとう」


 2人はにっこりと目を見合わせた。そのやさしい空気に触れて、「それ」もあたたかい幸せの断片をふわりと感じた。






 今度は、上空から広場の人だかりが見えた。


 中心には豪華な舞台がしつらえてあり、その上で舞っている人がいる。


 その人の袖が振れるたび、足を踏むたびにその空間にキラキラと輝く粒子が散り、えもいわれぬ香気が漂った。


「イヨッ、筝琴!」


「筝琴さま~~~!!」


 男たちの掛け声や、女の黄色い声がどっと沸く。それらを一身に受けながらも、ふと彼は「それ」に目を向けた。


(・・・・・撫子?)


 彼は間違いなく目で「それ」に語りかけてきた。


(だめですよ。こんな所で漂っていては。元の場所にもどりなさい)


 「それ」はとまどった。戻る・・・どこに?


(あまり長くいると、地の底に引きずりこまれてしまいますよ。時間切れになる前に、さあ。私も手伝ってあげましょう。)


 彼が「それ」に向かってスッと扇を振ると、一本の白い線が空中に現れた。


(まだ、辛うじてつながっています。とりあえずそれをたどりなさい。その後の事は、その時考えればよいのです)


 線はまぶしく輝き、抗いがたい魅力を放っていた。言われるがままに「それ」はひもをたどっていった。それは空中にどこまでもつづいているように見えたが、気がついたら見覚えのある部屋につながっていた。


 部屋には布団がしいてある。その横に青年と少年が座っていた。


「ったく、なんてヤツだ」


「・・・・まったくだ」


 2人は布団の少女から顔を上げた。視線がぶつかる。


「・・・・で、何で梓は気がついたんだよ」


「お前こそ」


「俺は・・・たまたまだよ。千寿が部屋に下がるのを見かけたから」


「ふ~ん。たまたま部屋を訪ねたら、たまたま千寿が首をつってたと」


「っち。回りくどい言い方だな」


「そっちが嘘つくからだろ。なあ、そう隠すなよ。コイツを見張ってたのはお互い様だろ。お前のほうが一歩早かったけどな」


「なっ・・・何を、」


「お前、千寿と同じで隠し事が下手だよなあ。なあ、意地張ってないで腹割って話そうぜ」


 梓の真剣な表情に菊染は毒気を抜かれたようだった。


「あんた、そんな真剣な顔できるんだな」


「真顔でそういう事言うなよ。悲しくなるわ」


 2人は再び見詰め合った。聞きたいことははっきりしている。


「・・・コイツが、好きかよ」


「ああ。」


 菊染ははっきりとうなずいた。


「はあ、マジかよ。何で。こんな女の、どこが良いんだ」


「・・・その言葉、そっくりあんたに返すぞ」


「・・・そうだな。同じ穴のムジナってやつだな」


「今のところはな」


 挑戦的に菊染は言った。


「やだなー。最近菊染ちゃん急成長だものね。争いたくないわあ」


「うっせ、バカ、しね」


 まぜっかえした梓だが、また真剣な表情にもどった。


「まあとにかく、このことが松風あたりにばれたら折檻じゃすまない。さっきはなんとかごまかしたが・・・」


「かなり危機一髪だったからな・・・。気をつけねえと。今の千寿は目ぇつけられてるから・・・」






 「それ」はゆらゆらと布団に横たわる女の顔を見た。頬がこけている。肌も蝋のようだ。輝く白い糸をたどった結果が、これか。それでも抗えず、すうっと中へ戻っていった。


「・・・・・ん・・・・・」


「千寿!?」


「おきたか?!」


 すかさず梓と菊染が身を乗り出す。


「おい、俺が誰だかわかるか?」


「これは何本に見える?」


 千寿はぼんやりと答えた。


「・・・梓。それに3本・・・ゴホッ・・・」


 声がうまく出ず、咳き込んでしまった。千寿はよろよろと身を起こした。2人はほっとしたように息をついた。


「お前なあ・・・」


「この、バカヤロウ!心配かけやがって!」


 菊染はガバリと千寿を抱きしめた。


「お礼するって言った矢先にコレかよ!お前は本当・・・本当・・・・バカッ!」


「菊染・・・・泣いてるの・・・・?」


「・・・・悪いかよ!」


「ごめん、菊染・・・」


「何でこんなことしたんだよ!」


「だって・・・・そのほうがもうマシかなって・・・・」


「バカヤロウ!お前が死んだら俺はどうすりゃいいんだよ!」


「え?」


 千寿はぽかんとした。話しがよくわからない。


「おいおい、熱烈だな~。俺は蚊帳の外かよ」


 梓がつまらなそうに茶化した。


「千寿、よーく聞けよ。鈍いお前に教えてやるよ。菊染ちゃんは、お前のことがな・・・」


「うるせえだまれっ!2人ともバカッ!・・・もう、知らねえっ!」


 菊染は顔を真っ赤にして、すごい勢いで部屋を飛び出して行ってしまった。


「・・・ああいう素直なとこ、からかい甲斐があるよなあ」


「えっと?」


「本当に気づいてなかったの?あいつの気持ち」


 千寿はますますぽかんとした。


「ま~、死にかけた後にいきなりそんなこと言われても、困るかあ」


 そこで千寿ははっとした。


「そうです、わたしはそこの鴨居で首を・・・なのに、何で?」


 梓はやれやれと肩をすくめた。


「お前、最近いかにもやばそうだったろ。部屋に戻ってすぐ、菊染が気がついてここを開けたんだよ」


「助けて・・・くれたんですか?」


「いや、ひもが千切れてお前は床に落ちてたよ。失敗したんだな、首吊りは。そこを俺もきて布団出してやったってだけ」


「そうだったんだ・・・」


 自分は、失敗してしまったのか。そういえばなにやら頭の後ろも痛い。


「おいおい、松風相手にも病気だってとりつくろってやったんだぜ。何かいう事ねえのかよ」


 千寿は素直に頭を下げた。


「すみません・・・いつも、迷惑ばかりかけて」



 千寿の脳裏に、助けてもらった出来事が次々と浮かんだ。梓には借りばかりだ。それもけっこう大きい借りだ。


「ごめんなさい。この借りはちゃんとっ・・・・・!?」


 梓が千寿を無理やりひきよせて。顔が近づいた。


「ちょっ・・・・!」


 だが、それは優しい口付けだった。その感触で、思い出してしまう。


(・・・・・・・・夕那・・・・・・)


「あっ、お前、別の男を思い浮かべてんな。このやろー」


 千寿は驚いた顔をした。


「えっ・・・なんでわかったんですか」


「ふん。教えてやらねー。それよか」


 梓は千寿の手をぎゅっとにぎった。



「とにかく、もうこんな事するなよ。アイツよりもいい男なんて死ぬほどいるんだからな。とくにこの見

世にはな」


 その自信たっぷりの言いっぷりに、つい千寿もおかしくなってしまった。


「何だ、笑えるんじゃん」


「・・・はい、ありがとうございます」


 千寿は心から礼を言った。


 完全に忘れることは、できないだろう。あんな幸せと、絶望を味わってしまったからにはもう元の千寿には戻れない。相変わらず心を殺すのが下手だ。


 でも。梓に、菊染。そして今まで関わってきた大事な人たち。千寿はふと胸のあたりが暖かくなった。


(皆が助けてくれた・・・・それだけで、いいじゃないか・・・・・。)


 いままでになかった小さなろうそくが、胸の中で灯ったような心地だった。
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