ひどい目

小達出みかん

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大空を求めて

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大通りの桜が散りはじめている。薄く丸い花びらがいっせいに舞うその様子は壮観だ。

だが、ここの桜はすべて外から持ち込まれた鉢植えのにせものであった。



(実に、この町らしい眺めだ)



 商用を終えた松風は、歩きながらふと桜の花びらに目を留めた。この町の美しいものは、すべて嘘の上に成り立っている。本当のものなどここにはない。



(・・・何を考えているんだ、俺は。)



 めずらしく感傷めいた事を考えた自分に首を振り、彼は再び歩き出した。すると桜の雨の中、前方に女の背中が見えた。



(おかしいな。あの女、どこから出てきた?)



 突然前に現れた女に、松風は警戒しつつ歩をゆるめた。すると女が唐突にふりかえってこちらを見た。小奇麗な中年の女だ。まるで喪服のような鈍色の着物をなまめかしく着こなしている。



 松風はその女に目を奪われた。それは彼女が美女だったからではない。



(水芽・・・・!?まさか、そんな)



 彼女は21年前にこの町を出た。梓を残して。松風に大量の借りを作ったまま。



(おめおめとまたこの町に来れるはずがない。一体・・・・)



 桜がふりしきるなか、その背中はどんどん遠ざかる。



(21年間音沙汰なしだったのに、今更・・・・)



 体の奥、誰も知らない場所にいまだくすぶりつづける熱がかあっと燃え上がり、松風の体を動かした。



(待て、水芽・・・!俺はまだお前を許したわけじゃない。いや、一生許さない・・・!)



 しかし、追いかけようと歩を踏み出したとき、もうその姿は視界から消えていた。まるでとつぜん消失したかのように。



(消えた・・・?)



 松風はあわててあたりを見渡した。どこにもそれらしい姿はない。そこで我にかえった。



(いや、やめだやめだ。ばかばかしい・・・。)



 ここは大通りから少しはずれた、裏茶屋が多い界隈だ。密会によく使われるので、出入り口はわかりにくく作られている。女が消えたように見えるのも無理はない。



(ただの見間違いだ。あんな程度の女、この町にはうじゃうじゃいる。)



 彼女が松風の前に現れることは二度とない。梓をたてに、そう約束させたのだから。



 松風は気持ちをすばやく切り替えて、見世に帰る歩みを早めた。



 やくたいもない事に時間をついやしている暇はない。最近、見世には不安要素が多いのだ。梓は相変わらず浮き草のようだし、菊染は年季明けが控えている。千寿も情夫が切れてから動きが怪しい。



 彼は15年前の水芽の裏切りも、梓が足抜けした時の事もすべて事細かに覚えていた。事前に彼らに漂っていた焦燥感と、期待に満ちた空気までも。松風の記憶に裏づけされた勘が、最近似たような空気が流れていると告げている。



(何か起こらないように、特に目を光らせておかなければ・・・)







「わぁ~、きれーい!」



 りんはきゃっきゃと笑顔で狭い空を仰いだ。



「あんま大きな声、ださないの!」



 ゆきがその様子をたしなめる。



「・・・いいんじゃない、今日くらい。」



 千寿はのんびりとゆきを宥めた。灯紫も松風も出かけ、今日の昼見世は休みになった。こんな機会はめったにないので見世の庭にゴザを敷いて気持ちばかりの花見をしていた。



「そうだぞゆき。のめのめ・・・おーい、さよ!」



 梓が禿の少女を呼びつけた。



「酒、たのむ」



「はい」



 さよは素直にお酌をした。まさに花の蕾。まだ幼さが残るが、これからが楽しみな美少女ぶりだ。



「・・・・」



 ゆきはそれを見てまごついている。だがさよは慣れたもので、次々と皆の杯に酒を注いでまわる。



「あー、俺はいい」



 しかし隅にいた菊染はぶっきらぼうに断った。それを梓が目ざとくみつける。



「さよの酒が飲めないってか?俺の秘蔵っ子だぞ」



「・・・俺が弱いの、知ってるだろ。やだね、大酒のみは・・・」



「・・・では、ほんの少ーしだけ、注がせていただきますね」



 さよは茶目っけたっぷりに言い、本当に少し、一滴だけ菊染の杯に落とした。



「すげー、器用」



「これだけは得意でして」



 さよは照れたように笑った。



「そー。さよはお酌の名人。それを極めるんだよな」



 彼女はそういわれて恥ずかしそうにうつむいた。



「本当は・・・舞や三線も上達したいんです・・・千寿ねえさまのように・・・」



 さよは千寿をじっと見た。その熱い視線に千寿はたじたじとなってしまった。



「なあ千寿、ちょっとこいつの舞をみてやってくれよ。ずっと千寿に憧れてて、見よう見まねでやってたんだ」



「お願いします、千寿ねえさま・・・!」



 梓はともかく、さよの純真な瞳に見つめられてはかなわない。千寿は微笑ながら言った。



「じゃあ、そこの・・・縁側の上でやってみてもらっていい?」



「はい!」



 さよは縁側に上がり、精一杯舞をはじめた。



 しかし、少女が動き始めたとたん、千寿もゆきもなんとも言えない表情になってしまった。



(これは・・・・・)



(ちょっと・・・・・きびしいぞ・・・・)



・・・かなり、下手だった。



「こんな美少女なのに、もったいないよなあ・・・」



 梓もボソッとつぶやいた。



「うーん、でもまあ・・・最初は誰だって」



「そうですよ、僕だって最初は・・・ここまでではないにせよ・・・」



 少女が舞い終えて千寿の前に正座した。頬は上気して、やる気がみなぎっている。



「どうでしたか!?千寿ねえさま!」



「え、えっと・・・そうだ、ゆき。ちょっと舞いなさい。私が謡をうたうから。さよも一緒にそれを見う?練習も大事だけど、見るのも勉強になるから」



「え・・・ここでですか、姉さま」



 それを見ていたりんはゆきの肩をつっついた。



「りんも見たいー!」



「ぜひお願いします・・・!」



 りんとさよにせがまれて、ゆきは照れながら縁側にあがった。



 すっくと姿勢を正すと、皆が彼に自然と注目した。千寿は彼の準備が整ったのを見届けて、すっと謡いだした。





<月も照りそふ花の袖 

雪をめぐらす神かぐらの手の舞足ぶみ拍子をそろへ・・・>



 それに合わせて、ゆきが踊りだす。少し未熟さは残るが、練習の甲斐あって動きは一つ一つ確かでしっかり決まっていた。千寿は満足気に先を続ける。



<声すみわたる 雲の棧 花に戯れ

枝にむすぼほれかざしも花の 糸桜>



 千寿の澄みきった声に、ゆきの可愛らしい舞。ゆらゆらと散っていく桜の花もあいまって、2人ともまるで桜の精霊のようだった。



「はぁー、タダで見れるなんてもうけもんだぞ、これ」



 梓がつぶやいた。さよは身をのりだしてそれを見ていた。



「すごい!どうすれば、そんな風に上達できますか・・・!?」



 舞い終えたゆきと千寿に、さよは聞いた。



「うーん、一人じゃなくて、何人かで一緒に練習するといいのかも。2人でちょっとやってみようか」



「はい!」



 千寿は、ゆきとさよを縁側に並べて舞の体勢を見比べた。



「こう見ると、ゆきの方が腰の位置が低いのがわかるかな?さよは、もう少し足と足をずらしてごらん。そうすれば・・・」



 3人が稽古をしはじめたのを横目に、梓は酒をあおった。



「菊染、なんでそんなくらーい顔してんだよ。辛気くさいぞ」



 隅にいる菊染の場所までにじりよってきた梓を、彼は嫌そうに腕でおしやった。



「酒くせえよ。酔っ払いの相手はごめんだぜ。仕事じゃあるまいし」



「まあまあ、そう言わず。俺にだけは教えてちょーだいよ。菊染ちゃん、いつごろ行っちゃうの?」



「…まだ時期は決まってねえよ」



「ふ~ん。千寿はどうするの」



「どうって・・・」



 強がって視線をそらす菊染の本心が、梓は手にとるようにわかった。千寿も連れて行きたい。でもどうやって・・・?そう考えると方法は一つしかない。



「・・・実は俺、足抜けしてつかまったことあるんだよな」



 梓の突然の告白に、菊染は思わず聞き返した。



「え、足抜け?」



「そう。前の見世だけど。でも無理だった。あいつがここの遣り手でいる以上、足抜けは絶対につかまる。倍返しにされるからやめとけ」



「・・・そんなの、わかってる」



 菊染はうつむいた。それは何度も考えたことだった。



「・・しかしあんた、そんな事したときがあったんだな」



 少し意外に思った彼は言った。



「何だかんだであんた、ここじゃ一番稼いでいるし。不満なんてないのかと思ってた」



「・・・んなわけ、ねーだろ。いつだって外に行きたかったよ、俺は」



 梓は酒を飲んでいるにもかかわらず、真剣な表情になった。菊染も真剣に聞き返した。



「でもあんた、外に出て行くあてあるのか?ずっとここ育ちなんだろ」



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