ひどい目

小達出みかん

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大空を求めて(12)

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「・・・あなたがこの手紙を手にするころ、私はもう生きていないかもしれません。


 私に良くしてくれたあなたに、こんなことを頼むのは心苦しい・・・でも、あなたしかいないのです。あの閉じられた鳥かごの世界で、お互い励ましあったあなたにしか・・・。


 たいした人生ではありませんでしたが、私には一つだけ悔いがあるのです。


 それは、鳥かごの中に残してきてしまった私の子どものことです。彼のことを思い出さなかった日はありません。息子は、私の犯した過ちのせいで今もそこに縛られてるのです。何とか息子を救い出したい・・・それが死ぬに死ねない、心残りなのです。


・・・こんなことになってしまったわけを、話さなくてはなりませんね。少し長い話になってしまいますが、どうかゆるして。


 私の母は、私を産んですぐに亡くなってしまいましたが、肉親には兄がいました。もっとも別々に育ったのでその顔も、人となりもしりませんでしたが・・・。


 私とあなたがお互い売り出してまもなかったあの時・・・。察しの良いあなたは気がついていたかもしれませんが、あの時すでに私には恋人がいたのです」


 そこで松風がうめき声をもらした。どうやら彼にとっては聞きたくない話らしい。


「彼は、他の見世で働いていました。お互いに恋してはならないとわかっていながら、私たちはあっという間に深い仲になってしまいました。ほどなくして私は腹に子を宿しました。その時、遊女をやめなければと覚悟を決めたのです。どうしても、その子を産みたかったから・・・。


 彼もきっと、賛成して一緒に逃げてくれるだろうと私は信じきっていました。

 ですが、必死に訴える私を、彼はあざ笑い言ったのです。足抜けでも堕胎でも、自分で勝手にするがいい。自分はこうなる日を待っていた。私をどん底に突き落とすために最初から近づいたのだ、と。


 私は耳を疑いました。今まで2人の間にあったことはすべて偽りで、彼が私に一片の愛情もなかったとは、とうてい思えなかったのです。


 そこで、食い下がりました。それでも私はあなたと行きたい。一緒に来てくれるまで絶対にあきらめない、と。すると彼はさらに言いました。自分と私は、同じ母から生まれて兄妹なのだという事を・・・・。


 私は衝撃を受けました。まさか彼が、実の兄だったとは・・・。

 ですが、それで腑に落ちました。なぜ、彼が私を恨んでいたのか。私が産まれたおかげで彼は母も、居場所も失ったのです。なのに私だけいい思いをしている・・・彼はきっとそう思っていたのでしょう。


 彼は私に重ねて言いました。どうだ、これでも自分と一緒に逃げたいか?いい加減夢から覚めろと。


 彼は、私が彼に幻滅し、絶望することを望んでいるようでした。しかしそういいながら、私がどう答えるのか、どこか怖がっているようでした。



 いつの間にか立場は逆転していたのです。私を陥れるために関係をもち、それが成功しそうになった時に彼は気がついてしまったのです。私ともう、離れがたくなっていたことに。


ですから私は、彼が心底で望んでいる通りのことを口にしました。

 それでも私の気持ちは変わらない。この子のために一緒に逃げて、と。


・・・あなたも知っての通り、足抜けは失敗しました。私は彼と引き離され、さんざん見世から叱られました。それでも子をあきらめることはできなかった。なので客に金をせびり、なんとか出産にこぎつけました。皮肉なことにそれが客の心を打ったようで、子連れでもいいからと身請けを打診されたのです。


 男の子だとここでは先行きがありません。良くて奉公、悪くて売られておしまいです。悩んでいた私は渡りに船とばかりにその申し出に飛びつきました。


 ところが身請けの前の晩、彼が私の前に現れました。私が一人になるスキをついて、庭に潜んでいたのです。もうあえないとばかり思っていたので、私は喜んで赤子を抱いて彼の前に飛び出しました。そして驚きました。


 彼のは全身傷だけで、顔からは血を流していました。変わり果てた姿でした。

 彼はあの時つかまって折檻され、殺されそうなところを危うく逃げ出し、それ以来廃人同然の暮らしをしているといいました。


 私は申し訳なさに、頭を地面にこすりつけて詫びました。いくらあやまっても、あやまりたりない。せめて持っていってほしいと自分のだせるありったけのお金を差し出しました。


 すると黙って聞いていた彼はこう言ったのです。

 本当に申し訳ないとおもうなら、息子を渡せ、と。


 それだけはできないという私に、彼はたたみかけました。


 自分はお前のせいで、また全てを失った。なのにお前はまたのうのうと幸せにくらす気だ。だからお前の一番大事なものをよこせ。それでやっと溜飲が下がる、と。


 他のものならば何でもあげるからそれだけは、と願っても彼は意見を変えませんでした。

 彼は、あまりにも長く不遇な目に合いすぎたのです。その恨みつらみが、あの時すべて私に向かって噴出しました。


 時間はありませんでした。見世のものにみつかったら次こそ彼は殺されてしまうかもしれません。これ以上彼を傷つけたくなかった私は最低で最善の選択をしました。


 彼に、子を渡してしまったのです。

 しかし私も彼に約束させました。売り飛ばしたり虐待したりせず、この子をちゃんと育ててほしいと。そして証文とお金を渡しました。


 2人とは、それっきりでした。・・・息子から手紙が届くまでは。


 なので私は、最後の気力を振り絞ってこの手紙を書いています。


 灯紫・・・あなたのお店に息子がいるなんて。最初は驚きましたが、この縁にこの上ない幸運を感じています。

 どうか、このお金で息子を松風から助けてやって下さい。どんな風に使ってもかまいません。梓が助かるならば・・・。

 ついしん・・・・と、ここはもういいね。」


灯紫はふっと息をついて、朗読を終えた。


(つまり、松風は梓の実の父親ってこと・・・!?)


 皆、胸中では嵐が吹き荒れていたがあまりの事にだれも口を聞けなかった。


 その沈黙をやぶったのは梓だった。


「じゃあ、俺は大手を振って出てっていいって事だよな。松風、さっきの証文をよこせよ。破り捨ててやる」


 皆がおそるおそる松風に目を向けた。ところが松風は灯紫に向かって言った。


「渡しません。その手紙が本物かどうか、わかったもんじゃない」


「てめえ、この期におよんで」


 梓が色めきたったが、灯紫がそれを抑えて静かに言った。


「これをもってきたのは、水芽の最後を看取った召使さ。疑うなら、彼女を呼んで聞けば、すぐわかる・・・・でも、そんなことしなくたってアンタが一番わかってるだろ、松風」


 松風は口を真一文字に結んで、じっと灯紫に視線を注いだ。灯紫は噛み砕くように優しく言った。


「あんたのつらい思いもわかるけどね・・・。梓にはなんの咎もないんだから。もう十分、上がりは手にしたろ?そろそろ手放してやんないと、死んだ水芽が浮かばれないよ」


 形勢の悪くなった松風は何も答えない。その神経の糸がピンと張り詰めているのが千寿にはわかった・


(まずい、これ以上刺激したら・・・・!)


 千寿の脳裏に、発狂した継母の顔が浮かんだ。


 今ならわかる。彼女はなりたくてああなったわけじゃない。ギリギリまで追い詰められて、あの行動に出たのだ。


 だが、誰も責められない。父が常夏を愛したから、千寿は生まれた。そして夕那と惹かれ合うのを、とめることはできなかった・・・。


(でも、もし・・・・)


 夕那がもう少し、両親の仲を気にしていれば。父がもっと、継母を気遣っていたら。千寿や近江がもう少し、彼女に歩み寄っていれば。


 誰も悪くない。だが皆が少しづつ、気にかけていれば・・・・。


(彼女もああならなかったかもしれない)


 松風も・・・彼が本当に求めているのはお金などではない。


 水芽が全てを捨てて、彼と心中すればよかったのか?梓が一生、彼のものでいればいいのか?



(でも・・・それはできない。不毛なだけだ・・・)


 千寿が必死で考えをめぐらせている中、松風がつぶやいた。


「・・・・これでは完全に、私が悪者ですね」


 灯紫が渋い顔をした。


「そうは言ってないよ」


「では・・・消えるとしましょう」


 そういって松風は立ち上がった。


「証文は私の手で破棄します・・・その手紙がある以上、どのみちもう無効ですから」


 そして部屋を出た。その背中はさびしげで、千寿は思わず呼び止めそうになったが、こらえた。


「え・・・・うそ」


 菊染がつぶやいた。


「何か裏があるとかじゃ、ねえよな?」



 梓もいぶかしげだ。あまりにあっさり松風が退いたため、2人とも疑っているようだ。


「・・・かなりの暴露でしたからね。これ以上ごねても無駄だと察したんでしょう。しかしまあ、なかなか判断の早い御仁ですね」


「頭は切れる奴だからね・・・にしても私は刃傷沙汰になるんじゃないかってひやひやしちまったよ」


 筝琴が解説し、灯紫がそう漏らした。


「しかしまあ、つくづくこの商売がいやになっちまったよ、ハァ・・・」


 そうひとりごちる灯紫に、筝琴が優しく言った。


「見たところ、楼主さまはなかなか良いお手をしてらっしゃいます。琴の師匠なんかをやられるのも良いかもしれませんよ」


 灯紫は少しおどろいたようだった。


「あんた、手を見ただけでそんなことわかるのかい?」


「ええ。技に通じる方は、それが手や顔に現れるものです。魅力的な女人なら、なおさらね」


「え・・・・」


 灯紫が戸惑っているのを見て、千寿もおどろいた。


(師匠が、灯紫さまを口説いてる・・・・!)


 そんな3人を尻目に、梓が切り出した。


「じゃあ、俺たち出て行くな。世話になったぜ、灯紫サン」


 あんな秘密が暴かれた後なのに、梓はどこか晴れやかな顔だった。


「ああ、三人ともお行き。もう誰もとめないよ」


「・・・ありがとうございました」


 千寿は深々と頭を下げた。


「やめとくれ。礼を言われるような立場じゃないんだよ、私は」


「そんなこと・・・」


 言いかけた千寿を、筝琴がさえぎった。



「また、お手紙など差し上げますので。千寿がお世話になりました」


「ああ、こっちこそ・・・今日あんたがいてくれて助かったよ」


 そういう灯紫の顔が、心なしか華やいでいた。







「あの、私」


 部屋を出た後、千寿は思い出したように言った。


「まだ部屋に荷物を置きっぱなしで・・・とってくるので、ちょっと待っててください」


 そういって千寿は駆け出した。


(このままじゃ、なんか・・・なんか嫌な予感がする)


 心臓がやたらどくどくと脈打っている。千寿は松風がいつもいる内証の襖をばっと開けた。そこで目にしたのは―



「なんですか。千寿。騒々しい・・・・」


 いつもどおりの松風だった。


(なあんだ、よかったあ・・・・)


 千寿はぜいぜいと息を切らせて、座りこんだ。松風は迷惑そうにそれを一瞥し、作業に戻った。


「用がないなら出て行ってください。忙しいのですよ、私は」


 松風は手際よく荷物をまとめていた。


「あ、あれ・・・・出て、いくんですか?」


「ええ、出て行きますよ」


 千寿は言いたいことはあるのに、何を言ったら良いかわからずまごついた。その間に松風は荷物をまとめ終え、それを背負った。ずいぶん小さなつつみだ。


「あ、あの・・・」


「千寿」


 松風が千寿を見た。


「何も言わなくて、けっこう。あなたに哀れまれるほど、おちぶれてはいません」


「それは・・・」


 ちがう、といいかけた千寿を無視して松風は続けた。


「それと私はあなたとちがって、自死を試みるような軟弱者ではありません。安心なさい」


「うっ・・・」


 二重に見透かされていたのか・・・。千寿は肩をすぼめた。


「誰と重ねているか知りませんが、そのしみったれた顔を私に向けるのはおやめなさい。不愉快です」


「ご、ごめんなさい・・・」


 千寿はぐうの音も出なかった。


(たしかに、松風は強い人だ。継母と一緒にして心配するのは、おこがましかった・・・。)


 それに何が言えるんだろう。奪っていくほうの自分が・・・・・。


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