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冬の朝※
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夜間に吹き抜けていった凍てつく風が、庭の池に薄氷を張り、木々の上にうっすら霜を置いていく。冬が深まってきた証拠だ。澪子は外の寒さに想いを馳せながら、温かい布団の中からえいと顔を出した。案の定、冷えた空気が鼻先を冷たくした。
火鉢に火を起こそう。澪子はそう思って布団から出ようとした。すると、澪子を抱きしめて眠っていた百夜がその動きを封じた。
「澪、もう起きるのですか」
「はい、火を起こそうと思いまして。いつも、百夜様がやってくださるので」
百夜は動こうとする澪をぎゅっと抱きしめた。
「…もう少しだけこうしていてはいけませんか」
そういわれると、澪子に断る理由はない。
「大丈夫ですよ。百夜様、お眠いでしょう?…昨晩また、どこかへいらしていたでしょう?この寒いのに…」
澪子が聞くと、百夜はしばし沈黙した。百夜はいつも、澪子が眠った夜半にどこかへ行く。そして明け方戻ってきて、火鉢を温めているのだ。だが今日は隣にいたので、澪子は意外に思った。
「…気が付いていたのですか」
少し気まずそうに百夜が言った。
「はい。でも…百夜様が言いたくなければ、言わなくてもいいです」
「…澪」
戸惑うような声を出した百夜に、澪子は重ねて伝えた。
「きっと言えないことだってあると思います。でも…でももし私になにかできることがあったら、言ってくださいね。辛かったら、抱え込まないでほしいです」
自分と彼は、鬼と人間なのだ。普通の夫婦とはちがう。特に澪子は、何のとりえもない村の娘でしかない。彼にとって不都合な部分だってあるはずだ。末永く一緒に暮らしていくためには、お互いの歩み寄りや配慮が必要だろう。澪子はそう思っていた。
百夜はじっと澪子を見た後、ほうっとため息を漏らすようにして笑った。
「澪…あなたは本当に、優しい。たまには私を困らせてほしいのに」
「困らせて?」
聞き返した澪子の唇を、百夜は指でなぞった。
「はい。何かとんでもないわがままを言ってほしいです。困難な事であるほどいい。その方が、喜ばせ甲斐があるというものです」
そんな事を言われても、つつましく生きてきた澪子には何も思い浮かばない。
「うーん…難しい事をおっしゃりますね」
百夜はゆるゆると澪子の頭を撫でた。
「私の前では、物分かりよくする必要も、我慢する必要もないのですよ。何でも言ってほしい。だってあなたの喜びが、私の喜びなのですから」
そこまで言われて、澪子はふふと笑った。
「百夜様の腕の中は、暖かいですね…毎朝でなくていいので、たまにはこうして目覚めたいです」
百夜はじっと澪子の目を覗き込んで咎めるように言った。
「澪…そんなつまらない事でなくて」
「えぇ~…つまらなくなんて、ないですよ」
心なしか拗ねたような澪子の頭を、すうっと百夜の手が撫ぜた。まるで子どもにするように。
「澪は本当に、無欲ですね。あなたのそんなところが、たまらなく愛しい」
彼の唇が、優しく澪子の唇に重ねられた、その時。
外の廊下をととと、と走る軽快な足音が聞こえた。
「ご主人サマ、門に、お客サマ…!!」
少し慌てたように、外からましろがそう告げた。百夜はけだるげに息をついてつぶやいた。
「ああ…風来ふうらいか…わかった、今行きます」
彼は単衣を纏いなおし、首をかたむけて澪子を見た。銀の髪がさらさらと流れるように落ちる。
「残念ですが…続きはあとで。澪、待っていただけますか?」
澪子はあわてて布をかきあつめて起き上がった。甘美な朝寝だったが、それより降ってわいたような来客の方が気になる。
「お客さん?人を迷わすこの山にですか?」
百夜は少し面食らった。
「人間でなく、私と同類の者です。条件を満たした妖ならば、ここに足を踏み入れる事ができます。もっとも…封じられた空間を好む妖などいないので、来るのは物好きだけなのですが」
百夜に客がくるなど初めてだ。ひさびさの好奇心が、澪子を突き動かした。さっと起き上がってちゃきちゃき単衣を着込んで袴をつけた澪を見て、百夜はかすかに唇を尖らせた。
「…まだ布団にいていいのに、澪」
ここ数か月で伸びた髪を簡単にくくりながら澪子は元気よく言った。
「はい!それよりお客様なんて初めてですね!お茶をお出ししないと。私、ましろさんを手伝ってきますね」
それを聞いて、百夜の眉根が寄った。
「そんな事する必要はありません。澪子は表にでないで、ここでゆっくり体を休めて下さい」
「そんな事できませんよ。妻なのですから!お客様にご挨拶くらいしないと」
張り切っている澪子を見て、百夜はいかにも不承不承といった体で桂うちぎを取って澪子に着せかけた。
「では少し顔を出して、すぐ下がってくださいね。別にどうでもいい客ですから。ほら、これも重ねて」
「百夜様と同じ、鬼なのですか?それとも狐?」
「いいえ、天狗です」
次々と衣を着せられ、澪子は絵巻の姫のように着ぶくれ、ずるずると裾を引きずりながら百夜のあとをついて部屋を出た。
火鉢に火を起こそう。澪子はそう思って布団から出ようとした。すると、澪子を抱きしめて眠っていた百夜がその動きを封じた。
「澪、もう起きるのですか」
「はい、火を起こそうと思いまして。いつも、百夜様がやってくださるので」
百夜は動こうとする澪をぎゅっと抱きしめた。
「…もう少しだけこうしていてはいけませんか」
そういわれると、澪子に断る理由はない。
「大丈夫ですよ。百夜様、お眠いでしょう?…昨晩また、どこかへいらしていたでしょう?この寒いのに…」
澪子が聞くと、百夜はしばし沈黙した。百夜はいつも、澪子が眠った夜半にどこかへ行く。そして明け方戻ってきて、火鉢を温めているのだ。だが今日は隣にいたので、澪子は意外に思った。
「…気が付いていたのですか」
少し気まずそうに百夜が言った。
「はい。でも…百夜様が言いたくなければ、言わなくてもいいです」
「…澪」
戸惑うような声を出した百夜に、澪子は重ねて伝えた。
「きっと言えないことだってあると思います。でも…でももし私になにかできることがあったら、言ってくださいね。辛かったら、抱え込まないでほしいです」
自分と彼は、鬼と人間なのだ。普通の夫婦とはちがう。特に澪子は、何のとりえもない村の娘でしかない。彼にとって不都合な部分だってあるはずだ。末永く一緒に暮らしていくためには、お互いの歩み寄りや配慮が必要だろう。澪子はそう思っていた。
百夜はじっと澪子を見た後、ほうっとため息を漏らすようにして笑った。
「澪…あなたは本当に、優しい。たまには私を困らせてほしいのに」
「困らせて?」
聞き返した澪子の唇を、百夜は指でなぞった。
「はい。何かとんでもないわがままを言ってほしいです。困難な事であるほどいい。その方が、喜ばせ甲斐があるというものです」
そんな事を言われても、つつましく生きてきた澪子には何も思い浮かばない。
「うーん…難しい事をおっしゃりますね」
百夜はゆるゆると澪子の頭を撫でた。
「私の前では、物分かりよくする必要も、我慢する必要もないのですよ。何でも言ってほしい。だってあなたの喜びが、私の喜びなのですから」
そこまで言われて、澪子はふふと笑った。
「百夜様の腕の中は、暖かいですね…毎朝でなくていいので、たまにはこうして目覚めたいです」
百夜はじっと澪子の目を覗き込んで咎めるように言った。
「澪…そんなつまらない事でなくて」
「えぇ~…つまらなくなんて、ないですよ」
心なしか拗ねたような澪子の頭を、すうっと百夜の手が撫ぜた。まるで子どもにするように。
「澪は本当に、無欲ですね。あなたのそんなところが、たまらなく愛しい」
彼の唇が、優しく澪子の唇に重ねられた、その時。
外の廊下をととと、と走る軽快な足音が聞こえた。
「ご主人サマ、門に、お客サマ…!!」
少し慌てたように、外からましろがそう告げた。百夜はけだるげに息をついてつぶやいた。
「ああ…風来ふうらいか…わかった、今行きます」
彼は単衣を纏いなおし、首をかたむけて澪子を見た。銀の髪がさらさらと流れるように落ちる。
「残念ですが…続きはあとで。澪、待っていただけますか?」
澪子はあわてて布をかきあつめて起き上がった。甘美な朝寝だったが、それより降ってわいたような来客の方が気になる。
「お客さん?人を迷わすこの山にですか?」
百夜は少し面食らった。
「人間でなく、私と同類の者です。条件を満たした妖ならば、ここに足を踏み入れる事ができます。もっとも…封じられた空間を好む妖などいないので、来るのは物好きだけなのですが」
百夜に客がくるなど初めてだ。ひさびさの好奇心が、澪子を突き動かした。さっと起き上がってちゃきちゃき単衣を着込んで袴をつけた澪を見て、百夜はかすかに唇を尖らせた。
「…まだ布団にいていいのに、澪」
ここ数か月で伸びた髪を簡単にくくりながら澪子は元気よく言った。
「はい!それよりお客様なんて初めてですね!お茶をお出ししないと。私、ましろさんを手伝ってきますね」
それを聞いて、百夜の眉根が寄った。
「そんな事する必要はありません。澪子は表にでないで、ここでゆっくり体を休めて下さい」
「そんな事できませんよ。妻なのですから!お客様にご挨拶くらいしないと」
張り切っている澪子を見て、百夜はいかにも不承不承といった体で桂うちぎを取って澪子に着せかけた。
「では少し顔を出して、すぐ下がってくださいね。別にどうでもいい客ですから。ほら、これも重ねて」
「百夜様と同じ、鬼なのですか?それとも狐?」
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