鬼様に生贄として捧げられたはずが、なぜか溺愛花嫁生活を送っています!?

小達出みかん

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長寿を願って

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 はらりと冷たい風が木々の間を舞い、最後の一枚の葉を散らした。昨夜はちょうど晩秋から初冬へと移り変わった夜だった。しかし澪子の部屋は大きな火鉢で温められ、暑いくらいの中で澪子は目を覚ました。

「あ…百夜様」

 澪子は身を起こして、ぼんやり帳をめくって彼を見た。火鉢の面倒をみていた彼は澪子を見て微笑んだ。

「おはようございます、澪子」

 いつもと変わりないその端正な微笑みに、澪子もついいつもの調子で返した。

「あ…寝坊してしまいました、ましろは…」

「今日は大丈夫だと私が言っておきましたよ。それよりも」

 彼は手元に置いてあった単衣を取って澪子の肩にかけた。

「それでは寒いでしょう、澪」

 温かいせいで気が付かなかったが、澪子は素裸であった。

「っ…!」

 慌てて敷布をかき集め、澪子は自分の体をかくした。それと同時に昨日の事が思い出され、顔がかあっと紅くなる。

「澪?大丈夫ですか」

普通こういう時、殿方は夜が明ける前に女の寝室を去るものではないのか。 澪子は彼の顔をみれないまま口走った。

「ど、どうして百夜様は、わ、私の寝室に朝まで…?!」

 しかし、彼は首をかしげて当たり前のように言った。

「居てはいけませんか?」

「そ、そんな事は、ありません、けど…」

 そもそもここは彼の屋敷だ。うつむいた澪子の言葉は尻すぼみになった。

(…あんなだらしがない顔を、見られてしまったのが…恥ずかしい…!!)

 澪子は布団につっぷしてそのまま敷布をかぶりたい衝動にかられた。穴があったら入りたい欲が再燃した。
 しかし一方で、彼が朝までそばにいてくれたという事が嬉しくもあった。甘酸っぱいようなくすぐったいような、妙な心持ちだ。
 脳内が様々な感情でぐちゃぐちゃしている澪子に、彼はにこりと微笑んで言った。

「朝まで一緒にいるのはこれからは当たり前ですよ、澪。私たちは夫婦(めおと)になったのですから」

 さらりと言われたその言葉に澪子は仰天した。

「め、めめ夫婦!?」

「そうですよ。昨晩、私は澪の初めてを頂きました。だからあなたは今日から人妻なのですよ…いや」

 百夜は艶っぽく笑みを浮かべ言いなおした。

「人妻、ではなく鬼妻、というべきですか」

 その響きに、澪子は困惑した。

「…人…いや鬼妻?私が…?」

 結婚など、自分には縁遠い事と思っていた。自分がいつか誰かの妻になるとは、考えたこともなかった。

「ええ、あなたは夫を持つ身となったのです。本来ならあなたの両親や親族に承認を得て周知するべきですが…」

 まだその響きを受け止められない澪子はあいまいに首を振った。

「いや、その必要はないです…私に親はいないので…」

 むしろ厄介払いができたと、叔父や蝶子たちはせいせいするにちがいない。きっと鬼に食われたと思って、澪子の事など思い出しもしていないだろう。

 彼らは知るべくもないが、自分はこの深山の懐で、一生この美しい鬼と添うて暮らす。
 そう思うと、澪子の胸の内がさあっと明るくなり、清涼な風がすうっと通ったような心地になった。まるでずっと締め切っていた暗い部屋の窓を開けたかのように。

「そっか…私…百夜様の妻に、していただいたんですね」

 言葉にすると、澪子の胸に暖かいものが広がった。私はもう、一人ではないのだ。こうして抱き合っていればいつか新しい家族も…。そう思うと真新しい嬉しさで体がいっぱいになり、自然と顔に笑みが広がっていた。

「嬉しいです。百夜様のような方の妻になれるなんて…私では役不足かもしれませんが、精一杯務めさせていただきますね。いつか…いつか、百夜様のやや子も」

 心からの笑みを浮かべる澪子を、百夜はまぶしい物を見るように目を細めて微笑んだ。そして皿を差しだした。

「どうぞ澪」

 そこには焦げ目のついた小さな蜜柑のようなものが載っていた。

「これは…?」

「庭の木になっている橘です。そのままだと酸いので、今火鉢で焼いていたのです」

「あ、ありがとうございます…」

 食べ物ならば何でもありがたく頂く澪子は、その橘を手に取って皮をむいた。

「食べるの、初めてです。橘って食用ではなく、観賞用だと思っていました」

「ええ、そうですね。常緑の葉が縁起がいいと、都人などには好まれているようです。…どうです?」

 薄くだいだい色に色づいた房を口に入れた澪子は、驚きに目を見開いた。

「蜜柑よりも、甘い…!ぜんぜんすっぱくないです」

 焼かれたせいか、果汁は温まって、葛汁を煮詰めたような濃い甘い味がした。少し焦がしたような苦みと柑橘の甘さが溶け合い、じゅわっと澪子の舌の上に広がった

「…ならよかったです。澪に美味しく食べてほしかったので」

 百夜はほっとしたように笑った。

「そうなんですか?」

 よくわからなくて問い返した澪子に、百夜はふっと宙を見て言った。

「橘の言い伝えを、知っていますか?」

「いいえ、どんな…?」

 無邪気に聞く澪子に、百夜は子どもにするように語りだした。

「昔々、この国の帝が金色の果実を求めた。永遠に香るその実は、不老不死の霊薬と信じられていたそうです。忠臣が、常世の国からその実を帝にもって帰った…それが橘だという伝説です」

「へぇぇ…橘が…そうだったんですね」

 だから縁起物なのか、と澪子は納得した。

「この橘は、見たところ普通の果物でしかありません。それも酸っぱいので食用には向かない―…ですが、伝説というのは、それなりの理由があって後世に語り継がれるものだと聞きます。知っていて何もしないより…栽培して、食して試してみた方がいい。そう思って、私はこの橘を育ててきました。…以前の私が見たら、笑い飛ばすでしょうが」

 なんだか真剣な話のようだと思って澪子はうなずいた。

「そ、そうなのですね。でも挑戦するのは、大事な事です。それに…ぜんぜん酸っぱくありませんでしたよ。甘くておいしいです」

 そういうと、百夜の顔が柔らかくほころんだ。

「ふふ、朝な夕なと調合した肥料をやっていたかいがありました。できれば美味しく食べてもらいたかったので」

 澪子は応えて一緒に微笑んだ。

「とても美味しかったです。一緒に食べましょう?二人で長生きできるかもしれません」

 なんの二心もなくそう言った澪だったが、百夜の表情は曇った。

「…百夜様?」

 そっと顔を覗き込んだ澪子の頬に、百夜は指をすべらせた。

「正直に言いましょう、澪…。私は鬼です。なので人間のあなたとの間には、子はできない。そして私の寿命は、あなたのものよりとても、とても長いのです」

 澪子ははっとした。なぜ、その可能性を考えなかったのだろうか。自分と彼は違う生き物であるのに。嬉しさで舞い上がって、深く考えが至らなかったのかもしれない。澪子は少し肩を落として問いかけた。

「では…私は百夜様より先に死ぬという事ですね」

 澪子の口から出たその言葉に、百夜の顔が悲し気に歪んだ。

「ええ…でも私は…私は澪に、もっと長く生きていて、欲しいのです」

 それを聞いて、澪子の目は困ったように泳いだ。寿命は、努力ではどうにもならない事だからだ。だけど。

「でも…ええと、私がお婆さんになるまでは、けっこう長いと思いますよ」

「…あなたが生きる日が一日でも伸びるのなら、なんでも試してみたいのです」

 百夜の声には切実さが滲んでいた。彼がこんなに不安がっている理由がよくわからなかったが、とにかく澪子はうなずいた。百夜はふっと肩の力を抜いた。

「すみません。いきなりこんな話をして…夫婦になったばかりだというのに」

 謝る彼の姿がなんだかとてもいじらしく感じて、澪子は明るく励ますように言った。

「いいえ、いいんです。百夜様。辛い事や不安な事があったら、何でも言ってください。一緒に解決する方法を考えましょう!夫婦…なのですから」

 そういう澪子を見て、百夜は目を細めた。そして軽くついばむような口づけを、その唇に落としたのだった。
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