鬼様に生贄として捧げられたはずが、なぜか溺愛花嫁生活を送っています!?

小達出みかん

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落ちた下駄

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「澪…澪…!どこにいったんだ…!」

 寒い冬の山をさまよう泰信のあとを、蝶子は苦虫をかみつぶしたような顔で歩いていた。

「兄さん…もう、探しても無駄よ。寒いわ。戻りましょう?」

「寒いだって…?それなのに、お前らは澪子を放り出したんだろう!」

 蝶子はため息をついた。それもこれも、泰信に問い詰められた母がぺらぺら本当の事をしゃべってしまったからだ。寒さに肩がぶるりと震え、蝶子は舌打ちしたくなった。

(ったく、せっかく生贄にやっても水は手に入らないし、兄さんは怒るし、死んでからもあいつは役立たずよ)

 澪子が生贄にされた聞いた泰信は、暇さえあればこうして山に入って澪子を探すようになった。ある時など、彼女を見たと大騒ぎして、両親と蝶子をあきれさせた。

(…澪子が生きてるわけないじゃない。あれからどれだけ経ったと思ってるのよ)

 だが泰信は彼女を見たと言って、探しに行くのをやめはしなかった。もしかして、澪子が死んだ事が受け入れられず…泰信の心は、どこかおかしくなってしまったのかもしれない。そのたびに蝶子はとりあえず彼につきあって山へ入った。こんな兄でも長男だ。跡取りが狂って山で失踪などすれば、ただでさえ悪い神社の外聞がもっと悪くなる。神社としてやっていけなくなるかもしれない。

 雪の中を歩くことが嫌になった蝶子は、うんざりした声で嘘の言い訳をした。

「…私は知らなかっのよ。知ってたら、止めてたわよ…父さんもひどい事するわ。」

「…お前だって、母さんと一緒になって澪子をいじめていただろ。その上命も取るなんて、お前らは情け知らずの鬼だ」

 そのきつい言葉に、蝶子は顔をひきつらせ、大きな泣き声を出してしゃがみこんだ。

「ひどいわ…っ!たしかに澪とは喧嘩することもあったけど…!命を取るつもりなんてなかったわ…。彼女が帰ってこなくて、私も怖かったのよ。食べられてしまったのかって…ううぅ…!」

 泣きじゃくりだした妹を見て、泰信はため息をついて言った。

「怖いんだったらお前は戻ってろ。俺一人で行くから」

「だめよ。兄さんも一緒に戻って。迷って出てこれなくなってしまうわ…ほら、霧も出てきた」

 しかし彼は無言で歩きだした。泣き落としが効かないことを悟った蝶子は、はぁとため息をついて彼のあとをついて言った。

「今亡骸だけ探しに行ったって、兄さんも迷うのが落ちだわ。弔いなら、もうしたじゃない。これ以上行くのはやめましょう」

「…お前、もうついてくるな。捜索の邪魔だ」

 冷たくそう言い捨てた泰信に、蝶子は意地悪く聞いた。

「へぇぇ、そう。私は兄さんのためを思って言っているのに。忘れた方がいいって。穴ぼこだらけになって腐った澪子を見たいの?もう澪子だともわからないわよ。」

「うるさい、黙れ性悪」

「その性悪があなたの妹よ」

「…反吐が出る。自分自身にもな」

 ずんずん雪道を歩く彼についていきながら、蝶子はため息をついた。

「ねぇ、足が冷たいわ。凍えそう。私一人帰っても父さんに殴られるわ。一緒に戻って」

「馬鹿いえ。親父はお前は殴ったことないだろう」

 歩みを止めない泰信に、蝶子は諦めたようにため息をついた。ずんずん歩いていくうちに、水影峠まで来てしまった。泰信はじっと麓から山の頂上を見上げた。どこかに澪子がいるのではないかというように。

「ねぇ、無謀だわ兄さん…え、どうしたのよ?」

 なお止めようとした蝶子だったが、泰信がぽかんと口を開けて一点を凝視していたので不可解に思って顔をそちらへ向けた。

「あ…あれは!?」

 山の稜線すれすれに、何か白いものが飛んでいた。こちらへ向かって降りてくるようだ。最初は鳥かと思ったが、それらが近づいてきて蝶子は目を見張った。

「澪子…!?」

 死んだと思った従姉が、空を飛んでいる。それも美しい男に、大事そうに横抱きにされて。
澪子はい以前よりも娘らしくふっくらし、髪は艶々と光っていた。
幾重にも包まれた包装紙のようなその衣装は遠目にもわかるほど豪華で、蝶子は思わず彼女に向かって手を伸ばした。

「もったいないわ…!あんな衣装、あの娘には!」

 生贄に出したはずの澪子が生きていて、しかも何やら贅沢を味わって暮らしているとは。…自分は、縁談も流れあの神社でみじめにくすぶっているというのに。蝶子の中に怒りが燃え上がった。

「おかしいじゃない…!」

 するとその時、二人から何か白い物が落ちて、蝶子たちのすぐそばまでガサガサと転げ落ちてくる音がした。澪子は慌てたように男を見上げたが、男は微笑んでうなずき、そのまま2人は山のどこかへと降りてしまいその姿は消えた。
 泰信は茫然とまだ空を見上げていたが、蝶子は猛然と音のした方へ向かい、二人の落とし物を手にして戻ってきた。

「見て兄さん、これ…!」

 その手は、まばゆく輝く白下駄の片割れをむんずとつかんでいた。しゃらしゃらと鈴の音が鳴る。

「あの子、私たちの生活が苦しいのに、自分だけ鬼のもとで贅沢ざんまいしてるのよ…!」

 泰信は混乱した顔で首をひねった。

「今の、澪子だったか?たしかに顔は似ていたけど…」

「そうよ澪子よ!鬼の方についたんだわ!憎たらしいったら」

「さっきの子が澪子だとして…鬼についた?どういう事だ…?」

「もう!鈍いんだからッ。澪子は鬼の女になったのよ!私たちを裏切ったんだわ!」

 泰信ははっとした後、顔をゆがめて蝶子に言った。

「澪子は生きているんだ…!もしかしたら無理やり、鬼の元にとどまらせられているのかも…!」

「馬鹿ね、あの子の緩んだ顔見なかったの?もうあの子は化け物の女にされちゃったのよ」

「そんなのわからないじゃないか…!俺は澪子を助けにいく」

「何あほなこと言ってんのよ…!」

 しかしその時、誰かがこちらへ向かって歩いてくる足音が聞こえ、2人は固まった。泰信は勇気を振り絞り、山道を振り返った。すると…

「その下駄を、返してもらえますか」

 二人の後ろに、貴人のような男が立っていた。絵に描かれたかのように整った鼻梁。物静かなたたずまいに、銀の髪。およそ鬼らしくないが、その髪の間から伸びる2本の角に、彼が鬼である事がわかった。泰信は体を硬直させ、蝶子はびくっと震えた。

「返してもらえますか」

 百夜はずいと一歩近づいた。が、泰信は勇気を振り絞って叫んだ。

「み…澪、澪子を返せ!」

 百夜は顔を歪め、微笑んだ。

「彼女を返して、どうするつもりです。また食事も与えず召使をさせるのですか」

「させない!澪子は…彼女は、俺の妻になるんだ!」

 それを聞いて、蝶子は怖さも忘れて食って掛かった。

「何を言ってるのよ!そんな事、父さんが許すわけないでしょ!兄さんには縁談が…!」

「うるさい!そんなの関係ない!」

 その言葉に、百夜の冷たい笑みは消えて真顔になった。

「あなたはずっと、澪を守ってこれなかった。今までできなかったことがこれからできるわけがない」

 その冷徹な言葉に、泰信はぐっと詰まった。

「…何か言い返したらどうです」

 百夜はそう言った。その声にはかすかに、悲しい響きがあった。

「あなたに覚悟はありますか。家よりも澪を取れますか」

 泰信はためらったが、前のめりになって是と答えようとした。だが…

「何よ…!二人して澪、澪って。あんた、私たちが誰か知ってて口をきいているの?それとも澪子から聞いたの?!」

 蝶子がその会話に割って入った。百夜のほうへキッとしたまなざしを向ける。泰信はそれ以上は何も言わなかった。百夜は蝶子の方ではなく、泰信を見て失望したようにため息をつき、肩を落とした。

「…いいえ。澪は何も。でもあなたがたのことはよく知っています。泰信に蝶子」

 口調は穏やかだが、彼からは不穏な気が立ち上っていた。名前を呼ばれて、2人はびくっと肩を震わせた。

「な、な、何よ…私たちをどうにかする気…!」

「いいえ。むしろ私は頼みに来ました」

 百夜がいきなりそう言って、ふっと肩の力を抜いた。そして、その頭を下げた。銀の髪が地面につくほど深く。

「どうかあとしばらく、私たちをそっとしておいてください。私は澪と、ただ静かに暮らしたいだけなのです」

 恐ろしいと聞かされてきた鬼が、まさか初対面の人間に向かって頭を下げるとは。そこまで澪子が大事なのだろうか…。そう思った瞬間、蝶子の中で面白くない気持ちが膨れ上がった。

「ど…どういうことよ、それ…!?」

 百夜は頭を上げ、二人を見た。そのまなざしは凪いだ海のように静かだった。

「あなたがたの邪魔はしませんし、いずれ川も人間の手に戻るでしょう。ですから今までどおり、この山には踏み込まないでいただきたい」

「ふ…ふざけないで!なんで鬼のいう事をおとなしく聞かなきゃならないのよ!」

 その発言を、泰信がたしなめた。彼は鬼から目をそらすようにして蝶子の腕を引いた。

「よせ蝶子…もう行くぞ」

「だって…!」

 蝶子は泰信を睨んだ。やりどころのない怒りと、自分は損をしているという思いが、彼女の中にうずまいていた。

(泰信もこの鬼も澪子のことばかり…!だいたい、鬼がこんな綺麗な男だなんて聞いてないわ。ああ、澪子じゃなくて私が山に行っていれば…!)

 そしたら今頃、屋敷に囲われて大事にされていたのは蝶子の方だったかもしれない。いや、そうに違いない。あんな貧相な澪子より、自分の方がずっと美しく女としての価値は高いのだから。蝶子は唇を噛んだあと鬼の方へ向き直って笑顔を作った。

「決めた。私も生贄になるわ。鬼さん、私を連れて帰って」

 百夜は一瞬眉をひそめたが、すぐ元の無表情に戻った。

「私は人間を食べませんし、無益な殺生はしないと決めています。なので生贄は無用」

「…っ、そうじゃなくて、私も澪子のように…」

 作り笑いでそう言った蝶子を見て、百夜はその意図を察し、スッと冷たい表情になった。

「私の妻はただひとり、澪だけです」

 明確な拒絶だったが、蝶子はめげなかった。

「一人でなくてもいいじゃない。私、あの子より綺麗だし、若いわ。一緒に過ごせばきっとあなたも私を気に入るわ!」

 百夜は言いつのる蝶子を無視して泰信に言った。

「泰信、私の頼みを忘れないで下さい。では」

 さっとひるがえったその背中を、蝶子は追った。

「ま、待って!待ってよ…!私も一緒に連れて行って…!」

 執念の脚力で鬼に追いついた蝶子は、彼の袖をむんずとつかんだ。

「待ってよぉ…!」

 百夜は静かに袖を引いた。

「離して下さい。あなたを無駄に傷つけたくはない」

 澪子に対しては絶対に出さない、感情のこもらぬ冷たい声で百夜は言った。だが蝶子は彼の言葉にぽっと頬を染めた。

「まぁ…あ、あなたになら傷つけられても私、かまわない…なんでもするわ」

「では私の頼みを聞いてください。私たちに構わないでほしい」

「ええ、聞くわ。聞けば澪子を追い出して、私を妻にしてくださる?」

 必死に言いつのる蝶子を見て、百夜の動きが止まった。蝶子は彼が迷っているのだと思ってたたみかけた。

「あんな子、鬼様にはふさわしくないわ。醜いし、どんくさいし、何の役にも立たたない無駄飯喰らいよ。私の方がずっと…きゃっ」

百夜はばっと彼女の手から袖を引き抜いた。はずみで蝶子はよろけて尻もちをついた。

「…私の妻を愚弄するとは」

 百夜は蔑みと怒りの混ざった目で蝶子を見下ろした。その剣幕に、蝶子は思わず身をすくめた。

「…以前から、お前は目障りだった。だが…」

 百夜は不快気に眉をひそめて言い捨てた。

「私はもう、誰も殺さない。殺せば澪が悲しむ。澪に免じて…お前の罪は許してやる、さっさと去ね」

 その言葉に、蝶子ははじかれたように立ち上がってよたよたと走りだした。それを見て、百夜は我に返って肩を落とした。

(ああ…下手に出て、頼みを聞いてもらわねばならなかったのに…失態だ)

 澪子を悪く言われて、つい自制ができなくなってしまった。百夜はため息をついた。

(馬鹿だな、私は…自分で自分の首をしめた。澪との時間はもう…)

 百夜は茫然と天を仰いだ。喉の奥が熱い。だが嘆いている暇はない。
 帰ったらまた手を打たねば。こんな時のために、準備は万全にしてある。百夜は頭の中で算段をしながら、元来た道を上っていった。
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