鬼様に生贄として捧げられたはずが、なぜか溺愛花嫁生活を送っています!?

小達出みかん

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湯殿にて※

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「…おかしいわ…ええ…きっと…私こそ…」



 ぶつぶつ呟きながら峠を下る蝶子を、泰信は不気味そうに振り返った。



「おい、どうしたんだお前、さっきから」



 蝶子はじっと泰信をねめつけた。まるで正気を失ったかのような表情だった。



「兄さんは、今のを見てなんとも思わなかったの?澪子の事が、好きだったんじゃなかったの?!」



「…仕方ないだろ。だいたい俺が彼女と結婚するのを邪魔するのは、お前らだ」



 蝶子はあきれて鼻を鳴らした。



「ふん、そうやっていつも私や家のせいにして、兄さんは意気地なしだわ。本当に澪子と結婚したいなら、さっき鬼様が問いかけた時に家より澪子を取ると言えばよかったのに!」



「な…何言ってんだお前、さっきは違うこと…」



「兄さんが澪子と結婚すると言えば、鬼様は私を妻にしてくれたかもしれないのに!」



 その発言に、泰信はぞっとしたように妹を見た。



「お前、聞いてなかったのか?はっきり鬼には断られただろう。澪子を悪く言ったから怒ってたじゃないか…。あの鬼は、本当に澪子を大事に思っているんだよ。俺たちの出る幕なんてない」



「だから兄さんは意気地なしなのよ!なんで諦めるの!悔しくはないの!?鬼に澪子を取られて…!」



「悔しくないわけないだろ!でも…俺はお前の言うととおり、意気地なしだ。澪子を取り戻したとしても、あの鬼以上に幸せにできる自信なんてない」



 鬼に抱かれて空を飛ぶ澪子は、見違えるほどに美しくなっていた。泰信は蝶子が握りしめたままの下駄にちらりと目をやった。こんな贅沢なものを、自分なら一生かかっても澪子に買ってやれるかどうかわからない。

 だが、人も諦めも良い泰信とは違い、蝶子はしつこく粘り強い性格だった。

 

「行動する前から諦めるその性根がいけないのよ!澪子が幸せかどうかなんて、兄さんと結婚してみなければわからないじゃないの!鬼様だってそうよ。本当は澪子なんて好きじゃないに決まってる。だから…」



 蝶子はそう言ってにやりと口の端を上げた。何かをたくらむ笑みだ。



「おい蝶子、何を考えてるんだ。下手な事はよせ。あの鬼は、ただ放っておいてほしいと頭まで下げていたじゃないか」



「でも、放ってなんておけないわ。澪子が人間を裏切って鬼へついているのを、このまま黙って放置するの?川の水だってもらえないし、放っておいても私たちに何も良いことがないわ。」



「じゃあどうする気なんだ」



 戸惑ってそういう泰信の肩を、蝶子はものすごい力でつかんだ。



「彼から澪子を取り戻すのよ。ね?兄さんも協力してくれるわよね、澪子のためよ」



「な…何を言ってるんだ」



「私に協力してくれれば、兄さんが澪子と結婚するのを止めないわ。父さんの事も私が説得してあげる。だから…一緒に澪子を取り戻しましょう?ね、彼女のためよ」



 蝶子の目は見開かれ、禍々しいほど強く泰信の目を捉えた。その迫力に押されて、泰信はつい首を縦に振ってしまったのだった。





◇◇◇





「百夜様…どうしたのですが、今日もそんなに沈んだお顔…」



 下駄を探せなかったと言って、百夜は帰ってきてから数日間、ずっと落ち込んだ顔だった。



「すみません、澪…」



「下駄の事は、お気になさらないでください。私が落としてしまったのですから…」



 澪子は少しうつむいた。うっかり下駄を落としてしまった事を、澪子もとても後悔していた。あっと思った瞬間には足から離れて、木々の中へ落ちてしまったのだ。あんな素敵な下駄だったのに。百夜が初めてくれた履物だったのに。



 そんな澪子を見て、百夜はそっと澪を抱き寄せた。



「澪…新しいのをまた用意しましょう。あの下駄にはケチがついてしまいましたし」



「そんな事ないですよ。いつか…森から出てくるかもしれません。この片方も、大事にとっておきます」



「いつか…そうですね」



 その瞬間、百夜の表情が翳ったのを澪子は見逃さなかった。だがそれについて問うのをためらっていると、ふいに百夜は澪子をぎゅうと抱きしめた。



「ごめんなさい澪…下駄…」



 辛そうな声が頭の上から降ってきたので、澪子は気持を切り替えて百夜を見上げた。



「もう、大丈夫ですって!百夜様は悪くないです。私、次は落とし物をしないよう気を付けますっ!」



 澪子が笑顔で覗き込むと、百夜もやっと笑顔になった。それを見て澪子も少しほっとした。



「ふふ…澪は本当に、前向きで良い子です。私も見習いたい」



 そういわれて澪子はためらいがちにうなずいた。



「…そうですね、前向きなのだけは、得意です」



「なぜ澪は、今まで辛くとも前向きでいられたのか、聞いていいですか?」



「…心の中だけでも、明るい事を考えていたかったのです。今は辛くても、いつかいい事が起こるかもって。まやかしでも、そう思い込んでいれば毎日頑張る事ができたんです。でも」



 澪はふわりと笑った。



「そしたら本当にいい事が起きた。思い込んでいれば、案外本当になる事もあるのかもしれませんね」



 百夜は少し悪戯な微笑みを浮かべて聞いた。



「いい事とはなんですか?」



 澪は少し唇を引き結んだあと、ふうとため息をついて頬を緩めた。



「もう…お分かりのくせに。百夜様と出会えたことですよ」



 百夜は抱き寄せたまま後ろから頬を寄せた。



「わかっていますが、澪の口からききたかったのです…」



「ん…もう…」


 澪子の頬は桃のように可愛らしく染まっていた。何度こうして睦言をささやいただろうか。
 しかしその都度澪子には驚かされる。彼女の初心さに、優しさに、そして…自分に対する思いに。



(澪…あなたが私を好きになってくれて、嬉しい)



 最早百夜も澪子の気持ちを疑ってはいなかった。澪子は百夜に、自分のすべてをくれたのだ。



(私がどんなに嬉しいか…きっとあなたにはわからないでしょうけれど)



 澪子が、百夜の隠し事を気にしている事を彼はわかっていた。百夜が何も打ち明けない事について、澪子が悲しく思っている事も。



(でも…それを言うわけにはいかないのです、澪)



 それを想うと、胸はぎゅっと痛む。だがその痛みは同時に甘くもあった。



(澪が、私の事で悩んでいてくれている…)



 澪子の小さな胸の中が、自分の事で占められていると思うと、頭がしびれるほどの幸福を百夜は感じるのだった。



(ああ…永遠に、澪の心を独り占めできればいいのに)



 百夜は澪子の柔らかな頬をそっと撫でた。



「百夜様?」



 百夜を見上げるその瞳は熱を帯びていて、指を埋める柔らかな頬はどこまでも百夜を受け入れてくれる。自分の妻となった愛しい澪子は、百夜にとって何にも代えがたい唯一無二の「妻」だった。手放すことなど考えたくない。だが。



(…もう決めたのだから。今日が、最後だと)

 

 そう思うと、目の奥が熱くなって涙があふれそうになる。だから百夜は口角を上げて微笑んだ。鬼が泣くなどみっともない上に、澪子を心配させてしまう。



「どうされました…?」



 案の定、澪子の唇から気づかわしげな声が漏れた。百夜は首を振って、その唇にくちづけを落とした。



「んっ…」



 なんの抵抗もなく、澪子は百夜の舌を受け入れる。自分から舌に舌を絡めさえする。彼女が自分から百夜を求めてくれることは、今でも信じがたいくらいに嬉しかった。心が浮き立つような気持ちになるのだった。何度目でも、その都度に新鮮な思いが沸き起こる。百夜は唇を放してその思いを告げた。



「ああ…好きです澪。あなた以外なにもいらない…」



 澪子は照れたような微笑みを浮かべたあと、百夜の肩に頬を寄せた。



「…私も、好きです」




◆◆◆





 すっかり夜もふけて、外は静かに暗い。自分の腕の中でうつらうつらとする澪子を、百夜はただ眺めていた。



「百夜…さま…」



 ふいに澪子が名を呼んだので、百夜はその頬にかかった髪を指でよけてあげた。



「ん、なんですか?」



「お眠りに…ならないのですか」



澪子の声は少しかすれていた。だが澪子はなおも、自分の具合よりも百夜の様子を気にかけているようだった。



「百夜様も…お疲れでしょう…」



 澪子は重たげに瞼を上げ、今にも眠りそうな目で百夜を見ていた。



「澪ほどではありません。今日は外に連れ出しましたからね」


「百夜様……」

「なんですか?」

 澪子は褥に顔を伏せ、ひそやかにいった。

「……私、やっぱり明日、下駄を探しにいきたいです。だって、片方だとかわいそうだから。百夜さまがくださった下駄、またはきたいから……」


 その無邪気な言葉は、百夜の胸をえぐった。もう二度と、彼女があれをはく『明日』はこないのだから。

 手の震えを抑えて、百夜は澪子の掛布を引き上げて彼女を包んだ。



「もう無理せず眠ってください、澪…明日はあなたに、頼みたいことがあるのですから」



「頼み?百夜様が私に…?」



 その声は、かすれながらも嬉し気な響きがあった。



「ええ。訪ねてほしい家があるのです。薬を届けに。私はここから出れないので…」

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