血液売りの少女

小達出みかん

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「聞いたよ。リィ、あんたこの街出る気だってぇ?」


 薄汚いカウンターの向こうから、ばあさんが紙袋を差し出しながら言った。私はへへっと笑って代金を置いた。


「そうだよ。汚ねぇスラムとはおさらばだ」


「ふん、せいぜい都会で身ぐるみ剥がれないことだね。煙草と豆は?」


 ばあさんはカウンターの後ろの棚を指さした。雑多に並ぶ煙草の中の、バニラの花が描かれた包みがぱっと目につく。見たくなくても、長年の習慣で一瞬で見つけてしまう。


「いらないよ。禁煙してんだ」


「はっ、今更健康を気にして?」


「金欠なだけだよ」


 そういって私は店を出た。昔はこの店に来るたびに買っていた。二人暮らしの、ささやかな贅沢だった。私の淹れたコーヒーは美味しいと、相棒は良く言ってくれた。

だけど私はもう二度と、煙草もコーヒーも飲まないだろう。


(はぁ、やめやめ)


 私は頭を振ってその思い出を振り払って歩き出した。ぼんやりしている暇はない。


(いち、じゅう、ひゃく。せん、まん…)


 タコ部屋への帰り道、私は頭の中で金の計算をした。やっと、目標額まで貯まったのだ。


(これで都会に出れる)


 この街を出るのだ。低級吸血鬼やそれを狩る不良勇者たちがたむろするゴミダメ地区。弱い物がさらに弱い物から奪うクソみたいな街。

思い出も過去も捨てて、新しい生活をするのだ。バイト先のボスにも、もう断りを入れた。都会に出るから今日限りやめます、と。


「おい、血液屋」


 突然後ろから声をかけられて、私はぎょっとした。


「あ…錆野さびのさん」


 錆野はお得意様だった。冷酷で底意地が悪い最悪の性格だが、かつて家が金持ちだったせいか支払いはきっちりしてくれていたので、我慢してよく取引をしていた。

 最後に一稼ぎするのもわるくない。私は愛想良くいった。


「こんばんは、今日もいつものですか?」


 普段なら皮肉の一つでも言う彼だが、今日はむっつりとうなずいて背を向けた。




 彼の家は、ここのあたりで一番大きい、立派なコンクリート製の白い建物だった。

かつては、中身もさぞ豪華だったのだろう。

 今はその中の部屋には何もない。謎の器具がだだっ広い空間にうち捨てられているだけで、その中で錆野はいつも一人、なにか『実験』している。その実験に人間の血がいるんだそうだ。


「お前……この街を出るんだってな」


 血を採る準備をする私に、錆野はそう言った。私はへらっと笑った。


「あれ、耳が早いですね」


「締まりのない口だな。…お前のその顔はいつ見ても腹が立つ」


「ぶすっとしてるよかましでしょ、まあ今日で見納めってことでひとつ」


「ふん、締まりのない上に良く動く口だ」


「いやいや………錆野さんにはお世話になりましたからねぇ。規定量余裕越えで血ぃ抜かれた時は死ぬかと思いましたよ」


 錆野は細い唇を歪ませてふっと笑った。灰色にもプラチナにも見える色素の薄い髪に、涼しい紫色の目。なかなかどうして美形だが、この街に彼の性格の悪さを知らない者はいないので、誰もこの家に近寄らない。たぶん血液屋として取引しつづけているのも、私くらいだろう。


「あの時は面白かったな、顔が真っ青になって何しても反応がなくて」


 ふと宙を見て、錆野はそう言った。私は顔をしかめた。


「嫌ですね、何度もしっぺしてさ。人を何だと思ってんだか」

 かなり叩かれたらしく、あの時は目覚めたら体中あざだらけになっていた。人間の皮膚の強度を見てみたくて実験したと彼は涼しい顔でのたまった。もちろんその分きっちり料金を上乗せしたが。


「娼婦以下の血液屋風情が、人間風を吹かせるのか。」


 錆野はいたぶるような目で私を見下ろした。けど私はなんとも思わなかった。こういう奴なのだ。金のためだ、もう慣れた。


「はいはい、どうせ私は卑しい貧乏人ですよっと」


「そんなに金に困っているなら、いっそ体を売ればいいものを」


「前も言ったでしょ、病気が怖いんですわ、不特定多数との性行為は」


 そう言ったが、本当は体を売るのだけは嫌だった。好きでもない男とやるなんてぞっとする。だから他の方法を駆使して、血眼で貯金をしたのだ。


「まあお前の貧相な体じゃあ、客もつかないだろうしなあ、はっははは………」


 何がおかしいのか、楽しそうに錆野は笑った。


「はあ、じゃそろそろ血ィとりますよ、輸血バック下さいね」


 ため息をついて針を刺そうとする私を錆野は止めた。


「待て、今日は直にいただく」


「え?だって錆野さんは人間でしょ、実験に使う血だから直はまずいんじゃ」


「餞別だ」


 そう言うが早いが、錆野は私の首筋に唇を寄せた。その感触に、ぞっと鳥肌が立った。


「ちょっ、ちょっと待って!!」


 吸血鬼の牙ならともかく、人間の歯でガブリとやられれば痛いに決まってる。


「あ痛たたァ!!!!こ、こら、こんのっ…!!」


 案の定、熱い痛みが首に走った。


「痛った!!吸うなら、上手にやってくださいよ!」


「はぁ…っ、相変わらず、煙草、くさいな…っ」


 彼は首から口を放して、指で傷口をぎゅっと抑えた。


「煙草はもうやめましたよっ、て、いたったっ!!」


 その瞬間、私の心臓がどくんと大きく脈打った。その激しさに、私は床に膝をついた。


「なっ…なに…?」


 急に体が、言う事を聞かなくなった。力が抜けて、錆野の身体にもたれかかりながらも必死に顔だけ挙げて相手を問い詰めた。


「なにこれ、どういうこ…と…」


 私は錆野を突き放そうと腕を突っ張ったが、いつものように力が入らない。私ははっと気が付いた。さっき、錆野がドラッグか何かを傷口から入れたに違いない。


 私を見て、錆野は冷たく笑った。


「そういう事だ、血液屋」


 私は悔しくて、情けなくて、地団駄踏みたくなった。


「くっそ…何でこん…な…いつもちゃんと…取引…してた…のに」


 私を片手で支えたまま、錆野はそばのテーブルから注射器を取った。それを見た私は鳥肌が立った。


「何を…する気」


 麻酔か?このままバラされて、売り飛ばされてしまうかもしれない。私は恐怖にぎゅっと目を閉じた。抵抗一つできない腕に、針が刺さったのがわかった。


(ああ、ここで、おわりか…)


 絶望的にそう思ったが、死ねるという事は、相棒だった波瑠はるにまた会えるという事だ。そう思うとふっと気が楽になった。


(クソみたいな一生だったな…でも波瑠に出会えたことだけは、よかった)


 その波瑠もいない今、生きている必要もないのかもしれない。私は目を閉じた。服がはぎ取られていくのがわかる。


(家畜みたいに、解体されんのかな…)


 が、待ってもなにも起こらない。私は恐る恐る目を開けた。


「…はぁ…はぁ…」


 目を開けると、息を弾ませた錆野の目が私の目を捕らえた。捕食者の目だ。冥途の土産にと、私は憎まれ口を聞いた。


「バラすなら…せいぜい綺麗にやってよ」


「はは、お前は売らない」


 錆野は目じりを下げて冷たく笑った。その顔が近づいてきたかと思ったら私の唇はふさがれていた。


(!?!?!)


錆野の熱い舌が、私の唇を舐めた。驚いた私は逃げたかったが、当然手足は動かない。


「んっ…あ…」


 こじ開けられた口に、その舌が侵入してくる。私の舌に彼の舌が触れ、ぴちゃぴちゃと唾液がはねる音がした。何一つ自由にならない私の口の中は、錆野にされるがままだった。


「っ…ふ、う…」


 錆野の息継ぎが、苦しそうだ。彼の唇が、私の鎖骨から胸へと降りた。


「や、やめ、ろ…」


 私のなけなしの抵抗なんて無意味で、錆野はいとも簡単に私の裸になった胸に唇を這わせた。


「くっ…んぅう…」


 くすぐったいようなその感触に、私はうめいた。


「…お前もそんな声を出すんだな」


「ふざけ、んな、このマッドサイエンティスト…」


「誉め言葉かな」


「んっ…やりたい、なら…娼婦を呼べばいい、のにっ…」


 錆野はふと顔を上げて、私を見つめた。その目は意外にも真剣だった。


「お前でなきゃ意味がない」


「どういう、事だよっ…くぅっ…」


 胸の先を口にふくまれて、私は思わず目をつぶった。なんてとこ舐めてんだ、こいつは。


「やめろ…はなせ…やりてぇなら…さっさとつっこめ…!」


 きれぎれにそう叫んだ私を、錆野は大きなものものしい椅子に括り付けた。白い合皮で、アームレストとレッグレストに手足をつなぐためのベルトが付いている。明らかにヤバい用途の椅子だ。


「やるためだけに、高価な薬をお前に使ったわけじゃない」


 椅子にあたる肌が冷たい。こちらは犬っころのように裸で、錆野はいつも通り白衣のままだった。屈辱的だ。


「気分はどうだ?」


 私は強がって笑ってみせた。


「…地獄みたいに最悪だよ」


「お前は罵倒のセンスがないな。でも、頭ははっきりしてるようだ」


 言われてみれば、たしかにそうだ。体は動かないが頭はいつも通り働いていて、怒りや屈辱を感じている。


「さっき入れたのはな、自白剤だ」


 錆野はにやりと笑った。私はわけがわからなかった。


「は?暗証番号でも聞く気…?」


「お前のはした金になんぞ興味はない。お前…親は?」


 え?と思ったが私はするする答えていた。


「私が9歳の時に死んだ。工場労働者だった。」


 これが自白剤の効果か。しかしこんなことを聞いて、錆野はどういうつもりなんだろう?


「両親の出自は?」


「工場のすぐそばのゴミ集積場だよ。親もその親も」


「では、お前はなんでこのスラムに来た?」


「ここの方が、子どもでも食っていけそうだったから」


「一人で来たのか?」


「いいや…波瑠と」


 錆野はうなずいた。


「なるほど。お前の男だったと記憶してるが」


 波瑠の事を、この男に話した記憶はない。


「何で知ってんだよ…」


「この街で、私に手に入らない情報はない。で、そいつはお前の男で間違いないんだな?」


「男ってなんだよ…相棒だよ」


「初めてやったのはいつだ?」


「やるって、何を」


「セックスだ」


 そういわれて、さすがの私もためらった。言いたくない。言いたくない!口を真一文字に結んで私は耐えた。


「あまりその薬に逆らうと、脳の神経回路が焼き切れるぞ。正直にいう事だな」


「…………したことない」


 錆野の眉がつりあがった。


「本当か?」


「…本当…だよ」


 悔しかった。吐き捨てるように私は言った。


「では、その男とお前はどういう関係なんだ?」


 言ったじゃん、相棒だよ…というはずの私の口は、違う言葉を吐いていた。


「私は、波瑠が好きだった。でも波瑠は…わからない」


「なんだと?どういう事だ」


「知らない…一緒に居た時間が長すぎて、そういう事できなかったんだよ」


 錆野は怪訝な顔をした。


「妙な関係だな。わかりかねる」


 が、すぐに気を取り直してにやりと笑った。


「というと、お前は処女という事か。新情報だな…お前の所の三日月とかいう女も、それは知らなかったな」


 血液屋には元締めがいて、複数の若い女を雇っている。だが三日月という名前をきいても、しばらくピンとこなかった。この街では、めったに本名では呼び合わない。


「…ああ、ミカのことか。良い奴だったな、イカれてたけど…」


 たしか彼女は、先月男とどこかへ消えてしまった。それを告げると、ふんと錆野は笑った。


「何?ミカを探してんの?なら諦めなよ、行き先は知らないよ、たぶんボスも」


「そんな事はどうでもいい」


 錆野はふうーっと長い息をついて、一瞬動きを止めた。苦しそうだった。


「どうしたの?」


 私は聞いたが、錆野はそれには答えなかった。


「質問するのは俺だ」


 その目はいつもの冷笑はなく、真剣そのものだった。


「な、何が目的…?私の知ってることなら、教えるから…この椅子からおろしてよ」


 そういうと、錆野の目に冷笑が戻ってきた。


「教えるも何も、今は嘘をつけないからな…じゃあ聞くとするか」


「…なにを?」


「なぜお前、俺の依頼をずっと断らなかった?」


「…実入りがいいからだよ」


「それだけか?俺の事を、どう思ってる」


「どうって…やばい奴だけど、金はたくさん払ってくれるから」


「だから叩かれても許せた?」


「許すっていうか…気ぃ失ってたからよくわかんないしな」


 錆野は私の顔の横に手をついて、じっと私の目を覗き込んだ。


「質問を変えよう…私が、好きか?」


 私は驚いてじっと相手を見返した。言葉よりも、その目にだ。彼の目をこんなに近くで見るのは初めてだった。淡い紫色が、まるでガラスの切り口のようにひび割れて光っている。紫色に、白銀にキラキラ移り変わって、目が離せない美しさだ…


「きれい」


「は?」


 錆野が冷たい声を出した。


「綺麗?何がだ?」


「錆野さんの顔が」


「は…?」


 理解に少し時間がかかったようだが、沈黙のあと錆野の喉が上下に動いた。


「じゃあ、お前は…俺の、顔が気に入ったから、ずっと来てくれてたのか?」


「…うん。顔が好き」


 とても認めたくない事だったが、私はそう自白していた。


「そ…そうか、そうだったのか」


 そういうと、彼の顔がひきつった。怒っているのかとおもったが、どうも笑ったようだった。


「うぐっ…」


 笑ったと思ったら、先ほどとは反対側の首筋にかみつかれて、私はうめいた。生暖かい血が流れるのがわかかる。その血をすすりながら錆野がつぶやいた。


「っはぁ、美味しい…甘い、お前の血は…っ」


「なんで…?錆野さん、は、人間でしょ…」


 血は研究に使うと言っていたはずだ。なのになぜ。頭がくらくらしてきた。あまり吸われると貧血になってしまう。

 そう思った瞬間、錆野が離れた。


「すまない、吸い過ぎてしまった…大丈夫か?」


「えっ…は?今なんて」


 突然謝られたので私は今日一番驚いた。この男が、人に謝ったことなどあったのだろうか?彼がしおらしいなんて不気味だ。

しかし利用しない手なはい。私はすかさず言った。


「謝るなら、離して、よ…」


「わかった、言う通りにする」


 錆野は手足に巻かれたベルトを外して、私を椅子から抱き起こした。拘束をはずされてほっとしたが、やはり手足はちっとも動かない。


「この痺れるやつ…いつ切れる?」


「一晩は動けないはずだ」


 私は舌打ちしたくなった。明日の朝イチで起とうと思っていたのに。


「とりあえずその辺に下ろしてよ。薬が切れたら、勝手に出てくから」


私を横抱きにした錆野は、唇を噛んでいた。その唇は、私の血がにじんでいて紅い。彼が何を考えているかよくわからなかった。


「行くな」


「はい?」


「行かないでくれ、俺は、里依紗りいさがいないと生きていけない」


 訳がわからなすぎて、その言葉をすぐには理解できなかった。


「何で、私の名前、知って…」


 その名前で呼ぶのは、そう、波瑠くらいだった。久々の感覚に、私の頭はくらっときた。


「調べた、お前の名前も男の事も、全部」


 驚きのあまり、私は何も返せなかった。彼はそんな私を抱いたまま部屋を出て、廊下を歩きだした。


「ちょっと、どこに連れてく気!?」


 彼は廊下の突き当りに置いてあるベッドに私を横たえた。


「何でこんな所にベッドが…」


 思わずツッコむと、予想外の答えが返ってきた。


「俺の寝床はずっとここだった。ベッドの前は段ボールだった」


「…えぇ?どういうこと?」


「…俺は母の実験材料でしかなかった」


 今までに聞いた事がないくらい低い声で錆野は言った。


「実験?」


「何種類もの薬を飲ませられて、血を取られて、遺伝子も組み替えられた。俺の身体の半分以上は、犬の遺伝子が入っている」


 私は背筋が冷たくなった。難しい事はよくわからないが、恐ろしい話だということだけはわかった。


「…だから、私の血が必要だったとか?」


「そうだ。元の身体に戻りたくて、いろんな人間の血を輸血した。でも何も変わらなかった。お前の…里依紗の血だけが」


 錆野は顔をゆがめた。


「俺の視界を広げた。前より体が楽になった。人間らしい気持ちが戻ってきた。なぜかはわからない。だが…最近は里依紗の事しか考えられなくなってしまった」


「そ…れは、私の血を、輸血したせい?」


 そんなわけあるかと思いながらも、私は聞いた。


「わからない…!」


 錆野は私の横に手を突いた。彼の目が、泣きそうになって私を見た。


「だけどお前は、最初から優しかった。俺がいくらひどい事をしても、呼べばまた来てくれた、笑いながら…」


「そんな事、思ってたの…?」


 思いがけなさすぎて、さすがに変だと私は思った。この男が、そんな事をぺらぺら話すなんて。だが私の血がこびりついた唇をみて、はっとした。


(もしかして…私の血に回った自白剤が、彼にも効いてるのか…?)


「そうだ…帰るお前の背中を見ながらいつも思ってた、ここに居てほしいと。だけど口に出せなかった」


 聞いていて、背中がむず痒くなりそうだ。


「わかった、わかったから…もういいから」


 そういう私を、錆野がじっと見降ろした。私の首、胸、そして腹に視線がうつる。ごくっと彼が唾を飲み込んだのがわかった。

「今、俺が、したら…怒るか?」


 そんな事を聞かれても、困る。私はつーっと目をそらした。


「き、嫌いなるか…?ああでも、もともと里依紗は俺のことなんて…それに、出ていくつもりなんだよな、もう、会えないなら、最後にや、やりたいと、思って」


 再びじっとみおろされて、私の手には汗がにじんだ。


「だまして捕まえたけど…俺の顔が好きって言われて、無理やり、できなかった」


今まで見下されていた相手にこう下手に出られると、なんだか居心地が悪い。わたしははあっと乱暴に

ため息をついた。


「あーっ、もう、さっきの強気はどうしたよっ、服はいで、し、舌まで入れたくせしてっ…今更嫌われるとか、気にしてんなよっ」


「でも…里依紗に、嫌われたくない…」


 その名前で呼ばないでほしかった。どうしても、波瑠の事を思い出してしまう。私は目をつぶってやけくそで言った。


「どうせここで一晩動けないんだから…錆野さんの、好きにすりゃいい…っ」


「ほ、ほんとに?」


 彼の顔が近づいてきたのがわかった。


「んっ…」


 再び錆野がキスをした。彼の舌は柔軟に動いて、私の舌の表も裏も絡めとって舐った。あまりにキスが深いので、息が上手くできない。


「はぁっ…あ、里依紗の、煙草の匂い…好き…」


 彼は唇を放してそういった。


「だから…煙草は、やめたって」


「でも匂いがしみついてる…これが里依紗の匂いだって俺の脳に刻み込まれてるんだ、この甘い、匂いが…」


 確かに長年続けた煙草の匂いは、そう簡単に取れるものではないだろう。だけどそんな事を言われて、ちょっとバツが悪かった。


「いい…匂い…はあぁ…」


 彼は私の首筋をくんくんとかいでため息をついた。


「すごく安心するのに、心臓がバクバク言う…この匂い」


「そんなににおいにおい言わないでよ…」


「いや?だめ?」


 彼がじっと私の目を見て言った。いつもの見下すような目とはかけ離れた上目づかい。引き込まれそうになった私は別の事を聞いた。


「な、なんで自白剤なんか?どうして私の出自なんかが知りたかったの?」


「里依紗の血が俺になじんだのは…どこかで血が繋がってるからかと思って。でも…違った」


 錆野は私の鎖骨に舌を這わせた。


「んっ…ふ、ぁ…」


 くすぐったくて、私は唇をかみしめた。


「あとは…里依紗の本音が知りたかった、俺のことどう思ってるのか」


 彼の舌が、再び乳房に触れた。


「っ…!」


 私は体を固くしたが、錆野はそこをぺろぺろと舐めた。まるでキャンディみたいに。


「やっ…めっ…」


「んっ…はぁ、おいしい、里依紗のおっぱい、甘い」


 熱に浮かされたように錆野は言った。


「いつか、ここからミルクが出てくるのかな…飲んでみたい…」


「やっ…め、へんな、こと、言う…なっ」


「ごめん…でも、嬉しくて」


 話をそらしたくて、私はまた別の話題を振った。


「な、なんで私の血が、効いた、んだろ?」


「里依紗の事が好きだったから血が効いたのか、里依紗の血を入れたから好きになったのか…もうよく、わからない。里依紗はなんで、俺に優しくしてくれたんだ」


 いまいち要領を得ない答えだったが、こちらも答えた。


「錆野さんのこと、ちょっと可哀想って思ってた…。だけど特別優しくはしてないよ」


「俺が可哀想?ひとりぼっちだからか?」


「うん…私が来なくなったら、他にくる血液屋もいないんじゃないかなって」


「だ、だから俺に血を売ってくれたのか、我慢、して」


「…まぁ錆野さん、支払いは大目にしてくれたし」


「…金なら、里依紗喜んでくれると思って」


「そ、それでたくさんくれてたの?」


「そうだ。でもそれで結局」


 錆野の顔がくしゃっと歪んだ


「里依紗は資金ができて街を出ることになった…俺って、馬鹿だな。里依紗がなんのために金を欲しがってるのか、知らなかった」


 錆野が私の鎖骨の下に吸い付いた。


「っ…」


「はぁ、痕、ついた…里依紗の肌に、俺の痣」


 少し紫色にうっ血したその痣をみて、私は気が付いた。あの時の体中の痣は。


「これ…もしかして、あの時も」


 錆野はうなずいた。


「うん…里依紗が気を失った後、あちこち舐めた…甘いにおいがして、頭が蕩けそうだった、でも、セックスするのは我慢した…やったらきっとばれるから。そしたら里依紗も、もう来てくれなくなるから」


 再び錆野は腹を吸った。胸に、腕に、首に…あちこち赤紫の痕ができた。私の腹に、彼は頬ずりした。その頬は熱があるように熱い。


「はぁ…綺麗だ、里依紗の肌…すべすべしてて、気持ちいい…」


 しばらくそうした後身を起こした錆野は、流れるような動作で私の足を開いた。力が入らない足は、私の意に反して大の字にひろげられた。


「見ない、で…」


 私は切れ切れにつぶやいたが、錆野にそんな言葉は聞こえなかったらしく、手でゆっくりとそこを開かれた。


「あ…濃いピンク色だ…舌みたいな色」


そんなところを人に見せるのは初めてで、私は恥ずかしさからヤケになって叫んだ。


「…そりゃ内臓だからね!?」


 中の襞をなぞりながらうっとりと彼は言った。


「ここが里依紗の、下の唇…」


 なんのためらいもなく、彼はそこに唇を押し当てた。


「!?!?!」


 驚く私をよそに、彼は舌でそこを舐った。


「ぎゃっ、うわっ、ああっ…!」


「いひゃい(痛い)…?」


「痛くない、けどっ…あっ…」


 襞の中に、彼の熱い舌が侵入した。


「んっ…あまい…りいしゃの、中」


 振動が唇から伝わる。


「んっ…あ、ひっ…!」


「ああ、りいしゃの声、かわいい…!」


 ひとしきり中を舐め回したあと、舌は襞の上にある突起へ触れた。


「ぎゃっ…!!」


 私が叫んでもお構いなしに、彼はその小さい部分を執拗に舌でいじった。


「ひゃ、ひゃめ、あっ…」


「りいしゃ、きもち、いい…?」


 質問には、嘘がつけない。私は声を絞り出していた。


「き、きもち、いい…」


「もっと?」


 さすがに口には出せなくて、私は首を縦にうごかした。


「うれしい…もっと、気持ちよく、するから」


 その舌の動きに、私はわけがわからず翻弄された。お尻ががくがく震えくらい気持ちがよかった。こんなことは生まれて初めてだった。気持ちいいけど、怖かった。


「も、もう、やめ、やめてっ、錆野、さんっ…」


 だけど彼は動きをとめなかった。


「亜木人あきと、亜木人って呼んで、俺の、なまえ」


「わかった、あきとっ、もう、やめてっ」


 彼はやっとそこから口を放した。そしてはちみつのような甘い笑みを浮かべた。


「もういっかい、よんで…」


「あ、亜木人…」


 彼は犬がするように、はぁはぁと舌を出して呼吸していた。


「里依紗…俺、俺もう、我慢でき、ない」


「わ、わかったよ、入れなよ」


「いいの?」


「いいから」


彼が腰に手を回して、ズボンを下げた。先の膨れた長い男性器が、そそり立っていた。


(まじか…これが入るんか…)


錆野がぎゅっと私の手を握った。


「うれしい…入れていいって、里依紗が…許してくれた」


 あれよあれよという間に彼の先端が、私の入り口に分け入った。


「っ…!」


「あ、りい、さ、痛い…?」


 大した痛みじゃない。それよりも、ぬるっとしたものが入ってくる感覚は想像以上にいやらしかった。


「痛く、ないから…」


 錆野は少しずつ進んでいった。その顔には恍惚とした笑みが浮かんでいる。


「はあぁ、里依紗の中、熱いっ…ぎゅうぎゅう押し返してくる…俺も、痛いくらいだ…!」


 中にごりごりと彼のものが入ってくる感触を感じた。


「でも、気持ちいい…!自分でするより、本物のがずっと…あ、あ、」



 がくがくと彼の身体が震えている。


「もう、我慢できない、っはぁ、ごめん、ごめんね里依紗…」


 彼は腰を振る速度を速めた。さすがに痛くて、でも痛いだけじゃなくて、私は歯をくいしばった。


「んっ…くっ…」


「あああ、痛いよな、だって、誰も入れたことないんだよな、俺のが、初めて、里依紗の中、にっ…」


 手が自由になれば、自分の顔をかくすのに。そう思いながら、私は抑えきれない声をもらした。


「あっ…ああっ…」


「里依紗、俺、いきそう、出して、いい?中にっ…」


「す、好きに、しな…っ」


「うん、出す、から、中に…里依紗っ…くっ…ああっ…!」


 ぎゅっと体に力が入ったあと、錆野は荒く息をついた。


「里依紗…」


 つながったまま、彼は私を見下ろした。



「俺の事、好き?」


 もうさほど抵抗もなく、私は言った。


「…………好き」


「お、俺も、好き、里依紗…」


「うん…これ抜いて、くれないかな」


 そういわれてやっと錆野は私の上からどいた。


「血…出てる…ごめん、痛い?」


 錆野はそこを見て言った。


「いや、大したことない…」


 動いていないわりには、だいぶ体力を消耗した気がする。私はそのまま目を閉じた。






 目覚めると、私の身体はすっぽり錆野に抱えられてベッドに横たわっていた。


(あ…動く)


 薬が切れてたらしく、体はちゃんと動いた。私はそっとベッドから出た。


(はぁ…煙草が欲しいな…)


 禁煙しているとはいえ、こういうときには吸いたくなってしまう。そう思いながら私はあの椅子がある部屋に戻って服を拾い集めて身に着けた。


「…おい」


「わっ」


 振り向くと、起きたらしい錆野が立っていた。


「…勝手に行くつもりか」


 昨晩とはうってかわって、その表情は元の傲岸ごうがんな錆野に戻っていた。


「勝手もなにも、ねぐらに帰んないと。荷物がおきっぱ」


 錆野は私から目をそらした。少し迷ったあと、彼は聞いた。その目の端がなぜか赤い。


「煙草、いるか」


「えっ」


 錆野はそう言って机の引き出しを開けた。そこにはバニラの花が印刷された箱がずらっと敷き詰められていた。錆野はそこからひと箱取り出して、封を開けて一本私に渡した。


「な…何でこんなに」


 だが差し出されたのでつい、受け取ってしまった。


「…火ないかな」


 彼は白衣からライターを取り出して、火を差し出した。


「ありがと」


 久々に煙草を吸った。バニラとおがくずの甘いにおいを肺いっぱいにすいこむ。


(おいしい…けど)


 錆野は私をじっと見つめていた。その目は暗い。


(き、気まずいなぁ…これ、昨日あんなしたあと、この空気…)


 ふうっと息をつくと、錆野の目がすっと細められた。


「あーごめんごめん、外で吸うよ」


 そういった私に、錆野は辛らつに言った。


「…お前は耳が悪いのか、それとも頭がバカなのか?」


「は?まぁ頭は悪いけど」


「昨日俺が言ったことも、覚えてないほど悪い頭か」


「…?」


 吸いながら、私は目で彼に問いかけた。彼は悔しそうに言った。


「俺は、その匂いが…っ。だいだい嫌なら、こんなに煙草をストックしたりしないだろう」


 自白剤がないと、お互い話が難航するらしい。ふうっと煙のまざった息を吐いて私は観念した。


「私の血が、治療に必要なんだよね」


「…ああ」


「亜木人の身体はまだ…その、元通りになるめどがあるの?」


 名前を呼んだ瞬間、彼がびくんと肩を震わせたのがわかった。


「わからない…が、望みはあると思う」


 バニラの濃くて甘いにおいが、寒々しいこの部屋に充満する。錆野はじっと私を見つめている。飢えた犬そのものの目だ。仕方がない。

…引っ越しは延期だ。


「…じゃ、完治するまでここにいるよ」


 だが錆野は疑い深く私を見た。


「…本当か?なんでだ」


「なんでって…このまま行ったら見殺しにするみたいで、嫌だ」


「…俺が死んだところで、お前にはたいして関係ないだろう」


 その声が少し揺れていた。さすがの私も、彼が強がって言っていることがわかった。


「そんな事ないって。知ってるやつが死ぬのは…嫌な、もんだよ」


「…前の男の事か」


 私は顔をしかめた。


「男って…違うって」


「お前はそいつが死んだ時、どう思った」


「どうってそりゃ…悲しかったよ、血液屋に登録するくらい」


 言いながら私は笑った。全部忘れたくて、都会に行く金が欲しかった。けど売春するほどの度胸もなかった。波瑠ともしなかったこの体を、他の男に売る度胸が。


「あんたが死ぬのもやだよ。だからまぁ…治るまで私の血を取ればいい。その代わり血液屋でもう働けないから、しばらくここで寝起きさせて」


 錆野が少し目を見開いた。朝の光の中で、アメジストのその目は輝いた。


「ああ…わかった」


「じゃ、荷物とってくる」


 出口に向かう私を、錆野が引き留めた。


「待て」


「ん?」


「俺も行く」


「え?私のねぐらに?」


「ああ」


 まあいいか…そう思いながら、私は錆野と外へ出た。




◇◇◇         





 里依紗がここにきてから、希死念慮きしねんりょがなくなった。

 今までは事あるごとに体が震えて疼いた。死にたい死にたい死にたいと。そのたびに、里依紗を呼ぶ日を数えて耐えた。あと三日、二日、明日…と。


 母は私に言った。お前は奴隷犬だと。だから主人の私がいなくなったら生きていけないねと笑いながら、ピストル自殺した。ずいぶん前のことだ。


 命令がない。叩かれることも、体を切られることもない。その事に慣れるのに、しばらくかかった。

 だが仕事だけはあった。狂った女だったが、才能は確かだった。彼女が開発した新薬は、死後も需要があった。作り方を知っているのは俺だけだった。


 淡々と仕事をする日々の中、寂しいという思いと、死にたいという思いがわいてきた。

 とりあえず寂しさを消そうと思い、金にあかせて娼婦を呼んだ。けれど寂しいままだった。第一俺の身体はもう人間ではないのだ。どうして人間と生殖行動ができよう?


 そこで、体をもとに戻したいと思った。人間に戻れば、誰か、一緒に居てくれる人間が見つかるかもしれない。あの母でさえ、俺がいたのだ。


 そして血液屋にたどり着いた。吸血鬼向けの店だからか、呼んでくるのはたいてい若い女だった。いろんな女がいたが、どの女もこの家に呼ばれて怯えているようだった。マッドサイエンティストの実験台にされると思っていたのだろう。あながち間違いでもないのが、怯えられると苛立ちが勝って、罵倒し、わざと痛みのある方法で採血したりした。結果、どの女も嫌がって二度は来なかった。


 忘れもしない、里依紗が来たのは春になったばかりの、暖かい夜だった。夜風が彼女の匂いを俺に運んだ。甘いバニラの匂い。


「…こんばんは。血液屋です」


「なんの匂いだ?臭いぞ」


 現れた彼女は、今までで一番若い女だったが、臆することなく錆野を見上げて肩をすくめた。


「煙草ですかね。もう、やめましたが。気になります?」


「…いや」


 そして淡々と錆野の前で上着を脱いだ。


「お客さん、吸血鬼じゃないんですよね。どこから採ります?」


 その首筋には、目立たないが吸血痕があった。けれど腕も鎖骨も、刺青ひとつないすべすべの肌をしていた。この娘の血を、先ほどまで別の男が吸っていたのだろう。たしかに、この女は美味そうだ。吸血鬼ではないのに、それがわかる気がして俺はごくっと唾をのんだ。


「では腕を出せ」


針を刺すと、こっくりとした紅い血が管を通じて流れ出した。彼女は目をそらすでもなく、無言でそれを見ていた。


「お前、最近血液屋に入ったのか」


 俺はその部分から目を上げずに聞いた。


「そうっすね、先週」


「本業は何だ」


 もし娼婦なら、今すぐ買いたい。そう思った。


「んー、居酒屋でバイトしてます、あとはまぁ、運び屋とかも」


「運び屋?」


「規制されてるやつ。銃とかヤクとか。お客さんもなにかあれば、請負うよ」


「売りはやってないのか」


「ないよ」


 血を抜き終わったら、彼女はさっと上着を羽織って出ていった。俺はその背中に問いかけた。


「お前、名前は」


 彼女はちょっと驚いた顔をして、にやっと笑った。


「リィ。また、呼んでください」




 俺に笑いかけた女は、母を別にすればこいつが初めてだった。その血を輸血すると、どうしたことだろう、体が軽くなった。


(初めて、他人の血が効いた…)


 輸血バッグに残った数滴の血を思わず舐めると、信じられないが甘く感じた。鉄の匂いの中に、あのバニラのような芳香がまざっているのだ。


 興味が沸いて、情報屋を呼んで彼女の事を調べさせた。彼女の本名、吸っていた煙草、すんでいる場所…そんな事がわかった。


(前は男とアパートに住んでいたが、今は血液屋のタコ部屋に居候、金を貯めているらしい、か…)


 さっそく入手した花の絵がついた煙草は、たしかにあの甘いにおいがした。激しく香るバニラ。それを嗅いでいるうちに、むらむらと欲望が募った。


 あの首筋にかみついて、甘い血を思う存分すすりたい。すべすべの肌をくまなく舐め回してから、熱くなった自分のものをぶちこみたい。彼女はどんな顔をするだろう。


妄想の中では、里依紗は甘い声を上げて俺を受け入れた。その顔は笑って言った。


「好き、亜木人…もっと、してぇ…♡」


 ああしてやるとも、お前が満足するまで、何度でも…。そう妄想しながら、俺は何度も果てた。

 寂しい、死にたいと思うたびにその煙草を買った。引き出しの中の匂いはどんどん強くなる。だけど里依紗はここにいない。里依紗が欲しくなってから、再び呼ぶのが怖くなった。この気持ちに気が付かれたらどうしよう。きっと気持ち悪がって、来なくなるだろう。


 膨れ上がった会いたい気持ちと怖さは、ちょうど同じくらいの大きさだった。どうしようもなくなって、代わりに別の女を呼んだ。


「ハァーイ、はじめましてのおにーさん♪」


 髪の毛を奇抜な二色に染めてくくっている女は、ミカと名乗った。ヤク中なのか、始終テンションが高かった。血を抜くのは断って、早速きいた。


「里依紗という女を知ってるか」


「里依紗…?」


「黒髪で、肌が白い若い女だ」


 ミカはうなずいた。


「ああ、リィのことね。おにーさん、彼女の本名知ってんだ?そういう仲なの?」


「いや…」


「彼女がどうかしたの?」


「前に男が居たと聞いたが、そいつは今どうしてるんだ?」


「え?リィの元カレ?うーん」


 彼女は言うのをしぶった。頭がゆるそうにみえて、存外しっかりしてるようだ。


「知ってるなら、チップ弾むぞ」


 俺は彼女の手に札を数枚握らせた。彼女はしぶしぶ語った。


「詳しくは知らないけど、死んだらしいよ。可哀想にね」


「…そうなのか」


 ミカは眉間にしわを寄せて俺を睨んだ。


「あんまり言わないであげてね。彼女、だいぶ傷心なんだから」


 俺が何も言えないでいると、彼女はふーんとうなずいた。


「そっか、おにーさん、リィに気があるのね」


「なっ…!」


「リィの元カレの事が聞きたくて、私呼んだんだ?ふふ、本人に聞けばいいのに」 


俺は度肝を抜かれて固まったが、ミカはかまわず続けた。


「今日は客が詰まってるから無理だろうけど、明日ここにくるようにいっとくよ」


「待て、余計なことするな」


 ミカは手の札をテーブルの上に置いて返した。


「ほら、私のおごりにしてあげるから」


 そういって、彼女は手をひらひらと振って玄関へ向かった。


「まっ、待てっ」


「心配しなくても、余計な事はいわないよ。口説くのは自分で頑張って」


 心外だったが、その背中は妙な圧があった。俺が挑みかかっていっても、無駄だと暗に言われているようだった。最後のあがきで、俺は聞いた。


「お前、本名は?」


 彼女は振り返らずに指で夜空を指さした。見上げると、そこには細い月が浮かんでいた。


(ミカ…三日月、か)




 次の日、当たり前のような顔をして里依紗は来た。俺は緊張して、名前も呼べなかった。わざと冷たくあしらって、血を散々抜いて帰した。

 だが、その血を入れると、また体は回復した。


(ああ…こんなの、いつぶりだろう)


 体が軽いだけでなく、頭もすっきりとする。視野が広がって、仕事も体を元にもどす実験もはかどった。前よりも、人間らしい生活ができるようになったのだ。


(…やはり里依紗の血が必要だ)


 身に沁みた俺は、毎週一回、永久的に予約を入れることにした。リィさんで定期コースですねと電話番の男は愛想よく言った。


 それ以来、その一日が楽しみで、そのために希死念慮に耐えられるようになった。

彼女が玄関から入ってくるのを待つのが好きだった。最初にこんばんはと言って入ってくるとき、彼女はうっすら微笑みを浮かべているから。営業用の笑みだろうがなんだろうが、それが見たかった。きっと俺に尻尾があれば、全力で振っていたにちがいない。だけど口では憎まれ口を叩いた。へらへらしたその顔をやめろとも言った。だが俺がどんなバカにしても、見下しても、彼女は堪えた様子もなく肩をすくめるだけで、けろっと帰ってまた一週間後やってくる。


 一度、彼女が貧血で倒れた事があった。いきなりがくっと膝をついたので、俺は慌てて彼女を抱きとめた。

そして震える手でその頬に触れた。その頬は、柔らかく、暖かかった。俺は彼女にキスしそうなくらい近づいて、匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。


(ああ…里依紗の、匂い)


 汗と肌と、バニラの匂い。煙草の箱の匂いよりも、混ざり合った里依紗の匂いの方が生生しくて、強くて、いい匂いだった。


 俺は我慢できずに、その首筋に吸い付いた。甘い匂いに頭が蕩けそうだった。唇を放したあとは、紫の痕がついた…。


 気が付いたら、彼女の首も手足も痕だらけになっていた。その眺めは素敵だった。まるで里依紗が俺のものになったようだった。


 下半身は死ぬほど熱くなっていた。今すぐ里依紗を犯したかった。だが…


(それは…暴力だ、母が俺にしたような)


 麻酔をかけられて、意識がない状態で暴力を受ける。体を切られ、臓器をいじられる。自分は母を恨んでいた。だから同じことをすれば、きっと里依紗にも恨まれる。


(…もう来てくれなくなる)


 それくらいなら、自分で抜いたほうがましだ。俺はそう判断してトイレへ向かった。している途中に里依紗が起きないとも限らないからだ。

 幸いにして、金を上乗せしたら里依紗は何も疑わず帰っていった。叩いたと言っても肩をすくめただけだった。

自分がつけた痣が彼女の身体に残っていると思うと興奮して体が震えた。そして一週間後が待ち遠しかった。


 そんな日々が、ずっと続くと思っていた。

 だが、ある日店がかけてきた一本の電話で俺のその生活は崩れた。


「すみません、ご予約いただいていたリィさんですが、本日退店しまして。今後はどうなさいますか?似た成分の者を向かわせましょうか?」


 退店だと?俺は何も言わず電話を切った。すぐさま情報屋に彼女を追わせた。連絡がきて、彼女はまだ街にいるが、明日にも出ていく様子だと告げられた。


「都会にいくらしいですよ。若い娘らしく」


 まさか引き留めてくれと情報屋に言うわけにもいかない。麻痺したような頭で彼女の家付近にふらふらと出ていった。外へ出るのはひさしぶりだった。


 紙袋を抱えたあの後ろ姿に、縋るように声をかけた時は、もうどうなってもいいと思った。彼女にどう思われてもいいから、最後に一度、体を重ねたい。全財産積んでもかまわなかった。頭の中で、悪魔がささやいた。


 やるだけなら簡単だ。薬で動けなくしたところを襲えばいい。どうせ恨まれるのなら、最後に本心も聞いておきたい。営業スマイルの後ろにある本当の表情を。




…だから、こんなことになるとは思ってもみなかった。

 彼女が、毎日ずっと、俺のそばにいるなんて。今日で一週間だった。

 求めれば、里依紗はセックスに応じてくれた。信じられないような毎日だ。死にたいという思いはきれいに消え失せた。


(俺を好きって言ったのは…本当なのか?)


 だけど、その気持ちは最初の時以来聞いていなかった。聞くのが怖かった。

彼女の事で不安になると、俺は小さな試験管を棚の奥から取り出した。指よりも細いその密閉された容器の中には、里依紗の破瓜の血が入っている。防腐剤と抗凝固剤で処理をしたから、永遠にこの血は赤いままだ。それを見て、俺は思わず笑みを浮かべた。


(俺が…初めてだったなんて)


 それならきっと、一生俺の事を覚えていてくれるに違いない。10年後も、20年後も、年老いた後も。


(だから…それで、いい)


 奇跡的に今は一緒にいてくれるが、自分が治れば彼女は出ていくのだ。あまり時間がかかれば、それも待ってくれないかもしれない。彼女にとってなんのメリットもないのだ。今日出て行かれたっておかしくない。だけどその時を想像すると、果たして自分はそのあとも生きていけるのだろうかという気もした。


(ずっと一人だ…どこかにいる里依紗の事を、思い続けながら)


 それならいっそ、彼女が出ていったら潔く命を絶ってしまおうかとも思う。


(主人に捨てられたから、死ぬ。殉死だ。犬の一生としては悪くないじゃないか…はは)


 その時、ドアがバタンと開く音がした。条件反射で、俺ははじかれたように椅子を立って、走って玄関へ向かった。ドアに手をかけた里依紗がきょとんと俺を見た。


「亜木人?」


 俺は里依紗の肩をぐっとつかんだ。昨日の夜つけた新しい跡が、首にも肩にも散っている。

 だが里依紗は肩をつかんだ俺の手をきゅっと握って、背伸びをした。


「ちょっと行ってくる」


「っ…!」


 里依紗の唇が、俺の頬にあてられた。…キスされたのだ。そう気が付くと、全身がかっと熱くなった。


「さ、誘って、んのか」


「いやそういうつもりじゃ」


 言いかけた里依紗を、俺は床に押し倒した。昨日付けた痣の上に、また痣を上書きする。


「ま、またやるのお…?昨日もさんざんやったじゃん…」


 里依紗のぶつくさ言う声が聞こえた。


「あんなことした、お前が悪い」


「…よく体力もつな…」


「うるさい。へらへらするなっ」


「しょうがないじゃん、こういう顔なんだって」


「もういい。減らず口叩けなくしてやる」


 スカートの下の里依紗のパンツをはぎ取って、俺は指をつっこんだ。


「っ…!や、やめっ」


 昨日何回もしたから、中はまだ二人の体液でぐちゅぐちゅしている。俺は指でぐいぐい内壁を突いた。もう里依紗の気持ちいいところは研究済みだった。


「ひっ、ぐ、ああっ!」


「どうだ、気持ちいいだろう」


「や、だっ…ああんっ」


 指を2本に増やすと、里依紗の穴はぎちぎちに締め付けてきた。だけど俺は意地悪く言った。


「はは、2本すんなりくわえ込んでるぞ。この数日でずいぶんゆるくなったもんだな」


「くっそ…誰の、せい、だと…!くっ、ううっ」


 奥を突くと、里依紗の身体は力が入って反った。俺はいったん指を抜いた。


「ほら、こんなに愛液たらして、里依紗は淫乱だな」


 てらてら光る指を見せると、里依紗はぐっと唇を噛んだあと、はぁとため息をついた。


「…淫乱で悪いか」


 その拗ねたような目が可愛くて、可愛くて、俺の背中はぞくぞくした。もっといじめて、喘がせて、自分のものでぐちゃぐちゃにしたい。限界まで抱き潰したい。


「では淫乱の里依紗が、喜ぶものをくれてやろう」


 だが限界なのは自分の方だった。俺は一気に自分のものを里依紗の中に打ち込んだ。


「ぐっ…あ…っ」


 里依紗の顔がしかめられた。さすがにいきなり奥まではきついのだろう。

 里依紗の穴は、入り口が狭い。だが中は柔らかく蕩けて、俺のものを誘うように押しつぶす。もっともっと奥まで来て、気持ちよくしてというように。


「里依紗っ…気持ち、いい、か」


「うん…亜木人…っ」


「お前の中…っ、最初はキつくて固かったけど…っ、だんだん、俺の、形に、なってきた…」


「やっ…やめて、よ」


 里依紗は恥ずかしがって目をそらしたので、顎をつかんで無理やりこちらを向かせた。


「絶対にっ…俺以外の、男と…するなよ…っ」


 里依紗は困ったような顔をした。俺は腹が立って動きを止めた。里依紗の尻が責めるようにびくびくと震えて、俺のものを絞めつけた。


「返事はっ…!」


 里依紗は上気した顔で、俺を見て唇を開いた。


「わかった…よ…亜木人としか、しない」


 その言葉を聞けて、俺は思わず笑んだ。


「本当だな?」


「ほんとうほんとう、だから、動いて、よ」


 子どものように里依紗は言った。


「くくっ…里依紗は可愛いなぁ…いいぞ、たっぷり突いてやる」


 再び腰を動かすと、里依紗は目をぎゅっと閉じた。だけど口はだらしなく開いて、中から唾液が零れ落ちそうだ。なんていやらしい表情をするようになったんだ。

俺は里依紗の一番気持ちいい奥の壁を狙って何度も突いた。ここ数日、しつこくしつこく体をいじって、やっと里依紗はイクようになった。


「はっ、あ、あううっ、く、あ、あきと、」


「どうした?ちゃんと言えよ?」


「い、いき、そ、うっ…」


 あと一頑張り。里依紗がいけば、その刺激で俺も射だしてしまうだろう。俺は里依紗の耳元で告げた。


「気持ちいいか?俺に突かれて」


「うんっ、きもち、いい…あっ…い、いっちゃうっ…!」


里依紗が高く掠れた声で叫んだ。中がぎゅうっとうねって、痙攣する。


「っく…!」


 その締め付けがとどめとなって想定どおり、俺は同じタイミングで里依紗の中で果てた。里依紗の中に出すのは、これで記念すべき20回目だ。


 ふうっと里依紗が深呼吸したのが分かった。ヤって冷静になったので、俺は先ほどの行動を問いただした。


「さっき、どこに行こうとしてたんだ」


「え?ああ…いつもの雑貨屋」


「何をしに」


「豆買いに行こうと思って」


「豆?」


 里依紗は身を起こした。


「コーヒー豆。久々に飲みたいと思って。抜いてよ」


 俺はしぶしぶ自分のものを抜いた。里依紗はさっさと起き上がってパンツをはいた。


「うー、べたっとする」


「横着しないで風呂に入れ」


「そんな贅沢できないよ。じゃ、ちょっと行ってくるから」


「待て、俺も行く」


 外に行くのはあまり好きではない。けど里依紗が行くならしょうがない。俺はため息をついて立ち上がった。






 私は歩きながら、後ろをついてくる亜木人を振り返った。


「…別に、黙って出ていったりしないのに」


 彼は言い返した。


「じゃあ言ってから出ていくのか」


 本当に彼は素直じゃない。本心を言ったのは薬が回っていた最初だけだ。

 だけど私が少し外に出るたびに、半歩うしろを影のようについてくる。

 行動と言葉があっていないのだ。年上だけど、私より子どもみたいだ。


(人を信じられないから…私のことも、試してるんだろうな)


 それならぎゃふんと言わせてやろうじゃないか。私は彼を振り返った。


「行くなら、一緒に出ていこう?」


 彼は無言で、食い入るように私を見た。


「亜木人が治ったら、一緒に都会に行こうよ。二人で家を探そう?」


 たっぷり沈黙したあと、彼は絞り出すように言った。


「俺と…一緒にいてくれるって、言うのか」


「そうだよ。他に何があるのさ」


「な…なんで」


 私は笑った。


「亜木人と一緒にいたいから。だめ?」


 彼はあっけにとられたように立ち尽くしていた。私は手をつないでひっぱった。


「ほら行こうよ、あと少しで店だから。って、うわ!?どうした」


 彼の目から、涙が落ちていた。紫色を映した粒が、光って流れていく。理屈抜きで少し見とれてしまった私ははっとした。

 何かリアクションがあるとは思ったが、泣くとは予想外だった。


「ごめんごめん!感動して涙出ちゃった?」


「里依紗の、馬鹿」


 彼はつないだ私の手をつねった。結構本気の力だった。


「いった!」


「お前が悪い」


「ごめんなさいね」

「謝罪が軽い」


「お詫びにコーヒー淹れるからさ、飲める?」


「…飲んだ事がない」


「ふふ、私の淹れたコーヒーは美味しいんだよ」


 コーヒーも、煙草も、もう見るたびに辛くなることはなかった。

 波瑠との日々は、もう私を苦しめない。優しい思い出に変わったのだ。


「すごい丁寧に淹れてあげるから、許して?」


 私が下からのぞきこむと、彼は口を曲げていたがうなずいた。


(これをネタに、また夜仕返しされそうだな…)


 でもそれが嫌じゃなかった。自分の変化に驚いたが、まぁ毎日楽しいのでよしとしよう。


「じゃ、いこっか」


 私は亜木人と手をつないで歩き出した。

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