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どこにでもいる、普通の娘
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なぜ、昨日は顔を出してしまったんだろう――。そう思いながら、宰相バーンズは日中城での仕事に当たっていた。
(彼女には、レイズをつけている。私自身が動向をたしかめにいく必要など、ないのに)
そして、彼女に夕食までふるまわれてしまった。
子猫の件は、お忙しい中悪いです、とか、そんな事は申し訳ない、と彼女はぐずぐず言っていたが、結局は了承し、任せるとバーンズに言った。
ヘンリエッタに聞いた通りに従者に伝え、従者は無事、白い子猫を捕獲して帰ってきた。
「捕まえてきました。おっしゃる通り、広場の街頭の下で餌をもって待っていたら、ひょこっと現れました」
「……ご苦労。この事は他言無用で」
「は、はい」
従者の青年はそう言って、足早に宰相の部屋を辞した。かごの中で子猫は縮こまり、こちらを警戒しているようだった。
(……おびえているな)
ヘンリエッタはずいぶんと、この猫を大事にしていたようだった。何しろ最初に出会ったときも、この猫を連れていたからだ。あの時の無邪気な顔をおもい出して、バーンズはため息をついた。
(ヘンリエッタ・レイン……。ソーンフィールド侯爵の、妾腹の長女、か)
彼女の名乗った名前がひっかかっていたバーンズは、人を使って彼女の出自を調べさせた。最初彼女が現れた路地から想像すれば、彼女のいた屋敷を推理するのは簡単な事だった。予想通り、彼女はソーンフィールド家で継母と義兄に使用人として扱われ、時々残酷な仕打ちを受けていたようだった。あの手のあざが、それを物語っていた。
(だが……あの娘、不思議と)
悲壮な影はなかった。掃除の腕はなかなかのようだったが、見せる表情はあくまで年相応のもの。無邪気だがよく気はつき、バーンズにも時折笑顔を見せる。
つまり、どこにでもいる普通の、気立ての良い娘だ。特別なものはもっていないし、政治的に利用できるような身分でもない。
――なのになぜ、彼女を引き留めてしまったのだろうか。その事を考えようとすると、胸の奥が軋むような感覚を覚える。
そして、ふとヘンリエッタの言っていた事を思い出す。『猫を、助けたいのです。野良猫だったけれど、私によくなついていたのです』と彼女は必死に、子猫への思いと、彼がどんな危険にさらされているかを必死にバーンズに説明していた。
(そうだ……道端で一度助けた野良猫に、彼女は執着している)
所有しているわけではない。道端で出会って、餌を恵んだだけの小さい命。だけれど一度かかわってしまったら――子猫の事を捨て置けなくなる。不幸な目にあうのなら、助けてやらなければという思考になってしまう。
同じだ。バーンズはそう思い込もうと努力した。
(……誰だって、年少者が死ぬのを見るのは嫌だろう。それも、自分を助けてくれた者を、だ)
そんな事が起きれば、ただでさえ悪い目覚めが、もっと悪くなる。だから自分も、ヘンリエッタを助けたのだ。と、バーンズはとりあえず思うことにした。
(そう、だから――冬の間は、あそこに住まわせればいい。そろそろあの家にも、新しい空気を入れたほうが好都合でもある)
あの屋敷は、名義上はバーンズのものになっているが、一度も住んだことはない。以前の主から譲り受けた、古いものだった。
(しかし……あんなに真新しく感じるとはな)
昨日戻ったら、屋敷はすみずみまできれいになっていて、新鮮な空気で満たされていた。あかあかと燃える暖炉に、素朴な木の食卓。ヘンリエッタが眠っていた屋敷を起こしたかのように、すべてがいきいきとしていた。
(食事も悪くなかったな)
数度毒殺の憂き目にあいかけたバーンズからしたら、そういった心配なく食事できるだけでも、他より数段ましだった。
(まったく……いつから、こうなってしまったんだろうな)
一人、自分を嗤う。この地位に上り詰めるまでに、バーンズはたくさんその手を汚してきた。それは、望んでしたことではなかった。その過程で、バーンズは様々なものを失った。
しかし、バーンズによって屠られた人々にとっては、そんな事はどうでもいいことだろう。
(だから、私は恨まれている。貴族たちから。一族の者から。この都の、すべての人々からも――)
きっといつか、後ろから刺されて死ぬのだろう。だが、それまでにやらなくてはいけないことがある。
(新しい陛下が、この国を平安のうちに治められるように――)
この手を血で汚しても、その道を整えることが自分の仕事だ。だから今は、いくら恨まれても、まだ死ねない。
二度と故郷に戻れることもないだろう。そう思っていた。が、昨晩ヘンリエッタは無邪気に聞いてきた。故郷はどんなところなのですか、と。
(あの娘は、都を出たことなどないのだろうな)
そう思うと、いささか不憫な気もする。そしてそんな気持ちを感じている自分に、バーンズは驚くのだった。
(……私にまだ、人を憐れむ気持ちが残っていたのか)
するとその時、ノックもなしにドアが開く。こんな事をする人物か限られている――
(彼女には、レイズをつけている。私自身が動向をたしかめにいく必要など、ないのに)
そして、彼女に夕食までふるまわれてしまった。
子猫の件は、お忙しい中悪いです、とか、そんな事は申し訳ない、と彼女はぐずぐず言っていたが、結局は了承し、任せるとバーンズに言った。
ヘンリエッタに聞いた通りに従者に伝え、従者は無事、白い子猫を捕獲して帰ってきた。
「捕まえてきました。おっしゃる通り、広場の街頭の下で餌をもって待っていたら、ひょこっと現れました」
「……ご苦労。この事は他言無用で」
「は、はい」
従者の青年はそう言って、足早に宰相の部屋を辞した。かごの中で子猫は縮こまり、こちらを警戒しているようだった。
(……おびえているな)
ヘンリエッタはずいぶんと、この猫を大事にしていたようだった。何しろ最初に出会ったときも、この猫を連れていたからだ。あの時の無邪気な顔をおもい出して、バーンズはため息をついた。
(ヘンリエッタ・レイン……。ソーンフィールド侯爵の、妾腹の長女、か)
彼女の名乗った名前がひっかかっていたバーンズは、人を使って彼女の出自を調べさせた。最初彼女が現れた路地から想像すれば、彼女のいた屋敷を推理するのは簡単な事だった。予想通り、彼女はソーンフィールド家で継母と義兄に使用人として扱われ、時々残酷な仕打ちを受けていたようだった。あの手のあざが、それを物語っていた。
(だが……あの娘、不思議と)
悲壮な影はなかった。掃除の腕はなかなかのようだったが、見せる表情はあくまで年相応のもの。無邪気だがよく気はつき、バーンズにも時折笑顔を見せる。
つまり、どこにでもいる普通の、気立ての良い娘だ。特別なものはもっていないし、政治的に利用できるような身分でもない。
――なのになぜ、彼女を引き留めてしまったのだろうか。その事を考えようとすると、胸の奥が軋むような感覚を覚える。
そして、ふとヘンリエッタの言っていた事を思い出す。『猫を、助けたいのです。野良猫だったけれど、私によくなついていたのです』と彼女は必死に、子猫への思いと、彼がどんな危険にさらされているかを必死にバーンズに説明していた。
(そうだ……道端で一度助けた野良猫に、彼女は執着している)
所有しているわけではない。道端で出会って、餌を恵んだだけの小さい命。だけれど一度かかわってしまったら――子猫の事を捨て置けなくなる。不幸な目にあうのなら、助けてやらなければという思考になってしまう。
同じだ。バーンズはそう思い込もうと努力した。
(……誰だって、年少者が死ぬのを見るのは嫌だろう。それも、自分を助けてくれた者を、だ)
そんな事が起きれば、ただでさえ悪い目覚めが、もっと悪くなる。だから自分も、ヘンリエッタを助けたのだ。と、バーンズはとりあえず思うことにした。
(そう、だから――冬の間は、あそこに住まわせればいい。そろそろあの家にも、新しい空気を入れたほうが好都合でもある)
あの屋敷は、名義上はバーンズのものになっているが、一度も住んだことはない。以前の主から譲り受けた、古いものだった。
(しかし……あんなに真新しく感じるとはな)
昨日戻ったら、屋敷はすみずみまできれいになっていて、新鮮な空気で満たされていた。あかあかと燃える暖炉に、素朴な木の食卓。ヘンリエッタが眠っていた屋敷を起こしたかのように、すべてがいきいきとしていた。
(食事も悪くなかったな)
数度毒殺の憂き目にあいかけたバーンズからしたら、そういった心配なく食事できるだけでも、他より数段ましだった。
(まったく……いつから、こうなってしまったんだろうな)
一人、自分を嗤う。この地位に上り詰めるまでに、バーンズはたくさんその手を汚してきた。それは、望んでしたことではなかった。その過程で、バーンズは様々なものを失った。
しかし、バーンズによって屠られた人々にとっては、そんな事はどうでもいいことだろう。
(だから、私は恨まれている。貴族たちから。一族の者から。この都の、すべての人々からも――)
きっといつか、後ろから刺されて死ぬのだろう。だが、それまでにやらなくてはいけないことがある。
(新しい陛下が、この国を平安のうちに治められるように――)
この手を血で汚しても、その道を整えることが自分の仕事だ。だから今は、いくら恨まれても、まだ死ねない。
二度と故郷に戻れることもないだろう。そう思っていた。が、昨晩ヘンリエッタは無邪気に聞いてきた。故郷はどんなところなのですか、と。
(あの娘は、都を出たことなどないのだろうな)
そう思うと、いささか不憫な気もする。そしてそんな気持ちを感じている自分に、バーンズは驚くのだった。
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するとその時、ノックもなしにドアが開く。こんな事をする人物か限られている――
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