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第20話 恐ろしきビンセント
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赤い日が傾き始めていた。砂漠へ落ちた影はどんどん形を変えていく。とっくに発煙弾の煙は引いているのに、ランディたちが追いかけてくる気配はない。それにダンが戦っている最中に、ジョンは合図の曳光弾を放っていたのに、いまだにデレクたちが現れる様子も見られなかった。誰もかれもがジョンたちのことを忘れてしまったかのように、時間だけが刻々と過ぎていった。
ダンは、少年の心肺蘇生を試みていたのだけれど、いくら胸を押しても血が溢れてくるだけだった。それで諦めたのか、しばらくするとそっと少年の側を離れて座り込んだ。立てた両膝の上で腕を組み、そこに顔をうずめている。その姿は痛ましく、ジョンの心を傷つけた。
本当なら、ダンではなくジョンが立ち向かっていくべきだったのだ。いくら武器の扱いが上手くとも、ダンはジョンよりも三つも年下――十二歳だ。体だって歳相応で大きくはない。それが、大の大人を六人相手に一人で戦って、見ず知らずの少年を必死で助けようとしていた。一方のジョンは、彼の戦う様を見ているしかできなかった。体がすくんで頭は真っ白で、何一つまともに考えられなかった。曳光弾を撃ったのすら、ビリーに言われたからだ。当然、発煙弾を放ちダンを窮地から救ったのも彼だ。ひどく惨めな気持ちになった。ダンの流した血も、服や体を染めるあの少年の血も、すべてジョンの責任だ。今のダンを見ていると、そういう気持ちがどうしようもなくせり上がってきた。
日が地平線に沈もうとした頃、ダンがおもむろに顔を上げた。斜陽に照らされたその顔は、両腕に付いた血で汚れていた。彼は重たげな目を擦ってから立ち上がる。
「ディッキーを探してくる」
フラフラと歩き始めた彼を止めようと、ジョンとビリーの声が重なった。
「だめだ!」
ジョンはダンの怪我していない方の肩をつかんだ。特別力を入れたわけではない。けれどダンはあまりに簡単に引き戻され、その勢いで後ろ向きに転んでしまった。
「ダン!」
ジョンは慌てて手を貸す。
「ごめん。どこか痛めてない?」
ダンは力なくかぶりを振った。ジョンはほっと息をつく。同時に、ダンの負った怪我が彼に相当なダメージを与えていることをに気づいた。
「ちゃんと治療しないと。デレクたちのところに戻ろう」
ダンは再び首を横に振る。
「ディッキーを探さねえと」
「君の怪我の方が先だ。ディッキーはあとでぼくが探すよ。ちゃんと見つけて連れてくるから」
ダンは納得していない様子だったけれど、再び立ち上がろうとはしなかった。ただ、ただ、頭を左右に振り続けた。
*****
向かい合った相手戦車が、首を振るように素早く砲塔を動かし、こちらへ狙いを定めた。まずい、と思って指示を出そうとした時、砲煙が上がった。ドーンという音と衝撃に戦車が大きく揺れる。
「大丈夫か⁉」
下の砲塔内部へ叫ぶと、勢いよく返事が来た。
「平気だ! こんなのへっちゃらだ!」
はあと息をつく。デレクは砲塔最上部の視察口から敵の動きを確認し、仲間へ指示を出していた。しかし、相手戦車が大きすぎる上に視界が狭いため、判断が遅くなってしまう。仕方なく、彼は視察口から顔を出した。ぶうん、と爆発の余韻が風と煙になって顔に吹きつける。思わず瞑ってしまった目を開け、敵をじっと見た。
「機銃を蓋つき視察口に向けてる! 蓋を閉めろ!」
デレクの声のすぐ後に、ダダダダダ、と弾丸が撃ち込まれた。デレクは顔を引っ込め、下へ向かって再び叫ぶ。
「無事か⁉」
「大丈夫!」
クラッペから外の様子を窺っていたサミーの声が返ってきた。デレクは再び深く息を落とした。
どうしてこんなことになってしまったんだ? バードたちが無線機を妨害してくれるはずだったのに……。
まるでこちらの手の内を全て知っていたかのように、ビンセントの戦車は作戦決行と同時にデレクたちの前に現れていたのだ。運よく背面は取られなかったが、前面同士の撃ち合いでも勝ち目はない。こちらの装甲の方が弱いのは明らかだ。撃ち抜かれてしまうのは時間の問題だった。そしてデレクは思い出した。こういうところこそビンセントの恐ろしさなのだということを。
*****
デレクが掃除兵として働き始めてすぐの頃のことだった。仕入れのため他の砲手たちに連れられて武具売りのところへやって来ていた。
「これは粘着榴弾っていってな、榴弾よりも先っちょがちょっとばかし丸いだろ? これで弾頭が潰れて目標の装甲にくっつくんだ。その後に爆発して衝撃が装甲を引っぺがす。飛び散った装甲の破片で戦車内にダメージを与えることもできる」
デレクが興味津々といった素振りで尋ねると、武具売りは気前よく様々な武器や弾丸について説明してくれた。この頃には既に革命を目論んでいたデレクは、とにかくいろんな知識を蓄えておきたかったのだ。
「防ぐことはできないのか? できなきゃ、かなりの効果だよな?」
「内張り装甲を取り付けときゃ防げるさ。内部に破片が散るのを抑えたり、装甲を破って勢いがなくなった弾自体を受け止めることもできる。人命優先で考えるなら優れものだ」
人命優先で考えるなら……。妙な引っ掛かりを覚えた。それ以外を優先するなら付けない方がいい、と聞こえたからだ。
「付けないこともあるってことか?」
武具売りは嬉しそうに目を細めて、デレクの頭をポンポン叩いた。
「察しの良い奴だ。あのな、内張り装甲ってのは結構重いんだよ。だから、付けるとその分、他の物を諦めなきゃならねえ。それで、攻撃力重視の戦車は内張り装甲よりも自動装てん装置とか換気扇とかを付けときたがることも多い。けど、オレは内張り装甲を付けとく方がいいと思うね」
なるほど。頭で言葉にして次の質問を考えていた時、後ろから乱暴に頭を小突かれた。
「何余計なこと聞いてんだよ? さっさと運べ」
振り返ると、砲手の一人が両腕に抱えた武器の山をデレクへ押し付けてきた。
戦車へ戻る道すがらはひどく厳しかった。太陽は肌を刺すように鋭く、ボロボロの靴に突っ込んだ素足に熱い砂が焼け付く。山のような武器を担がされ、汗は滝のように流れた。
もうそろそろ到着というところで、ひと悶着が起こった。
「おい、てめえ」
先ほどデレクを小突いた男が、今度は彼の胸ぐらをつかんで、手荒く引き寄せた。その勢いで背負い梯子の肩紐がずり落ち、武器がバラバラバラと散乱する。
「危ねえだろ。落とすんじゃねえ」
別の砲手が横から頭を小突く。けれどデレクはそれには構わず、目の前で加虐的な笑みを浮かべる男を睨み返した。
「拾うから放せよ」
男の口角が裂けるように、にたりとつり上がった。デレクを突き飛ばすと、言葉通りに武器をかき集め始めた彼へ言い放つ。
「お前、さっき余計なこと聞いてやがったよな? ビンセントに言ってやる。そうすりゃ、てめえなんてすぐ見切りつけられて殺されるぞ。どうせでかすぎて長くは使えねえんだからな」
デレクは無視した。ただ、頑なに地面へ顔を向けて背負い梯子へ武器をまとめていく。癇に障ったのか、男はデレクの髪をつかんで荒っぽく顔を上げさせた。目には再びサディスティックな光が浮かんでいた。
「お前、いつも大事そうに変なの首からぶら下げてるよな」
彼は言うと共に、デレクの下げる藁馬を引っ掴んだ。ぐいっと引っ張られ、首にかけた紐がちぎれる。頭にかっと血がのぼった。
「返せ!」
デレクが男につかみかかろうとすると、別の男が後ろから彼を羽交い絞めにした。逃れようともがく。目の前では、男が藁馬を片手でちらちら揺らした。そして――ぐっと内臓を潰されるような痛みがきた。男に腹を殴られたのだ。顔が歪む。しかし男は容赦なくもう一発拳を腹に打ち込んできた。痛みのためなのか、一瞬目の前が真っ白になる。再び色が戻って来た時には、腕は解かれ、その場に倒れて咳き込んでいた。男たちの残酷な笑い声が降ってきた。
「それ、全部運んで来いよ。逃げたりしたら、ぶっ殺すぞ」
そう言って砲手たちは先に歩いていった。
戦車へ戻り、武器庫で荷を下ろしていると、
「一人でこんなに運んできて、随分疲れただろう?」
とっさに声のした方を見る。通路へ続くドアのところに、ビンセントの姿があった。
「別に平気だ」
デレクは応えながら、手元へ視線を戻す。
「平気な割には、遅かったじゃねえか」
首筋にぞわりと悪寒が走った。こいつは自分に罰を与えに来たのだ。真っ先に、そう脳裏に浮かんだ。けれど、ビンセントの口ぶりは妙に優しい。
「いつでも戦闘に備えられるように、武器の調達はなるべく早くしたいんだよ。だからこれからは、もう少し急いでくれるといいんだが――」
彼はそこで言葉を切った。しばしの沈黙。その間に、空気に淀むビンセントの気配が濃くなった。すぐそこまで来ると、
「でも、それはお前のせいじゃないな。砲手の連中に言っといてやろう。今後は全員で分担して運べってな」
デレクは何も返さず、ただ武器を並べ続けた。ビンセントの意図が分からない。背中がひどく緊張し、手に汗が滲んだ。
「怖いのか?」
唐突に図星をつかれた。応えに迷った彼は、違う、としか言えなかった。ビンセントは笑いを含ませた柔らかい声で話した。
「別にお前に何かしようなんて、考えちゃいない。これを返してやろうと思ったんだ」
彼が差し出したいかつい手のひらには、あの藁馬人形があった。デレクははっとして、思いがけずビンセントと視線を重ねてしまった。ビンセントは満足げに目を細めた。
「故郷でもらってきたんだろう? 大事にしろ。もう取られるんじゃないぞ」
デレクはすっかり面食らってしまった。ビンセントが、これまでうわさに聞いてきた非情な男に思えなかったというのも、もちろんある。しかし、何より驚いたのは、この藁馬がどういうものであるのか知りぬいているかのような態度だ。急に、すべてを見透かされているかのような気分に襲われていた。
ビンセントは、にっと笑んでから背を向けた。
「待ってくれ」
デレクが呼び止めると、彼はゆっくりと振り返る。それすら予想していたかのような、穏やかなやり方で。
「藁馬のこと、なんで知ってんのかって?」
まただ……。首筋を冷たい蛆虫の群れが這っていくような悪寒がした。
ビンセントは大きくため息をついた。
「そんなの見てりゃあ分かるさ」
そう言い、彼はじっとデレクを見つめる。何もかも知られてしまいそうで、デレクは視線を逸らした。
「まだオレが怖いんだな。いや、さっきより怖がってるだろう?」
彼は再びデレクへ近づいてきた。
「お前は正しい。オレは怖い。変に優しくされても、それに気づけるのは大したもんだよ。まだ半分ガキだってのにな」
口でどんどん言葉を紡ぎながら、彼は迫ってくる。
「いいか、本当に怖い奴ってのはな、一見優しそうな奴だ。優しそうで、無駄に敵を作るようなことはしない。でも、相手をよく見て、そいつがどういう種類の人間か見抜いて、必要があれば非情になれる。誰に対してもな。そういう奴が一番怖い」
彼はデレクの目の前まで来ていた。口角を上げて彼の顔を覗き込む。
「お前には、非情になる必要がないんだよ。今はな」
彼はデレクの頭に手を置き、髪をくしゃくしゃにして撫でた。
「一人でここの片付け、できるな?」
デレクはこくこくと頷くしかできなかった。ひどく情けない声が出てしまいそうで。ビンセントは、がんばれよ、と言って、再び背を向けて武器庫から出て行った。
翌日になって、デレクは彼の藁馬を奪ったあの男がビンセントに射殺されていたことを知った。砲手仲間全員の目の前で。高い金額で買ったデレクを置き去りにしてきたことが理由だった。
ダンは、少年の心肺蘇生を試みていたのだけれど、いくら胸を押しても血が溢れてくるだけだった。それで諦めたのか、しばらくするとそっと少年の側を離れて座り込んだ。立てた両膝の上で腕を組み、そこに顔をうずめている。その姿は痛ましく、ジョンの心を傷つけた。
本当なら、ダンではなくジョンが立ち向かっていくべきだったのだ。いくら武器の扱いが上手くとも、ダンはジョンよりも三つも年下――十二歳だ。体だって歳相応で大きくはない。それが、大の大人を六人相手に一人で戦って、見ず知らずの少年を必死で助けようとしていた。一方のジョンは、彼の戦う様を見ているしかできなかった。体がすくんで頭は真っ白で、何一つまともに考えられなかった。曳光弾を撃ったのすら、ビリーに言われたからだ。当然、発煙弾を放ちダンを窮地から救ったのも彼だ。ひどく惨めな気持ちになった。ダンの流した血も、服や体を染めるあの少年の血も、すべてジョンの責任だ。今のダンを見ていると、そういう気持ちがどうしようもなくせり上がってきた。
日が地平線に沈もうとした頃、ダンがおもむろに顔を上げた。斜陽に照らされたその顔は、両腕に付いた血で汚れていた。彼は重たげな目を擦ってから立ち上がる。
「ディッキーを探してくる」
フラフラと歩き始めた彼を止めようと、ジョンとビリーの声が重なった。
「だめだ!」
ジョンはダンの怪我していない方の肩をつかんだ。特別力を入れたわけではない。けれどダンはあまりに簡単に引き戻され、その勢いで後ろ向きに転んでしまった。
「ダン!」
ジョンは慌てて手を貸す。
「ごめん。どこか痛めてない?」
ダンは力なくかぶりを振った。ジョンはほっと息をつく。同時に、ダンの負った怪我が彼に相当なダメージを与えていることをに気づいた。
「ちゃんと治療しないと。デレクたちのところに戻ろう」
ダンは再び首を横に振る。
「ディッキーを探さねえと」
「君の怪我の方が先だ。ディッキーはあとでぼくが探すよ。ちゃんと見つけて連れてくるから」
ダンは納得していない様子だったけれど、再び立ち上がろうとはしなかった。ただ、ただ、頭を左右に振り続けた。
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向かい合った相手戦車が、首を振るように素早く砲塔を動かし、こちらへ狙いを定めた。まずい、と思って指示を出そうとした時、砲煙が上がった。ドーンという音と衝撃に戦車が大きく揺れる。
「大丈夫か⁉」
下の砲塔内部へ叫ぶと、勢いよく返事が来た。
「平気だ! こんなのへっちゃらだ!」
はあと息をつく。デレクは砲塔最上部の視察口から敵の動きを確認し、仲間へ指示を出していた。しかし、相手戦車が大きすぎる上に視界が狭いため、判断が遅くなってしまう。仕方なく、彼は視察口から顔を出した。ぶうん、と爆発の余韻が風と煙になって顔に吹きつける。思わず瞑ってしまった目を開け、敵をじっと見た。
「機銃を蓋つき視察口に向けてる! 蓋を閉めろ!」
デレクの声のすぐ後に、ダダダダダ、と弾丸が撃ち込まれた。デレクは顔を引っ込め、下へ向かって再び叫ぶ。
「無事か⁉」
「大丈夫!」
クラッペから外の様子を窺っていたサミーの声が返ってきた。デレクは再び深く息を落とした。
どうしてこんなことになってしまったんだ? バードたちが無線機を妨害してくれるはずだったのに……。
まるでこちらの手の内を全て知っていたかのように、ビンセントの戦車は作戦決行と同時にデレクたちの前に現れていたのだ。運よく背面は取られなかったが、前面同士の撃ち合いでも勝ち目はない。こちらの装甲の方が弱いのは明らかだ。撃ち抜かれてしまうのは時間の問題だった。そしてデレクは思い出した。こういうところこそビンセントの恐ろしさなのだということを。
*****
デレクが掃除兵として働き始めてすぐの頃のことだった。仕入れのため他の砲手たちに連れられて武具売りのところへやって来ていた。
「これは粘着榴弾っていってな、榴弾よりも先っちょがちょっとばかし丸いだろ? これで弾頭が潰れて目標の装甲にくっつくんだ。その後に爆発して衝撃が装甲を引っぺがす。飛び散った装甲の破片で戦車内にダメージを与えることもできる」
デレクが興味津々といった素振りで尋ねると、武具売りは気前よく様々な武器や弾丸について説明してくれた。この頃には既に革命を目論んでいたデレクは、とにかくいろんな知識を蓄えておきたかったのだ。
「防ぐことはできないのか? できなきゃ、かなりの効果だよな?」
「内張り装甲を取り付けときゃ防げるさ。内部に破片が散るのを抑えたり、装甲を破って勢いがなくなった弾自体を受け止めることもできる。人命優先で考えるなら優れものだ」
人命優先で考えるなら……。妙な引っ掛かりを覚えた。それ以外を優先するなら付けない方がいい、と聞こえたからだ。
「付けないこともあるってことか?」
武具売りは嬉しそうに目を細めて、デレクの頭をポンポン叩いた。
「察しの良い奴だ。あのな、内張り装甲ってのは結構重いんだよ。だから、付けるとその分、他の物を諦めなきゃならねえ。それで、攻撃力重視の戦車は内張り装甲よりも自動装てん装置とか換気扇とかを付けときたがることも多い。けど、オレは内張り装甲を付けとく方がいいと思うね」
なるほど。頭で言葉にして次の質問を考えていた時、後ろから乱暴に頭を小突かれた。
「何余計なこと聞いてんだよ? さっさと運べ」
振り返ると、砲手の一人が両腕に抱えた武器の山をデレクへ押し付けてきた。
戦車へ戻る道すがらはひどく厳しかった。太陽は肌を刺すように鋭く、ボロボロの靴に突っ込んだ素足に熱い砂が焼け付く。山のような武器を担がされ、汗は滝のように流れた。
もうそろそろ到着というところで、ひと悶着が起こった。
「おい、てめえ」
先ほどデレクを小突いた男が、今度は彼の胸ぐらをつかんで、手荒く引き寄せた。その勢いで背負い梯子の肩紐がずり落ち、武器がバラバラバラと散乱する。
「危ねえだろ。落とすんじゃねえ」
別の砲手が横から頭を小突く。けれどデレクはそれには構わず、目の前で加虐的な笑みを浮かべる男を睨み返した。
「拾うから放せよ」
男の口角が裂けるように、にたりとつり上がった。デレクを突き飛ばすと、言葉通りに武器をかき集め始めた彼へ言い放つ。
「お前、さっき余計なこと聞いてやがったよな? ビンセントに言ってやる。そうすりゃ、てめえなんてすぐ見切りつけられて殺されるぞ。どうせでかすぎて長くは使えねえんだからな」
デレクは無視した。ただ、頑なに地面へ顔を向けて背負い梯子へ武器をまとめていく。癇に障ったのか、男はデレクの髪をつかんで荒っぽく顔を上げさせた。目には再びサディスティックな光が浮かんでいた。
「お前、いつも大事そうに変なの首からぶら下げてるよな」
彼は言うと共に、デレクの下げる藁馬を引っ掴んだ。ぐいっと引っ張られ、首にかけた紐がちぎれる。頭にかっと血がのぼった。
「返せ!」
デレクが男につかみかかろうとすると、別の男が後ろから彼を羽交い絞めにした。逃れようともがく。目の前では、男が藁馬を片手でちらちら揺らした。そして――ぐっと内臓を潰されるような痛みがきた。男に腹を殴られたのだ。顔が歪む。しかし男は容赦なくもう一発拳を腹に打ち込んできた。痛みのためなのか、一瞬目の前が真っ白になる。再び色が戻って来た時には、腕は解かれ、その場に倒れて咳き込んでいた。男たちの残酷な笑い声が降ってきた。
「それ、全部運んで来いよ。逃げたりしたら、ぶっ殺すぞ」
そう言って砲手たちは先に歩いていった。
戦車へ戻り、武器庫で荷を下ろしていると、
「一人でこんなに運んできて、随分疲れただろう?」
とっさに声のした方を見る。通路へ続くドアのところに、ビンセントの姿があった。
「別に平気だ」
デレクは応えながら、手元へ視線を戻す。
「平気な割には、遅かったじゃねえか」
首筋にぞわりと悪寒が走った。こいつは自分に罰を与えに来たのだ。真っ先に、そう脳裏に浮かんだ。けれど、ビンセントの口ぶりは妙に優しい。
「いつでも戦闘に備えられるように、武器の調達はなるべく早くしたいんだよ。だからこれからは、もう少し急いでくれるといいんだが――」
彼はそこで言葉を切った。しばしの沈黙。その間に、空気に淀むビンセントの気配が濃くなった。すぐそこまで来ると、
「でも、それはお前のせいじゃないな。砲手の連中に言っといてやろう。今後は全員で分担して運べってな」
デレクは何も返さず、ただ武器を並べ続けた。ビンセントの意図が分からない。背中がひどく緊張し、手に汗が滲んだ。
「怖いのか?」
唐突に図星をつかれた。応えに迷った彼は、違う、としか言えなかった。ビンセントは笑いを含ませた柔らかい声で話した。
「別にお前に何かしようなんて、考えちゃいない。これを返してやろうと思ったんだ」
彼が差し出したいかつい手のひらには、あの藁馬人形があった。デレクははっとして、思いがけずビンセントと視線を重ねてしまった。ビンセントは満足げに目を細めた。
「故郷でもらってきたんだろう? 大事にしろ。もう取られるんじゃないぞ」
デレクはすっかり面食らってしまった。ビンセントが、これまでうわさに聞いてきた非情な男に思えなかったというのも、もちろんある。しかし、何より驚いたのは、この藁馬がどういうものであるのか知りぬいているかのような態度だ。急に、すべてを見透かされているかのような気分に襲われていた。
ビンセントは、にっと笑んでから背を向けた。
「待ってくれ」
デレクが呼び止めると、彼はゆっくりと振り返る。それすら予想していたかのような、穏やかなやり方で。
「藁馬のこと、なんで知ってんのかって?」
まただ……。首筋を冷たい蛆虫の群れが這っていくような悪寒がした。
ビンセントは大きくため息をついた。
「そんなの見てりゃあ分かるさ」
そう言い、彼はじっとデレクを見つめる。何もかも知られてしまいそうで、デレクは視線を逸らした。
「まだオレが怖いんだな。いや、さっきより怖がってるだろう?」
彼は再びデレクへ近づいてきた。
「お前は正しい。オレは怖い。変に優しくされても、それに気づけるのは大したもんだよ。まだ半分ガキだってのにな」
口でどんどん言葉を紡ぎながら、彼は迫ってくる。
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彼はデレクの目の前まで来ていた。口角を上げて彼の顔を覗き込む。
「お前には、非情になる必要がないんだよ。今はな」
彼はデレクの頭に手を置き、髪をくしゃくしゃにして撫でた。
「一人でここの片付け、できるな?」
デレクはこくこくと頷くしかできなかった。ひどく情けない声が出てしまいそうで。ビンセントは、がんばれよ、と言って、再び背を向けて武器庫から出て行った。
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