オー、ブラザーズ!

ぞぞ

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第33話 ダンの単独行動

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 カンカンカンカン――。踵が硬い床を蹴る度に音が四方の壁にぶつかり、吹き抜けになった縦長の空間に反響する。敵戦車に潜入したダンは、砲塔階を目指していた。ランディがいるはずの場所だ。
 途中、誰かに見つかるかもしれないと危惧していたが、いざハッチからとびこんで周囲へ目を向けると、まるで寝静まったかのように、しんとした廊下が伸びていた。拍子抜けだ。ビンセントから間に合わせで貰った戦車らしいから、おそらく一般民はいないのだろう。加えて、ランディは侵入に備えて見張りをつなかったのだ。絶望的に間抜けだ。そう思うと、なぜか無性に腹が立った。拳銃を握る手と床を蹴る足に力が入る。カンカンカンカン――。より速く、大きく、足音が響いた。
 最上階に着いた。立ち止まると、心臓が自己主張するかのようにバクバクと鳴っているのが分かった。肩が大きく上下する。ダンは辺りへ視線を巡らし、耳をそばだてる。
 砲塔は彼らの戦車と同じく三つあり、その内の一つのから声が聞こえてきた。目をつむり、耳の奥に残っている胸くそ悪い、あの声と比べてみる。
 
 ――随分と潔いいじゃねえか。でもな、すぐには殺さねえ――
 
 二つの声がカチリと重なった。目を開ける。いる――。さっきまでより拳銃が硬く、冷たくなったような気がした。ダンは深く息を落とし、ドアを押した。
 二人の男が目に留まった瞬間、ダンの指は引き金を引いていた。
 バン、バン、と連続した破裂音が狭い空間を切る。一人の男は額から血を流して倒れ、もう一人は肩を抑えて体を縮めた。貧相な縮れ毛の男。あの時、下劣な笑みを浮かべながら近づいてきた、あの男。こいつだ。ダンは再び銃を構えた。
 が、撃つ前に首を衝撃が掠めた。とっさに振り返る。こちらへ銃を向ける男と視線がぶつかった。
 その途端、やはりダンの体は動いていた。相手の銃口が再び火をふく前に、目の前の男に狙いを定め、撃つ。額の真ん中に命中し、男はギョロリと目を剥いたまま前のめりに倒れた。胸に突き上げた緊張が下りていく。再びランディへ振り向く時、
 油断していた。
 拳銃を持つ手に強い衝撃があり、腕が後ろへはねあげられた。一瞬遅れて熱さが来る。指のつけ根から炎が噴き出しているみたいに、熱かった。顔が歪む。見ると、もう手には拳銃は握られておらず、中指を吹き飛ばされて、残酷なほど赤い血がとめどなく垂れ流れていた。鮮血に染まっていく手。恐怖が一気に四肢へ広がる。やばい――。
 そう認識した時には、ランディが迫ってきていた。
 何とかしねえと。考えねえと。
 でも、頭では何かがぐるぐるぐるぐる回っていて、思考は全て弾かれてしまう。何も考えられない。目の前までやってきたランディは、ニタリと笑った。黄色い歯と、歯茎が見える。背筋を蛆虫の群れが這っていくような悪寒。
「銃持ってなきゃ、他のガキと変わらねえな」
 声に続けて重さが来て、ダンの体は仰向けに倒される。目の前では、彼に馬乗りになったランディが手で銃を弄んでいた。
 殺される……。
 手がガタガタと震えた。怖くて、でも怖いことが悔しくて、そしてはっきりと知った。自分がこの屑みたいな男に命を奪われるのだと。ぎゅっと目をつぶる。心臓は死を受け入れまいとするみたいに胸で暴れ、反面、他の臓器はギリギリ縮んでその瞬間に備えていた。しかし――
 何も起こらない。どうして……? 肩透かしを食らったようになって、ダンがそっと目を開けると、
 視界いっぱいに、ランディの顔があった。
 おぞましさが突き上げてきた。胸が凍り、総毛立ち、体がすくむ。鼻と鼻がぶつかりそうなほど、顔を舐められそうなほど近くに、ランディが顔を寄せていたのだ。
「お前、よく見るとかわいいな」
 恐ろしいほどの嫌悪感が全身を駆け巡った。それに急き立てられたように、逃げようと手足が動く。しかし、ランディはガッチリとダンを押さえつけていて、身動きが取れない。
 痩せ萎びた体に宿っていた思いがけない力。あんなに見くびっていたのに、蔑んでいたのに、ダンはこの男に抵抗することすらできなかった。悔しさを通り越して、恥を感じる。なんとか、この状況をなんとかしたかった。がむしゃらになって、もがこうとする。でも、途方なく感じられるほどに、彼の力は押さえ込まれてしまっている。そのまま何秒か、もしかしたら何分かかもしれない時間が経ち、
 激痛が襲ってきた。悲鳴に近い声が上がり、眉間がぎゅっと縮む。訳が分からずなんとか目をこじ開けてみると、ランディがダンの撃たれた右手を握りしめていたのだ。
「あんまり暴れんじゃねえよ」
 ランディは涼しい声でそう言うと、さらに力を入れる。手がバラバラに砕かれるような痛み。それでもダンはぐっと歯を食いしばり、再び上がりそうになった声を抑えた。目の中に熱いものが湧いてきて、縁から溢れてしまう。でも、彼は目を背けず、精一杯の嫌悪を込めてランディを睨みつけた。
 ランディは嘲笑うように口元を歪めた。
「本当に生意気なガキだな」
 そしてダンの髪を掴んで頭の動きを封じると、乾いて、ささくれた唇を彼の唇に押し当ててきた。全身の肌が粟立つ。ダンの体は、またもがいていた。だが、すぐにランディは手に力を入れた。再び襲ってきた酷い痛みに、声が上がったが、それさえもランディの口の中で抑え込まれてしまう。
 逃げたい。
 生きなければとか、ランディを倒さなければとか、仲間の元に戻らなければとか、そういう義務とは別の、この男からとにかく解放されたいという気持ちがせり上がってくる。パニックになりそうだった。なんとか唇だけは引き離そうと顔を背けようとしたが、どうにもならない。
 けれど、視線を横へ向けた瞬間、頭の隅に残っていた一抹の理性が鋭く光った。キラリと灯を照り返す銃が目に飛び込んできたのだ。あれがあれば……。
 ダンの心は決まった。
 ランディが舌を口の中に突き入れてきた。口内をまさぐるように気色悪く動くそれを噛み切ってやりたくなったが、ぐっと堪える。その代わり、なんとか喋ろうと口を動かした。ランディの舌に自分の舌が触れてしまい、滑りとした感触に鳥肌が立つ。しかし、ランディはダンの様子の変化に気がついたらしく、口を離した。
「なんだよ、何か言いてえのか?」
 ダンは深く息をついて、腹に力を入れた。
「お前、どうせオレを犯す気なんだろ? やるなら早くやれよ」
 ランディは一瞬目を丸くしたが、すぐに声を上げて笑い出した。
「お前本当に大したガキだな。そんなにやって欲しいならやってやるよ」
 言い切らないうちに、ランディはダンの体の上を、後ろ向きに這っていった。ズボンに手がかけられる。急激に全身が熱くなり、手が震えた。顔の筋肉が勝手に動き、表情が歪む。けれど、これでいい。ダンはランディが自分の体を弄ぶのを感じ、突き上げてくる屈辱をなんとか振り払って、銃へ手を伸ばした。
 届かない。
 あと、こぶし一個分。腕にぐんと力を入れ、指先に神経を集中してなんとか掴み取ろうとしたが、どうしても僅かに足りない。くそ……。
 体の下の方では、ランディの手が下着の上から形を確かめるように這い回っていた。目に涙がこみ上げてくる。あと、ちょっとなのに――。
 嫌だ、という気持ちに駆り立てられて、ダンは体を起こした。その瞬間に殺されるかもしれないと分かっていたけれど、そうせずにはいられなかった。伸ばした指先を用心金に引っかけ、引き寄せる。そうしてすぐに、ランディへ銃を向け、引き金を引いた。
 パンッという破裂音が響く。
 夢中で、狙いをつける余裕すらなかった。でも、どこかに命中したらしく、ランディは呻き声をあげてうずくまった。すかさず、ダンはランディの持っていた銃を蹴り飛ばす。そうして、座ったまま後ずさってランディから離れると、怪我していない方の手でズボンを引き上げた。心臓がバクバクと鳴り、耳の奥で何かが脈打つ。息が上がって、肩が激しく上下する。頬がひきつり、口の中が乾いて、うまく喋れそうにない。けれど、彼はなんとか声を押し出した。
「殺してやる」
 頭頂部をダンに向けて震えていたランディの体が、ピタリと止まった。彼はゆっくりと顔を上げ、目に恐怖を映しながら、けれど口元に媚びるような笑みを浮かべる。
「マジになるなよ。お前があんまりかわいいから、ちょっとふざけたんだよ。でも、そんなに嫌だって言うなら――」
「違う」
 ダンはそう言って立ち上がった。
「お前、ディッキーに、あいつに、ずっとこんなことしてたんだな」
 言葉にすると余計に胸に来た。「こんなこと」じゃない。もっとだ。もっとずっと酷いことを、何人もの大人たちに、二ヶ月の間、毎日毎日され続けていたのだ。自分がその危機に立たされて、やっと、それがどういうことか分かった。目頭が熱くなってくる。
「お前が生きてたら、ディッキーが安心できない」
 そうなのだ。いくら広大な砂漠であっても、戦車同士は幾度となく出くわす。ランディが生きていれば、ディッキーはその度に、相手はランディたちかもしれない、またひどい虐待をされるのかもしれないという恐怖に苛まれるのだ。そんな風にはさせたくない。
 ダンは銃口をランディに向けた。
「後悔して死ね。お前がディッキーにしたことと――」
 そこで言葉につまった。口にするのが辛かった。ダンはぐっと息を飲んだ。そして、声を絞り出す。
「ザックにしたことを」
 ランディの眉間に疑問の気配が漂う。
「ザック?」
 それがランディの最後の言葉になった。ダンはランディの眉間を撃ち抜き、その目から生気が消える瞬間を見届けた。
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