悪役令息さん総受けルートに入る

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むし

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 痛い、なんか噛まれた。足が多い、これ絶対虫だ。最悪だ。もう無理気絶する。
 顔の上をぞわぞわ這う何かを振り払おうと、手動かした瞬間、尻がずるりと滑る嫌な感触がした。
「お、わ……ッ」
 体が傾きあっという間に真っ逆さまだ。しかも虫は依然俺の顔に張り付いて離れない。もう気絶したいでもできない。
 俺、虫に敗北する。勝てたことが一度も無い。馬鹿なことを言ってないで安全に着地をしなくては、などと考えている内に体がふわりと浮いた。おそらく風の魔法だろう。
 ゆっくりと地面に下ろされるかと思いきや、俺の体はすとんとクロエの腕の中におさまる。
「なにこれ」
「虫……いや、なんだこれ」
「いった……!」
「あ、悪い」
 べり、と顔から何かが剥がれ、顔にびりりとした痛みが走った。
 そこそこの大きさだ。手のひらレベルのそいつを持ったカイル先輩は、何の虫だ? と、器用に片眉を上げた。
 虫の形をしているのは確かだが、見たことのないものだった。サソリに似た胴体だが、その体は無色の魔石で出来ているかのように輝き、細い足も透き通っており力を込めたらぽきっと折れそうだ。
 苦手なものをまじまじと見る趣味は無いが、何かに似ている。
「世界樹を襲った魔獣についていた魔石に似ている……?」
 ぽつり、と呟くと同時に、虫が氷に包まれた。
「カイル、そのまま研究所にでも持って行ってくれる?」
「お、お前、オレの手まで凍ってるんだけど!?」
「手を離さない自分が悪い、ほら早く行かないと手が大変だよ?」
「くっ、理不尽! お前らここで待ってろ。すぐ戻る」
 世界樹の管理をしているのが研究所なら、王城にも所属している者が来ているのだろう。カイル先輩は世界樹の指輪を使い、姿を消した。
 おそらくあの謎の虫が動かないようにしたのだろうが、カイル先輩はご愁傷さまだ。無事に氷が溶けることを祈っておこう。
「あんなのが居るなんて気が付かなかったなぁ」
「自分の本体だろ、気が付け」
「前も言ったけど、自分の体なんて完全に把握はしてないよ。そもそも、世界樹にはいろいろな動物が住んでいるしね」
 神様の言葉に背筋が冷えた。やはり動物の住処になっているのか、いやしかし、それなら木の中に住む動物も居るだろう。そいつらは無事なのだろうか、こんな魔力の塊の中にいたら突然変異を起こしそうだ。あの虫もその可能性がある。
「……、もう少し、見た方がいいだろうか」
「いいや、カイルが戻るまで待機しておこう」
 そう口にしつつ、ヴィルが俺の頬を両手で包む。何をするのかと思いきや、ヒールだった。じんわりと温かくなり、頬についたひっかき傷が治っていく。
「ありがとうございます」
「ふふ、お兄ちゃん大好き? 僕もだよ」
「さすがに幻聴がすぎる」
 どういう耳してるんだ。頬から離れない手をはらって距離を取る。
「クラウス博士は魔石病や魔石の研究を行っていたよね?」
 俺の行動を気にした様子もなく、ヴィルがクロエの方を見る。
 クロエの体調については、チームのようなものだからという理由で二人にも共有していた。その際にクラウス博士の名前も出した。
 視線を俯けたクロエが頷く。
「ああいう生き物にも詳しかったりする?」
「詳しいんじゃない? おれにはそういう話全然しないけどね」
 それ以上話したくない、という空気を出してクロエが口を閉ざす。
 ヴィルがどういう意図で彼の名前を出したかは分からないが、気持ちは分からないでもない。あの人は良くも悪くも、魔石に関する事柄に絡みすぎている。
 妙な空気の二人に、アルがおろおろと叱られた犬のようにその場をうろうろする。お前はとりあえず座っていろ。
 カイル先輩が戻るまで、とは言えど、時間が勿体ない。
「落ち着かないので木登りしてきます」
「……ユーリはそんなやんちゃな子だった?」
「前世がほら」
 都合の悪いときの悠太だ。
 俺が準備運動をしていると、クロエが俺の腕を掴む。突然の接触に目を丸くしていると、飛ばそうか? と聞かれた。風で上まで? それは少し怖い。枝にぶつかったら痛いだろ。
「あ、そうだ。どうせならお前も来るか?」
「なんで?」
「虫が来たら頼む。俺一人だと火事になる」
「ええ……? しょうがないな」
 嫌そうにしつつ、クロエは俺のことをひょいと持ち上げる。これでも平均体重なはずなのだが、軽々と俵抱きされると複雑な気分だ。せめてお姫様抱っこにしないか。
 びゅうびゅうと風が吹き荒れ、周囲に集まる。羽を出せば楽だろうに、学校からの言いつけを律儀に守るとは、意外に真面目だ。
 クロエの体が浮き、勢いよく上方向に射出される。これは飛ぶではない。飛ばされる、が正しい。
 勢いに目を回している内に、目的地に到着していた。揺れる木の枝に下ろされ、木の幹を支えにその場に立ち上がる。
 あの虫に会いたいとは思わないが、もし、あれが魔獣の類なら他にも居るような気がする。なんなら巣くってる可能性すらある。原因が内部なら、木の内部に入り込める昆虫型ならばあり得る話だ。
「ユーリ、お仕事の邪魔して良い?」
「程度による」
 俺の後ろに座っているクロエは、声を潜めて俺に話を続ける。
「みんな博士を疑ってる。おれも今度、話を聞かせろって」
「誰に?」
「カイル。騎士団の人とか研究所の人と話す予定」
 知らない。聞いてない。あの先輩のことだ、俺に言うと何をしでかすか分からないから知らせなかったに違いない。後で全力で苦情を入れないといけないな。
「今日ユーリ当番おれでしょ、ちょっとだけ話を聞いてもらっていいか?」
 ユーリ当番、というのは、俺の部屋に泊まる人の事だ。
 俺が一人部屋なので、四人が日替わりで俺の護衛として一緒に夜を過ごす。その為、一人分だったベッドは、もう一人分用意されることとなった。
 そのユーリ当番が、今日はクロエという話だ。いやな名称すぎるな。
「かまわない」
「ありがと」
 クロエもクロエで、今日まで言わないだなんてどういうことだ。世界樹修復チームのリーダーは俺ではないのか。報連相は基本だろう。
「ユーリ、クロエの好感度上がったよ! ステータス見る?」
「要らん」
「神様いるのか」
「気にするな」
 木に手をあてて、目を閉じ集中する。魔力の流れがせき止められている位置を確認して、そこを研究員にでも調べさせればいい。俺には虫の巣穴かもしれない場所を覗き込む趣味は無い。
 あるな、俺の頭三つ分ほど上、右斜め。手を伸ばせば届くが、触りたくない。
 血液の循環が途中でせき止められているような、あるいはぷつりと途切れているような。その部分だけ真っ白に見える。
「ユーリ、そこ手届く?」
「え? 触れと?」
「うん」
 嫌だ。俺が無言で首を横に振るが、神様は笑顔のままだ。やれ、という圧を感じる。
 背を伸ばし、穴がある位置を手で探る。すると、手のひらにへこんだ感触が届いた。
「そこ。修復してみて」
「しかし、何かしらの阻害を感じるが」
「大丈夫。聖女の回復は、私が内側から回復するのとはわけが違うんだ」
 聖女じゃないがな、というのはもうつっこまない。
「大丈夫?」
 俺がつま先立ちで頑張っているのを見かねて、クロエが声をかける。
「支えるか、抱き上げるかしてもらって……いいか」
「ん、よいしょ」
 腰の辺りに腕が回り、またしてもひょいと持ち上げられる。人間と竜人の差か、俺はクロエをこんな風にできない。
 礼を言って、穴の修復にとりかかる。視界の確保ではなく、回復、回復。頭の中で繰り返す内に体から魔力が放出され、世界樹に流れ込んでいくのが分かった。
 この穴、結構深く入り込んでいるような、そして葉がこすれる音に混じってぱきぱきと何かが割れる音が聞こえてきた。
 嫌な想像をするが、これ、中に虫が居たら場合そのまま修復をすることとなる。となると、中の虫はどうなるんだ? 潰されるか外に飛び出す? あの一匹がここに住んでいたのなら、中は留守。
「こ、れ、きついんだが?」
「がんばって、もう少し」
「中、どうなるんだ」
「虫を取り込んだまま修復されるよ」
「気持ち悪い……」
「酷いな、私の栄養になるんだよ」
 余計気持ち悪い。神様じゃなくて虫けらと呼んでやりたい。
 しばらくそのまま回復を行い、俺の魔力が空になりそうなくらいに、ようやく穴が塞がった。頭がくらくらして耳鳴りがする。もしこれが複数あるなら、俺はそのたびにこんな風になるのか、死ぬぞ。
「うん、これかぁ。動物に紛れて入り込んだのかな、もしくは何度かあった魔獣の襲撃のとき」
「ユーリ生きてる?」
「しんでる」
「もういい? 下戻るよ」
 俺を担いだクロエが、ひょいと飛び降りる。フィジカルの強さは素晴らしい。
 猫のようなしなやかさで着地したクロエは、目を閉じたまま動かない俺を地面に横たえる。人の気配が増えたが、指先を動かすのも億劫だ。
「ユーリ、何があったんだ?」
「なんか、上で木の回復してたっぽい」
「魔力不足になったのかな、しょうがないな。僕の魔力を」
「ヴィルさん、ここに世界樹のしずくがありますので!!」
「飲めないだろうから口移しかな」
「俺が飲ませます」
「めんどくさ……」
 本当にな、クロエがやってくれたほうがありがたい。


 夜、食事も終え風呂も済ませて後は寝るだけといった状態だ。
 俺が聖女代行を始めてから、食事は数人でとることが増えた。しかも何故か俺の部屋でだ。
 特進寮は、風呂とトイレ、キッチン、リビング、寝室、といった構成だ。用は1LDKである。
 一人部屋だったため家具もベッドも最低限の大きさだったのだが、全員で集まるようになってからリビング簡素な椅子とテーブルは、大人数でも使えるようなものに変わっていた。犯人はカイル先輩だった。

「ユーリ大丈夫?」
「生きてる」
「ごはんの時も死んでるって言ってたのに」
 俺のベッドに腰掛けたクロエが、くすくすと笑うのが耳に届く。
 クロエが動くと、微かにベッドが軋む音がする。上に覆いかぶさる気配に閉じていたまぶたを開くと、長い髪の毛が幕のようにシーツに落ちて影を落とした。
 なんか、これは、と変な方向に行きそうな思考を叱咤し、昼間に話したことを思い出す。
「で、用事があるんだろ」
「うん、でも疲れてるならやめる」
「馬鹿にするな、これくらいなんともないさ。話せ」
「かっこいー、ありがとー」
 若干棒読みな気がするのは、気のせいだよな。
 俺はゆっくり体を起こし、ベッドに座る。眠りかけていたせいで頭が重い。
「博士は怪しいよね」
「直接話したのは二度ほどだが、気にはなる。ちゃんと会話する機会があれば良いんだが」
「あの人はひねくれものだから話さないよ。ユーリみたい」
「俺ほど素直な人間はいないが?」
「うん、そだね。ユーリはなんでも言うから」
 大きな背中が少し丸い。もともと猫背気味だが、今日はしょんぼりしているようにも見えた。
「おれも、変だなって思ってはいた。でも、なんて言えば良いか分かんなくて」
 思ってたのか、クロエは基本的にずばずばと物を言う方だ。それができない、というのは言い出せる空気ではなかったのだろうか。
 昔話するね、とクロエが前置いて、ゆっくり語りだす。
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