化け物貴族さまのつがいになる話

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何もない

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 いつ何が起こって、俺は酷い目に合うのだろう。
 その日を今か今かと待ちながら、庭の手入れをし、家の掃除をして日々を過ごしていた。
 この洋館は街から少し高い位置にあり、二階から森に囲まれたブリアが見えた。
 煙突から出る煙は、工業地帯だからかと思っていたのだが、街の話を聞いてからあれは死体を焼いているんじゃないだろうかと思うようになった。
 この国は基本は土葬なのだが、ここでは火葬も行うのだとルークが言っていた。何故かと問えば、都合が良いこともある、とだけ返って来た。
 ルークは基本寝てばかりいる。時折仕事があると夜に出掛けることがあるが、やる気というものが見えない。だるそうにトレンチコートに袖を通して家を出る。
 いってらっしゃい、と言うと、彼は赤い瞳を真ん丸んして行ってきますと答える。変な男だ。
 この家についてだが、地下にはもちろんいっていない。それでも、目につく点は多い。
 用具庫の枝切ばさみに始まり、客室と思わしき部屋の赤黒い跡。使われていない浴室もここで惨劇でもあったのかと思うような有様で、赤茶けた汚れはブラシで擦っても落ちる様子が無かった。
 ここら辺は、俺としてはどうでも良い。ただ、夜中に重いものを引きずるような音がする。
 それが何かは分からないけど、追いかける気にはならなかった。その謎を解き明かしたところで、俺にはなんの得も無い。待ってるのは死の可能性のが高いだろう。いつかその気になったら、ルークに問えば良い。


 今日は二階のベランダに出て洗濯物を干している。本当は裏庭がいいのだが、まだ草むしりの途中なのでこっちだ。
 広くて景色がよく見える。晴天の空はどこまでも高く、この陰鬱な屋敷を浄化してくれそうだ。
 シーツに衣服、タオルが風に揺れるのを見て、俺は大きく伸びをした。
「え?」
 足元になにかふかふかしたものが当たった。驚いて下を向けば、にゃーん、と愛らしい声がする。
「ねこ? こんなところに」
 腰を下ろし、足にすり寄る猫を撫でる。白くて長い毛を持ち、瞳は青と緑のオッドアイ。こんな場所には勿体ないくらい、美にゃんだ。
 頭を撫で、顎をくすぐる。ごろごろと鳴る喉に、つい笑顔になってしまう。
「どこから来たんだ? 前から住んでたっけ?」
 新顔だから警戒して姿を見せなかったのかも、これだけ広い屋敷だ。隠れる場所なんて余るほどある。
 野良猫は見たことがあるが、こうして飼われている猫は初めて見たかもしれない。目が違うな。野良は野良で可愛い。だが彼らは野生が残っていて、人が近づくと逃げてしまう。飼い猫ってこんなに警戒心ないんだ。
「お名前は?」
「スノウ」
「へえ、似合うじゃな……。ルーク」
 俺が猫と会話をしていると、ルークがこちらに向かってくるところだった。いつの間に現れたのやら。これはもう、俺の耳がおかしくて気が付けていないだけなのだろうか。
「僕にもそうやって話してくれたら気楽なんだが」
「主人に対して気楽に話すのは気が引けるので」
 俺の返答に、ルークはゆるゆると首を振る。
 足元にいたスノウは、大きくあくびをするとルークの横を通って姿を消した。猫は自由だな。
「何か用か?」
「ああ、腹が減った」
「昨日食べなかったものがあるはず」
「主人に昨日の残りを食べさせる気か?」
 自分が明日食べると言ったのに、理不尽を感じつつも下働きとはそういうものだと納得した。
 冷蔵庫には、何があったっけ。チーズにハム、トマトもあった。バゲットもあったしそれで良いか。そろそろ食料の補充をしてもらいたい。俺は外に行けないので、ルークに頼るしかないのだ。
 洗濯籠を持って立ち上がると、ルークが俺をじっと見ているではないか。この人が不審な行動をするのは今に始まったことではないので、気にするだけ負けだ。
「レノ、ここでの暮らしはどうだ」
「やることが多いけど、平和だな」
「うちに来て平和って言う人間は初めてだ」
 細かいことを気にしなければ平和だ。気にしたらきっと恐怖というものがわくのだろう。でも、ここは俺を怒鳴る人は居なくて、煙突掃除で高いところに上らなくても良い。ペニスを舐めて精液を飲まされることも無い。平和だろう。
「何が起こっているかも、貴方が何なのかも分からないし、街に行くことも無いから衝突もない。だから平和」
「何かが起こっているなら、それは平和じゃなんだけど」
 ルークの手が、俺の頭を撫で髪の毛を梳く。くすんだ金が彼の白い指をすべり元に戻っていった。
「そろそろ、もう死なないかも、と油断する頃だと思ったのに」
「油断してほしいのか」
「怯えた顔がみたいね」
「痛めつけたら見られるんじゃないか?」
「それは負けた気がするな。それに、そういう趣味は無い」
 無いのに怯えた顔が見たいのか、矛盾をしているな。
 中身の見えない会話をするのは、時間の無駄だ。このまま続けるならとっととキッチンへ行って昼飯を作ろう。
「で、何が言いたい? 遠回しな表現は苦手なんだ。頭が悪いんで」
「根に持ってるな? いや、ここに来る人間で前知識無しで来たのはレノが初めてだからつい」
 そんなに有名だったのか、全く知らない。生きるのに必死過ぎて、必要な情報しか集めてこなかった。
 ここに来るのは俺のようなものばかりだと思っていたけど、違うのか。
「オーガスト家は呪われている。彼らは化け物で、人を食らう」
「オーガスト家?」
「僕はルーク・オーガストっていうんだ」
 ルークがにこっと作りもののような笑みを浮かべる。
「彼らは禁忌に触れ、その血は呪われているってね。僕はその呪いが強くでるんだ」
「呪い、と言われても、ぴんとこない」
 蒸気駆動の機械が溢れ、魔法のような機能を持つものも多い。マジシャンがタネも仕掛けもあるように、機械たちにも原理がある。
 そんな世の中で、現実味の無い呪いだなんてホラー映画の観すぎを疑う。ここに来た人間は、そんなものに怯えていたのだろうか。
「きみは科学は信じるけど、魔術やゴーストは信じないタイプか」
「目に見えないなら無いのと一緒だろ?」
「なるほどね」
 ルークは一度頷くとまぶたを閉じる。
「では、きみは僕が目の前で化け物になったら、どうするんだ」
「その時は、己の無知を詫びて食べられます」
「つまらないくらい潔いな。感情を落としてきたか」
 そうかもしれない。
 楽しかったことが少なく、苦しいことが常だった。だから、恐怖というものが分からなくなってしまったのかも。一応、友人と共に話をすることは楽しくて、笑いあっていたはずなのにな。
 俺が眉尻を下げると、ルークも同じように困った笑みを浮かべる。
「昼食作ってきます」
「レノ」
 俺がカゴを持つと、ルークが引き留める。
「今日、一緒に寝ようか」
「ついでにルークの部屋、掃除したいんだけど」
「よし、きみの部屋に僕が行く」
 ただの添い寝か、はたまた別の意味があるのか。俺はどちらでも構わない。だが残念だ。ここに来てから、ルークの部屋だけは掃除をさせて貰えていない。できることなら、ついでにやりたかった。
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