化け物貴族さまのつがいになる話

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おばけ

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 夜中に目が覚めた俺は、静寂の中ゆっくりと体を起こす。

 今日は、ルークは書類仕事があるからと、俺は一人で寝ることを許された。
 毎日一緒に寝ないといけないのがおかしいと思うのだが、ルークはさも当たり前のように俺のベッドに入り込む。仕事が終わったら、今夜も来るのだろう。
 久々に悠々と眠れる夜なのに、変な時間に起きてしまった。もう一度寝よう、いや、トイレに行きたいような。
 茫洋とした意識のままベッドから足を下ろし、靴を履く。すると、廊下から何かを引きずる音が聞こえてきた。
 これ、前にも聞いたことがある。ずり、ずり、のような、ずる、ずる、のような曖昧な音だ。
 ルークが言っていたが、ゴーストなのだろうか。というか、それ以外だとルークかスノウしかない。
 普段ならば行かないのだが、意識が判然としないまま、体が勝手に動き出す。
 ふらふらと呼ばれるように部屋を出て、空気が妙に冷たいのに気が付いた。吐く息が白い。まだ冬ではない季節だ。今日は天気が悪いわけでもない。
 深淵のような廊下に、赤い跡がついている。人が足を引きずったような、そんな形。
 いつかの夢の主みたいに、ゆっくりと後を追う。俺が進むたびに、赤は消え、そこには見慣れた白い床が残っていた。

 たどり着いた先は、玄関ホールだ。
 赤い跡は、玄関ではなくキッチン方面に続いていた。どこに行くのだろう。頭がだいぶ冴えてきた。ここらへんで引き返すべきだと、本能が警鐘を鳴らす。
「あなたも、こっち」
 踵を返そうとした瞬間、はっきりと女性の声が聞こえた。この声どこかで、思い出したくても頭に霞がかったみたいで、触れることすらできそうもない。
「……あ、れ?」
 体が動かない。足が床に縫い付けられたみたいだ。世に言う金縛りというものか。
 いつものように無視していればよかったものを、火に向かう虫のようにここまで来てしまった。ほぼ無意識だったとはいえ、己の危機回避能力の低下を心の中で嘆いた。
 頬にひやりとしたものが触れる。それが人の指だと気が付くのに、時間はかからなかった。
 形の良い爪は、マニキュアではない赤に染まり、肌は深い切り傷ができていた。これも、見覚えがある。
 青白い手は、赤い跡の方を指さす。あっちに行けということか、どこに連れて行きたいのだろう。恐怖はないが、今までは存在しなかった興味がわいてくる。
 前に進む、そう考えた途端、足が動いた。一歩、また一歩と赤を追う。
「にゃん」
 どこかから愛らしい猫の声がする。これは、
「スノウ?」
 問うた瞬間、耳を劈く悲鳴が辺りに響き渡る。一度聴いたらしばらくは忘れられないだろう耳障りな声、強いて言うなら金属をひっかいたような音に近い。
 ああああああああ! と連続した母音は、不快感を腹の底から呼び起こす。
 再び猫の声が聞こえたと同時に、悲鳴がふつりと途切れる。壊れたおもちゃが、その寿命を終えるかのような呆気なさだ。
「……動ける」
 呼吸がしやすい。寒さも消えて、体も動く。これで声の主を確認できる。月明りのみが頼りではあるが、だいぶ暗闇に目が慣れた。
 周囲を見回すが、スノウの姿も、女の姿も見当たらない。夜の色が存在するだけだった。
 いや、何かある。床に赤い血だまりと、髪飾りみたいなものが落ちていた。拾おうと寄ると、大きな白い手がそれを踏みつぶす。
 視線を上げると、白い大きな猫がこちらを睨んでいた。青と緑のオッドアイ、これは、まさかスノウか? 普段の愛らしいふかふかの被毛はそのままに、体は倍以上に育ち筋肉質だ。
「レノ、駄目だろう。ゴーストと遊んでは」
「遊んだつもりはない」
 ルークのこの登場の仕方にも慣れた。音も無く背後に立つ男に、俺は首を横に振って否定をする。
 正気ではなかった。ほとんど無意識で体だけが勝手に動いた。呼ばれた気がして、ここまで来てしまった。羅列をしても、言い訳にしかならないか。
 舌の上から言葉が動かない。今言えるのはご、めんなさい、くらいだろう。
 ふと見れば、スノウが元の大きさに戻っていく。
 状況的にスノウが何かしたのだろうが、まさかゴーストを食べたのだろうか。足元でゆるゆるとしっぽを振る猫の隣にしゃがんでみる。
「さっきのは?」
「逃げたね」
「スノウが大きくなっていたような」
「この子は使い魔みたいなものだ。ゴーストを食べたり遊んだりできる」
 遊んだりできるってなんだ。あまり良い響きではないな。この子も普通の生き物ではなかったのか、ここに居る人間は、もしや俺だけなのでは?
「ゴーストが出ると言っただろう? きみはあまり反応しないタイプだと思っていたが」
「体が勝手に」
 手にすり寄ってきたスノウを抱き上げて、難しい顔をしているルークを覗き込む。
 よく考えれば、俺は怪奇現象に関しては全く耐性が無い。ルークみたいに魔女の血が入っているわけではないし、この猫のように特殊な生物でもない。そこらの一般人だ。恐怖は無くとも抵抗はできない。
「僕の部屋だけは、ゴーストもオーガスト家の人間でも入れないようになっている」
「それは、魔法的な何かで?」
「そう。この家の外に張ってある結界はオーガストの管轄だが、彼らは内部に関しては何も知らない」
 ルークが口の端を吊り上げて嫌な笑みを浮かべる。この人、きっと家の人間が見えないところは好きにやっているのだろうな。
「とにかく、僕の部屋はこの家のどこよりも安全だから極力そこで過ごすように」
「え、でも、家のことをやらないと」
「そんなもの必要最低限で良い」
 嫌だ。せっかく徐々に埃っぽさやカビっぽさが減り、庭も綺麗になってきたというのに、ここで何もしなくなったら逆戻りだ。草木が元気になる夏など見れたものではないだろう。
「必要、最低限だな」
「僕基準の必要最低限だ」
「……それはちょっと」
「レノ?」
 低くなった声に、俺は肯定も否定も返さなかった。珍しく抵抗をしてしまった俺に、ルークは深いため息を吐く。
「あの、今日からルークの部屋か?」
「いや、今日は僕がそっちに行く。この時間から大掃除を始められたら困るからね」
 そんなひどいのか、見た目だけなら綺麗な男だというのに、どうして面倒くさがりになってしまったのだろう。



 石畳を蒸気自動車と蒸気馬車が行き来しているのを、目で追いかける。
 最初に来た時以来、ブリアの街を見た。街を歩いているのは、やはり労働者が多いように思える。
 だが、手を繋いだ親子連れや女性のグループ、スーツの男性も居て、住んでいるものは多種多様なようだ。
 異国の香辛料を売る露店。歯車式玩具の店、義肢屋に洋服屋。変な二つ名のせいで陰鬱で薄暗いイメージがあったのに、俺が元住んでいた場所よりもよっぽど華やかだ。
 パン屋の前を通ると、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐり空腹を誘う。自分で作るのも良いが、たまには誰かが作ったものも食べてみたいものだ。
 蒸気列車が駆けるための鉄橋は、今は何も通っていない。もう少ししたら白い煙と共に駅に滑り込むのだろう。

 街までどうやって行くんだろう、ルークが車を走らせるか家の者が迎えにくるのかと思いきや、そのどちらでもなかった。
 二人で身支度を済ませた後、ルークが俺の手を握って指をぱちんと鳴らす。それだけで屋敷からブリアまで移動していた。
 薄暗い路地がスタート地点だったのを除けば、実に便利な移動手段だ。でも、何が起こったかは理解ができない。手品とかそんなものではない。本当に魔法だ。
「レノ、ここだ」
「あ、ああ」
「パン屋は後で」
 見られていた。というか、そんなに物欲しそうな顔をしていたのだろうか。
 ルークに手を引かれて入った店は、テーラーだった。シックな外装のそこは、店内に入ると壁には沢山の賞状が、額縁に入れられ飾られていた。
 ディスプレイ用である棚には、ネクタイやベルト、カフスリンクなどの小物が飾られている。
 カウンター内に人はおらず、その少し手前には六角形のガラステーブルが置かれていた。その上には、狼を模した置物がちょこんと鎮座している。
「おや、坊ちゃん」
「坊ちゃんはやめてくれ」
「はは、失礼しました。ルーク様」
 カウンター奥の扉から、一人の老紳士が顔を出す。グレイヘアを後ろに流し、年輪の刻まれた顔をくしゃりとさせてルークに微笑んだ。
「おや、お連れ様もいらしたんですね。失礼しました。店主のアランと申します」
「使用人のレノックス、と申します。よろしく、おねがい、いたします?」
 こういう時、どう言えば良いんだ? 自分が客側って、分からない。ルークに助けを求めると、やつは馬鹿を見る目をしていた。
「彼は服を汚すのが趣味でね、新しいシャツとスラックス、ほかにもいろいろと必要になってしまって」
「別に趣味じゃない」
「ふふ、まだお若いのですから、元気なのは良いことですよ」
 子供扱いされている。ここで必死に否定するのも意味が無い。ぐ、と堪えて、ルークとアランさんが話をしているのを横で聞いた。
 アランさんは終始笑顔で、穏やかな口調でこちらに話しかけてくる。こんな扱い初めてだ。人間の扱いどころじゃない。身の丈に合わない接客をされているとすら感じる。
 着丈の採寸、髪の色、目の色から似あうネクタイやスーツの色柄。体型から細身のものが似合いそうだとか、スーツの種類の説明。自分とは無縁だったものがどんどん頭に入ってきて、気を失いそうだ。
 何をどれくらい買うかも全部ルークが決め、後は出来次第引き取りに来るという話になった。とりあえず今日持ち帰れるものは、シャツとネクタイと靴くらいだった。
 これじゃない、俺が着たいのはこの街を歩く作業員の格好だ。汚してもいいような、動きやすいのが良い。
 なのに、次に向かった店はなんと婦人服店だった。
 俺が来る場所じゃない。絶対違う。なのに、店員さんは何も言わずルークの希望を聞いてそれに沿った服や、カタログを持ってきた。
 ドレスなんて着ないと訴えても、無視をされ。女性が着るだろうフリルのついたブラウス、後ろが膨らんだスカートを選ぶ。女性の服はスーツ以上に分からない。なんでこんな形状をしているのか、お洒落というものか。
 最終的に諦めて、女性客が数名居る店内で息をひそめる。それでも、目立つのだろう。視線が痛い。
 ふと、靴などが陳列されている棚にテーラーで見かけた狼の置物があるのに気が付いた。この街で流行っているか、あるいは特産品なのだろうか。
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