『偽物の番』だと捨てられた不憫な第三王子、隣国の冷徹皇帝に拾われて真実の愛を教え込まれる

レイ

文字の大きさ
15 / 28

十五話

しおりを挟む
 アイゼン帝国の冬は、静かに、けれど確実に春への準備を始めていた。
 フィオーレは、ヴォルフラムから贈られた温室の中で、新しく届いた花の苗を並べていた。ラベンダーの柔らかな香りが、彼の心を穏やかに満たしていく。
 そんな幸福な時間の静寂を破ったのは、早足で近づいてくる騎士の硬い靴音だった。

「フィオーレ様。ラングリス王国からの使節が、貴方宛てに『贈りもの』を届けて参りました」

 届けられたのは、古びた、けれど丁寧に磨かれた木箱だった。
 フィオーレがその蓋を開けた瞬間、彼の指先から体温がスッと引いていった。

「あ……」

 中に入っていたのは、一輪の「ガラスの百合」だった。
 それは、フィオーレが幼い頃に亡くした実の母親が、唯一彼に残してくれた大切な遺品だ。ラングリスを追い出される際、義兄のラウルによって取り上げられ、二度と目にすることはないと思っていたもの。
 だが、その美しいはずの百合には、無惨な「ひび」が入っていた。

 箱の底には、一枚の紙きれが添えられている。
『このガラクタの末路がどうなるかは、お前の返答次第だ。三日以内に、帝国の軍事情報を手土産に帰還せよ。さもなくば、母の形見は粉々に砕け散ることになる』

 フィオーレの視界が、ぐらりと揺れた。
 呼吸が浅くなり、肺の奥が焼けるように熱い。彼は膝をつき、壊れかけのガラスを壊さないように、震える手でそっと抱きしめた。

「フィオーレ!」

 温室の入り口から、地を這うような低い声が響いた。
 ヴォルフラムだ。彼はフィオーレの異変を察知し、すべての公務を放り出して駆けつけてきた。
 地面にうずくまり、小さな背中を丸めて震えるフィオーレの姿。その光景を目にした瞬間、ヴォルフラムの金の瞳に、これまで一度も見せたことのないような「静かな怒り」が灯った。

「……何があった」

 ヴォルフラムは膝をつき、フィオーレの細い肩を抱き寄せた。
 フィオーレは、涙をこらえるように唇を噛み締め、抱えていた木箱をヴォルフラムに見せた。

「ヴォルフラム様……。母の、母のたったひとつの思い出が……私のせいで……っ」
「……ラングリスの鼠どもめ。俺の番の心を、これほどまでに踏みにじるとはな」

 ヴォルフラムは、フィオーレの手からそっと木箱を預かり、中の手紙を一瞥した。
 次の瞬間、ヴォルフラムの周囲の空気が、パキパキと音を立てて凍りついた。彼の内に秘められた圧倒的な魔力が、持ち主の怒りに呼応して溢れ出している。

 ヴォルフラムは、フィオーレの涙で濡れた頬を、親指の腹で優しく拭った。その手つきは驚くほど穏やかだが、瞳の奥には、すべてを焼き尽くすような炎が揺らめいている。

「フィオーレ。お前は何も心配しなくていい。この百合も、お前の思い出も、俺が必ず守り抜く」
「でも、私が戻らないと、これが……」
「戻る必要などない。お前の居場所は、ここだと言っただろう。……奴らは、触れてはならない龍の逆鱗に触れたのだ。それ相応の対価を、支払ってもらう」

 ヴォルフラムは立ち上がると、控えていた騎士たちに、氷の礫のような声で命じた。

「クラウス。全軍に通達せよ。ラングリス王国との『対話』の時間は終わった。……国境沿いに配備している第一軍を前進させろ。武力による威嚇ではない。これは、宣戦布告だ」

 温室の中に、緊張が走る。
 フィオーレは驚いて顔を上げた。自分一人のために、帝国が動く。その事実の重さに、彼はヴォルフラムの袖をぎゅっと掴んだ。

「ヴォルフラム様、私のために、そんな……っ」
「お前のための戦いではない、フィオーレ。これは、俺の誇りのための戦いだ。お前を傷つけることは、このアイゼン帝国そのものを侮辱することと同義だ。……それに、お前が流したその涙一粒に、ラングリスの城ひとつを差し出しても足りん」

 ヴォルフラムは、フィオーレを軽々と抱き上げた。
 彼の胸板に顔を埋めると、そこから聞こえる鼓動は驚くほど落ち着いていて、フィオーレの不安をゆっくりと溶かしていく。

「フィオーレ、もう泣くな。お前のその銀色の髪が、湿り気で曇るのを見たくない。……このガラスの百合は、ヴァレリウスに預けて修復させる。魔法を使えば、元通りどころか、より輝きを増して蘇るだろう」
「……はい」
「明日には、すべてを終わらせてやる。お前はただ、温かい茶でも飲んで、俺の帰りを待っていればいい」

 ヴォルフラムは、フィオーレの額に深い、深い誓いのくちづけを落とした。
 そのまま彼は、フィオーレをテレーゼに預けると、一度も振り返ることなく執務室へと歩き去った。その背中は、どんな嵐も遮る巨壁のように頼もしく、そして恐ろしいほど冷徹だった。

 フィオーレは、テレーゼの温かい腕の中で、遠ざかるヴォルフラムの足音を聞いていた。
 かつての彼は、絶望に支配されるだけの子供だった。けれど今は、自分を信じてくれる人がいる。守ってくれる場所がある。

(私も、泣いてばかりじゃいられない……)

 フィオーレは、ぐっと拳を握りしめた。
 ヴォルフラムが戦うなら、自分もまた、彼の帰る場所として、この温室を最高の花々で満たしておこうと。

 アイゼン帝国の北風が、今、怒涛の勢いでラングリス王国へと吹き抜けようとしていた。
 不憫な王子の救済劇は、ここから最大のカタルシスへと向かっていく。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪役Ωは高嶺に咲く

菫城 珪
BL
溺愛α×悪役Ωの創作BL短編です。1話読切。 ※8/10 本編の後に弟ルネとアルフォンソの攻防の話を追加しました。

もう一度、その腕に

結衣可
BL
もう一度、その腕に

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

君さえ笑ってくれれば最高

大根
BL
ダリオ・ジュレの悩みは1つ。「氷の貴公子」の異名を持つ婚約者、ロベルト・トンプソンがただ1度も笑顔を見せてくれないことだ。感情が顔に出やすいダリオとは対照的な彼の態度に不安を覚えたダリオは、どうにかロベルトの笑顔を引き出そうと毎週様々な作戦を仕掛けるが。 (クーデレ?溺愛美形攻め × 顔に出やすい素直平凡受け) 異世界BLです。

【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー AI比較企画作品

祖国に棄てられた少年は賢者に愛される

結衣可
BL
 祖国に棄てられた少年――ユリアン。  彼は王家の反逆を疑われ、追放された身だと信じていた。  その真実は、前王の庶子。王位継承権を持ち、権力争いの渦中で邪魔者として葬られようとしていたのだった。  絶望の中、彼を救ったのは、森に隠棲する冷徹な賢者ヴァルター。  誰も寄せつけない彼が、なぜかユリアンを庇護し、結界に守られた森の家で共に過ごすことになるが、王都の陰謀は止まらず、幾度も追っ手が迫る。   棄てられた少年と、孤独な賢者。  陰謀に覆われた王国の中で二人が選ぶ道は――。

【完結】第三王子、ただいま輸送中。理由は多分、大臣です

ナポ
BL
ラクス王子、目覚めたら馬車の中。 理由は不明、手紙一通とパン一個。 どうやら「王宮の空気を乱したため、左遷」だそうです。 そんな理由でいいのか!? でもなぜか辺境での暮らしが思いのほか快適! 自由だし、食事は美味しいし、うるさい兄たちもいない! ……と思いきや、襲撃事件に巻き込まれたり、何かの教祖にされたり、ドタバタと騒がしい!!

処理中です...