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第19話:停戦の代償 ― 拘束と真実の狭間
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第1節:開かれた報告会 ― 静かな断罪
停戦協定は、予定通りに署名された。
戦火の硝煙が消えた後、残ったのは、冷たい照明に照らされた報告会の壇上だった。
地球本部の大理石ホール。
無数のスクリーンに“勝利”と“平和”の文字が流れ、
その陰で、ひとつの報告が沈黙を破った。
「――交渉記録の複製が、二重に存在します」
若い参謀の声が、会議室の温度を一瞬で下げた。
サンダーズは微動だにせず、視線だけを動かした。
その報告の意味を理解するまで、呼吸が一拍、止まる。
複製――つまり、どこかで“原本とは異なるもの”が作られたということだ。
それは、停戦交渉の透明性を根底から覆す疑惑だった。
「記録担当は厳密に管理されていたはずだ」
「はい。しかし一部の通信ログに、不審な重複が」
議場がざわめく。
“情報漏えい”――その言葉が、一瞬で政治の空気を変える。
地球政府上層部から送られた圧力電文は簡潔だった。
『責任者を立てろ。世論が動く前に。』
サンダーズは報告書を閉じた。
ペン先で卓を二度、叩く。
軽い音が、沈黙の海を渡った。
彼の脳裏には、あの取引人――ダラーの顔が浮かんでいた。
停戦前夜、彼が持ち込んだ“中立者としての情報”。
それは戦争を終わらせるために必要だった。
だが今、その情報源こそが、疑惑の中心にいる。
「……帳簿を二冊持つ者は、常に狙われるものだ」
誰にも聞かれぬほどの声で、彼は呟いた。
報告会は形式的に終了した。
誰も立ち上がらず、椅子の軋みさえも遠慮がちだった。
沈黙の中で、ただ一つの事実だけが浮かび上がる。
――平和のために差し出された情報が、いま罪へと転化している。
壁面のスクリーンに映し出された地球の青は、
まるで帳簿の空白を塗りつぶすように、眩しかった。
そして、その青の裏側で、
新たな「戦争の言葉」が、静かに書き換えられつつあった。
第2節:拘束命令 ― サンダーズの選択
報告会の翌朝、灰色の空が首都軌道のドームを覆っていた。
ガラスの天井を流れる曇光の下で、
サンダーズはひとり、執務室のモニターを見つめていた。
そこには、地球軍司令部からの正式電文が届いていた。
「疑惑の商人ダラーを拘束せよ。停戦協定違反の嫌疑により。」
一文にして完結する命令。
だがその裏に――政治の意思が、透けて見えた。
サンダーズは、深く息を吐いた。
本部の要請は“法の名”を借りた見せしめにすぎない。
民意を鎮めるための、形だけの正義。
彼はそれを知りながらも、軍人として抗う術を持たなかった。
部下のカーン少佐が口を開く。
「元帥、ダラーは本部への情報流出に関わったと……?」
「――わからん。」
短く答えた声は、乾いていた。
「だが命令は命令だ。拘束部隊を送れ。」
指令が送信された瞬間、サンダーズは目を閉じた。
冷たく重い決定音が、鼓膜の奥に沈む。
やがて、艦内の通路。
ダラーは数人の兵士に囲まれながら歩いていた。
手錠も抵抗もない。
まるでこの瞬間を、彼自身が予期していたかのようだった。
「やはり帳簿を二冊持つ者は、嫌われるようで。」
彼は笑った。
笑みは乾いていたが、そこには恐怖も絶望もなかった。
ただ、“納得”だけがあった。
サンダーズが歩み寄る。
二人の距離は三歩。
ダラーは一歩も退かず、低く囁いた。
「私は誰の味方でもない。
ただ、世界を回す歯車の一つに過ぎない。」
その声は、記録には残らない。
通信機にも拾われず、風のように消えた。
兵士たちがダラーを連れ去ると、廊下にはただ、靴音だけが残った。
サンダーズは手にしていたタブレットを机に置き、
無音のまま通信回線を切断する。
モニターに映る自分の顔が、数秒の遅延で消える。
――それは、誰かの記録装置に複製されるかのように。
外では、雲の切れ間からわずかな陽光が射した。
だがその光は、鉄格子の反射で歪んで見えた。
彼の胸中に残ったのは、
「正義」と「服従」のあいだに沈む、見えない裂け目。
そして、その裂け目こそが、戦争の続きを孕んでいた。
第3節:揺れるフロンティア ― 疑念と余波
停戦協定の発効から五日。
天冥海フロンティアの首都軌道ステーションには、
緩やかな日常が戻りつつあった。
しかし、その静けさは薄氷の上に立つ安定にすぎなかった。
通信局からの報告を受けたフランソワが、
執務室に駆け込む。
「司令――ダラー氏が、地球側で拘束されたとのことです!」
バジールは書類から顔を上げなかった。
しばらく無言のまま、指先で机を叩く。
乾いた音が三度。
それだけで、彼の理解は伝わった。
「理由は?」
「停戦協定違反の疑い、とのことです。
……ですが、実際は“口封じ”ではないかと。」
フランソワの声には怒りが混じっていた。
あの交渉の場で、彼女は確かに見た。
地球側とフロンティア側が、同じ未来を口にしていた瞬間を。
それを一夜で裏切るなど――。
「利用されたんです、司令!」
「……利用されたのは我々だけではない。」
バジールの声は低く、静かだった。
「サンダーズもまた、歯車だ。
あの男も、自分で回すことは許されていない。」
フランソワは言葉を失った。
正義を信じたい気持ちと、現実への嫌悪が、胸の内でせめぎ合う。
外では、再建委員会のサイレンが鳴っていた。
停戦下の新政府――“自治議会”の準備会議が進められている。
だがその中身は、
地球側の監査官によって厳しく管理されていた。
“自主性”の名を借りた従属。
それを悟った者たちの間で、
「このままでは、戦争の意味が消える」という声が広がる。
バジールは窓辺に立ち、
天冥海の淡い光を見つめながら言った。
「平和とは、沈黙の中に潜む論理だ。
真実を並べ替え、罪を再定義する。
その手際が早い者ほど、“正義”の座を得る。」
フランソワは拳を握りしめた。
だが、反論する言葉が出てこない。
あの戦争で、何を守り、何を失ったのか。
それを誰も整理できていない。
報道ドローンが空を流れる。
ニュースの見出しは、
「停戦確定 ― 地球・フロンティアの新時代へ」
だが、静かな街の片隅で、
誰も知らない声が囁いていた。
「終わった戦争が、次の支配を生む」
窓外の光が一瞬だけ強まり、
その輝きが、フランソワの頬を照らした。
涙ではない。
それは、彼女の中に残った“怒りの残光”だった。
そしてその光が消えたとき、
彼女の心にはまだ、燃え尽きぬ戦場の音が残っていた。
第4節:取引の残響 ― ダラーの帳簿に残された影
拘束から三日後。
ダラーの身柄は、地球軍中央管区の監察局へ移送された。
地球軌道上に浮かぶ鋼鉄の要塞――〈アステリオン〉。
そこは、“沈黙”を保つための場所として知られていた。
監察官たちは黙々と、彼の所持品を解析していた。
通信デバイス、光子鍵、そして小型のデータパッド。
表面には無数の微細な傷が走り、
そのひとつひとつが、商人として渡り歩いた年月を物語っていた。
「暗号化層が三重……いや、四重です」
解析官の声が、冷えた空気を震わせる。
時間が流れ、やがて一つのファイルが開かれた。
そこに現れたのは――
地球とフロンティア双方の署名が並ぶ文書。
見慣れぬ形式の条文が、淡い光でスクリーンに浮かび上がる。
『共同自治構想案 ― 非公開草案第零号』
それは、停戦協定よりも前に作成されたものだった。
本来なら存在しないはずの“原初の協定”。
そこには、両陣営が対等に歩むための約束が、確かに記されていた。
しかし、いまやその内容は――誰にとっても“都合が悪い”。
政治家にとっては不都合、軍にとっては裏切り。
記録に残せば秩序が揺らぐ。
だからこそ、その真実は“偽造”として封印される。
報告書を受け取ったサンダーズは、
静かに画面を閉じた。
「……偽造ではない。だが、真実というものは常に都合が悪い。」
彼の言葉に、参謀たちは沈黙した。
何も答えられず、誰も反論しない。
まるでそこに“答え”という概念が存在しないかのように。
鉄格子の向こう、ダラーは独房の片隅に座っていた。
光の差さない部屋で、かすかに笑う。
壁に映る自分の影に向かって、独りごとのように。
「秩序とは、帳簿の片面を破り捨てることです。」
その言葉は、誰に届くこともなく闇に溶けた。
ただ、解析室の端で、処理中のモニターが一瞬だけノイズを走らせた。
そこに浮かび上がったのは――消去前のファイル名。
《光の草稿_ver.0》
誰もその名を読まなかった。
だが確かに、一度だけ、
世界のどこかで“真実”が存在した証が、光っていた。
それは、世界という巨大な帳簿の、
ほんの片隅に残された未処理の数字。
そしてその誤差こそが、未来を動かす火種だった。
第5節:沈む星々 ― それぞれの決意
天冥海の光は、ゆるやかに沈んでいた。
停戦ののち、フロンティアでは自治議会設立の準備が進み、
街にはようやく“平時”のリズムが戻りつつあった。
だがフランソワは、胸の奥に澱のような不快感を抱えていた。
戦争が終わっても、真実は置き去りにされたままだ。
犠牲を意味づける言葉だけが、壁のポスターに並んでいた。
彼女は報告書を閉じ、窓外を見つめた。
宙を漂う補給艦の灯りが、星くずのように瞬く。
その光の一つ一つが、戦場で散った者たちの声に見えた。
「司令……私たちは、本当に勝ったんでしょうか。」
背後から問うフランソワに、バジールは振り返らない。
彼の眼差しは、遠い天冥海の彼方――
まだ名もない宙域へと向けられていた。
「勝敗の名で測るなら、我々は敗者だろう。」
彼は穏やかに答える。
「だが、“語り継ぐ権利”だけは、奪われていない。
いつか、この海の底から真実が浮かび上がるだろう。
そのとき、我々がどう立つかだ。」
その言葉に、フランソワは小さくうなずいた。
彼女の瞳に映る天冥海は、深い青をたたえていた。
それは絶望ではなく、沈黙の中に息づく希望の色だった。
――地球。
サンダーズは一人、拘束区画へと向かっていた。
通路の照明は最低限、監視カメラの赤い点だけが灯っている。
鉄格子の向こう、ダラーが静かに微笑んでいた。
「元帥、あなたもまた“負けた者”ですよ。」
低く湿った声。
だが、その響きにはどこか慰めにも似た温度があった。
サンダーズは返答せず、ただ通信デバイスを開いた。
そこに映るのは、第十八交渉記録――
削除予定のマークが点滅している。
彼は無言のまま、指先で画面を閉じた。
わずかな間のあと、端末は自動的に消去を完了した。
静寂が戻る。
隔壁の向こうで、ダラーはかすかに呟いた。
「歴史とは、静かに書き換えられるものです。」
誰も答えない。
ただ、隔壁の警告灯が一度だけ明滅した。
それはまるで、
まだ消えきらない“記録”がどこかに残っていることを知らせるかのように。
サンダーズは立ち去る。
その背後で、ダラーの笑い声が薄れていく。
フロンティアでは、新しい日の光が差していた。
作業服の民、制服の士官、子どもたちの笑い声。
それらが混ざり合い、かつて戦場だった空に溶けていく。
だがバジールは、朝焼けの中に立ち尽くしていた。
彼の眼前には、
沈みゆく星々――
過ぎ去った者たちの魂が、静かに光を放っていた。
「平和とは、見えない戦争の名前にすぎない。」
その言葉が心の奥で響く。
バジールはゆっくりと目を閉じた。
そして、わずかに微笑んだ。
――終わりは始まりの影。
星々の沈黙の下で、次の航路が静かに描かれはじめていた。
停戦協定は、予定通りに署名された。
戦火の硝煙が消えた後、残ったのは、冷たい照明に照らされた報告会の壇上だった。
地球本部の大理石ホール。
無数のスクリーンに“勝利”と“平和”の文字が流れ、
その陰で、ひとつの報告が沈黙を破った。
「――交渉記録の複製が、二重に存在します」
若い参謀の声が、会議室の温度を一瞬で下げた。
サンダーズは微動だにせず、視線だけを動かした。
その報告の意味を理解するまで、呼吸が一拍、止まる。
複製――つまり、どこかで“原本とは異なるもの”が作られたということだ。
それは、停戦交渉の透明性を根底から覆す疑惑だった。
「記録担当は厳密に管理されていたはずだ」
「はい。しかし一部の通信ログに、不審な重複が」
議場がざわめく。
“情報漏えい”――その言葉が、一瞬で政治の空気を変える。
地球政府上層部から送られた圧力電文は簡潔だった。
『責任者を立てろ。世論が動く前に。』
サンダーズは報告書を閉じた。
ペン先で卓を二度、叩く。
軽い音が、沈黙の海を渡った。
彼の脳裏には、あの取引人――ダラーの顔が浮かんでいた。
停戦前夜、彼が持ち込んだ“中立者としての情報”。
それは戦争を終わらせるために必要だった。
だが今、その情報源こそが、疑惑の中心にいる。
「……帳簿を二冊持つ者は、常に狙われるものだ」
誰にも聞かれぬほどの声で、彼は呟いた。
報告会は形式的に終了した。
誰も立ち上がらず、椅子の軋みさえも遠慮がちだった。
沈黙の中で、ただ一つの事実だけが浮かび上がる。
――平和のために差し出された情報が、いま罪へと転化している。
壁面のスクリーンに映し出された地球の青は、
まるで帳簿の空白を塗りつぶすように、眩しかった。
そして、その青の裏側で、
新たな「戦争の言葉」が、静かに書き換えられつつあった。
第2節:拘束命令 ― サンダーズの選択
報告会の翌朝、灰色の空が首都軌道のドームを覆っていた。
ガラスの天井を流れる曇光の下で、
サンダーズはひとり、執務室のモニターを見つめていた。
そこには、地球軍司令部からの正式電文が届いていた。
「疑惑の商人ダラーを拘束せよ。停戦協定違反の嫌疑により。」
一文にして完結する命令。
だがその裏に――政治の意思が、透けて見えた。
サンダーズは、深く息を吐いた。
本部の要請は“法の名”を借りた見せしめにすぎない。
民意を鎮めるための、形だけの正義。
彼はそれを知りながらも、軍人として抗う術を持たなかった。
部下のカーン少佐が口を開く。
「元帥、ダラーは本部への情報流出に関わったと……?」
「――わからん。」
短く答えた声は、乾いていた。
「だが命令は命令だ。拘束部隊を送れ。」
指令が送信された瞬間、サンダーズは目を閉じた。
冷たく重い決定音が、鼓膜の奥に沈む。
やがて、艦内の通路。
ダラーは数人の兵士に囲まれながら歩いていた。
手錠も抵抗もない。
まるでこの瞬間を、彼自身が予期していたかのようだった。
「やはり帳簿を二冊持つ者は、嫌われるようで。」
彼は笑った。
笑みは乾いていたが、そこには恐怖も絶望もなかった。
ただ、“納得”だけがあった。
サンダーズが歩み寄る。
二人の距離は三歩。
ダラーは一歩も退かず、低く囁いた。
「私は誰の味方でもない。
ただ、世界を回す歯車の一つに過ぎない。」
その声は、記録には残らない。
通信機にも拾われず、風のように消えた。
兵士たちがダラーを連れ去ると、廊下にはただ、靴音だけが残った。
サンダーズは手にしていたタブレットを机に置き、
無音のまま通信回線を切断する。
モニターに映る自分の顔が、数秒の遅延で消える。
――それは、誰かの記録装置に複製されるかのように。
外では、雲の切れ間からわずかな陽光が射した。
だがその光は、鉄格子の反射で歪んで見えた。
彼の胸中に残ったのは、
「正義」と「服従」のあいだに沈む、見えない裂け目。
そして、その裂け目こそが、戦争の続きを孕んでいた。
第3節:揺れるフロンティア ― 疑念と余波
停戦協定の発効から五日。
天冥海フロンティアの首都軌道ステーションには、
緩やかな日常が戻りつつあった。
しかし、その静けさは薄氷の上に立つ安定にすぎなかった。
通信局からの報告を受けたフランソワが、
執務室に駆け込む。
「司令――ダラー氏が、地球側で拘束されたとのことです!」
バジールは書類から顔を上げなかった。
しばらく無言のまま、指先で机を叩く。
乾いた音が三度。
それだけで、彼の理解は伝わった。
「理由は?」
「停戦協定違反の疑い、とのことです。
……ですが、実際は“口封じ”ではないかと。」
フランソワの声には怒りが混じっていた。
あの交渉の場で、彼女は確かに見た。
地球側とフロンティア側が、同じ未来を口にしていた瞬間を。
それを一夜で裏切るなど――。
「利用されたんです、司令!」
「……利用されたのは我々だけではない。」
バジールの声は低く、静かだった。
「サンダーズもまた、歯車だ。
あの男も、自分で回すことは許されていない。」
フランソワは言葉を失った。
正義を信じたい気持ちと、現実への嫌悪が、胸の内でせめぎ合う。
外では、再建委員会のサイレンが鳴っていた。
停戦下の新政府――“自治議会”の準備会議が進められている。
だがその中身は、
地球側の監査官によって厳しく管理されていた。
“自主性”の名を借りた従属。
それを悟った者たちの間で、
「このままでは、戦争の意味が消える」という声が広がる。
バジールは窓辺に立ち、
天冥海の淡い光を見つめながら言った。
「平和とは、沈黙の中に潜む論理だ。
真実を並べ替え、罪を再定義する。
その手際が早い者ほど、“正義”の座を得る。」
フランソワは拳を握りしめた。
だが、反論する言葉が出てこない。
あの戦争で、何を守り、何を失ったのか。
それを誰も整理できていない。
報道ドローンが空を流れる。
ニュースの見出しは、
「停戦確定 ― 地球・フロンティアの新時代へ」
だが、静かな街の片隅で、
誰も知らない声が囁いていた。
「終わった戦争が、次の支配を生む」
窓外の光が一瞬だけ強まり、
その輝きが、フランソワの頬を照らした。
涙ではない。
それは、彼女の中に残った“怒りの残光”だった。
そしてその光が消えたとき、
彼女の心にはまだ、燃え尽きぬ戦場の音が残っていた。
第4節:取引の残響 ― ダラーの帳簿に残された影
拘束から三日後。
ダラーの身柄は、地球軍中央管区の監察局へ移送された。
地球軌道上に浮かぶ鋼鉄の要塞――〈アステリオン〉。
そこは、“沈黙”を保つための場所として知られていた。
監察官たちは黙々と、彼の所持品を解析していた。
通信デバイス、光子鍵、そして小型のデータパッド。
表面には無数の微細な傷が走り、
そのひとつひとつが、商人として渡り歩いた年月を物語っていた。
「暗号化層が三重……いや、四重です」
解析官の声が、冷えた空気を震わせる。
時間が流れ、やがて一つのファイルが開かれた。
そこに現れたのは――
地球とフロンティア双方の署名が並ぶ文書。
見慣れぬ形式の条文が、淡い光でスクリーンに浮かび上がる。
『共同自治構想案 ― 非公開草案第零号』
それは、停戦協定よりも前に作成されたものだった。
本来なら存在しないはずの“原初の協定”。
そこには、両陣営が対等に歩むための約束が、確かに記されていた。
しかし、いまやその内容は――誰にとっても“都合が悪い”。
政治家にとっては不都合、軍にとっては裏切り。
記録に残せば秩序が揺らぐ。
だからこそ、その真実は“偽造”として封印される。
報告書を受け取ったサンダーズは、
静かに画面を閉じた。
「……偽造ではない。だが、真実というものは常に都合が悪い。」
彼の言葉に、参謀たちは沈黙した。
何も答えられず、誰も反論しない。
まるでそこに“答え”という概念が存在しないかのように。
鉄格子の向こう、ダラーは独房の片隅に座っていた。
光の差さない部屋で、かすかに笑う。
壁に映る自分の影に向かって、独りごとのように。
「秩序とは、帳簿の片面を破り捨てることです。」
その言葉は、誰に届くこともなく闇に溶けた。
ただ、解析室の端で、処理中のモニターが一瞬だけノイズを走らせた。
そこに浮かび上がったのは――消去前のファイル名。
《光の草稿_ver.0》
誰もその名を読まなかった。
だが確かに、一度だけ、
世界のどこかで“真実”が存在した証が、光っていた。
それは、世界という巨大な帳簿の、
ほんの片隅に残された未処理の数字。
そしてその誤差こそが、未来を動かす火種だった。
第5節:沈む星々 ― それぞれの決意
天冥海の光は、ゆるやかに沈んでいた。
停戦ののち、フロンティアでは自治議会設立の準備が進み、
街にはようやく“平時”のリズムが戻りつつあった。
だがフランソワは、胸の奥に澱のような不快感を抱えていた。
戦争が終わっても、真実は置き去りにされたままだ。
犠牲を意味づける言葉だけが、壁のポスターに並んでいた。
彼女は報告書を閉じ、窓外を見つめた。
宙を漂う補給艦の灯りが、星くずのように瞬く。
その光の一つ一つが、戦場で散った者たちの声に見えた。
「司令……私たちは、本当に勝ったんでしょうか。」
背後から問うフランソワに、バジールは振り返らない。
彼の眼差しは、遠い天冥海の彼方――
まだ名もない宙域へと向けられていた。
「勝敗の名で測るなら、我々は敗者だろう。」
彼は穏やかに答える。
「だが、“語り継ぐ権利”だけは、奪われていない。
いつか、この海の底から真実が浮かび上がるだろう。
そのとき、我々がどう立つかだ。」
その言葉に、フランソワは小さくうなずいた。
彼女の瞳に映る天冥海は、深い青をたたえていた。
それは絶望ではなく、沈黙の中に息づく希望の色だった。
――地球。
サンダーズは一人、拘束区画へと向かっていた。
通路の照明は最低限、監視カメラの赤い点だけが灯っている。
鉄格子の向こう、ダラーが静かに微笑んでいた。
「元帥、あなたもまた“負けた者”ですよ。」
低く湿った声。
だが、その響きにはどこか慰めにも似た温度があった。
サンダーズは返答せず、ただ通信デバイスを開いた。
そこに映るのは、第十八交渉記録――
削除予定のマークが点滅している。
彼は無言のまま、指先で画面を閉じた。
わずかな間のあと、端末は自動的に消去を完了した。
静寂が戻る。
隔壁の向こうで、ダラーはかすかに呟いた。
「歴史とは、静かに書き換えられるものです。」
誰も答えない。
ただ、隔壁の警告灯が一度だけ明滅した。
それはまるで、
まだ消えきらない“記録”がどこかに残っていることを知らせるかのように。
サンダーズは立ち去る。
その背後で、ダラーの笑い声が薄れていく。
フロンティアでは、新しい日の光が差していた。
作業服の民、制服の士官、子どもたちの笑い声。
それらが混ざり合い、かつて戦場だった空に溶けていく。
だがバジールは、朝焼けの中に立ち尽くしていた。
彼の眼前には、
沈みゆく星々――
過ぎ去った者たちの魂が、静かに光を放っていた。
「平和とは、見えない戦争の名前にすぎない。」
その言葉が心の奥で響く。
バジールはゆっくりと目を閉じた。
そして、わずかに微笑んだ。
――終わりは始まりの影。
星々の沈黙の下で、次の航路が静かに描かれはじめていた。
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勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
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