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第一章 出会い
鉄仮面の初恋
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アシェルが助けられてから4日が経った。
2日前、領都にいる父と兄、そして会う予定だった帝国のシーグヴァルド伯爵には伝達魔鳥を飛ばした。
街道で野盗に襲われたこと。自分の居場所や状況を詳細に書き記し、怪我が治り次第クレイス入りすることも伝えた。
魔鳥を飛ばした翌日、シーグヴァルド側から返信が来た。この北の森から、徒歩で2日の距離ならばその早さも頷ける。
ルシルが外で仕事をしている最中に、アシェルはこっそりとその返信を読み、クレイス入りした時、影と落ち合うことになった。
魔力が回復し怪我が治りかけ、痛みもほぼなくなってきた今、本当はすぐにでもクレイスに行くべきなんだと思う。
だが、アシェルはまだ胸の傷にヒールを使うことをしていなかった。
ルシルは朝と晩にアシェルの傷の具合を確認する。
彼の両腕が巻き付くように背中に回され、アシェルはこっそりとルシルの頭に顔を寄せて静かに匂いを嗅ぐ。
匂いを嗅ぎたいなんて、まるで変態ではないか。止めよう、これで最後にしようと思うのだが、ルシルのいい匂いを嗅ぐと、あと一回だけ、次が最後、と先延ばしにしてしまっていた。
ルシルは本当によく働く。
陽が昇ってから沈むまで、常に何か作業をしている。
一体どこにそんな体力があるのかと思うくらい細いのに、身体強化魔法を駆使して力仕事はあっさり片付けるし、手際も効率も良かった。
アシェルは暖炉のそばにある窓から外の様子を確認すると、ルシルが畑の中にいるのが見える。
何をしているのかはわからないが、下を向いてゴソゴソと何かしている。
そして顔を上げると立ち上がり、クルッと家の方を向いた。
窓際にいたアシェルを見つけると、ルシルは満面の笑顔になり、小さく手を振った。
途端にアシェルの胸がギュンと締め付けられ、心拍数が上昇した。
手を振るルシルにアシェルは相変わらずの無表情のままで振り返すと、ルシルはさらに眩しいくらい笑顔になり、納屋の方へ行ってしまった。
「???」
アシェルは外から視線を外すと、胸元をギュッと握りしめ、不可解な現象に首を捻る。
ルシルに出会ってから、この妙な胸の高鳴りは頻繁に起こっていた。
アシェルは深呼吸して落ち着きを取り戻すと、そろそろ限界か、とようやく胸の傷を治すことを決意した。
ルシルは日に日に傷が癒えていくアシェルに、きっとあと少しで彼は出て行ってしまうと考えていた。
すでに両手足の傷は癒やされて、胸の傷を残すのみだ。充分に休んで、魔力も体力も回復しているのがわかる。
それに、外で仕事をしている最中、鞄の中からたくさん書類を出して、考え、書き物をしていた。彼にも仕事があり、いつまでもここにいるわけにはいかない。
ルシルは手斧を振り下ろし、薪を割る。
単調な作業を続けていると、慣れているのもあって余計なことを考えてしまっていた。
アシェルを助けてもう4日目。
たった4日なのに、ルシルは彼が出ていくことが辛くなってきていた。
ドンとマリーが亡くなって4年。
亡くなって1人になった直後はとても寂しくて、何度も1人で泣いていた。
だが、それでも慣れた。
やることはたくさんあるし、寂しさを紛らわせるために、ひたすら動いて考えないようにしていた。
気が付けば寂しいと感じることもなくなり、2人が居た時と同じ生活を続けることが出来た。
なのに、たった4日一緒に居ただけで、また1人になることが怖くなってしまっている。
もう寂しくはないと思っていたのは、ただ慣れただけだったと気付かされた。
アシェルが帰ってまた1人になったら、2人を失った時のように泣いてしまうかもしれないと思った。
ルシルは大きなため息をつくと薪割りをやめ、後片付けを始めた。
「大丈夫…、元に戻るだけ…」
薪を拾って積み上げながら、自分に言い聞かせるように呟く。
アシェルの顔を思い出すと、ズキンと胸が痛む。彼を思い浮かべるたびに、鼓動が早くなり、顔が熱くなる。
ルシルはそれを不思議に思いながらも、きっと久しぶりにそばに人がいるせいだと考えるようになっていた。
彼が出て行くのが辛いのも、また1人になって寂しいと感じるせいだと思った。
「ただいま」
「おかえり」
家に入ると、すぐに返事がする。それがとても嬉しくて、ルシルははにかみながら外套を脱ぐとコート掛けにかける。
「すぐに、夕飯の支度する…ね……」
笑顔でアシェルの方を振り向いたルシルは、アシェルの胸から包帯が取り除かれていることを知って愕然とした。
治った。
最後の傷も治ってしまった。
アシェルは、もう行ってしまうんだ。
ルシルはすぐにそう理解した。
「お、お腹空いたよね?」
だが、自分の気持ちを悟られないよう無理矢理笑顔を作ると、キッチンへ向かう。
アシェルは取り払った包帯をまとめ、使用済みの薬草をゴミ箱へ捨てると、ルシルと同じキッチンに立つ。
「手伝うよ」
「え?い、いいよ。座ってて」
ルシルはそばに来たアシェルに遠慮するが、アシェルも譲らなかった。
2人で並んでキッチンに立ち夕食の支度を始めると、ルシルは誰かと並んで食事の用意をするということに、動揺し、緊張した。
野菜の皮を剥く手が少しだけ震えるのが自分でもわかる。
よくこうしてマリーと並んで料理したことを思い出し、胸が熱くなる。
「いっ」
あまりにも久しぶりすぎて動揺したせいか、手元が狂ってナイフで指を切ってしまった。
「切ったのか」
人差し指を切ってしまい、ぷつっと血が滲む指をルシルは咄嗟にパクッと口に入れる。
それを見たアシェルは、そっとルシルの手を取ると、口から指を引っ張り出す。
「ヒール」
左手で手を握り、右手でヒールをかけると、指の切り傷がスーッと消えていった。
「ありがとう…」
ルシルがアシェルを見上げてお礼を言うと、無表情で頷かれ、そのまま傷が消えたかどうかを確認するために指先を撫でられた。
指先を撫でられるというくすぐったさに、ルシルはカーッと顔を赤くし、アシェルから目を逸らした。
か……可愛い……。
アシェルは自分を見上げたルシルが赤面して恥ずかしがる様子に、そう思った。
思った途端、また鼓動が早くなり、自分も顔が熱くなるのを感じた。
手を離し、互いに赤面しながらも料理を再開した。
アシェルは伯爵家次男という身分でも、
騎士団時代には野営の際に交代で調理担当となるため、料理の経験はあった。
だが、ルシルには敵わない。
「ダメだよ。まずは肉を炒めてからじゃないと」
「あー、こっちは後から入れて」
何度もルシルにダメ出しを食らい、アシェルは「すまん」「悪い」と何度も謝ることになり、最後にはルシルに笑われていた。
作った料理を食卓に並べ、向かい合って着席する。
「美味い」
アシェルは一緒に作った料理が本当に美味しくて素直に感想を言う。
「マリーに教えてもらったんだ。僕の得意料理」
ルシルは褒められたと嬉しそうに笑う。
「お母上は料理上手なんだな」
母さんではなく、名前で呼んだことに違和感を感じたが、理由は聞かなかった。
「うん。マリーが作るものは全部美味しい。ドンも毎日がっついて食べてた」
今度は父親を名前で呼び、アシェルは気になって無視出来なくなってしまった。
「ご両親はドンとマリーというのか」
「うん。本当の親ではないけど…。僕を拾って育ててくれた人」
「拾って……?」
4日目にして初めて聞いたルシルの身の上に、アシェルは手を止めた。
「僕は小さい頃、この北の森に捨てられてたみたい。それをドンとマリーが見つけて、育ててくれたんだ」
ルシルは育ての親だと笑った。
「そうだったのか…」
「アシェルのご両親は?」
「俺も小さい頃に母を事故で亡くしてる…。今は父と兄と3人暮らしだ」
まさか伯爵家ですとは言えず、男3人で暮らしてると言った。
「お兄さんがいるんだ。いいね」
ルシルは兄弟が羨ましいと笑う。
「僕は、2人が死んで1人になっちゃったから…」
ルシルは、再びアシェルが出ていくと1人になってしまうことを思い出し、寂しさに襲われる。
アシェルも、自分がクレイスに行けばルシルが1人になってしまうと、胸が締め付けられてしまった。
「あ、でもそんなに寂しくないよ。
やることはいっぱいあるし、たまに街にも行くし。
街の人達も優しくて、たまに泊めてくれたりもするんだ」
嫌な奴はいるけど、とルシルは笑顔で隠す。
「そう……か?」
アシェルはルシルを1人にしてしまうことに強い罪悪感を感じた。
彼に助けられ数日一緒に居て、彼は献身的に世話をしてくれた。
感謝の念がとても大きいのだが、それとは別の、自分でもわからない感情が押し寄せるのを感じる。
切ない、寂しい、悲しい。
それに近い感情がアシェルの胸を締め付けた。
だが、いつまでも厄介になるわけにもいかず、自分にもやるべきことがある。
「ルシル…」
アシェルは意を決して顔を上げると、ルシルの目を見た。
「明日、街へ行こうと思う」
「……うん。そうだね。もう怪我も治ったしね……」
ルシルは一瞬だけ真顔になると、すぐに破顔し、それがいいと笑顔を作った。
だが、その笑顔が無理矢理のような気がして、アシェルの胸がさらに痛んだ。
「本当に感謝してる。
仕事が終わったら、絶対にまた来る。お礼をしたい」
「……いいよ、わざわざ。こんな遠くまで」
ルシルは遠慮するように笑って言うが、やはり寂しそうだった。
「いや、絶対に来る。ルシルは命の恩人だ。俺の気が済まない」
真剣に言うと、ルシルはそれ以上何も言わなかった。
食事を再開し、明日でお別れという事実に無言になってしまい、その沈黙が耐えられず、アシェルはルシルに質問した。
「ルシルは、俺を変だと思わないのか?」
「え?」
「俺は無表情だろ。気持ち悪いと思わないのか」
「……思わないよ」
何を突然、とルシルはキョトンとした。
だが、アシェルの言いたいことを察する。
「アシェルの感情はちゃんと伝わってるよ」
「……」
アシェルはルシルの言葉に驚く。
「今、驚いてるだろ」
そう言われ小さく頷く。
「父さん…、ドンもね、あまり表情に出せない人だったんだ。
昔顔に大怪我をして、麻痺が残ったんだって」
「麻痺…」
「うん。アシェルもそうなの?」
「いや…俺は…」
麻痺と言われ、自分は違うと思ったのだが、似たようなものかと考えた。
「ちゃんと気持ちは伝わってるよ。よく笑ってたし」
「……笑ってた…?」
「うん。楽しそうにしてた」
ルシルが楽しそうに笑い、その笑顔に心をギュッと鷲掴みされたように感じた。
再び動機が激しくなる。
そんなことを言われたのは、父と兄以外では初めてだった。
父と兄は、やはり家族でありずっとそばで見てくれていたから、無表情であっても感情を理解してくれる。
顔に出なくても、俺が楽しんでいる、怒っているなどの感情を理解し、普通に接してくれる。
だが、2人だけだ。
領主邸で長年仕えている使用人達はもう慣れたものだが、理解されているわけではない。
他は俺を鉄仮面と呼び、感情を言葉で伝えなければ理解されることはなかった。
なのに、ルシルはたった4日で俺の無表情の裏にある感情を見抜いて、理解していると悟った。
「どうしたの?」
ルシルが不思議そうに首をこてんと横に倒して聞いてくる。
その仕草に、俺の心臓が射抜かれた。
そうまさに射抜かれた。
ドスッ!!と太い矢で胸を射抜かれたような錯覚に襲われた。
「あ……」
アシェルはカアアァと顔を真っ赤に染めた。
それ以降、何も言えなくなった。
慌てて俯くと、一心不乱に料理を口に入れ、飲み込む。
ルシルはそんなアシェルを不思議そうに見ながら、それでも何も言わなかった。
その日の夜ベッドに入った後、アシェルはここ数日間の不可解な胸の高鳴りの原因に気付いた。
これは…恋だ…。
俺は、ルシルに、恋をした。
そうはっきりと自覚し、眠れなくなった。
彼を可愛いと思うのも、彼の顔、仕草を見て、声を聞いて動機が激しくなるのも、彼の匂いを嗅ぎたいと思うのも、全て『恋』のせいなのだと理解した。
きっと、一目惚れだ。
初めて目を合わせた時、その深緑の目に吸い込まれるように目が離せなかった。
助けてくれたという事実は関係なく、ルシルの姿に目を奪われ、そして彼を知るたびに胸が高鳴った。
なんてことだ……。
アシェルは布団の中で1人身悶える。
27歳で、初めての恋。
これまでにも好きだと思う人はいたが、ここまで激しい感情ではなかった。
話には聞いていたが、『恋』とはこんなにも厄介なものなのか、と気付いてしまったことに悩む。
明日別れるという時になって気付くなんて、しかも大切な仕事の只中で。
アシェルは悶々と夜を明かすことになった。
2日前、領都にいる父と兄、そして会う予定だった帝国のシーグヴァルド伯爵には伝達魔鳥を飛ばした。
街道で野盗に襲われたこと。自分の居場所や状況を詳細に書き記し、怪我が治り次第クレイス入りすることも伝えた。
魔鳥を飛ばした翌日、シーグヴァルド側から返信が来た。この北の森から、徒歩で2日の距離ならばその早さも頷ける。
ルシルが外で仕事をしている最中に、アシェルはこっそりとその返信を読み、クレイス入りした時、影と落ち合うことになった。
魔力が回復し怪我が治りかけ、痛みもほぼなくなってきた今、本当はすぐにでもクレイスに行くべきなんだと思う。
だが、アシェルはまだ胸の傷にヒールを使うことをしていなかった。
ルシルは朝と晩にアシェルの傷の具合を確認する。
彼の両腕が巻き付くように背中に回され、アシェルはこっそりとルシルの頭に顔を寄せて静かに匂いを嗅ぐ。
匂いを嗅ぎたいなんて、まるで変態ではないか。止めよう、これで最後にしようと思うのだが、ルシルのいい匂いを嗅ぐと、あと一回だけ、次が最後、と先延ばしにしてしまっていた。
ルシルは本当によく働く。
陽が昇ってから沈むまで、常に何か作業をしている。
一体どこにそんな体力があるのかと思うくらい細いのに、身体強化魔法を駆使して力仕事はあっさり片付けるし、手際も効率も良かった。
アシェルは暖炉のそばにある窓から外の様子を確認すると、ルシルが畑の中にいるのが見える。
何をしているのかはわからないが、下を向いてゴソゴソと何かしている。
そして顔を上げると立ち上がり、クルッと家の方を向いた。
窓際にいたアシェルを見つけると、ルシルは満面の笑顔になり、小さく手を振った。
途端にアシェルの胸がギュンと締め付けられ、心拍数が上昇した。
手を振るルシルにアシェルは相変わらずの無表情のままで振り返すと、ルシルはさらに眩しいくらい笑顔になり、納屋の方へ行ってしまった。
「???」
アシェルは外から視線を外すと、胸元をギュッと握りしめ、不可解な現象に首を捻る。
ルシルに出会ってから、この妙な胸の高鳴りは頻繁に起こっていた。
アシェルは深呼吸して落ち着きを取り戻すと、そろそろ限界か、とようやく胸の傷を治すことを決意した。
ルシルは日に日に傷が癒えていくアシェルに、きっとあと少しで彼は出て行ってしまうと考えていた。
すでに両手足の傷は癒やされて、胸の傷を残すのみだ。充分に休んで、魔力も体力も回復しているのがわかる。
それに、外で仕事をしている最中、鞄の中からたくさん書類を出して、考え、書き物をしていた。彼にも仕事があり、いつまでもここにいるわけにはいかない。
ルシルは手斧を振り下ろし、薪を割る。
単調な作業を続けていると、慣れているのもあって余計なことを考えてしまっていた。
アシェルを助けてもう4日目。
たった4日なのに、ルシルは彼が出ていくことが辛くなってきていた。
ドンとマリーが亡くなって4年。
亡くなって1人になった直後はとても寂しくて、何度も1人で泣いていた。
だが、それでも慣れた。
やることはたくさんあるし、寂しさを紛らわせるために、ひたすら動いて考えないようにしていた。
気が付けば寂しいと感じることもなくなり、2人が居た時と同じ生活を続けることが出来た。
なのに、たった4日一緒に居ただけで、また1人になることが怖くなってしまっている。
もう寂しくはないと思っていたのは、ただ慣れただけだったと気付かされた。
アシェルが帰ってまた1人になったら、2人を失った時のように泣いてしまうかもしれないと思った。
ルシルは大きなため息をつくと薪割りをやめ、後片付けを始めた。
「大丈夫…、元に戻るだけ…」
薪を拾って積み上げながら、自分に言い聞かせるように呟く。
アシェルの顔を思い出すと、ズキンと胸が痛む。彼を思い浮かべるたびに、鼓動が早くなり、顔が熱くなる。
ルシルはそれを不思議に思いながらも、きっと久しぶりにそばに人がいるせいだと考えるようになっていた。
彼が出て行くのが辛いのも、また1人になって寂しいと感じるせいだと思った。
「ただいま」
「おかえり」
家に入ると、すぐに返事がする。それがとても嬉しくて、ルシルははにかみながら外套を脱ぐとコート掛けにかける。
「すぐに、夕飯の支度する…ね……」
笑顔でアシェルの方を振り向いたルシルは、アシェルの胸から包帯が取り除かれていることを知って愕然とした。
治った。
最後の傷も治ってしまった。
アシェルは、もう行ってしまうんだ。
ルシルはすぐにそう理解した。
「お、お腹空いたよね?」
だが、自分の気持ちを悟られないよう無理矢理笑顔を作ると、キッチンへ向かう。
アシェルは取り払った包帯をまとめ、使用済みの薬草をゴミ箱へ捨てると、ルシルと同じキッチンに立つ。
「手伝うよ」
「え?い、いいよ。座ってて」
ルシルはそばに来たアシェルに遠慮するが、アシェルも譲らなかった。
2人で並んでキッチンに立ち夕食の支度を始めると、ルシルは誰かと並んで食事の用意をするということに、動揺し、緊張した。
野菜の皮を剥く手が少しだけ震えるのが自分でもわかる。
よくこうしてマリーと並んで料理したことを思い出し、胸が熱くなる。
「いっ」
あまりにも久しぶりすぎて動揺したせいか、手元が狂ってナイフで指を切ってしまった。
「切ったのか」
人差し指を切ってしまい、ぷつっと血が滲む指をルシルは咄嗟にパクッと口に入れる。
それを見たアシェルは、そっとルシルの手を取ると、口から指を引っ張り出す。
「ヒール」
左手で手を握り、右手でヒールをかけると、指の切り傷がスーッと消えていった。
「ありがとう…」
ルシルがアシェルを見上げてお礼を言うと、無表情で頷かれ、そのまま傷が消えたかどうかを確認するために指先を撫でられた。
指先を撫でられるというくすぐったさに、ルシルはカーッと顔を赤くし、アシェルから目を逸らした。
か……可愛い……。
アシェルは自分を見上げたルシルが赤面して恥ずかしがる様子に、そう思った。
思った途端、また鼓動が早くなり、自分も顔が熱くなるのを感じた。
手を離し、互いに赤面しながらも料理を再開した。
アシェルは伯爵家次男という身分でも、
騎士団時代には野営の際に交代で調理担当となるため、料理の経験はあった。
だが、ルシルには敵わない。
「ダメだよ。まずは肉を炒めてからじゃないと」
「あー、こっちは後から入れて」
何度もルシルにダメ出しを食らい、アシェルは「すまん」「悪い」と何度も謝ることになり、最後にはルシルに笑われていた。
作った料理を食卓に並べ、向かい合って着席する。
「美味い」
アシェルは一緒に作った料理が本当に美味しくて素直に感想を言う。
「マリーに教えてもらったんだ。僕の得意料理」
ルシルは褒められたと嬉しそうに笑う。
「お母上は料理上手なんだな」
母さんではなく、名前で呼んだことに違和感を感じたが、理由は聞かなかった。
「うん。マリーが作るものは全部美味しい。ドンも毎日がっついて食べてた」
今度は父親を名前で呼び、アシェルは気になって無視出来なくなってしまった。
「ご両親はドンとマリーというのか」
「うん。本当の親ではないけど…。僕を拾って育ててくれた人」
「拾って……?」
4日目にして初めて聞いたルシルの身の上に、アシェルは手を止めた。
「僕は小さい頃、この北の森に捨てられてたみたい。それをドンとマリーが見つけて、育ててくれたんだ」
ルシルは育ての親だと笑った。
「そうだったのか…」
「アシェルのご両親は?」
「俺も小さい頃に母を事故で亡くしてる…。今は父と兄と3人暮らしだ」
まさか伯爵家ですとは言えず、男3人で暮らしてると言った。
「お兄さんがいるんだ。いいね」
ルシルは兄弟が羨ましいと笑う。
「僕は、2人が死んで1人になっちゃったから…」
ルシルは、再びアシェルが出ていくと1人になってしまうことを思い出し、寂しさに襲われる。
アシェルも、自分がクレイスに行けばルシルが1人になってしまうと、胸が締め付けられてしまった。
「あ、でもそんなに寂しくないよ。
やることはいっぱいあるし、たまに街にも行くし。
街の人達も優しくて、たまに泊めてくれたりもするんだ」
嫌な奴はいるけど、とルシルは笑顔で隠す。
「そう……か?」
アシェルはルシルを1人にしてしまうことに強い罪悪感を感じた。
彼に助けられ数日一緒に居て、彼は献身的に世話をしてくれた。
感謝の念がとても大きいのだが、それとは別の、自分でもわからない感情が押し寄せるのを感じる。
切ない、寂しい、悲しい。
それに近い感情がアシェルの胸を締め付けた。
だが、いつまでも厄介になるわけにもいかず、自分にもやるべきことがある。
「ルシル…」
アシェルは意を決して顔を上げると、ルシルの目を見た。
「明日、街へ行こうと思う」
「……うん。そうだね。もう怪我も治ったしね……」
ルシルは一瞬だけ真顔になると、すぐに破顔し、それがいいと笑顔を作った。
だが、その笑顔が無理矢理のような気がして、アシェルの胸がさらに痛んだ。
「本当に感謝してる。
仕事が終わったら、絶対にまた来る。お礼をしたい」
「……いいよ、わざわざ。こんな遠くまで」
ルシルは遠慮するように笑って言うが、やはり寂しそうだった。
「いや、絶対に来る。ルシルは命の恩人だ。俺の気が済まない」
真剣に言うと、ルシルはそれ以上何も言わなかった。
食事を再開し、明日でお別れという事実に無言になってしまい、その沈黙が耐えられず、アシェルはルシルに質問した。
「ルシルは、俺を変だと思わないのか?」
「え?」
「俺は無表情だろ。気持ち悪いと思わないのか」
「……思わないよ」
何を突然、とルシルはキョトンとした。
だが、アシェルの言いたいことを察する。
「アシェルの感情はちゃんと伝わってるよ」
「……」
アシェルはルシルの言葉に驚く。
「今、驚いてるだろ」
そう言われ小さく頷く。
「父さん…、ドンもね、あまり表情に出せない人だったんだ。
昔顔に大怪我をして、麻痺が残ったんだって」
「麻痺…」
「うん。アシェルもそうなの?」
「いや…俺は…」
麻痺と言われ、自分は違うと思ったのだが、似たようなものかと考えた。
「ちゃんと気持ちは伝わってるよ。よく笑ってたし」
「……笑ってた…?」
「うん。楽しそうにしてた」
ルシルが楽しそうに笑い、その笑顔に心をギュッと鷲掴みされたように感じた。
再び動機が激しくなる。
そんなことを言われたのは、父と兄以外では初めてだった。
父と兄は、やはり家族でありずっとそばで見てくれていたから、無表情であっても感情を理解してくれる。
顔に出なくても、俺が楽しんでいる、怒っているなどの感情を理解し、普通に接してくれる。
だが、2人だけだ。
領主邸で長年仕えている使用人達はもう慣れたものだが、理解されているわけではない。
他は俺を鉄仮面と呼び、感情を言葉で伝えなければ理解されることはなかった。
なのに、ルシルはたった4日で俺の無表情の裏にある感情を見抜いて、理解していると悟った。
「どうしたの?」
ルシルが不思議そうに首をこてんと横に倒して聞いてくる。
その仕草に、俺の心臓が射抜かれた。
そうまさに射抜かれた。
ドスッ!!と太い矢で胸を射抜かれたような錯覚に襲われた。
「あ……」
アシェルはカアアァと顔を真っ赤に染めた。
それ以降、何も言えなくなった。
慌てて俯くと、一心不乱に料理を口に入れ、飲み込む。
ルシルはそんなアシェルを不思議そうに見ながら、それでも何も言わなかった。
その日の夜ベッドに入った後、アシェルはここ数日間の不可解な胸の高鳴りの原因に気付いた。
これは…恋だ…。
俺は、ルシルに、恋をした。
そうはっきりと自覚し、眠れなくなった。
彼を可愛いと思うのも、彼の顔、仕草を見て、声を聞いて動機が激しくなるのも、彼の匂いを嗅ぎたいと思うのも、全て『恋』のせいなのだと理解した。
きっと、一目惚れだ。
初めて目を合わせた時、その深緑の目に吸い込まれるように目が離せなかった。
助けてくれたという事実は関係なく、ルシルの姿に目を奪われ、そして彼を知るたびに胸が高鳴った。
なんてことだ……。
アシェルは布団の中で1人身悶える。
27歳で、初めての恋。
これまでにも好きだと思う人はいたが、ここまで激しい感情ではなかった。
話には聞いていたが、『恋』とはこんなにも厄介なものなのか、と気付いてしまったことに悩む。
明日別れるという時になって気付くなんて、しかも大切な仕事の只中で。
アシェルは悶々と夜を明かすことになった。
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