大和の風を感じて3~泡沫の恋衣~【大和3部作シリーズ第3弾】

藍原 由麗

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「皇子、もうこちらを向いていただいて大丈夫です」

  韓媛からひめは少し恥ずかしそうにしながら、彼にそう言った。

  それから彼は振り返ったが、特に彼女の体を変にじろじろ見る事もなく、いたって普通にしている。そして彼もとりあえず上の服だけ脱ぐ事にした。

  そして、そのまま先程見つけてきた栗に刃物で切り込みを入れて、焚き火の中に放り込む。

  韓媛は思わず彼の方を見る。やはり彼はとても体が引き締まっていて、1人の男性に見えた。

(どうしよう、こんな皇子を目の前にしたら、彼の事が変に気になって緊張してくる……)

  今は互いに服を脱いで、火の前に座っている状態だ。韓媛は改めて男女の差を痛感させられた。

  大泊瀬皇子おおはつせのおうじは韓媛が余り喋らないので、少し不思議に思った。

「韓媛、どうかしたか。ひどく無口だが」

「いえ、大丈夫です。今は何となくこうしていたいだけですから」

  韓媛は恥ずかしさの余り、それ以外何もよう言えなかった。

  それを聞いた大泊瀬皇子は、ふと優しい笑みを彼女に向けた。

  そんな彼を見て韓媛の心は急に高鳴る。普段は少し傲慢で、態度の大きい彼がこんな表情を見せるとは、正直意外だ。

「俺は今回、本当にお前が死んでしまうのではと思った」

  彼はそう言って、焚き火に木の枝を増やした。すると火はさらに勢いを増す。

  韓媛も思わず焚き火に目をやった。
そう言えば、今日溺れていた男の子はどうなったのだろうか。
  あの後無事に妹と再会出来て、親元の所に帰れていれば良いが。

  韓媛がそんな事を考えている時だった。彼女はふと大泊瀬皇子の視線を感じ、ふと顔を上げる。
  すると彼は韓媛の事を真っ直ぐ見つめていた。

(こうやって見つめられると、恥ずかしくて仕方ない……)

「大泊瀬皇子、お願いですから余りじろじろ見ないで下さい」

  彼女は今布にくるまってはいるが、服を脱いでいる状態である。そんな状況下なので、余計に気恥ずかしかった。


「韓媛……お前は本当に綺麗になったな」

(え!綺麗?)

  韓媛は余りに意外な事を言われてしまい、どう答えたら良いのか分からず、思わず言葉を失なった。

  だが彼はそれでも真っ直ぐ彼女を見つめている。一応彼は焚き火の反対側にいるので、側に近付いてくる事はない。

「お、大泊瀬皇子。いきなり何を言ってるのですか!」

  韓媛は心臓がどくどくなりすぎて、もうおかしくなりそうだ。

(本当に今日の彼は一体どしたの……)

「大泊瀬皇子、そう言う事は軽々しく言うものではないです。それに皇子には心に決めてる人がいるのでしょう?」

  今回の草香幡梭姫くさかのはたびひめの婚姻はあくまで建前上のもので、それとは別に大事な女性がいると彼は前回言っていた。

  大泊瀬皇子はそれを聞いて、いきなりクスクスと笑いだした。

(一体どうして、笑い出すの?)


「大泊瀬皇子、何がそれ程おかしいのですか?」

  韓媛は少しムッとして言った。

  自分は全うな事を言っているはずだ。それをこんなふうに笑われるとは、彼は一体何を考えているのだろう。

「いや悪い。まさか、お前がそんな事を言ってくるとは思わなかった」

  それから大泊瀬皇子は笑うのを止めて、真剣な表情をして韓媛に言った。

「あぁ、前回も話したが、俺が本当に好きな女性は他にいる。それはこの先もきっと変わる事はない」

  韓媛はそんな皇子の話しを聞き、それまで高鳴っていた鼓動が、今度は酷く苦しくなってきた。

(彼から、他の女性の話しはもう聞きたくない……)

  韓媛は思わず涙が出そうなのを必死で我慢した。こんな所で泣いてしまっては、彼を困らせるだけである。

「韓媛、お前は父親任せばかりにせず、もっと自分の意志で相手の男を見るべきだ」

「自分の意志で相手を見る?」

  韓媛は今まで、そんなふうに考えた事がなかった。彼の言い方からすれば、自分の意志で相手を選ぶべきだと言っているように思える。

(私が自分から望んでいる相手なんて……)

  ふと韓媛は大泊瀬皇子を見た。彼は相変わらず真剣な目で彼女の事を見ている。

  韓媛はそんな彼から思わず目が離せなくなった。と言うより、彼にはこのまま自分を見ていてもらいたい。


(私が望んでいる相手は、この人だわ……)


  その瞬間に、韓媛はやっと自分の気持ちに気が付いた。自分が好きなのは今目の前にいる大泊瀬皇子だ。

  だがそれに気付いた途端、その気持ちは絶望に変わった。彼には他に想いを寄せる人がいる。

(でも、この人は私には振り向いてくれない。そんな人を好きになってもどうしようもないわ……)

  それから、韓媛はまた無言になってしまった。そんな彼女を見て、大泊瀬皇子もこれ以上この話しをするのは止める事にした。

「とりあえずこの話しはもう終わりにしよう。服が乾いたらそれに着替えてお前は小屋の中で寝たら良い。小屋の中にまだ布が結構あったから、それにくるまれば寒くないだろう」

「皇子はどうされるのですか?」

「俺はこのまま焚き火の前で横になっている。お前と一緒に小屋で寝るわけにもいかないのでな」

  韓媛もこのまま焚き火の前にいたら、うっかり泣いてしまうかもしれないと思い、彼の意見に素直に従う事にした。

「大泊瀬皇子、分かりました」

「あぁ、悪いがそうしてくれ。間違ってもお前と過ちをおかす訳にはいかない」

  彼のその一言が、韓媛には少し冷たい感じに聞こえた。

  それから韓媛は服を着ると、そのまま小屋に向かい、布にくるまって休む事にした。

  小屋の中で彼女は、皇子に気付かれないようにしながら涙を流した。

(もうこの気持ちは、心の内にしまっておこう。今は辛くても、いつかきっと忘れられる日がくるわ)



  その頃は大泊瀬皇子は、焚き火の前で1人頭を抱えていた。彼もまた、今までずっと己の理性と戦っていた。

(くそ、俺はいつまでこんな事をしないといけないんだ!!  本当は今すぐにでも、あいつを自分の腕に閉じ込めたいぐらいなのに……)

  こうして2人は、それぞれの思いや葛藤を抱えながら、翌朝を待つ事にした。
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