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第5章 オレゴニアファミリー
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街の中心に近い歓楽街。その表通りから一つ外れた裏路地を、どん詰まりまで行った所にその酒場はあった。
汚く、狭く、カウンター席が6つだけある、普段からあまり来客のない店。Wが待ち合わせをする際に必ず利用する場所だ。店名は「クワス」という。
バーテンもいないカウンター席で、彼は一人で座って待っていた。バーテンは常に店の奥に引っ込んでいて、必要なときだけ、客がカウンター上のベルを鳴らして呼ぶ仕組みである。
つまり、ここでする内緒話はバーテンにすら聞かれない。盗聴器の可能性もあるが、そのあたりは疑い出せばキリがない。大事なのは、聞かれたくない話が切り出しやすくなる雰囲気を確保できてある事だ。
程なくして、三人の男が入店してきた。顎鬚をたくわえた初老の男の両脇を固めるように、二人の屈強そうな男が従っている。
先頭の初老の男は、Wの姿を見つけると、両脇の二人に「外で待っていろ」と命じ、彼らがその通りにしたのを見届けてから、Wの隣席に向かう。
その表情は緊張しており、小心者のような、不安と憔悴が見てとれた。
「Wさん、我々はあなたに大恩ある身だ。しかし、こういきなり呼びつけられては困るのだが」
額の汗をハンカチで拭いながら、男は隣に座った。
「すまんな。だが、急にあんたと話したくなってな」
Wは男の方を向く。だが、男は彼と目を合わせようとはしない。
男の名はオレゴニア・ガレウス。この街ならどこにでもいるような、平凡な裏組織の無難な頭領だ。
「用があるなら、早く済ませてくれないかな。片付けなきゃいけない話し合いがあるんだ」
「アークランドグループとの、か?」
オレゴニアの体が硬直し、表情が強張る。そうして、彼はやっとWと目を合わせた。恐怖に満ちた、哀れな目であった。
「何故、それを」
「まだ甘いな。こんなんじゃ、暗殺されて他の組織に仕事を奪われるぞ」
情報源は明かさず、威嚇するようにたしなめる。そうして、彼がすっかり萎縮したのを見計らってから、Wは用件を切り出した。
「そのアークランドグループの事だがな、お前んとことはどういう関係なんだ?」
オレゴニアの額から脂汗が滲み出る。彼は怯えながらも、明らかにWに対して警戒をもしていた。
「ただの取引相手さ。アークランドグループがすすきの支部が今度中央区に移転するから、その移転先の土地収用を任されてる」
「嘘じゃないだろうな?」
「そんな訳ないだろう、君に嘘をつくのはもう懲り懲りなんだ。頼む、信じてくれ」
哀願するように、か細い声で訴える。狡猾でなければこの街では生きていけないが、彼の態度はとても演技で出来るようなものではない、とWは判断した。
「あんた、昔はアークランドグループなんかと繋がっちゃいなかったはずだ。どういうルートから、ヤツらと関わり合いになったんだ?」
オレゴニアは不安だった。自分の組織の利益や、自身の身の保障は確保しなければならない。それには、情報を隠すのが一番だ。だが彼は、Wの前でそれを実行することの愚かさも知っていた。
「ゲト。大親分から紹介されたんだ」
だから、彼は取り敢えずこの場を無事に逃れるため、正直に答えるしかなかった。
ゲト。オレゴニアファミリー他、幾つかの組織を纏める、いわゆる大親分という人物だ。マフィアとしては中々の人物であり、彼の傘下には、国外に勢力のある組織も存在する。
「ゲトが、アークランドグループと繋がってたのか?」
「詳しい事は私だって知らない。ある日突然、ゲト大親分から小林育人って奴を紹介されたんだ」
小林育人。今回の依頼をWに伝えに来た、あの青年だ。
「なるほどな。その紹介と、以後の連絡は秘密裏に行われたのか?」
「ああ、そうだ」
アークランドグループはゲトと繋がっており、ゲトを介してオレゴニアファミリーとアークランドグループも繋がった。しかも、そのガレウスファミリーに支部移転先の土地収用という重大な仕事を任せている。
それはつまり、紹介人であるゲトとアークランドグループはかなり深く結びついている可能性がある、という事に他ならない。アークランドグループはゲトを信頼し、ゲトはアークランドグループのために傘下の組織を働かせている。
そして、FIRE HAMMERは十年間姿を晦まし続け、突如その沈黙を破っての連続爆破事件。しかも標的はアークランドグループ。
足りないとすれば、FIRE HAMMERとゲトとを繋ぐ線だろう。それさえ掴めれば、この事件の真相もわかる。そして真相がわかれば、FIRE HAMMERの狙いもわかる。狙いがわかれば、今どこにいるか、次に何をするかも自然とわかる。
「オレゴニア」
Wは、隣で脂汗を拭いている友人に鋭く厳しい視線を突き刺した。
「FIRE HAMMERについて、何か知ってるか?」
この質問を叩き付けた瞬間、オレゴニアは数瞬、呼吸も忘れて硬直した。全身から血の気が引き、瞳は驚愕と恐怖に満ち満ちていた。
「あんたは、あの事件を調べてるのか」
やっとの事で絞り出した声は、震えていた。恐怖という感情がそのまま声になったようだった。
「Wさん、確かに私は嘘つきだし、卑怯で矮小で優柔不断な男だ。あなたを殺そうとした事があるのも認める。だが、どうか私の忠告を聞いてほしい。あの事件に関わっちゃいけない」
彼は、いつになく必死にWに忠告をした。それは不安の裏返しであった。
「何か知ってるんだな?」
しかし、Wは忠告に全く耳を貸さない。相変わらず、オレゴニアを問い詰めるだけだ。
「私は何も知らん。だが、あの事件には物凄く不吉な気配がするんだ」
「隠すつもりか?」
言い訳にも応えない。Wは椅子から立ち上がり、相手を上から威圧するように睨み付ける。
「俺に、隠し事をしようってのか?」
オレゴニアは、身の危険を感じた。
ひっ、と短い悲鳴をあげると、素早く立ち上がって出口へと向かおうとする。
だが、それよりも速く、Wは出口の方へ振り向いたオレゴニアの左腕を掴んで引き寄せるのと同時に、右膝の裏に軽く蹴りを入れる。
そうして相手の態勢が崩れた所で、掴んだ左腕を捻り上げつつ、彼の顔面を右手でカウンターに叩き付けた。
左腕を捻り上げて肩関節を拘束しているので、オレゴニア程度ならこれで完全に身動きがとれなくなる。そこへもって、Wは右手で懐からパラ・オーディナンスP18を取り出し、銃口を彼のこめかみへ押し当てた。
これで、完全に拘束と尋問が両立する態勢を固定した。
「大体の絵はもう俺にだって見えてんだ。忠告に見えて、実は警告だ。俺の事を想って言ってるようでいて、実は自分のために言ったんだろ? つくづく、お前は小賢しい奴だ」
こめかみに押し当てた銃の撃鉄を起こす。音がはっきり聞こえるよう、わざとゆっくりと。
オレゴニアは再び、ひっ、と短い悲鳴をあげ、その全身を死の恐怖で震わせ始めた。
と、そこで、ただならぬ雰囲気に気付いたのか、外で待たせていた二人の護衛が、店の中に乱入してきた。もちろん、二人とも銃を抜いている。
だが、その二人が銃口をWに向けるよりも速く、Wは左手をオレゴニアの首筋に添え、右手の銃口を二人へと向けた。構えに入りかけていた二人はその瞬間、体を震わせて動作を中断した。
「動くな。天地が転覆しようと、お前ら如きが俺は殺すことは不可能だ」
右手の銃口は二人に向けられ、左手はオレゴニアの首筋に添えているだけ。実質的に、この人質を縛るものは何も無かったが、オレゴニアは動く事が出来なかった。
左手で軽く首筋を触れられているだけでも、彼にとっては心臓を鷲掴みにされているような気分なのだ。生きた心地がしないほどの恐怖と絶望に囚われ、一切体が動かない。彼は、今や精神的にWに拘束されているのだ。
もちろん、Wはそんな彼の性質を熟知した上で、この大胆な作戦に出ているわけだが。
「お前らのボスは、たぶん殺さない。まあ、当人の対応次第だがな。だがお前らが仕掛けてきた場合、例えボスに過失がなくともお前らは即座に皆殺しだ」
二人がまだ構えてもいない状況で、オーディナンスP18の銃口は正確に二人に向けられている。二人は主人の身を案じながらも、大人しくしている他なかった。それでも、万一に備えて銃を懐に納めようとはしない。
Wもそこまでは期待していないのか、或いは己の力量にかなりの自負があるのか、二人に対して武装解除を命令するでもなく、ただ二人に注意を払いながらオレゴニアとの会話を再開するのみだ。
「聞いた通りだ。あんたが誠意を尽くさないなら、俺も誠意を尽くさない」
うう、と、カウンターにうつ伏せの状態になっているオレゴニアが呻いた。
「ほ、本当に、私は何も知らないんだ」
左手で、強くオレゴニアの首筋を握る。再び呻き声があがり、護衛の二人はますます色めき立つ。
「片や世界を股に掛ける大企業と、自分の大親分。片や自分を殺す度胸も理由も恨みもある人間によって、こめかみに突き付けられた一つの銃口。あんたはどっちを恐れるんだ?」
掴んだ首を軽く持ち上げ、再びカウンターに叩きつける。何か液体を噴き出すような音がしたのは、これによって鼻血が出たためであろう。
「出来れば俺だって撃ちたくはない。あんたを殺すと後が面倒なんだ。まあ、我慢出来ないほどじゃあ無いんだがね」
「わ、わかった、言う! 言うからもう止めてくれ!」
Wの度重なる脅迫に、オレゴニアはとうとう悲痛な懇願の台詞を吐いた。
そしてそれからは、早く解放されたい一心で一気に捲くし立てた。
「ゲト大親分から以前聞いたんだ。たぶん六年ぐらい前のことだったか、香港で面白い奴を見つけたって! 香港のある組織で中国製の拳銃の点検と修理をやっていた男で、かなりの腕前と知識を持っていたらしい。アジア人で国際警察が公表した年齢とも合っているから、多分FIRE HAMMERなんじゃないかって大親分がこぼしてて、俺は偶々それを酒の席で聞かせてもらっただけだ! 本当にそれだけなんだ!」
泣き叫ぶような声で白状したオレゴニアの目を、横目で一瞥する。それで、嘘は言っていないと確信を得たのか、Wは左手を離した。
「よし、いいだろう」
物理的拘束と精神的拘束を同時に解き、Wは護衛の二人に集中した。人質を解放した今、護衛二人は気兼ねなく反撃に移る事が出来るからだ。
「や、やめろ、撃つな。銃をしまえ」
だが、倒れるように尻餅をついたオレゴニアが、咳き込みながらそう命じると、二人は警戒心と敵愾心をむき出しにしながらも、自分たちのボスの命令に従った。
「協力に感謝する」
WもオーディナンスP18をしまい、乱れたコートの襟を正す。
「情報提供料は、後で事務所に請求しておいてくれ。迷惑料込みで二千ドルまでなら出す」
そうしてWはそれだけ告げると、護衛の二人の憎らしげな視線と、オレゴニアの畏怖の視線を背負って店から出た。
少々手荒だったが、手段は問題ではない。どんな手段で手に入れたものであっても、情報は情報だ。彼は特に感慨も興奮の余韻もないまま、仕事のため足早に事務所へと戻っていった。
「K、さっき届いたパースの資料を見せてくれ」
帰ってくるなり、Wは酒場クワスであったことをKに報告すると「後で読む」と言っておいた資料を見せるよう要請した。
「はい」
事務所の机の上に置きっぱなしにしておいた資料を手に取り、それをクリップで閉じてからKはWに手渡した。それを手に取ると、ソファに座って一心不乱に読み始める。
オーストラリア、パースで爆破されたのは、アークランドグループ傘下の観光会社事務所の一つだ。死傷者は五名。うち一名死亡、一名重傷、三名が軽傷を負う。爆弾が爆発したのは六時半ごろ。床下でプロパンガスタンクの欠片が見つかり、昨夜の内に何者かが仕掛けたものと思われる。ビル一階の一室を借りて運営していた事務所であるため、爆発は狭い事務所の殆どを吹き飛ばした。今回の爆弾の仕掛けは、振動を感知するセンサーをトイレの下水管に取り付け、一定以上の振動――つまりトイレの水を流した時の振動――を感知して爆発するというものである可能性が高い。
資料に書いてある事を大雑把に説明すると、そのような事であった。
「FIRE HAMMERにしちゃあ、ちょい地味だよなぁ」
一緒に資料を覗き込んでいたKが、ふと感想を漏らす。
「爆発の割に被害も少ないし、このビル空室も多いから、巻き込まれた一般人もいないらしいし、そもそもこの観光事務所の規模も大した事ねーからなぁ」
Wは資料を閉じた。しかし視線は動かさず、何事かを逡巡しているようであった。
「パース。大した規模じゃない」
考えながら、Kは独り言を呟く。頭の中にあるもやの中から、明確な答えを探しているのだ。彼は、今の段階で答えを探し当てるだけの情報はそろっていると踏んでいるのだ。
そして十分ほど経ったとき、Kの脳に、閃きのような何かが走った。
「マドリード?」
Kは顔を上げると、鋭い視線を周囲に走らせた。そして、部屋の隅に積んである今回の事件の資料の山から、数枚の資料を素早く抜き出して机に並べる。
それは、情報売買組織の『ビリー』から取り寄せた、アークランドグループそのものに関する資料の一つで、アークランドグループが直接関わっている全世界の施設をリストアップしたものであった。
そのリストの中で、既に被害に遭っているものは赤丸で囲んである。もちろん、パースで爆破された観光事務所もその中にあった。KがWの出かけている間に赤丸を書き込んでおいてくれたようだ。
Kが机に並べたものは、そのリストだけではない。小さな世界地図も引っ張り出していた。彼は、リストを見ながら素早く地図に点を書き込んでいく。
「まさに、FIRE HAMMERだな」
その作業が終了したとき、彼は思わずそう呟いていた。次に、ソファに背中を沈め、大きくため息をついた。
「そりゃ本当か!」
Wは興奮しながら身を乗り出した。Kから、「FIRE HAMMERの次の標的がわかった」と聞かされたからだ。
「で、どこだ」
目を輝かせながらWが訊ねる。KはWの眼前に右手を差し出して、心を落ち着けるよう促すと、順序立てて説明を始めた。
「まず不思議だったのは、標的の統一感のなさだ。FIRE HAMMERは主に首都にある施設を狙っていたが、幾つか例外があった。南京、台北、成都、ハイデラバード、バンクーバー、そして今回のパースだ。この中でも、特にバンクーバーに違和感を覚えた」
タバコをくわえて火をつけ、深く吸い込む。Kのその動作が、Wには焦らされているように感じて、なんとも心持ちが悪かった。それでも、我慢して続きを静かに聞く。
「バンクーバー、確かに有名な都市だ。しかし、人口で言えばトロントの方が多いし、この資料でわかる通り、アークランドグループの施設もトロントやモントリオール、オタワの方が大規模だ」
Kが指し示したのは、全世界のアークランドグループ関連施設がリストアップされている、先ほどWが使っていた資料だった。
「つまり、沢山の人間に見せ付けたいのならトロントを狙い、アークランドグループに深刻な打撃を与えたいのならモントリオールや首都オタワを狙うべきだ。しかし攻撃したのはバンクーバー。大都市だが、世界中のアークランドグループを攻撃するという主旨には合っていない」
南京、台北、成都、ハイデラバードは文句のつけようのない大都市で、破壊された施設も大規模なものであったため、示威効果や打撃効果も十分である、と一応納得はした。が、彼はこのバンクーバーに関してはずっと疑問に思っていたようだ。
何故、バンクーバーなのか? 何故、そこでなければならなかったのか?
「その疑問が、オーストラリアのパースで解けた。バンクーバーの件は、不思議に思いはしたが、オリンピックへの示威行為かとも考えていた。オリンピックで注目の集まる都市を攻撃する事による示威のために、例外的に攻撃したんじゃないか、とな。だが、それは誤りだった。パースにはそういった例外的な示威効果が期待出来ないからだ」
とは言え、今やアークランドグループへの連続テロ事件は全世界で騒動を巻き起こしている。FIRE HAMMERによる事件だと知らなくとも、世間は国際的な大企業が直接的に攻撃されている、という事で右に左に大騒ぎだ。
そんな状況であれば、どの場所のアークランドグループ関連施設を攻撃しても、一定以上の示威効果は得られるだろう。世界中のマスコミが、上手くやってくれるのだ。
「無論、無差別攻撃へと方針を転換した可能性もあるだろう。だが、アデレードには十階建てのアークランドグループ関連商社がいくつもあるのに対して、パースには今回の観光事務所程度の規模の施設が幾つかあるだけ。何故、アデレードではなく、パースなのか? それを考えている内に、一つの結論に辿り着いた」
Kは息を呑んで話に聞き入る。Wはまだ半分ぐらいしか吸っていないタバコを灰皿に押し付けた。
「FIRE HAMMERは、アークランドグループに敵対する以上に、地理的なものに拘っている」
「地理的なもの?」
すかさずWが疑問を呈する。Kは疑問に答えるため、世界地図を取り出した。先ほど、点を打ち込んだ世界地図だ。
「爆破テロに遭った施設のある都市には、点が打ってある。FIRE HAMMERはアメリカ系日本人なので、これは日本州が中心にある世界地図だ。これに、今から俺が言う都市同士を結ぶように線を書き込んでくれ」
目の前でぽかんとしているWに、Kはペンを手渡す。Wはよくわからないまま、ペンのキャップを取って線を地図に書き込む態勢に入った。
Kはそれを確認すると、地図を覗き込み、線を結ぶ都市の指定を言い述べ始める。
「マドリードとローマ、マドリードとラバト、ラバトとトリポリ、ラバトとキンシャサ、ロンドンとカイロ、ワルシャワとモスクワ、ワルシャワとバクダッド、バクダッドとカブール、バクダッドとドーハ、モスクワとバグダッド」
矢継ぎ早に指定される都市同士を線で結んでいく。Kは少し、自分で書き込んでいる線に違和感を覚え始めた。
「アルマトゥイとウランバートル、アルマトゥイとニューデリー、ニューデリーと成都、ニューデリーとハイデラバード、ハイデラバードとハノイ、北京とソウル、ソウルと南京、北京と南京、南京と台北、シンガポールとポートモレスビー、シドニーとマニラ、マニラとパース」
Kは、ここで都市の名を挙げるのをやめた。だが、既にWは理解していた。彼の言葉がなくとも、引くべき線を次々と書き入れていく。
バンクーバーとメキシコシティー、メキシコシティーとワシントン、ハバナとリマ、リマとブラジリア。それで、引くべき線は全てであった。
Kは愕然とした。線を書き終えると、震えた手でペンを置き、ソファに背中を預ける。まさに、先ほどWがしたように。
「なんてヤツだ」
ため息をつき、呆然と世界地図を眺めるK。地図には、多少歪んだ形であるものの、しっかりと読み取れる鮮明さで――
『FIRE PALL』
――そう書いてあった。
「FIRE HAMMERはこれを書くために、パースやバンクーバーを攻撃したのだ。もし標的がアデレードやトロントであったなら、歪みが大きくなりすぎて読み取れなかっただろう」
「とんでもねぇ、まさに異常だ。こんな事するなんて」
未だにWは信じられないようだ。爆弾で地球に文字を描く。そんな事を思いつき、また、実行してしまうことが、彼女の常識ではとても理解できなかったのだ。
「だが、W。これで終わりではない。これを見ろ、ここの部分が今は『P』になっているな」
Wが、世界地図中央、中国東部の辺りを指差す。
「この『P』が『B』になれば、それは完璧なメッセージになる。地球に自身の名を刻み、征服を完了するという意味と、もう一つ、『地球をFIRE HAMMERにする』という宣誓だ」
FIRE HAMMERは爆弾に拘りぬく律儀な男であり、どんな爆弾にも、必ず粋を凝らした仕掛けを施す凝り性の男である。アークランドグループを攻撃しながら、FIRE HAMMERはこの上ない表現方法で、自身を主張していたのだ。
これで、完全な確信が持てた。今回の一連のテロ事件はFIRE HAMMERの仕業だ、と。
これほどまでに、壮大で、快楽的で、異常で、天才的で、バカバカしい犯罪ができるのはあいつだけしかいない、と、Wはまだ会った事もない人物のことを確信した。そして、まだ終わりではない事も知っていた。メッセージは完成一歩手前なのだから。
「この『FIRE PALL』を『FIRE HAMMER』にするためには、あと一箇所で爆破事件を起こす必要がある。その場所は、位置関係的に見て奴の祖国、日本州しかあり得ない。奴は次に、日本州のどこかで爆破事件を起こすって事だ」
そう、メッセージは日本で完結するのだ。世界を囲むアークランドグループの輪は、当然日本にも及んでいる。その、日本にあるアークランドグループ関連施設のどれかを、爆破するということなのだ。
「バカげてる」
Wがそう呟いたのは無理もないし、実際とてもバカげている。だが、これが真実であるのだ。
「しっかりしろ、W」
呆然と地図を見下ろすWの肩を、Kはやや強めに叩いた。それが少し気つけになったのか、驚愕と狼狽の表情のままであるが、取り敢えずは相棒の顔を見返すことが出来た。
「まず、この事実を小林の奴に伝えねばならん。警察には、アークランドグループから伝えるだろう。今日中に日本で捜索が始まれば、もしかしたらFIRE HAMMERを捕らえられるかもしれんからな」
「あ、ああ」
「そのために、まずは電話する。地図と施設リストを一緒に送りつけてな」
「わかった」
Kは目の前に広がっている地図とリストをまとめると、隣室へと向かう。地図とリストをパソコンに取り込むためだ。
そしてWは何をするふうでもなく、腕を組んで目の前の何もない空間を睨み付ける。
「なあ」
隣室のドアを開き、今まさに入っていこうとしたKが、思いついたようにWの後姿に問いかけた。
「次の襲撃地がわかったとして、本当にFIRE HAMMERを止められるのか?」
Wの問いに、Kが答える事はなかった。腕を組み、空間を睨み付け、振り向きもしない。ただ、少しだけ眉をひそめただけであったが、その表情の変化がWに伝わる事はなく、諦めたKは、そのまま隣室へと入っていった。
FIRE HAMMERの狙いはわかった。何故アークランドグループなのかという事までは分からなかったが、次に襲撃される国さえわかれば、一国と一大企業が総力を挙げて捜索にあたるだろう。そうなれば、大抵の事件であれば阻止出来るはずだ。
だが、相手は尋常の犯罪者ではない。このようなメッセージを残そうとする以上、当然、気付かれることも計算されているはず。ならば、今更気付いたところで間に合うのだろうか。
ここまで大きくなってしまった火災を、今更消し止める事は、果たして人間に可能なのだろうか。
Wはそれを疑い、その答えを確信していた。そして、この仕事はまだまだ終わらない事を覚悟していた。
汚く、狭く、カウンター席が6つだけある、普段からあまり来客のない店。Wが待ち合わせをする際に必ず利用する場所だ。店名は「クワス」という。
バーテンもいないカウンター席で、彼は一人で座って待っていた。バーテンは常に店の奥に引っ込んでいて、必要なときだけ、客がカウンター上のベルを鳴らして呼ぶ仕組みである。
つまり、ここでする内緒話はバーテンにすら聞かれない。盗聴器の可能性もあるが、そのあたりは疑い出せばキリがない。大事なのは、聞かれたくない話が切り出しやすくなる雰囲気を確保できてある事だ。
程なくして、三人の男が入店してきた。顎鬚をたくわえた初老の男の両脇を固めるように、二人の屈強そうな男が従っている。
先頭の初老の男は、Wの姿を見つけると、両脇の二人に「外で待っていろ」と命じ、彼らがその通りにしたのを見届けてから、Wの隣席に向かう。
その表情は緊張しており、小心者のような、不安と憔悴が見てとれた。
「Wさん、我々はあなたに大恩ある身だ。しかし、こういきなり呼びつけられては困るのだが」
額の汗をハンカチで拭いながら、男は隣に座った。
「すまんな。だが、急にあんたと話したくなってな」
Wは男の方を向く。だが、男は彼と目を合わせようとはしない。
男の名はオレゴニア・ガレウス。この街ならどこにでもいるような、平凡な裏組織の無難な頭領だ。
「用があるなら、早く済ませてくれないかな。片付けなきゃいけない話し合いがあるんだ」
「アークランドグループとの、か?」
オレゴニアの体が硬直し、表情が強張る。そうして、彼はやっとWと目を合わせた。恐怖に満ちた、哀れな目であった。
「何故、それを」
「まだ甘いな。こんなんじゃ、暗殺されて他の組織に仕事を奪われるぞ」
情報源は明かさず、威嚇するようにたしなめる。そうして、彼がすっかり萎縮したのを見計らってから、Wは用件を切り出した。
「そのアークランドグループの事だがな、お前んとことはどういう関係なんだ?」
オレゴニアの額から脂汗が滲み出る。彼は怯えながらも、明らかにWに対して警戒をもしていた。
「ただの取引相手さ。アークランドグループがすすきの支部が今度中央区に移転するから、その移転先の土地収用を任されてる」
「嘘じゃないだろうな?」
「そんな訳ないだろう、君に嘘をつくのはもう懲り懲りなんだ。頼む、信じてくれ」
哀願するように、か細い声で訴える。狡猾でなければこの街では生きていけないが、彼の態度はとても演技で出来るようなものではない、とWは判断した。
「あんた、昔はアークランドグループなんかと繋がっちゃいなかったはずだ。どういうルートから、ヤツらと関わり合いになったんだ?」
オレゴニアは不安だった。自分の組織の利益や、自身の身の保障は確保しなければならない。それには、情報を隠すのが一番だ。だが彼は、Wの前でそれを実行することの愚かさも知っていた。
「ゲト。大親分から紹介されたんだ」
だから、彼は取り敢えずこの場を無事に逃れるため、正直に答えるしかなかった。
ゲト。オレゴニアファミリー他、幾つかの組織を纏める、いわゆる大親分という人物だ。マフィアとしては中々の人物であり、彼の傘下には、国外に勢力のある組織も存在する。
「ゲトが、アークランドグループと繋がってたのか?」
「詳しい事は私だって知らない。ある日突然、ゲト大親分から小林育人って奴を紹介されたんだ」
小林育人。今回の依頼をWに伝えに来た、あの青年だ。
「なるほどな。その紹介と、以後の連絡は秘密裏に行われたのか?」
「ああ、そうだ」
アークランドグループはゲトと繋がっており、ゲトを介してオレゴニアファミリーとアークランドグループも繋がった。しかも、そのガレウスファミリーに支部移転先の土地収用という重大な仕事を任せている。
それはつまり、紹介人であるゲトとアークランドグループはかなり深く結びついている可能性がある、という事に他ならない。アークランドグループはゲトを信頼し、ゲトはアークランドグループのために傘下の組織を働かせている。
そして、FIRE HAMMERは十年間姿を晦まし続け、突如その沈黙を破っての連続爆破事件。しかも標的はアークランドグループ。
足りないとすれば、FIRE HAMMERとゲトとを繋ぐ線だろう。それさえ掴めれば、この事件の真相もわかる。そして真相がわかれば、FIRE HAMMERの狙いもわかる。狙いがわかれば、今どこにいるか、次に何をするかも自然とわかる。
「オレゴニア」
Wは、隣で脂汗を拭いている友人に鋭く厳しい視線を突き刺した。
「FIRE HAMMERについて、何か知ってるか?」
この質問を叩き付けた瞬間、オレゴニアは数瞬、呼吸も忘れて硬直した。全身から血の気が引き、瞳は驚愕と恐怖に満ち満ちていた。
「あんたは、あの事件を調べてるのか」
やっとの事で絞り出した声は、震えていた。恐怖という感情がそのまま声になったようだった。
「Wさん、確かに私は嘘つきだし、卑怯で矮小で優柔不断な男だ。あなたを殺そうとした事があるのも認める。だが、どうか私の忠告を聞いてほしい。あの事件に関わっちゃいけない」
彼は、いつになく必死にWに忠告をした。それは不安の裏返しであった。
「何か知ってるんだな?」
しかし、Wは忠告に全く耳を貸さない。相変わらず、オレゴニアを問い詰めるだけだ。
「私は何も知らん。だが、あの事件には物凄く不吉な気配がするんだ」
「隠すつもりか?」
言い訳にも応えない。Wは椅子から立ち上がり、相手を上から威圧するように睨み付ける。
「俺に、隠し事をしようってのか?」
オレゴニアは、身の危険を感じた。
ひっ、と短い悲鳴をあげると、素早く立ち上がって出口へと向かおうとする。
だが、それよりも速く、Wは出口の方へ振り向いたオレゴニアの左腕を掴んで引き寄せるのと同時に、右膝の裏に軽く蹴りを入れる。
そうして相手の態勢が崩れた所で、掴んだ左腕を捻り上げつつ、彼の顔面を右手でカウンターに叩き付けた。
左腕を捻り上げて肩関節を拘束しているので、オレゴニア程度ならこれで完全に身動きがとれなくなる。そこへもって、Wは右手で懐からパラ・オーディナンスP18を取り出し、銃口を彼のこめかみへ押し当てた。
これで、完全に拘束と尋問が両立する態勢を固定した。
「大体の絵はもう俺にだって見えてんだ。忠告に見えて、実は警告だ。俺の事を想って言ってるようでいて、実は自分のために言ったんだろ? つくづく、お前は小賢しい奴だ」
こめかみに押し当てた銃の撃鉄を起こす。音がはっきり聞こえるよう、わざとゆっくりと。
オレゴニアは再び、ひっ、と短い悲鳴をあげ、その全身を死の恐怖で震わせ始めた。
と、そこで、ただならぬ雰囲気に気付いたのか、外で待たせていた二人の護衛が、店の中に乱入してきた。もちろん、二人とも銃を抜いている。
だが、その二人が銃口をWに向けるよりも速く、Wは左手をオレゴニアの首筋に添え、右手の銃口を二人へと向けた。構えに入りかけていた二人はその瞬間、体を震わせて動作を中断した。
「動くな。天地が転覆しようと、お前ら如きが俺は殺すことは不可能だ」
右手の銃口は二人に向けられ、左手はオレゴニアの首筋に添えているだけ。実質的に、この人質を縛るものは何も無かったが、オレゴニアは動く事が出来なかった。
左手で軽く首筋を触れられているだけでも、彼にとっては心臓を鷲掴みにされているような気分なのだ。生きた心地がしないほどの恐怖と絶望に囚われ、一切体が動かない。彼は、今や精神的にWに拘束されているのだ。
もちろん、Wはそんな彼の性質を熟知した上で、この大胆な作戦に出ているわけだが。
「お前らのボスは、たぶん殺さない。まあ、当人の対応次第だがな。だがお前らが仕掛けてきた場合、例えボスに過失がなくともお前らは即座に皆殺しだ」
二人がまだ構えてもいない状況で、オーディナンスP18の銃口は正確に二人に向けられている。二人は主人の身を案じながらも、大人しくしている他なかった。それでも、万一に備えて銃を懐に納めようとはしない。
Wもそこまでは期待していないのか、或いは己の力量にかなりの自負があるのか、二人に対して武装解除を命令するでもなく、ただ二人に注意を払いながらオレゴニアとの会話を再開するのみだ。
「聞いた通りだ。あんたが誠意を尽くさないなら、俺も誠意を尽くさない」
うう、と、カウンターにうつ伏せの状態になっているオレゴニアが呻いた。
「ほ、本当に、私は何も知らないんだ」
左手で、強くオレゴニアの首筋を握る。再び呻き声があがり、護衛の二人はますます色めき立つ。
「片や世界を股に掛ける大企業と、自分の大親分。片や自分を殺す度胸も理由も恨みもある人間によって、こめかみに突き付けられた一つの銃口。あんたはどっちを恐れるんだ?」
掴んだ首を軽く持ち上げ、再びカウンターに叩きつける。何か液体を噴き出すような音がしたのは、これによって鼻血が出たためであろう。
「出来れば俺だって撃ちたくはない。あんたを殺すと後が面倒なんだ。まあ、我慢出来ないほどじゃあ無いんだがね」
「わ、わかった、言う! 言うからもう止めてくれ!」
Wの度重なる脅迫に、オレゴニアはとうとう悲痛な懇願の台詞を吐いた。
そしてそれからは、早く解放されたい一心で一気に捲くし立てた。
「ゲト大親分から以前聞いたんだ。たぶん六年ぐらい前のことだったか、香港で面白い奴を見つけたって! 香港のある組織で中国製の拳銃の点検と修理をやっていた男で、かなりの腕前と知識を持っていたらしい。アジア人で国際警察が公表した年齢とも合っているから、多分FIRE HAMMERなんじゃないかって大親分がこぼしてて、俺は偶々それを酒の席で聞かせてもらっただけだ! 本当にそれだけなんだ!」
泣き叫ぶような声で白状したオレゴニアの目を、横目で一瞥する。それで、嘘は言っていないと確信を得たのか、Wは左手を離した。
「よし、いいだろう」
物理的拘束と精神的拘束を同時に解き、Wは護衛の二人に集中した。人質を解放した今、護衛二人は気兼ねなく反撃に移る事が出来るからだ。
「や、やめろ、撃つな。銃をしまえ」
だが、倒れるように尻餅をついたオレゴニアが、咳き込みながらそう命じると、二人は警戒心と敵愾心をむき出しにしながらも、自分たちのボスの命令に従った。
「協力に感謝する」
WもオーディナンスP18をしまい、乱れたコートの襟を正す。
「情報提供料は、後で事務所に請求しておいてくれ。迷惑料込みで二千ドルまでなら出す」
そうしてWはそれだけ告げると、護衛の二人の憎らしげな視線と、オレゴニアの畏怖の視線を背負って店から出た。
少々手荒だったが、手段は問題ではない。どんな手段で手に入れたものであっても、情報は情報だ。彼は特に感慨も興奮の余韻もないまま、仕事のため足早に事務所へと戻っていった。
「K、さっき届いたパースの資料を見せてくれ」
帰ってくるなり、Wは酒場クワスであったことをKに報告すると「後で読む」と言っておいた資料を見せるよう要請した。
「はい」
事務所の机の上に置きっぱなしにしておいた資料を手に取り、それをクリップで閉じてからKはWに手渡した。それを手に取ると、ソファに座って一心不乱に読み始める。
オーストラリア、パースで爆破されたのは、アークランドグループ傘下の観光会社事務所の一つだ。死傷者は五名。うち一名死亡、一名重傷、三名が軽傷を負う。爆弾が爆発したのは六時半ごろ。床下でプロパンガスタンクの欠片が見つかり、昨夜の内に何者かが仕掛けたものと思われる。ビル一階の一室を借りて運営していた事務所であるため、爆発は狭い事務所の殆どを吹き飛ばした。今回の爆弾の仕掛けは、振動を感知するセンサーをトイレの下水管に取り付け、一定以上の振動――つまりトイレの水を流した時の振動――を感知して爆発するというものである可能性が高い。
資料に書いてある事を大雑把に説明すると、そのような事であった。
「FIRE HAMMERにしちゃあ、ちょい地味だよなぁ」
一緒に資料を覗き込んでいたKが、ふと感想を漏らす。
「爆発の割に被害も少ないし、このビル空室も多いから、巻き込まれた一般人もいないらしいし、そもそもこの観光事務所の規模も大した事ねーからなぁ」
Wは資料を閉じた。しかし視線は動かさず、何事かを逡巡しているようであった。
「パース。大した規模じゃない」
考えながら、Kは独り言を呟く。頭の中にあるもやの中から、明確な答えを探しているのだ。彼は、今の段階で答えを探し当てるだけの情報はそろっていると踏んでいるのだ。
そして十分ほど経ったとき、Kの脳に、閃きのような何かが走った。
「マドリード?」
Kは顔を上げると、鋭い視線を周囲に走らせた。そして、部屋の隅に積んである今回の事件の資料の山から、数枚の資料を素早く抜き出して机に並べる。
それは、情報売買組織の『ビリー』から取り寄せた、アークランドグループそのものに関する資料の一つで、アークランドグループが直接関わっている全世界の施設をリストアップしたものであった。
そのリストの中で、既に被害に遭っているものは赤丸で囲んである。もちろん、パースで爆破された観光事務所もその中にあった。KがWの出かけている間に赤丸を書き込んでおいてくれたようだ。
Kが机に並べたものは、そのリストだけではない。小さな世界地図も引っ張り出していた。彼は、リストを見ながら素早く地図に点を書き込んでいく。
「まさに、FIRE HAMMERだな」
その作業が終了したとき、彼は思わずそう呟いていた。次に、ソファに背中を沈め、大きくため息をついた。
「そりゃ本当か!」
Wは興奮しながら身を乗り出した。Kから、「FIRE HAMMERの次の標的がわかった」と聞かされたからだ。
「で、どこだ」
目を輝かせながらWが訊ねる。KはWの眼前に右手を差し出して、心を落ち着けるよう促すと、順序立てて説明を始めた。
「まず不思議だったのは、標的の統一感のなさだ。FIRE HAMMERは主に首都にある施設を狙っていたが、幾つか例外があった。南京、台北、成都、ハイデラバード、バンクーバー、そして今回のパースだ。この中でも、特にバンクーバーに違和感を覚えた」
タバコをくわえて火をつけ、深く吸い込む。Kのその動作が、Wには焦らされているように感じて、なんとも心持ちが悪かった。それでも、我慢して続きを静かに聞く。
「バンクーバー、確かに有名な都市だ。しかし、人口で言えばトロントの方が多いし、この資料でわかる通り、アークランドグループの施設もトロントやモントリオール、オタワの方が大規模だ」
Kが指し示したのは、全世界のアークランドグループ関連施設がリストアップされている、先ほどWが使っていた資料だった。
「つまり、沢山の人間に見せ付けたいのならトロントを狙い、アークランドグループに深刻な打撃を与えたいのならモントリオールや首都オタワを狙うべきだ。しかし攻撃したのはバンクーバー。大都市だが、世界中のアークランドグループを攻撃するという主旨には合っていない」
南京、台北、成都、ハイデラバードは文句のつけようのない大都市で、破壊された施設も大規模なものであったため、示威効果や打撃効果も十分である、と一応納得はした。が、彼はこのバンクーバーに関してはずっと疑問に思っていたようだ。
何故、バンクーバーなのか? 何故、そこでなければならなかったのか?
「その疑問が、オーストラリアのパースで解けた。バンクーバーの件は、不思議に思いはしたが、オリンピックへの示威行為かとも考えていた。オリンピックで注目の集まる都市を攻撃する事による示威のために、例外的に攻撃したんじゃないか、とな。だが、それは誤りだった。パースにはそういった例外的な示威効果が期待出来ないからだ」
とは言え、今やアークランドグループへの連続テロ事件は全世界で騒動を巻き起こしている。FIRE HAMMERによる事件だと知らなくとも、世間は国際的な大企業が直接的に攻撃されている、という事で右に左に大騒ぎだ。
そんな状況であれば、どの場所のアークランドグループ関連施設を攻撃しても、一定以上の示威効果は得られるだろう。世界中のマスコミが、上手くやってくれるのだ。
「無論、無差別攻撃へと方針を転換した可能性もあるだろう。だが、アデレードには十階建てのアークランドグループ関連商社がいくつもあるのに対して、パースには今回の観光事務所程度の規模の施設が幾つかあるだけ。何故、アデレードではなく、パースなのか? それを考えている内に、一つの結論に辿り着いた」
Kは息を呑んで話に聞き入る。Wはまだ半分ぐらいしか吸っていないタバコを灰皿に押し付けた。
「FIRE HAMMERは、アークランドグループに敵対する以上に、地理的なものに拘っている」
「地理的なもの?」
すかさずWが疑問を呈する。Kは疑問に答えるため、世界地図を取り出した。先ほど、点を打ち込んだ世界地図だ。
「爆破テロに遭った施設のある都市には、点が打ってある。FIRE HAMMERはアメリカ系日本人なので、これは日本州が中心にある世界地図だ。これに、今から俺が言う都市同士を結ぶように線を書き込んでくれ」
目の前でぽかんとしているWに、Kはペンを手渡す。Wはよくわからないまま、ペンのキャップを取って線を地図に書き込む態勢に入った。
Kはそれを確認すると、地図を覗き込み、線を結ぶ都市の指定を言い述べ始める。
「マドリードとローマ、マドリードとラバト、ラバトとトリポリ、ラバトとキンシャサ、ロンドンとカイロ、ワルシャワとモスクワ、ワルシャワとバクダッド、バクダッドとカブール、バクダッドとドーハ、モスクワとバグダッド」
矢継ぎ早に指定される都市同士を線で結んでいく。Kは少し、自分で書き込んでいる線に違和感を覚え始めた。
「アルマトゥイとウランバートル、アルマトゥイとニューデリー、ニューデリーと成都、ニューデリーとハイデラバード、ハイデラバードとハノイ、北京とソウル、ソウルと南京、北京と南京、南京と台北、シンガポールとポートモレスビー、シドニーとマニラ、マニラとパース」
Kは、ここで都市の名を挙げるのをやめた。だが、既にWは理解していた。彼の言葉がなくとも、引くべき線を次々と書き入れていく。
バンクーバーとメキシコシティー、メキシコシティーとワシントン、ハバナとリマ、リマとブラジリア。それで、引くべき線は全てであった。
Kは愕然とした。線を書き終えると、震えた手でペンを置き、ソファに背中を預ける。まさに、先ほどWがしたように。
「なんてヤツだ」
ため息をつき、呆然と世界地図を眺めるK。地図には、多少歪んだ形であるものの、しっかりと読み取れる鮮明さで――
『FIRE PALL』
――そう書いてあった。
「FIRE HAMMERはこれを書くために、パースやバンクーバーを攻撃したのだ。もし標的がアデレードやトロントであったなら、歪みが大きくなりすぎて読み取れなかっただろう」
「とんでもねぇ、まさに異常だ。こんな事するなんて」
未だにWは信じられないようだ。爆弾で地球に文字を描く。そんな事を思いつき、また、実行してしまうことが、彼女の常識ではとても理解できなかったのだ。
「だが、W。これで終わりではない。これを見ろ、ここの部分が今は『P』になっているな」
Wが、世界地図中央、中国東部の辺りを指差す。
「この『P』が『B』になれば、それは完璧なメッセージになる。地球に自身の名を刻み、征服を完了するという意味と、もう一つ、『地球をFIRE HAMMERにする』という宣誓だ」
FIRE HAMMERは爆弾に拘りぬく律儀な男であり、どんな爆弾にも、必ず粋を凝らした仕掛けを施す凝り性の男である。アークランドグループを攻撃しながら、FIRE HAMMERはこの上ない表現方法で、自身を主張していたのだ。
これで、完全な確信が持てた。今回の一連のテロ事件はFIRE HAMMERの仕業だ、と。
これほどまでに、壮大で、快楽的で、異常で、天才的で、バカバカしい犯罪ができるのはあいつだけしかいない、と、Wはまだ会った事もない人物のことを確信した。そして、まだ終わりではない事も知っていた。メッセージは完成一歩手前なのだから。
「この『FIRE PALL』を『FIRE HAMMER』にするためには、あと一箇所で爆破事件を起こす必要がある。その場所は、位置関係的に見て奴の祖国、日本州しかあり得ない。奴は次に、日本州のどこかで爆破事件を起こすって事だ」
そう、メッセージは日本で完結するのだ。世界を囲むアークランドグループの輪は、当然日本にも及んでいる。その、日本にあるアークランドグループ関連施設のどれかを、爆破するということなのだ。
「バカげてる」
Wがそう呟いたのは無理もないし、実際とてもバカげている。だが、これが真実であるのだ。
「しっかりしろ、W」
呆然と地図を見下ろすWの肩を、Kはやや強めに叩いた。それが少し気つけになったのか、驚愕と狼狽の表情のままであるが、取り敢えずは相棒の顔を見返すことが出来た。
「まず、この事実を小林の奴に伝えねばならん。警察には、アークランドグループから伝えるだろう。今日中に日本で捜索が始まれば、もしかしたらFIRE HAMMERを捕らえられるかもしれんからな」
「あ、ああ」
「そのために、まずは電話する。地図と施設リストを一緒に送りつけてな」
「わかった」
Kは目の前に広がっている地図とリストをまとめると、隣室へと向かう。地図とリストをパソコンに取り込むためだ。
そしてWは何をするふうでもなく、腕を組んで目の前の何もない空間を睨み付ける。
「なあ」
隣室のドアを開き、今まさに入っていこうとしたKが、思いついたようにWの後姿に問いかけた。
「次の襲撃地がわかったとして、本当にFIRE HAMMERを止められるのか?」
Wの問いに、Kが答える事はなかった。腕を組み、空間を睨み付け、振り向きもしない。ただ、少しだけ眉をひそめただけであったが、その表情の変化がWに伝わる事はなく、諦めたKは、そのまま隣室へと入っていった。
FIRE HAMMERの狙いはわかった。何故アークランドグループなのかという事までは分からなかったが、次に襲撃される国さえわかれば、一国と一大企業が総力を挙げて捜索にあたるだろう。そうなれば、大抵の事件であれば阻止出来るはずだ。
だが、相手は尋常の犯罪者ではない。このようなメッセージを残そうとする以上、当然、気付かれることも計算されているはず。ならば、今更気付いたところで間に合うのだろうか。
ここまで大きくなってしまった火災を、今更消し止める事は、果たして人間に可能なのだろうか。
Wはそれを疑い、その答えを確信していた。そして、この仕事はまだまだ終わらない事を覚悟していた。
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