言祝ぎの巫

東雲 靑

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「また失踪者が現れたらしいね」
 森園の声にけいは酒を注ごうとしていた手を止めた。近頃、首府内で失踪していた者が突然姿を現すということが度々発生している。そのことだろう。
 忽然と姿を消した者がある日突然、首府の街角に現れ「言祝ことほぎを探せ」などと言うと、その場に崩れ落ち、そのまま息絶えるらしい。彼らの体の一部には謎の紋が刻まれているとも聞くが、それがどのような紋で、どこに刻まれているのかまでは不明である。
「また、ですか……なんなのでしょうね」
「やっぱり『言祝ぎを探せ』とか『言祝ぎはどこだ』とか言ってその場で事切れたんだって」
 ため息を吐いてから森園は目をキョロっと動かした。小柄でだいぶふくよかなこの男は、愛嬌のある顔を曇らせていた。
「ねえ、眞崎くんは『言祝ぎ』ってなんだと思う?」
 森園に話しかけられ、少し考える素振りを見せた彼はいつも通りの穏やかな口調で話し始めた。自分と同じ年齢のはずなのに、以前からいくつか年上のように感じることがある佳は彼との付き合いも六年目になるのかとこっそり数えた。
「そうですね……伎倆ぎりょうのひとつのようですが、そんな伎倆を持っている人はいないそうですよね……。伎倆のことではなく、なにか他のことを意味していたりするのでは?」
「ああ、そうか……確かにそういう可能性もあるね」
 二人の男の会話を聞きながら、佳は手早く注文された酒を仕上げ、カウンターから離れる。テーブルにいた常連客の二人も同じ話題を口にしていた。
「お待たせしました」
 話の邪魔にならないようそっとグラスを差し出したが、二人は会話をやめ、じっと佳に視線を寄越した。
「……?」
「花咲さんは、なにか言祝ぎについて噂とか耳にすることはありますか?」
 声をかけてきた一人は、佳より明らかに年上だったがいつも丁寧な口調で話す男だった。彼のような兄がいたらといつも思うが、そのたびにあの家では彼であってもと内心で首を振る。
「いえ、特には……報道されていること以外には何も……」
「そうですか……あ、いや、ちょっと言祝ぎという伎倆が本当にあるのか気になってしまってね。私もちょっとした伎倆を持っているものですから」
 男の発言に佳は少し驚いた。伎倆持ちはそのことを基本的に隠す。このように打ち明けられたことは初めてだった。
「そうなんですね……何か耳にするようなことがありましたらお知らせしますね」
「ありがとう。でも、覚えていたらで結構ですよ」
 男に笑みを返し、佳がカウンターへ戻ると森園が今度は昔各地の神祠で連続して発生した不審火を話題にしていた。男にしては少し甲高い声がよく通る。店内に筒抜けだ。
「森園さん、ちょっと落ち着いて。いろんな方がいますから……」
「あ、そうだよね。ごめんごめん」
 謝罪の言葉は軽く、悪びれる様子もないが、森園はいつだってこんな調子だ。本気で悪気がないのだろう。佳は自分が注意せずに済んで、小さな罪悪感と一緒に安堵の息を漏らした。
「佳、おかわり」
 つい、と押し出されたグラスを受け取った。森園を窘めてくれたお礼にと少し多めに酒を注いだ。
「そういえば、最近あれも話題だよね。死んだらどうなるかって」
 森園は好奇心旺盛なのだろう、振る舞ってくれる話題の多くが世間を賑わせている噂話や流行だ。苦笑交じりに佳は頷いた。
「そうですね、一時期の占いとか陰謀論ブームからそういう話に発展したようですね」
「都市伝説なんかもずいぶん話題になってましたね」
「そうそう、つぇん国の卜者ぼくしゃとか姿を変えられる医術ってのも気になるよね」
 佳たちが反応したことに気を良くしたのか、森園が大きく何度も頷きながら新たな噂を加えていく。ぽったりした頬がそのたびに揺れた。
「で、死んだらどうなると思う? 次こそは自分の思い描く通りの人生を歩んでみたいとか思わない?」
「また新たに人生をって、ちょっと面倒ですね……」
 思わず、本当に思わずだった。つい思ったままを言葉にしてしまい、佳はハッとして口を噤んだ。
「佳ちゃんが後ろ向きで、俺驚いた!」
「森園さん、佳はこうですよ。後ろ向きでネガティブで、前向きじゃなくてポジティブじゃない」
 キョロっとした目を更に見開いて驚く森園に、チチチと嫌味に指を立てて振る姿を見て佳は口を尖らせる。自分でも同じようなことを口にしようとしていたが、その言葉を奪われたため放つ言葉を文句に変えた。
「ちょっと、しゅう。そんなに重ねなくたっていいじゃない。全部同じ意味よ……」
「ネガティブの四乗だね。ま、仕方ないね。性分じゃない」
 半笑いで言われムッとしたが、性分なのかと佳は少し考えた。ネガティブなのが性分だとしたら、それを多少言葉にしても仕方がないことではないかと。
「そういえば眞崎くんと佳ちゃんって付き合い長いんだっけ?」
「大学から、ですね」
 森園の質問に二人の声が重なった。
「なんだ、仲良しかよ~。ってことは二人って同じ年? この店二年目だよね……今、二四才くらい?」
「あ、いえ……」
「だめですよ、女性の年齢探っちゃ」
 佳が答えは綉にかき消された。
「へえ。眞崎くんって、その頃からこんな感じなの?」
 こんな感じが分からず、佳は小さく首を傾げた。森園がキョロっと綉を見遣る。
「ほら、爽やか好青年? いつもにこやかで、ジェントルマ~ンな感じ」
「……たしかにいつもにこやかで穏やか、ですね。ジェントルマ~ン、なのかな?」
 佳のはっきりしない答えに綉が眉を寄せる。
「佳、そこはさ。いつも優しくて格好良くてステキなのとか言えよ」
「ええ……いや、まあ、それを否定するつもりはないんだけど、私が言葉にするのはちょっと抵抗があるっていうか……」
 森園が声を上げて笑う。
「ふたりともある意味似た者同士だよね」
 佳は自分が綉と似ているとは全く思わない。綉に言われた通り自分は基本的にネガティブだと思うし、にこやかなタイプではないはず。綉は森園が言った通り、確かにいつもにこやかで、穏やかで。声を荒げる姿など見たことがない。あくのない整った顔立ちで、人当たりもよい。誰からも慕われるイメージは出会った頃からある。常連客の中には来店するなり「あれ、今日眞崎くんは?」などと尋ねる者も多い。爽やか好青年なのだろう。
「眞崎くんは、いつもにこやかで穏やか。佳ちゃんは眞崎くんほどわかり易くないけど、基本的ににこやかで穏やかだと思うよ。どっちかと言えばクールビューティー系だけど。ふたりとも感情の振り幅が傍目にわかりにくいよね」
 なるほど、そういう見方もあるのかと佳は目からウロコだった。何に満足したのか森園が嬉しそうにまた大きく頷いていると、入り口の引き戸につけられたベルがカランと音を立てた。
「いらっしゃいませ。松井さん、こんばんは」
「……こんばんは」
 俯き加減で入ってきた女は佳が促した席へ着いた。カウンターに二つずつ席を開けて松井、森園、綉と並ぶ。
「松井さん、久しぶりですね! お変わりありませんでしたか?」
 にこにこしながら森園が松井へ声をかけた。松井は小さく肩を震わせたが「あ、はい……」と返していた。佳は様子を伺いつつも、森園を止めることはしなかった。
 松井は半年ほど前にふらっと一人で来店し、それ以降月に二、三度のペースでリピートしてくれている。二十代半ばから後半だろうか、酒類を提供するのに差し支えないことは明らかなので佳がそれを確認したことはない。最初の頃は注文以外で口を開くことはなく緊張している様子で、かなりの人見知りに思われたがいつも一人で来店する。少しずつ慣れてきたのか、最近は森園などの顔を見知った者とは話しかけられれば答えるほどになっていた。
「今日はどうしましょう?」
「……」
 おしぼりを手渡しながら注文を尋ねた佳に、松井は考え込む様子を見せる。彼女が注文を決めるのに時間がかかるのはいつものことだった。
「あのっ」
 意を決したような表情に、佳は笑顔で頷く。
「あの……花咲さんが一番好きなお酒をいただいてみたいです」
「……私が一番好きなお酒、ですか」
 松井の注文に少し戸惑ったが、そのような注文をする人も少なくはない。
「なんでも好きですが……どんな感じがいいでしょう……そのままでだったり、冷やしたり、割ったり……」
「えっと……」
 佳が普段好んで飲む酒だと松井には強すぎるだろうと思い、飲み方を聞いてみたが余計に迷わせてしまったらしい。
「あの……普段、花咲さんが好んで飲むものを、その通りに頂いてみたいです」
「……かしこまりました。ちょっと強いかもしれないので……もし飲みにくいときは遠慮なく言ってくださいね。あとから飲み方を変えることもできますから」
 松井が頷いたのを確認して、佳が底の丸いグラスと、小さなグラスを用意した。丸いグラスに酒を注ぎ、小さなグラスには水を入れてスポイトを挿した。
「お前の変態さを伝授する気かよ」
 様子を眺めていた綉に笑われる。横目に睨みながら両方のグラスを松井のもとへ運んだ。
「アルコール度数がいつも召し上がっているお酒よりだいぶ高いので、慣れないうちは舐めるようにゆっくり召し上がってください。時間が経つと香りや味わいが変化してきます。あと、少しずつお水を足していくと、ふわっと広がるタイミングがあるのでそこを探してみるのも楽しいですよ」
 佳の説明に頷きつつ、恐る恐るグラスに手を伸ばす松井を見ながら森園が言った。
「佳ちゃん、僕にも同じのもらえるかな。そんな飲み方したことない、やってみたい」
「ああ、変態が増えていく……」
 楽しいものを見つけたという感じで嬉しそうに注文する森園に綉が呆れたような声を上げた。
「そんなこと言って……綉だって同じようなことよくしてるじゃない」
「まあ、そうだけど」
 森園の分を用意しながら文句を言っていると、松井がなにか言いたそうにしていることに気がつく。やはり飲み方を変えるのだろうかと思い目を向けると慌てて俯いてしまった。森園の注文を運び、そっと声をかける。
「ソーダ割りも美味しいですよ。試されてみますか?」
「いえっ、あの……このままで、大丈夫です。けど、あの……」
 酒のことではないらしい。松井の言葉を待った。
「あの……花咲さんは『言祝ぎ』って知ってますか?」
 今日はどうしてもこの話題になるようだ。
「報道されている内容程度には……でも、言祝ぎがそもそもどういうものなのかは……」
「なあに、松井さんも言祝ぎ気になってるの?」
 森園が割り込んできた。
「はい、あのっ、言祝ぎって言葉の祝福っていうか……言葉で未来を創ることができる人なのかなって思って。それってすごいことだと、ですね……」
「だよねー! 僕もそう思う。最近の現れた失踪者の言葉もすっごく気になってさ」
 珍しく松井が会話に乗り気な様子を見せるが、佳はこの話題にあまり触れたくないと、なんとなく思った。それにしても『現れた失踪者』とは……確かにその通りなのだが、なんだか落ち着かない言い表し方だなとこっそりケチをつける。
「それで、ですね。以前、花咲さんとお話していたときに感じたんですけど。花咲さんってとてもポジティブな言葉を使うなと……私少し落ち込んでいたことがあったんですけど、花咲さんが大丈夫って言ってくれてから、本当に大丈夫になって。花咲さんみたいな人が言祝ぎなんじゃないかって」
 松井がそういった瞬間、なにか空気がチリっと震えたような気がした。
「そっかあ、佳ちゃんが言祝ぎかあ。あれ、でもさっき佳ちゃんはネガティブで後ろ向きってな話をしてたばっかりだな」
「そうですよ、佳は後ろ向きでネガティブで、前向きじゃなくてポジティブじゃないんです。それに客商売ですからね、基本的にネガテイブな発言は控えるでしょう」
 佳が口を挟む間もなく綉が言い切る。普段の綉にはあまり見られない話し方だった。
「……でもっ。花咲さんはいつも優しくて。こんないくつも年上の私に思われても嬉しくないと思うけど……その、初めてお会いしたときから素敵だなってずっと憧れてて……まだこんなに若いのにお店出して、切り盛りして……美人さんなのに気取ってなくて、でも凛としていて、やっぱり憧れちゃうんです」
 松井がこんなに話すことにも、その内容にも三人ともたじろいだ。最初にそこからを抜け出したのは綉だった。
「佳。美人さんで、凛として、優しくて、憧れちゃうって」
 森園が頷いたが、佳はまだうまく反応できずにいた。
「ま、たしかに無駄に美人だな。でも、仕事はさすがだよね。真面目に一生懸命、手を抜かずに継続するって、難しいよね。最終的に一番強い武器とか才能って努力を続けられるってことなんだろうな」
「ち、ちょっと、綉……酔ってるの?」
「あら。照れちゃって。かわいいね、佳」
 頬が熱くなるのを感じて、思わず手で顔を隠した。
「照れ顔の佳ちゃんなんて、珍しいもの見た」
「森園さんまで……やめてください、ほんとに」
「相変わらずだねえ、褒められ弱いの」
 耐えきれずカウンターの中でしゃがみ込んだ佳の頭の上に綉の声が降り注いだ。
「ね、佳。俺と結婚しない?」
 一瞬でまとわりついていた熱が引く。
「なんであなたがそんな事言うの」
 佳自身が驚くほどの冷たい声だった。
「俺はけっこう本気で考えてるんだけどね、この三年位」
 立ち上がった佳と綉の視線がぶつかる。またふざけて茶化して、バカにして、にやにやと面白そうに笑っているのだろうと思ったその男の表情は、そこそこ長い付き合いの中でも見たことがないものだった。
 静かな落ち着いた瞳に囚われて、胸の奥のほうがざわざわした。
「……そういう冗談は苦手よ」
「そのへんも相変わらずだねえ」
 二人のやり取りに森園も松井もぽかんとしている。思いの外綉の声が通ったようで、テーブルにいる常連客二人もこちらの様子を窺っていた。
「実は佳ちゃんと眞崎くんって……?」
「なにもないですよ」
 森園の興味津々な声を佳が遮った。綉は「やっぱりだめか」と諦めをこぼす。森園と松井は興味の色を乗せた視線を送ってきたが、佳はそれには気が付かないふりでやり過ごすことにした。
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