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第三章:汚された純白に、恋は咲く――旧友と公爵家の囁き
第60話:呪われたガラスの靴
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まだセリナとルームメイトだった頃――
彼女はときどき、“お気に入りの本”の話をしてくれた。
『シンデレラ』。
異世界の童話。灰かぶりの平民の少女が、王子に見初められ、結ばれるという夢のような物語。
……私は、正直、信じていなかった。
そんな話、嘘くさい。
貴族が平民を本気で娶るなんて――ただの妄想、都合のいい願望にしか思えなかった。
でも――
「マリ、僕はあなたのことが好きだ」
「……私もです、シエノ」
現実が、夢に変わったのは、それからだった。
ボランティア活動のなかで出会った彼、シエノは――
優しくて、聡明で、誠実な人だった。
活動を重ねるうちに、私たちは互いに惹かれ合い、やがて恋人同士になった。
……そのときの私は、まだ知らなかった。
彼が“あの”クセリオス公爵の跡取り息子であることを。
卒業後、私は奉公先に選ばれた。
それが――ヴェスカリア家だった。
同級生たちは羨ましがり、先生たちも祝福してくれた。
でも、屋敷の門をくぐったその日。
迎えてくれた“主人”は、あの恋人、シエノ様だった。
「マリ、よく来てくれた。……本当はすぐにでも結婚したい。でも、父が猛反対しているんだ。説得には、もう少し時間がかかる。ごめん」
「……シエノ様を責めるつもりはありません」
「二人きりのときは、“シエノ”でいいよ。僕は君を、将来の妻として見ている」
「……はい、シエノ」
そう言って抱きしめ合った夜、私は――
本当に“童話の中”にいる気がしていた。
でも、現実は違った。
________________________________________
「あれ?」
髪留めが見つからない。どこに落としたんだろう。
お気に入りだったから、ちょっと悔しい。だけど。
「……ない!」
今度は、靴が消えていた。
そんなはずない。昨日の夜、きちんと確認した。
いっぱい探して――最後に、ゴミ箱の中で見つかった。
異変は、それだけでは終わらなかった。
メイド服が汚物まみれで廊下に放置されていた。
掃除していた部屋が、目を離した隙に泥だらけになっていた。
私物には落書きがされ、下着までなくなった。
――いったい、何が起きているの……?
________________________________________
ある日、私はメイドのシアと、先輩たちに呼び出された。
「あんたがシエノ様のお気に入り? 思ったより普通じゃん。どうやってシエノ様をたぶらかしたの?」
「きっと、下賤なその体で誘惑したんでしょう? 売女が」
「まさか、本気で公爵夫人になれると思ってる? シエノ様が、あんたみたいな農婦を本気にするわけないでしょ」
「違う! シエノはそんな人じゃ――!」
「“様”をつけなさい。使用人が公爵家の跡取りを呼び捨てだなんて……お仕置きが必要ね」
――その日から、私は“躾”という名の暴力を受けた。
目立たないように、肌の見えないところを狙われた。
声を上げれば「虚言」として笑われた。
誰も、助けてくれなかった。
なぜ――同じ平民出身の彼女たちが、ここまで私を痛めつけるの……?
________________________________________
助けを求めようと、私は彼の部屋の前まで行った。
「マリはどうなってる!!」
中から、怒鳴り声が聞こえた。
いつも穏やかな彼が、声を荒げている――そんなの、初めてだった。
ノックしようとした手が、止まる。
「申し訳ございません。彼女がどうかなさいましたか?」
――執事、セバスの声だった。
「彼女はいじめられただろ! 今日も……また、生傷が増えていた! 僕が気づかないとでも……!」
「それは家事の不注意では? 使用人が家事で怪我をするなど、珍しいことではありません。それに、いじめの“証拠”でもあるのですか?」
「……っ」
「坊ちゃま。そんな一人の使用人に肩入れすることを、大旦那様がお知りになれば――」
「……脅すつもりか、セバス」
「いいえ、忠告でございます。ただ……彼女の身に何か起きれば、“その責任”も伴います」
ドアの向こうで、シエノ様は黙り込んだ。
……きっと、悔しかったんだ。
でも、それでも――私はもう、助けを求めることはできなかった。
________________________________________
なるほど、あの時のセリナも、きっとこんな気持ちだったのだろう。
周囲から嫌われ、一番信頼している人からも、助けは得られなかった。
そんなに、苦しかったんだね。
……ごめんよ、セリナ。
あなたは、こんな苦しみを一人で耐えていたんだね。
……本当に、ごめんよ。
だから、神は私に――
あなたを見捨てた私に、同じ罰を下した。
ざまみろ、って。
妹分を見捨てて、自分だけ幸せになろうとした女の、末路だって。
ならば、受けるべきだよ。
この痛みを。
これが私の――罪なんだから。
彼女はときどき、“お気に入りの本”の話をしてくれた。
『シンデレラ』。
異世界の童話。灰かぶりの平民の少女が、王子に見初められ、結ばれるという夢のような物語。
……私は、正直、信じていなかった。
そんな話、嘘くさい。
貴族が平民を本気で娶るなんて――ただの妄想、都合のいい願望にしか思えなかった。
でも――
「マリ、僕はあなたのことが好きだ」
「……私もです、シエノ」
現実が、夢に変わったのは、それからだった。
ボランティア活動のなかで出会った彼、シエノは――
優しくて、聡明で、誠実な人だった。
活動を重ねるうちに、私たちは互いに惹かれ合い、やがて恋人同士になった。
……そのときの私は、まだ知らなかった。
彼が“あの”クセリオス公爵の跡取り息子であることを。
卒業後、私は奉公先に選ばれた。
それが――ヴェスカリア家だった。
同級生たちは羨ましがり、先生たちも祝福してくれた。
でも、屋敷の門をくぐったその日。
迎えてくれた“主人”は、あの恋人、シエノ様だった。
「マリ、よく来てくれた。……本当はすぐにでも結婚したい。でも、父が猛反対しているんだ。説得には、もう少し時間がかかる。ごめん」
「……シエノ様を責めるつもりはありません」
「二人きりのときは、“シエノ”でいいよ。僕は君を、将来の妻として見ている」
「……はい、シエノ」
そう言って抱きしめ合った夜、私は――
本当に“童話の中”にいる気がしていた。
でも、現実は違った。
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「あれ?」
髪留めが見つからない。どこに落としたんだろう。
お気に入りだったから、ちょっと悔しい。だけど。
「……ない!」
今度は、靴が消えていた。
そんなはずない。昨日の夜、きちんと確認した。
いっぱい探して――最後に、ゴミ箱の中で見つかった。
異変は、それだけでは終わらなかった。
メイド服が汚物まみれで廊下に放置されていた。
掃除していた部屋が、目を離した隙に泥だらけになっていた。
私物には落書きがされ、下着までなくなった。
――いったい、何が起きているの……?
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ある日、私はメイドのシアと、先輩たちに呼び出された。
「あんたがシエノ様のお気に入り? 思ったより普通じゃん。どうやってシエノ様をたぶらかしたの?」
「きっと、下賤なその体で誘惑したんでしょう? 売女が」
「まさか、本気で公爵夫人になれると思ってる? シエノ様が、あんたみたいな農婦を本気にするわけないでしょ」
「違う! シエノはそんな人じゃ――!」
「“様”をつけなさい。使用人が公爵家の跡取りを呼び捨てだなんて……お仕置きが必要ね」
――その日から、私は“躾”という名の暴力を受けた。
目立たないように、肌の見えないところを狙われた。
声を上げれば「虚言」として笑われた。
誰も、助けてくれなかった。
なぜ――同じ平民出身の彼女たちが、ここまで私を痛めつけるの……?
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助けを求めようと、私は彼の部屋の前まで行った。
「マリはどうなってる!!」
中から、怒鳴り声が聞こえた。
いつも穏やかな彼が、声を荒げている――そんなの、初めてだった。
ノックしようとした手が、止まる。
「申し訳ございません。彼女がどうかなさいましたか?」
――執事、セバスの声だった。
「彼女はいじめられただろ! 今日も……また、生傷が増えていた! 僕が気づかないとでも……!」
「それは家事の不注意では? 使用人が家事で怪我をするなど、珍しいことではありません。それに、いじめの“証拠”でもあるのですか?」
「……っ」
「坊ちゃま。そんな一人の使用人に肩入れすることを、大旦那様がお知りになれば――」
「……脅すつもりか、セバス」
「いいえ、忠告でございます。ただ……彼女の身に何か起きれば、“その責任”も伴います」
ドアの向こうで、シエノ様は黙り込んだ。
……きっと、悔しかったんだ。
でも、それでも――私はもう、助けを求めることはできなかった。
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なるほど、あの時のセリナも、きっとこんな気持ちだったのだろう。
周囲から嫌われ、一番信頼している人からも、助けは得られなかった。
そんなに、苦しかったんだね。
……ごめんよ、セリナ。
あなたは、こんな苦しみを一人で耐えていたんだね。
……本当に、ごめんよ。
だから、神は私に――
あなたを見捨てた私に、同じ罰を下した。
ざまみろ、って。
妹分を見捨てて、自分だけ幸せになろうとした女の、末路だって。
ならば、受けるべきだよ。
この痛みを。
これが私の――罪なんだから。
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