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第一章:領主一年目
エクムントからの相談(一)
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「これはこれは、ノルト男爵ではありませんか」
「ああ、エクムント殿。お久しぶりです」
廊下を行き交う役人や使用人たちを眺めていると、後ろから声をかけられた。財務系の役人であるエクムント殿だ。前に会ったのは、殿下に会って王城を出る前だったか。
「久しぶりに来ましたが、中の雰囲気がずいぶんと良くなりましたね」
「ええ、風通しが良くなりましたね。これも大掃除をしてくれた誰かさんのおかげですね」
「ずいぶんと掃除が好きな人がいたようですね」
「掃除好きの人は、意外と気付かないうちに掃除をしているらしいですよ」
「几帳面な人は違いますね。面倒くさがりな私とは大違いですよ」
「またまたそんなことを言って。ノルト男爵も掃除好きでしょう。特に見えないところをこっそりと掃除するのが」
「……」
この人は何を考えているのかよく分からないが、とりあえず俺を陰の立役者っぽくしたがっている。口の上手さでは敵わないからこれ以上はやめるか。
「ところでノルト男爵はここで何を?」
「領都の名前と紋章が決まりましたので、その届け出ですね」
「もう向こうへ行かれたのですね。いかがでしたか?」
「ええ、もう移住も終わって、畑も作りました。これから町作りですね。まだ人と家と畑しかないので、色々と用意しなければなりませんが」
「なるほど、もうそこまで進んでいるのですね」
「あの山の向こうに興味がおありですか?」
そう聞くとエクムント殿は、それまでの何を考えているのかよく分からない笑顔をやめた。
「興味と言うよりも……実は少し相談に乗っていただきたいのですよ」
「私でよければ」
彼は以前、俺が半軟禁状態だったところに色々と情報を届けてくれた。非常に助かったのは間違いない。借りた恩は返しておかないと気持ちが悪いから、これもいい機会だろう。俺とエクムント殿は近くにあった小部屋に入った。ここは外では話せないようなことを相談するための部屋らしい。
「実は私は昔からある種の直感が働きましてね、そのおかげでこれまで役人として乗りきれた感じです」
「あの頃の王城はなかなか立ち回りも難しかったでしょうね」
「ええ、この直感のおかげです」
エクムント殿によると、かつて俺がレオナルト殿下の誕生パーティーでこの王城に来ていたときに、たまたま俺を見かけたそうだ。そして俺なら間違いないと思ったらしい。だが俺はあくまで軍学校の学生で、卒業後は実家に帰った。その間は俺に敵対する陣営には近づかないようにしていた。
それから俺が殿下の親衛隊に入るために登城したときに再び俺を見て、そのときも俺なら大丈夫だと確信したそうだ。そのうちに大公もあの伯爵もいなくなり、今では王城の中はほぼ落ち着いたそうだ。
それで一体何の話かと思えば、仕事を失った使用人たちの面倒をうちで見てくれないかということだった。
「今回処分された貴族の屋敷で働いていた者たちです。そこが初めての職場だったという者もかなりいます。その場合はそれなりの年数働いていても紹介状がまったくないわけです」
「書いてもらう前に主人が連れて行かれればどうしようもありませんね。そのあたりの配慮は考えなかったのでしょうか?」
「とりあえず逃げ出したりしないように急いで処理したようです。それで、以前の紹介状が残っている者も、前の勤め先のことを伝えると断られることもあるそうです。彼らはあくまで金を得る手段として働いていただけで、不正の片棒を担いでいたわけではありません。ですがどうしてもそういう目で見られてしまいますので……」
今回一番の問題となっているのは、初めての職場が今回取り潰された貴族の屋敷だったため、まだ紹介状がない者がそれなりにいるということだ。そして紹介状がある者も、職歴に不自然な空白ができることになる。一番新しい職場の分がないからだ。求職中に前の職場のことを聞かれれば正直に答える必要がある。それが取り潰された貴族の屋敷だと分かれば断られてしまうと。
雇い主はこれまでの紹介状を確認し、使用人が職場を辞める際には自分のところでの働きぶりなどを書いた新たな紹介状を渡す。そのようにして紹介状が増えることによって信用が増すわけだ。紹介状がなければきちんとしたところに勤めることは難しい。このやりとりは雇う側と雇われる側で暗黙の了解となっている。これまで問題にならなかったのは、勤めている途中でいきなり取り潰しになるということが普通はまずあり得ないからだろう。
仮に辞める直前に主人が急死したとしても、跡取りが継ぐまで待って書いてもらえばいい。いつからいつまでどのような立場でどのような仕事をし、働きぶりはどうだったのかなどを書いてもらうだけだ。働きぶりは跡取りが家族や他の使用人に聞くだろう。
ところが今回は多くの貴族が家族ごといきなり捕まって帰って来なかったので、屋敷には使用人しかいなくなったところが多い。そうなれば紹介状を書いてくれる人は誰もいない。紹介状がなくてもできる仕事は、それこそ下水の掃除、トイレの汲み取り、ごみの片づけ、あるいは畑仕事などの肉体労働くらいだろう。
「職種はどうなっていますか?」
「あまり伝手のない若い使用人たちです。門番や一般女中が多いですね。料理人もいました。しっかりと話を聞きましたが、性格なども問題ありません」
「エクムント殿とどのような繋がりがあるのですか?」
「庭師をしていた甥から相談を受けました。彼からその貴族の屋敷で雇われていた者たちの話が入ってきましてね」
庭師は来客を案内することもあるので、他の貴族に顔を覚えられていることもある。その甥自身はなんとか新しい職場が見つかったそうだ。だが彼は人がいいので、他の使用人たちにも仕事がないだろうとかと伯父のエクムント殿に相談したらしい。
「領地の方の屋敷で雇われている者たちは、おそらく新しい領主にそのまま雇ってもらえるでしょう。領主の屋敷に使用人がいなければ困りますから」
たしかに。ヴァルターがそれに当てはまるだろう。彼は準男爵としてレフィンという小さな町の領主になったが、元は平民だ。頼れる部下などいないだろう。元からいた使用人たちの力を借りなければ何もできないはずだ。
「そうですね。一人そういう知り合いがいます。新しく領主になれば右も左も分からない状態でしょうね」
「そうです。ですが王都の屋敷の方は、新しい主人が前の屋敷から使用人を連れて引っ越して来るわけですから、これまで働いていた使用人たちは追い出されます。紹介状がなくても伝手があるような実績も実力もある使用人は別ですが、そうでない者たちは困り果てていまして」
「……たしかにうちは人手が足りません。まだ領地としてきちんと動いているわけではありませんが、年が明けたら本格的な領地経営が始まりますからね。貴族の元で働いたことがあるなら即戦力でしょうね」
「それは保証しますよ。元の主人たちはどなたも性格にかなり難ありで、きちんと働かなければ追い出すような人たちでした。みんな真面目に仕事をするのは私が保証します」
「ああ、エクムント殿。お久しぶりです」
廊下を行き交う役人や使用人たちを眺めていると、後ろから声をかけられた。財務系の役人であるエクムント殿だ。前に会ったのは、殿下に会って王城を出る前だったか。
「久しぶりに来ましたが、中の雰囲気がずいぶんと良くなりましたね」
「ええ、風通しが良くなりましたね。これも大掃除をしてくれた誰かさんのおかげですね」
「ずいぶんと掃除が好きな人がいたようですね」
「掃除好きの人は、意外と気付かないうちに掃除をしているらしいですよ」
「几帳面な人は違いますね。面倒くさがりな私とは大違いですよ」
「またまたそんなことを言って。ノルト男爵も掃除好きでしょう。特に見えないところをこっそりと掃除するのが」
「……」
この人は何を考えているのかよく分からないが、とりあえず俺を陰の立役者っぽくしたがっている。口の上手さでは敵わないからこれ以上はやめるか。
「ところでノルト男爵はここで何を?」
「領都の名前と紋章が決まりましたので、その届け出ですね」
「もう向こうへ行かれたのですね。いかがでしたか?」
「ええ、もう移住も終わって、畑も作りました。これから町作りですね。まだ人と家と畑しかないので、色々と用意しなければなりませんが」
「なるほど、もうそこまで進んでいるのですね」
「あの山の向こうに興味がおありですか?」
そう聞くとエクムント殿は、それまでの何を考えているのかよく分からない笑顔をやめた。
「興味と言うよりも……実は少し相談に乗っていただきたいのですよ」
「私でよければ」
彼は以前、俺が半軟禁状態だったところに色々と情報を届けてくれた。非常に助かったのは間違いない。借りた恩は返しておかないと気持ちが悪いから、これもいい機会だろう。俺とエクムント殿は近くにあった小部屋に入った。ここは外では話せないようなことを相談するための部屋らしい。
「実は私は昔からある種の直感が働きましてね、そのおかげでこれまで役人として乗りきれた感じです」
「あの頃の王城はなかなか立ち回りも難しかったでしょうね」
「ええ、この直感のおかげです」
エクムント殿によると、かつて俺がレオナルト殿下の誕生パーティーでこの王城に来ていたときに、たまたま俺を見かけたそうだ。そして俺なら間違いないと思ったらしい。だが俺はあくまで軍学校の学生で、卒業後は実家に帰った。その間は俺に敵対する陣営には近づかないようにしていた。
それから俺が殿下の親衛隊に入るために登城したときに再び俺を見て、そのときも俺なら大丈夫だと確信したそうだ。そのうちに大公もあの伯爵もいなくなり、今では王城の中はほぼ落ち着いたそうだ。
それで一体何の話かと思えば、仕事を失った使用人たちの面倒をうちで見てくれないかということだった。
「今回処分された貴族の屋敷で働いていた者たちです。そこが初めての職場だったという者もかなりいます。その場合はそれなりの年数働いていても紹介状がまったくないわけです」
「書いてもらう前に主人が連れて行かれればどうしようもありませんね。そのあたりの配慮は考えなかったのでしょうか?」
「とりあえず逃げ出したりしないように急いで処理したようです。それで、以前の紹介状が残っている者も、前の勤め先のことを伝えると断られることもあるそうです。彼らはあくまで金を得る手段として働いていただけで、不正の片棒を担いでいたわけではありません。ですがどうしてもそういう目で見られてしまいますので……」
今回一番の問題となっているのは、初めての職場が今回取り潰された貴族の屋敷だったため、まだ紹介状がない者がそれなりにいるということだ。そして紹介状がある者も、職歴に不自然な空白ができることになる。一番新しい職場の分がないからだ。求職中に前の職場のことを聞かれれば正直に答える必要がある。それが取り潰された貴族の屋敷だと分かれば断られてしまうと。
雇い主はこれまでの紹介状を確認し、使用人が職場を辞める際には自分のところでの働きぶりなどを書いた新たな紹介状を渡す。そのようにして紹介状が増えることによって信用が増すわけだ。紹介状がなければきちんとしたところに勤めることは難しい。このやりとりは雇う側と雇われる側で暗黙の了解となっている。これまで問題にならなかったのは、勤めている途中でいきなり取り潰しになるということが普通はまずあり得ないからだろう。
仮に辞める直前に主人が急死したとしても、跡取りが継ぐまで待って書いてもらえばいい。いつからいつまでどのような立場でどのような仕事をし、働きぶりはどうだったのかなどを書いてもらうだけだ。働きぶりは跡取りが家族や他の使用人に聞くだろう。
ところが今回は多くの貴族が家族ごといきなり捕まって帰って来なかったので、屋敷には使用人しかいなくなったところが多い。そうなれば紹介状を書いてくれる人は誰もいない。紹介状がなくてもできる仕事は、それこそ下水の掃除、トイレの汲み取り、ごみの片づけ、あるいは畑仕事などの肉体労働くらいだろう。
「職種はどうなっていますか?」
「あまり伝手のない若い使用人たちです。門番や一般女中が多いですね。料理人もいました。しっかりと話を聞きましたが、性格なども問題ありません」
「エクムント殿とどのような繋がりがあるのですか?」
「庭師をしていた甥から相談を受けました。彼からその貴族の屋敷で雇われていた者たちの話が入ってきましてね」
庭師は来客を案内することもあるので、他の貴族に顔を覚えられていることもある。その甥自身はなんとか新しい職場が見つかったそうだ。だが彼は人がいいので、他の使用人たちにも仕事がないだろうとかと伯父のエクムント殿に相談したらしい。
「領地の方の屋敷で雇われている者たちは、おそらく新しい領主にそのまま雇ってもらえるでしょう。領主の屋敷に使用人がいなければ困りますから」
たしかに。ヴァルターがそれに当てはまるだろう。彼は準男爵としてレフィンという小さな町の領主になったが、元は平民だ。頼れる部下などいないだろう。元からいた使用人たちの力を借りなければ何もできないはずだ。
「そうですね。一人そういう知り合いがいます。新しく領主になれば右も左も分からない状態でしょうね」
「そうです。ですが王都の屋敷の方は、新しい主人が前の屋敷から使用人を連れて引っ越して来るわけですから、これまで働いていた使用人たちは追い出されます。紹介状がなくても伝手があるような実績も実力もある使用人は別ですが、そうでない者たちは困り果てていまして」
「……たしかにうちは人手が足りません。まだ領地としてきちんと動いているわけではありませんが、年が明けたら本格的な領地経営が始まりますからね。貴族の元で働いたことがあるなら即戦力でしょうね」
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