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第3章:冬の終わり、山も谷もあってこその人生
第13話:意外なつながり(嬉しくないほう)
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部屋に戻ると交渉の開始です。もちろん奴隷のほうが立場的には下ですが、買ったからといって好き勝手にしていいものではありません。契約を違えれば、購入者のほうにも罰則があるんです。だから、購入者も適当に契約することはできません。
「まずステータスカードを見せてもらえるか?」
「はい」
レイはラケルのステータスカードを見ました。すべて隠さずに表示されています。レベルが二〇で冒険者ランクがD。ジョブが盾使い。ヘクターとラケルが言った内容に違いはないようです。
彼女は放出系の魔法はまったく使えませんが、【シールドバッシュ】【シールドチャージ】【かばう】【身体強化】【剛力】などのスキルがあります。【シールドバッシュ】は盾で相手を押すことで体勢を崩させます。【シールドチャージ】は盾ごと敵にぶつかって弾き飛ばす攻撃です。【かばう】は味方の誰かの代わりに攻撃を受けます。【身体強化】は一時的に筋力を高めます。【剛力】は瞬間的ににものすごい力を出せるようになります。
「ここに来た経緯を聞いてもいいか?」
「はい。去年の夏まではソロでやってましたです。それから『紅蓮の炎』のバートに勧誘されてパーティーに入りましたです。それで入ってから一か月くらいしたころ、ここに入るように頼まれましたです」
Dランクだった彼女はCランクパーティーに誘われてメンバーになりました。それから一か月ほど経ったころ、リーダーのバートに特殊奴隷として奴隷商に入ってくれないかと頼まれました。どうやら彼女が何者かに狙われているので隠したいということでした。
「バートは貴族の親戚だと言ってましたです。ステータスカードにそう書かれてたのを見ましたです」
「貴族の親戚か。どの貴族か覚えてるか?」
「アシュトン子爵です。甥孫だと言ってましたです。お兄さんが大きな商会をしてるそうです」
「アシュトン子爵?」
アシュトン子爵の名前を聞いて、レイの頭に一つの名前が浮かびました。ジャレッドです。もちろん会ったことはありませんが、彼は子爵の甥孫だったはずです。ラケルを騙した男の兄がジャレッドではないかとレイは想像しました。
「ヘクター殿、ラケルが特殊奴隷になった際の値付けは適切だったんですか?」
「はい、もちろんです。相手がどのような方であれ、それは適切に評価します」
貴族がお家騒動で子飼いの奴隷商を使うのでない限り、値付けには一定の基準があります。年齢、性別、外見、性格、そして将来性。さらにステータスカードを見て買い取り価格を決めることになります。奴隷商ごとに基準は違いますが、客ごとに基準は変えません。それはやっちゃ駄目ですね。
「ですが、領主様の甥孫であるということで、信用面では多少優遇はあったかと思います。踏み倒される可能性は少ないと」
「でもこうなったと」
「残念ですがそういうことになります」
レイには細かな経緯はわかりませんが、バートは最初から奴隷として売却するためにラケルに近づいたのではないかとレイは考えました。そして、ラケルがバートを信用し始めたあたりで立場を利用して彼女を売ったと。一か月というのは、信頼を得るための準備期間ではなかったのかと。
「騙されたのはもうわかってます」
ラケルの耳がペタンと伏せてしまいました。
彼女は一般ジョブの盾使いです。パーティーにいれば役に立つジョブですが、いなくてもどうにかなるものです。その盾使いを金貨五枚で買う人がいるかどうかということです。
トップクラスの冒険者なら盾使いは必要ありません。敵の攻撃を受ける危険性をよく理解しているからです。
たとえば、ドラゴンを倒す必要があるとしましょう。物理攻撃であれブレスであれ、ドラゴンの攻撃を食らってしまえば即死です。どれだけレベルが高くても、どれだけ防御力の高い防具を着けていても、ペシャンコになるか消し炭になるかのどちらかです。鍛えた肉体が攻撃を弾き返すなんてことはありえません。
そう、敵が強くなればなるほど、いかに回避するかが重要になります。つまり、盾使いが必要なのは駆け出しから中堅までの冒険者たちということになります。その駆け出しから中堅の冒険者がそれだけの金を払う余裕があるかどうか、ということです。
ラケルを見る限り、その外見から愛玩奴隷として金持ちが買うかもしれません。それにしても五〇万キールは少し高いですね。ただ、この町は魔物肉の買取価格がかなり上がっていますので、実はレイたちはすでに二〇万キール以上稼いでいます。
「ラケル、君がうちのパーティーに入ったとして、もしどこかの町でバートを見かけたらどうする?」
「顔の形が変わるくらい殴って殴って反省させます。悪い子にはお仕置きが必要です」
「そうか」
人を殺してしまうと、場合によっては賞罰欄に「殺人」が付くこともありますが、それくらいならバートの仕打ちに対する仕返しで収まるでしょう。そうレイは思いましたが、そもそも彼にはバートの強さがわかりません。殴るのも大変かもしれません。だからレイはラケルにこう言うことにしました。
「うちのパーティーに入って、バートを殴るために強くならないか?」
「頑張ります!」
ラケルの目がキラキラし始めました。先ほどまでの死んだ魚のような目をしたラケルはもういません。
「ヘクター殿、彼女を買いたい」
「斬新な誘い方ですね」
「何事もモチベーションが大切でしょう」
「たしかに大切ですね。では契約を行いましょう」
ヘクターは契約に必要な道具を店員に用意させました。
「さて、レイモンド様はラケルにどのような条件を出されますか? どこかで勤めるということであれば給料を返済に充てるということもできますが、冒険者として五〇万キール分を働いたと証明するのはなかなか難しいのです」
「そうだなあ……」
奴隷契約は雇用契約に近いものです。購入されたからといって、必ずしも死ぬまでこき使われるわけではありません。もちろん金貨何百枚もするのなら死ぬまで働いても返せないでしょうが、多くは解放されることになります。解放されたいと思うかどうかは、その奴隷次第ですが。
ラケルの対価としてレイが支払うのは五〇万キールです。大金なのは間違いありませんが、冒険者は一般的に稼ぎが多いので、そこまで年数はかからないでしょう。ただ、命を落とす可能性があります。その分をどう考えるかです。
サラはレイの専属メイドとして働き、年に五万キールを受け取っていました。年に五万キールという給料はけっして高くはありませんが、メイドは仕事をしていて命を失うことはありません。さらに、衣食住のほとんどが保証されますので、ほぼ全額を貯金に回すこともできます。
兵士の中でも小隊長クラスになれば年額で二〇万キールを超えますが、怪我をして剣が持てなくなれば仕事を失うこともあります。ラケルはこのくらいで考えるべきでしょうか。
ラケルには盾役という、パーティーの中で一番危険な仕事をしてもらうことになります。もっと高くてもいいのかもしれません。
レイはなかなか頭の中でまとめられません。そこで、これまで稼いできた金額を考えました。レイとサラはマリオンにいる間に二〇万キール近く稼いでいます。しかも、全部は売らずにです。魔石も残してあります。そこにシーヴが、そしてラケルが加わることになり、さらに稼げることは間違いないでしょう。
さらに、このバーノンでは魔物肉の買取価格がかなり上がっていますので、遠慮せずに狩っては売っています。マジックバッグをいっぱいにすると、五万キールどころか一〇万キールを超えました。そう考えると、五〇万キールという金額が急に少なく思えてきます。不思議ですね。
「よし。パーティーメンバーとして今年の残り、それから一年。来年末を期限とする」
「本当にそれでよろしいのですか?」
ヘクターが確認しました。思った以上に期間が短かったからでしょう。
「それくらいの働きをしてくれると期待しよう」
「はい。しっかりと働きます。でも、それだけでいいのです?」
ラケルがレイを見上げながら口を開きました。
「それだけとは?」
戦闘奴隷として購入したので戦ってもらうことになります。それ以外に何があるのか、レイには思いつきませんでした。
「夜伽です」
「夜伽か。そういう話も聞いたのか?」
「愛玩奴隷として売られる可能性もあると聞いてます」
レイがヘクターを見ると、彼はうなずきます。
「はい。愛玩奴隷として身請けされるならこう、戦闘奴隷として売られるならこうなど、大まかにどのような条件が出されるかは説明しています。戦闘奴隷でも主人の相手をすることはあるでしょう。そのようなことまで場合によっては契約に入れることもあります」
「なるほど。それをヘクター殿が口にしなかったのには何か理由でもあるんですか?」
「それはレイモンド様がラケルに対して十分な配慮をなさっているからです。五〇万キールを払って二年も経たずに解放となると、相当な好条件になります。たとえ夜伽の相手をするとしても、それ以上契約期間を短縮するのは難しいと思い、余計なことは申しませんでした」
戦闘奴隷は戦わせるために購入されます。奴隷は購入された時の金額分を働けば解放されます。その働きをどう評価するかがポイントになります。
盛り込む条項としては、契約してからの日数、魔物を倒した数、戦闘があった日数、ダンジョンに潜った時間などがあります。戦闘奴隷ならそのようなことが盛り込まれるのが一般的です。
戦闘以外の査定ポイントとして、主人の夜の相手をした回数や合計時間などを加えることもあります。つまり、条項が増えれば増えるほど奴隷から解放されることが早まる可能性があるんです。
「う~~~ん」
レイは考えます。彼女に興味を持ったのは、盾役として働いてくれそうだからです。顔で選んだわけではありません。
「ラケル、正直なところを聞きたい」
「はい」
「俺が君の体を求めたとして、それでどれくらい期間が短縮できると思った? 正直に言ってくれていい」
レイにはこの世界の常識が肌感覚で理解できていません。奴隷の立場が低いのはわかりますが、奴隷の知り合いがいないので、細かな感覚がつかめていないんです。
「いえ。期間の短縮は必要ありませんです。ご主人さまに抱かれたいだけです」
ラケルはレイの目をじっと見て、迷うことなくそう答えました。
「……どうしてそう思ったんだ?」
あまりのストレートな答えに、レイはどう答えていいかわかりません。かろうじてそれだけ口にできました。
「ご主人さまは騙されて奴隷になった私に気を遣ってくれましたです。五〇万キールなんて大金をポンと払えるような人がです。しかも二年も経たないうちに解放してくれるとまで言ってくれましたです。よほど器の大きな人でなければできないことだと思いましたです」
ラケルは目をキラキラ、耳をクリクリ、尻尾をパタパタさせ、拳を握って力説しました。五〇万キールで奴隷を買うことを即決した上に大した条件を求めないなど、よほど器が大きくて素晴らしい性格でなければできないはずですと。しかも成人したときに上級ジョブを持っているほどの人です。そのような強い主人に買ってもらえるだけで幸せですと。
「あー、そこまで言われて悪い気はしないけどな……」
レイとて人の子です。褒められて嬉しくないはずがありません。ただ、これ以上に条件をよくするのはおかしくないかどうかが気になっています。ラケルを買うことは決めています。あとは条件だけの話です。
「ヘクター殿、それ以上短縮するのはどうですか?」
「これ以上ですか? あることはありますが、それでしたらもう少し条件を付けるでしょう」
「そうだよなあ」
期間を短縮すればいいわけでもないでしょう。雇用者と被雇用者。レイはラケルに金を与えるだけではありません。そこまでレイもお人好しではありません。
ラケルがその気になり、さらにレイの役に立とうとモチベーションを上げるにはどうすればいいのかとレイは頭をひねりました。そして一つの答えが頭に浮かびました。
「それならラケル、もう一つだけ条件を言う」
「はい」
その言葉を聞いたラケルは背筋を今まで以上に伸ばしました。
「年内に上級ジョブに転職できたら、この年末で奴隷から解放しよう。転職後に希望するなら抱こう。上級ジョブになるまでは何があっても抱かない。それでいいか?」
「はいっ‼ 頑張ります‼」
ラケルにとっても願ったり叶ったりです。レイからしても、向上心のある盾役がいるのは好ましいことです。
正直なところ、レイにとっては、抱く抱かないはどちらでもいいのです。すでにシーヴとサラがいますので、そっちは足りていると思っています。
「よし。それならヘクター殿、この内容で契約を頼みます」
「わかりました。ではラケルはステータスカードをこの上に」
「はい」
魔法陣のようなものが描かれた丸いテーブルにラケルはステータスカードを置いた。
「レイモンド様はステータスカードを重ねるように上に置いてください」
レイはラケルのカードに重ねるように自分のカードを置きました。重ねたステータスカードに向かってヘクターは【主従契約】のスキルを使います。
「これで契約が完了しました。レイモンド様、確認してみてください」
レイのステータスカードに「ラケルの所有者」という言葉が刻まれていました。
「ラケルのほうはどうなった?」
「こうなってます」
ラケルのほうには「レイモンド・ファレルの奴隷」と記載されました。これでラケルは自然とレイに逆らえなくなります。無理に逆らおうとすると、とてつもない疲労に襲われてしまうでしょう。逆らっても死んだりしないのはレイとしてもありがたいことでした。
「以上で終わりになります」
「ヘクター殿、お世話になりました」
「いえ、こちらこそ。奴隷にとって理想の主人と出会えるのが一番ですので」
ヘクターの返事を聞いて、レイは日本でのことを思い返しました。彼が勤めていたのは平成から令和にかけての不況の真っ只中でした。そんな時代に、福利厚生をどうするかは各企業にとって悩みの種でした。社員に気を遣いすぎれば負担だけが増えます。気を遣わなさすぎれば不満が出ます。「どうにもなりませんね」と苦笑いしていた、ある会社の社長を彼は覚えています。
「善人だなあ」
「善人なら奴隷商など営んでおりません。損得勘定に関係なく解放しているでしょう。私はあくまで仕事に対して誠実なだけです」
ヘクターは奴隷商という、一定規模以上の町でしか成り立たない仕事を生業にしています。そして、普通の商会以上に経営は難しいはずです。
ところがこの店の接客を見て、レイが何かに不快に感じたことは一度もありませんでした。ヘクターが非常に優秀なのだろうというのがレイの感想です。
「そういうことにしておきましょうか。それではまた機会があれば」
「お待ちしております」
レイはラケルを伴って奴隷商をあとにしました。
----------
ラケルの話し方は、返事を除いて基本的に最後が「です」か「ます」になります。
「まずステータスカードを見せてもらえるか?」
「はい」
レイはラケルのステータスカードを見ました。すべて隠さずに表示されています。レベルが二〇で冒険者ランクがD。ジョブが盾使い。ヘクターとラケルが言った内容に違いはないようです。
彼女は放出系の魔法はまったく使えませんが、【シールドバッシュ】【シールドチャージ】【かばう】【身体強化】【剛力】などのスキルがあります。【シールドバッシュ】は盾で相手を押すことで体勢を崩させます。【シールドチャージ】は盾ごと敵にぶつかって弾き飛ばす攻撃です。【かばう】は味方の誰かの代わりに攻撃を受けます。【身体強化】は一時的に筋力を高めます。【剛力】は瞬間的ににものすごい力を出せるようになります。
「ここに来た経緯を聞いてもいいか?」
「はい。去年の夏まではソロでやってましたです。それから『紅蓮の炎』のバートに勧誘されてパーティーに入りましたです。それで入ってから一か月くらいしたころ、ここに入るように頼まれましたです」
Dランクだった彼女はCランクパーティーに誘われてメンバーになりました。それから一か月ほど経ったころ、リーダーのバートに特殊奴隷として奴隷商に入ってくれないかと頼まれました。どうやら彼女が何者かに狙われているので隠したいということでした。
「バートは貴族の親戚だと言ってましたです。ステータスカードにそう書かれてたのを見ましたです」
「貴族の親戚か。どの貴族か覚えてるか?」
「アシュトン子爵です。甥孫だと言ってましたです。お兄さんが大きな商会をしてるそうです」
「アシュトン子爵?」
アシュトン子爵の名前を聞いて、レイの頭に一つの名前が浮かびました。ジャレッドです。もちろん会ったことはありませんが、彼は子爵の甥孫だったはずです。ラケルを騙した男の兄がジャレッドではないかとレイは想像しました。
「ヘクター殿、ラケルが特殊奴隷になった際の値付けは適切だったんですか?」
「はい、もちろんです。相手がどのような方であれ、それは適切に評価します」
貴族がお家騒動で子飼いの奴隷商を使うのでない限り、値付けには一定の基準があります。年齢、性別、外見、性格、そして将来性。さらにステータスカードを見て買い取り価格を決めることになります。奴隷商ごとに基準は違いますが、客ごとに基準は変えません。それはやっちゃ駄目ですね。
「ですが、領主様の甥孫であるということで、信用面では多少優遇はあったかと思います。踏み倒される可能性は少ないと」
「でもこうなったと」
「残念ですがそういうことになります」
レイには細かな経緯はわかりませんが、バートは最初から奴隷として売却するためにラケルに近づいたのではないかとレイは考えました。そして、ラケルがバートを信用し始めたあたりで立場を利用して彼女を売ったと。一か月というのは、信頼を得るための準備期間ではなかったのかと。
「騙されたのはもうわかってます」
ラケルの耳がペタンと伏せてしまいました。
彼女は一般ジョブの盾使いです。パーティーにいれば役に立つジョブですが、いなくてもどうにかなるものです。その盾使いを金貨五枚で買う人がいるかどうかということです。
トップクラスの冒険者なら盾使いは必要ありません。敵の攻撃を受ける危険性をよく理解しているからです。
たとえば、ドラゴンを倒す必要があるとしましょう。物理攻撃であれブレスであれ、ドラゴンの攻撃を食らってしまえば即死です。どれだけレベルが高くても、どれだけ防御力の高い防具を着けていても、ペシャンコになるか消し炭になるかのどちらかです。鍛えた肉体が攻撃を弾き返すなんてことはありえません。
そう、敵が強くなればなるほど、いかに回避するかが重要になります。つまり、盾使いが必要なのは駆け出しから中堅までの冒険者たちということになります。その駆け出しから中堅の冒険者がそれだけの金を払う余裕があるかどうか、ということです。
ラケルを見る限り、その外見から愛玩奴隷として金持ちが買うかもしれません。それにしても五〇万キールは少し高いですね。ただ、この町は魔物肉の買取価格がかなり上がっていますので、実はレイたちはすでに二〇万キール以上稼いでいます。
「ラケル、君がうちのパーティーに入ったとして、もしどこかの町でバートを見かけたらどうする?」
「顔の形が変わるくらい殴って殴って反省させます。悪い子にはお仕置きが必要です」
「そうか」
人を殺してしまうと、場合によっては賞罰欄に「殺人」が付くこともありますが、それくらいならバートの仕打ちに対する仕返しで収まるでしょう。そうレイは思いましたが、そもそも彼にはバートの強さがわかりません。殴るのも大変かもしれません。だからレイはラケルにこう言うことにしました。
「うちのパーティーに入って、バートを殴るために強くならないか?」
「頑張ります!」
ラケルの目がキラキラし始めました。先ほどまでの死んだ魚のような目をしたラケルはもういません。
「ヘクター殿、彼女を買いたい」
「斬新な誘い方ですね」
「何事もモチベーションが大切でしょう」
「たしかに大切ですね。では契約を行いましょう」
ヘクターは契約に必要な道具を店員に用意させました。
「さて、レイモンド様はラケルにどのような条件を出されますか? どこかで勤めるということであれば給料を返済に充てるということもできますが、冒険者として五〇万キール分を働いたと証明するのはなかなか難しいのです」
「そうだなあ……」
奴隷契約は雇用契約に近いものです。購入されたからといって、必ずしも死ぬまでこき使われるわけではありません。もちろん金貨何百枚もするのなら死ぬまで働いても返せないでしょうが、多くは解放されることになります。解放されたいと思うかどうかは、その奴隷次第ですが。
ラケルの対価としてレイが支払うのは五〇万キールです。大金なのは間違いありませんが、冒険者は一般的に稼ぎが多いので、そこまで年数はかからないでしょう。ただ、命を落とす可能性があります。その分をどう考えるかです。
サラはレイの専属メイドとして働き、年に五万キールを受け取っていました。年に五万キールという給料はけっして高くはありませんが、メイドは仕事をしていて命を失うことはありません。さらに、衣食住のほとんどが保証されますので、ほぼ全額を貯金に回すこともできます。
兵士の中でも小隊長クラスになれば年額で二〇万キールを超えますが、怪我をして剣が持てなくなれば仕事を失うこともあります。ラケルはこのくらいで考えるべきでしょうか。
ラケルには盾役という、パーティーの中で一番危険な仕事をしてもらうことになります。もっと高くてもいいのかもしれません。
レイはなかなか頭の中でまとめられません。そこで、これまで稼いできた金額を考えました。レイとサラはマリオンにいる間に二〇万キール近く稼いでいます。しかも、全部は売らずにです。魔石も残してあります。そこにシーヴが、そしてラケルが加わることになり、さらに稼げることは間違いないでしょう。
さらに、このバーノンでは魔物肉の買取価格がかなり上がっていますので、遠慮せずに狩っては売っています。マジックバッグをいっぱいにすると、五万キールどころか一〇万キールを超えました。そう考えると、五〇万キールという金額が急に少なく思えてきます。不思議ですね。
「よし。パーティーメンバーとして今年の残り、それから一年。来年末を期限とする」
「本当にそれでよろしいのですか?」
ヘクターが確認しました。思った以上に期間が短かったからでしょう。
「それくらいの働きをしてくれると期待しよう」
「はい。しっかりと働きます。でも、それだけでいいのです?」
ラケルがレイを見上げながら口を開きました。
「それだけとは?」
戦闘奴隷として購入したので戦ってもらうことになります。それ以外に何があるのか、レイには思いつきませんでした。
「夜伽です」
「夜伽か。そういう話も聞いたのか?」
「愛玩奴隷として売られる可能性もあると聞いてます」
レイがヘクターを見ると、彼はうなずきます。
「はい。愛玩奴隷として身請けされるならこう、戦闘奴隷として売られるならこうなど、大まかにどのような条件が出されるかは説明しています。戦闘奴隷でも主人の相手をすることはあるでしょう。そのようなことまで場合によっては契約に入れることもあります」
「なるほど。それをヘクター殿が口にしなかったのには何か理由でもあるんですか?」
「それはレイモンド様がラケルに対して十分な配慮をなさっているからです。五〇万キールを払って二年も経たずに解放となると、相当な好条件になります。たとえ夜伽の相手をするとしても、それ以上契約期間を短縮するのは難しいと思い、余計なことは申しませんでした」
戦闘奴隷は戦わせるために購入されます。奴隷は購入された時の金額分を働けば解放されます。その働きをどう評価するかがポイントになります。
盛り込む条項としては、契約してからの日数、魔物を倒した数、戦闘があった日数、ダンジョンに潜った時間などがあります。戦闘奴隷ならそのようなことが盛り込まれるのが一般的です。
戦闘以外の査定ポイントとして、主人の夜の相手をした回数や合計時間などを加えることもあります。つまり、条項が増えれば増えるほど奴隷から解放されることが早まる可能性があるんです。
「う~~~ん」
レイは考えます。彼女に興味を持ったのは、盾役として働いてくれそうだからです。顔で選んだわけではありません。
「ラケル、正直なところを聞きたい」
「はい」
「俺が君の体を求めたとして、それでどれくらい期間が短縮できると思った? 正直に言ってくれていい」
レイにはこの世界の常識が肌感覚で理解できていません。奴隷の立場が低いのはわかりますが、奴隷の知り合いがいないので、細かな感覚がつかめていないんです。
「いえ。期間の短縮は必要ありませんです。ご主人さまに抱かれたいだけです」
ラケルはレイの目をじっと見て、迷うことなくそう答えました。
「……どうしてそう思ったんだ?」
あまりのストレートな答えに、レイはどう答えていいかわかりません。かろうじてそれだけ口にできました。
「ご主人さまは騙されて奴隷になった私に気を遣ってくれましたです。五〇万キールなんて大金をポンと払えるような人がです。しかも二年も経たないうちに解放してくれるとまで言ってくれましたです。よほど器の大きな人でなければできないことだと思いましたです」
ラケルは目をキラキラ、耳をクリクリ、尻尾をパタパタさせ、拳を握って力説しました。五〇万キールで奴隷を買うことを即決した上に大した条件を求めないなど、よほど器が大きくて素晴らしい性格でなければできないはずですと。しかも成人したときに上級ジョブを持っているほどの人です。そのような強い主人に買ってもらえるだけで幸せですと。
「あー、そこまで言われて悪い気はしないけどな……」
レイとて人の子です。褒められて嬉しくないはずがありません。ただ、これ以上に条件をよくするのはおかしくないかどうかが気になっています。ラケルを買うことは決めています。あとは条件だけの話です。
「ヘクター殿、それ以上短縮するのはどうですか?」
「これ以上ですか? あることはありますが、それでしたらもう少し条件を付けるでしょう」
「そうだよなあ」
期間を短縮すればいいわけでもないでしょう。雇用者と被雇用者。レイはラケルに金を与えるだけではありません。そこまでレイもお人好しではありません。
ラケルがその気になり、さらにレイの役に立とうとモチベーションを上げるにはどうすればいいのかとレイは頭をひねりました。そして一つの答えが頭に浮かびました。
「それならラケル、もう一つだけ条件を言う」
「はい」
その言葉を聞いたラケルは背筋を今まで以上に伸ばしました。
「年内に上級ジョブに転職できたら、この年末で奴隷から解放しよう。転職後に希望するなら抱こう。上級ジョブになるまでは何があっても抱かない。それでいいか?」
「はいっ‼ 頑張ります‼」
ラケルにとっても願ったり叶ったりです。レイからしても、向上心のある盾役がいるのは好ましいことです。
正直なところ、レイにとっては、抱く抱かないはどちらでもいいのです。すでにシーヴとサラがいますので、そっちは足りていると思っています。
「よし。それならヘクター殿、この内容で契約を頼みます」
「わかりました。ではラケルはステータスカードをこの上に」
「はい」
魔法陣のようなものが描かれた丸いテーブルにラケルはステータスカードを置いた。
「レイモンド様はステータスカードを重ねるように上に置いてください」
レイはラケルのカードに重ねるように自分のカードを置きました。重ねたステータスカードに向かってヘクターは【主従契約】のスキルを使います。
「これで契約が完了しました。レイモンド様、確認してみてください」
レイのステータスカードに「ラケルの所有者」という言葉が刻まれていました。
「ラケルのほうはどうなった?」
「こうなってます」
ラケルのほうには「レイモンド・ファレルの奴隷」と記載されました。これでラケルは自然とレイに逆らえなくなります。無理に逆らおうとすると、とてつもない疲労に襲われてしまうでしょう。逆らっても死んだりしないのはレイとしてもありがたいことでした。
「以上で終わりになります」
「ヘクター殿、お世話になりました」
「いえ、こちらこそ。奴隷にとって理想の主人と出会えるのが一番ですので」
ヘクターの返事を聞いて、レイは日本でのことを思い返しました。彼が勤めていたのは平成から令和にかけての不況の真っ只中でした。そんな時代に、福利厚生をどうするかは各企業にとって悩みの種でした。社員に気を遣いすぎれば負担だけが増えます。気を遣わなさすぎれば不満が出ます。「どうにもなりませんね」と苦笑いしていた、ある会社の社長を彼は覚えています。
「善人だなあ」
「善人なら奴隷商など営んでおりません。損得勘定に関係なく解放しているでしょう。私はあくまで仕事に対して誠実なだけです」
ヘクターは奴隷商という、一定規模以上の町でしか成り立たない仕事を生業にしています。そして、普通の商会以上に経営は難しいはずです。
ところがこの店の接客を見て、レイが何かに不快に感じたことは一度もありませんでした。ヘクターが非常に優秀なのだろうというのがレイの感想です。
「そういうことにしておきましょうか。それではまた機会があれば」
「お待ちしております」
レイはラケルを伴って奴隷商をあとにしました。
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ラケルの話し方は、返事を除いて基本的に最後が「です」か「ます」になります。
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作者は初投稿で理系人間ですので誤字脱字には寛容頂きたいとお願いします。
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