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最終章 -誰が為の終焉-

第20話 11月27日[前編]

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 他愛もないことを夜通し話していた────つもりだった。

 明け方、小春と蓮は眠りに落ちていた。

 向かい合うような形で布団の上に横たわっている。

 ただでさえ濃い一日だった。致し方ない。

「!」

 はっと目覚めた蓮は、目の前で眠る小春を認めた。

 白んだ朝の柔らかい光が肌に影を落とし、その存在感を際立たせている。
 夢じゃない。彼女はちゃんとここにいる。

 その事実を噛み締めつつも目を伏せた。
 
「…………」

 リセットされた。また、ゼロからだ。

 思わず切なげな表情で笑う。もう昨日の小春はいない。

 そっと手を伸ばし、頬にかかった髪を流してやる。

 そのとき、傍らに置いていた蓮のスマホが震えた。奏汰からのメッセージだった。

【どうなった?】

 昨夜の時点で、奏汰には紅の家に小春と二人して世話になることを伝えていた。

 小春の記憶のことも兼ね、心配してくれているのだ。

【寝ちまった。起きてるつもりだったのに】

【小春ちゃんも?】

【うん】

「ん……」

 ふと、小春が目を覚ました。

 蓮の存在に気が付くと、驚いたように目を見張る。勢いよく起き上がり、彼を凝視した。

「あー、っと」

 蓮は少し焦った。

 ここで不審者認定でもされたら、今日一日中そういう印象を抱かれ続けることになってしまう。

 信頼を失いたくはない。

「俺は向井蓮だ。お前は水無瀬小春な。俺たちは今ウィザードゲームとかいう、わけ分かんねぇゲームに巻き込まれてて……お前はガチャのせいで記憶を────」

 もともと何かを説明することが苦手であるのに加え、焦りも相俟ってさらに要領を得なくなった。

 器用な至なら、もっと上手く説明していただろう。

 そんなことを思ったとき、小春が口を開いた。

「蓮」

「え? おう……、何だ」

 反射的に返事をしてから、すぐに違和感を覚える。

 記憶をなくした小春は以前“蓮くん”と呼んでいた。だが、今────。

「蓮、無事だったんだね。よかった」

 明らかに、記憶を失っている人物の言葉ではない。

 そして、彼女は何を言っているのだろう。

 困惑する蓮は咄嗟に言葉が出ない。

「でも何でわざわざまた説明してくれたの? ……あ、それより私、実はガチャ回しちゃったの。えっと、何の魔法だっけ……?」

「ちょっと、待て」

 蓮は慌てて彼女を制した。

 分からない。どういうことなのだ。

「何言ってんだ……? 覚えてるのか?」

「覚えて?」

 小春も首を傾げた。

 何からどう聞けばいいのか、蓮も混乱していた。

「俺の名前は?」

「蓮でしょ、向井蓮。どうしちゃったの? 何を────」

「自分の名前は?」

「え、と……水無瀬小春」

 蓮は頭を抱える。冷静さを欠いていた。

(違う、そうじゃなくて)

 こんなことを聞いても意味がない。それは先ほど自分で説明したのだ。

 そのとき、扉がノックされた。紅が顔を覗かせる。

「二人とも────」

「あいつが誰か分かるか?」

 何かを言いかけた紅を指し、蓮は小春に尋ねた。

 小春は彼女を見つめる。何となく状況を察した紅は黙っていた。

「分かんない……」

 ややあって、小春は答える。

 不安気に眉を寄せ、きょろきょろと辺りを見回した。

「ここ、何処なの? 何で私……はずじゃ────」

 戸惑ったような彼女の様子に、蓮たちはさらに戸惑っていた。

 公園とはいったい何の話だろう。少なくとも昨日は公園になどいなかった。

 しかし、そういう覚えがある、ということは、記憶はゼロまではリセットされていないのかもしれない。

「どうしたのだ」

「……小春の記憶が変なんだ」

 紅は目を細める。

「毎日失うのだろ? 何が変なのだ」

「今までと違う。たぶん、ぜんぶは消えてねぇ」

 小春自身のことや蓮のことは恐らく覚えている。

 単に自分が教えた名前を繰り返したわけではないように見えた。

 心臓が早鐘を打つ。期待と不安が入り交じる。

「記憶、って……? どういうこと? 何の話?」

「落ち着け、ちょっと待て。俺も今考えてる」

 蓮は不意に真剣な表情を浮かべ、彼女を見やった。

「なぁ、ちなみにだけど……。八雲至のこと、覚えてるか?」

「……? やくも、くん?」

「……いや、いい。何でもない」

 至に聞いた話、小春に聞いた記憶。

 それらを総合すると、小春が公園にいたのは────蓮を忘れていない状態で、最後に、公園にいたのは、ガチャを回したときだ。

 彼女が口にした言葉は、そういうことだと理解出来る。

「分かった。小春はガチャ回して記憶を失う直前までのことは覚えてんだ」

「なるほどな」

 困惑する小春に、蓮はアプリを開くよう促した。

 そこに表示された代償を知り、彼女は驚愕する。

「二十年分の記憶……!?」

「桐生氏のお陰で十七年分は取り戻せたようだな。あとの三年分はやはり蓄積されないわけか。厳密に言えばもっと数字は細かくなるが」

「そういうことだな」

 蓮は小春が代償を払って以降に起きた出来事を説明した。
 至たちのことも、自分たちが何故ここにいるのかも。

 小春は驚いたりショックを受けたりしながらも、蓮から伝えられる言葉をすべて真正面から受け止めた。

 彼女が覚えているのは、二回目にガチャを回すより前に出会っていた、あるいは知っていた人物だった。

 忘れてしまっているのは、以降に出会った至、日菜、紅だ。依織のことはそもそも知らなかった。

 当然のことながら、アリスの裏切り、至の死、うららの死については覚えていなかった。

 残酷だが、至のことやその死のことを忘れたのは、必ずしも不幸とは言えないのかもしれない……。

 蓮は沈痛な面持ちになりながら、そんなことを思った。



 朝食を済ませると、彼は大雅とテレパシーを繋いだ。

「起きてるか?」

『ああ、どうかしたか?』

 蓮は紅と話している小春を一瞥し、現状の報告をする。

「至の言ってた、逆行性健忘? とやらは改善したみてぇだ。俺のことも覚えてた」

『……そっか、思った通りだ』

「分かってたのか?」

『俺のときはそうだったから、期待はしてたんだ。でも代償の年数的に確かなことは言えないから黙ってた。悪ぃな』

「いや、マジでありがとう」

 大雅には感謝してもし切れない。

 蓮はそんなことを思いつつ切り出す。

「何か変わったこととかねぇか?」

『今のところは大丈夫だ。テレパシーも全員分ちゃんと繋がってる。瑚太郎は確かめらんねぇけど』

 至が殺されたとき、彼の魔法は解けた 。

 眠らされていた瑚太郎(あるいはヨル)も目を覚ましたはずだ。

 しかし、音沙汰がなかった。

『……それに関して、実は話したいことがあるんだ。めんどくせぇから通話に切り替えるぞ。小春にも伝えておきたい』

 そう言われた直後、大雅から電話がかかって来た。

 小春と紅を呼んだが、紅は少し離れたダイニングの椅子に腰を下ろした。

 遠慮ではなく、怠惰だった。結果だけ聞ければいい。

「大雅くん? 色々とありがとう。お陰で私────」

『そんなんいーから気にすんな。当たり前だって』

 ぶっきらぼうながら優しい彼の返答に、小春は思わず小さく笑った。

 彼は何処か蓮と似ているような気がした。

 一拍置いて大雅は切り出す。

『大事な話があんだよ。瑚太郎のことで』

 それは、大雅も悩んだ末に出した結論だった。

 瑚太郎も瑚太郎なりにヨルと戦っているようだが、日中にああして不意に人格を乗っ取られ、さらには仲間に手出ししたことを考えると、もう隠してはおけない。

 蓮と小春は心して聞く。

『実は、ヨルは……冬真の一味だ』

 一瞬、呼吸を忘れた。

 衝撃的かつ酷な事実だった。

『もう俺も何があるか分かんねぇから、一旦この事実を二人にも共有しとく。このことを知ってるのは瑚太郎本人と律、瑠奈だけだ』

 先んじてヨルの正体を知っていた瑠奈や律には、瑚太郎の思いや事情を含め、大雅が密かに説明していた。

 ひとまず皆には伏せておき、瑚太郎に任せよう、と伝えていたのだった。

『けどな、一昨日のこともあって、律はさっさと打ち明けて対策を練るべきだってやかましいんだ』

 一昨日のこと、と言うと、奏汰がヨルに襲われたことだ。

 確かに瑚太郎の状態によっては、あんなことが再び起きないとは言い切れない。

 凶暴なヨルを、傷つけずに制御する方法は最早ないに等しいのだ。

 彼のことは、早急に対処すべき問題だった。

『……だから今日、俺と律で瑚太郎に会って話つけてくる。そのことをあらかじめ伝えとく』

 大雅の言葉は理解出来る。
 瑚太郎に、か、ヨルに、かどちらなのだろう。

 その口振りは何とも言えない胸騒ぎを引き起こした。

「どういう意味だよ。何か不穏な感じ出すのやめろよ」

『……悪ぃ。でも、マジでもう誰がどうなってもおかしくねぇだろ? ……続くぞ、この死の連鎖』

 そんなこと、と言いかけたものの、小春は結局口を噤んだ。

 そんなことない、などと無責任なことは言えない。

 そんなことにはさせない、と言えればよかったが、それはもっと無責任だろう。

『十二月四日が着々と近づいてきてる。時間がねぇ。分かるだろ、色んな変化。もう今となっては、魔術師の死が事件にすらならねぇ。運営側は魔法で、魔術師以外の洗脳を終えたんだよ』

 その言葉には説得力があった。

 実際、奇妙な様子を目の当たりにしている蓮にとっては、特に。

『小春が祈祷師から聞いた通りなら……十二月四日に存在してる高校生は、東京でたった一人だけ。そんな事態を迎えても、今や不信感を抱く奴は誰もいねぇだろーな』

「……改めて言葉にすると意味不明だな。何がしてぇんだ?」

 蓮は怪訝そうな顔で眉を寄せる。

 運営側はそんなことして何になるのだろう。結局、何が目的なのだろう。

『さぁな。それを考えるのは任せる。俺たちはあいつ決着ケリつけるから』

 そんな大雅の言葉に、蓮は弾かれたように顔を上げた。

「ちょっと待て、大雅! あいつらって誰のことだよ」

『…………』

 大雅は答えなかった。

 ────これからしようとしていることに対しては、相当な覚悟を要した。

 そして、悟っていた。これが最後の機会になる、と。

 だからこそ、いつもは綻びなど見せない彼でさえ、つい口を滑らせてしまった。

 死の連鎖が続く。仲間が一人また一人と死んでいく。

 訪れた不穏な空気が這うように肌を撫でる。小春と蓮は嫌な予感を拭えない。

 瑚太郎が、否、ヨルが冬真の仲間で、大雅と律が会いに向かっている。

 その時点で“あいつら”が誰を指すのかは明白だった。

 ぷつ、と通話が切られる。

 はっとした蓮は、急いで顳顬に触れた。

「待てよ、早まるな! 前にも言ったろ。勝手に背負い込むなよ!」

 テレパシーを繋いで叫ぶが、大雅からの応答はなかった。

 無視しているのか、答えられない状況なのか、心配と焦りは募る一方である。

 本当に馬鹿だ。何故そうなるのだろう。何故そんな選択をするのだろう。

 何処にいるかも分からない。状況も分からない。

 助けに行こうにも行けないではないか。

 ……しかし、あえてそんな状況を作り出したのだろう。仲間を巻き込まないために。

「行かなきゃ……」

 小春は迷わず立ち上がった。

「私が上から捜す」

「だが桐生氏はあえて詳細を語らなかったのだろ? ならば警戒して、空からでも見える位置にはいないのではないか?」

 至極冷静な紅の真っ当な意見に、小春は俯いた。

 ならば、どうすればいいのだろう。
 もう、諦めたくないのに。

「大雅くん……。お願い、考え直して。私たちは仲間じゃないの?」

 小春は顳顬に手を添え、語りかけた。

「記憶のことも直接お礼を言わせてよ。このままお別れなんて嫌。大雅くんはいつも、自分より仲間のことを考えてる。人のために、自分を犠牲にし過ぎだよ……!」

 沈黙が続いた。

 届いていないのかもしれない、と不安になるほど長い静寂だった。

 それでも小春は毅然とした表情を湛えたまま、ひたすら彼からの言葉を待った。

『……お前もな、小春』

「! 大雅くん……!」

 思わず息をのむ。泣きそうになった。

 声はちゃんと届いていた。

『つーか、もともと俺たちそんな奴ばっかだろ』

 慧にしても、琴音にしても、至にしても。今生きている仲間たちにしても、一様にそうだ。

 大雅は儚いような、微かな笑みを浮かべる。

「大雅くん、聞いて。律くんと行くなんて無茶だよ。お願いだから早まらないで。また守れなかったら、私────」

『充分守って貰ったぞ、俺。……でも、分かった。そんなに言うなら、いざというときはまた助けて貰ってもいいか?』

 小春は顔を上げ、思わず安堵の息をつく。

「当たり前だよ! 何処に行くつもりなの? 何をするの?」

『……星ヶ丘高校』

 一拍置き、大雅は静かに答えた。

『勘違いすんなよ? ただ瑚太郎と話つけるだけだ。学校なら人も多いし、もしヨルに乗っ取られても迂闊に手出し出来ねぇだろ。関係ねぇ奴巻き込んでペナルティだ』

 尤も、ヨルにそういう自制心があるかどうかは分からないのだが。

「そっか……。星ヶ丘に、律くんも入れるの?」

 他校生である律が、もっと言えば自分たちも、出入り出来るのだろうか。

 琴音の瞬間移動でもあれば別だったが。

『ああ、実は今うちの学校、旧校舎の方からなら誰でも入れるんだよな。フェンスが壊れてる』

「そうなんだ……。分かった、じゃあ蓮たちと行くから、私たちが着くまで待ってて」

 小春が決然と告げると、大雅は頷いてくれた。

『おう。……じゃあな』

 彼とのやり取りを終えた小春は、蓮たちにその目的と行き先を伝える。

 それを聞いた蓮は、ほっとしたように表情を緩めた。

「勝手なことしやがって。……でも、頼ってくれてよかった」

 一連の流れを見聞きした紅は、視線を宙に向ける。

 何処となく腑に落ちない感を抱きつつも黙っていた。



*



 大雅と律は合流した後、河川敷の高架下へ来ていた。

 ここはアリスにバレているため、仲間たちも来ないはずだ。

「どうなるんだろうな、瑚太郎は」

「……どう、と言っても、自分でヨルに打ち勝つしかないだろう」

 小春たちには伝えたが、やはりもう隠し通せはしない。

 ヨルが冬真の一味であることを明かすよう彼を説得し、具体的な方策を考えなければならない。

 あるいは自分たちがヨルを手懐けられたら、冬真たちを倒す糸口になるかもしれない。

 ただ、人格交代についてまだ掴めていないことが多過ぎる。

 日中にもヨルが現れたということは、瑚太郎の主人格が侵食されている可能性があった。

 まずは瑚太郎本人と話し、その辺りを整理したい。

「じゃ、呼ぶぞ」

 大雅が言うと、律は頷いた。

 瑚太郎とはテレパシーを繋げないため、メッセージで連絡し、彼をここへ呼び出した。



「……なぁ、どうする?」

 瑚太郎を待つ間、大雅はふと言った。

 彼や冬真、アリスのことだ。

 同じことを考えていたためか、律にも言わんとすることがすぐに分かった。

 至がいたなら話は早かった。

 限界があるとはいえ、傷つけることも殺すこともなく封じ込めた。

 ないものねだりなどしていても仕方がないが、現実的に殺さずしてどう対処すればいいのか。

 完璧な正解は見つからない。

 命ある限り再起を図り、とことん敵対してくるはずだ。

「俺は────」

 律はいつにも増して謹厳な面持ちで考えを打ち明けた。
 それを聞いた大雅は神妙に頷く。

「なら、冬真はお前に任せるぞ。俺は瑚太郎を引き受ける」

 こく、と律も了承する。

 大雅はポケットに両手を突っ込んだまま、珍しく物憂げに虚空を眺めた。

 ────予感がする。

(……もう俺たちは、抜け出せねぇ泥沼に浸かってる。逃げ道も、そんな選択肢もねぇ)

 やり遂げるか死ぬか、それだけだ。



「!」

 河川敷の階段を下りてくる人影を見つけた。

 瑚太郎────いや、ヨルだった。

 その後を悠然と歩く冬真の姿を認める。

 彼の声代わりとなっている男子生徒の遺体も連れていたが、アリスはいない。

 大雅たちは別段驚かなかった。

 終焉へ近づいているのはもう分かっている。

 冬真とて、この機会を逃すわけがない。

 瑚太郎がヨルに侵食されつつあることも含め、予想通りだ。

(悪ぃな、小春。もともと冬真に関する面倒事は俺たちが持ち込んだんだ。お前らを巻き込めねぇよ)

 仲間────

 高架下で足を止めた冬真は大雅と律にそれぞれ目をやり微笑んだ。

 随分と機嫌がよさそうだ。

「昨日、アリスにここを聞いて来てみたら誰もいなかったんだよね。逃げられたかと思ったけど、ヨルと君のお陰で好機を得た。感謝するよ」

 してやったり、とでも思っているのだろうか。

 大雅は笑う。

「それはこっちの台詞だ。瑚太郎が瑚太郎じゃねぇことは予想してた。瑚太郎だったらいいなとは願ってたけどな、八割ヨルだと思ってたよ」

「その上で呼び出したんだ。頭のいい如月なら、この意味が分かるだろう?」

 挑発するように律が続いた。

 冬真は笑みを消し、目を細める。

「……へぇ。僕に用があるってわけ?」

 餌にされたことに気が付いたヨルは眉を吊り上げる。早くも憤慨し、手に水を纏わせた。

 ちゃぷ、と雫が散る。

「おい、あいつら殺していいか?」

「まだ駄目。聞かなきゃならないことがあるから」

 まだ、他の仲間たちの居場所を聞き出す必要がある。

 不服そうに舌打ちしたものの、ヨルは大人しく引き下がった。

 意外なことに彼は終始、冬真には従順だ。

 恐らく、彼が瑚太郎ではなくヨルを優先的に扱ってくれるからだろう。

 ヨルを認め肯定しているわけではなく、単にその方が自分にとって都合がいいからに過ぎないのに。

 いいように利用されていることに気付いていないのだろうか。

 あるいは、承知の上で縋っているのだろうか。
 
「!」

 不意に伸びてきた蔦が律を捕らえた。

「……おい、何してんだよ」

「優しい優しい君は……自分が苦しむより、仲間が苦しむ方が辛いでしょ?」

 大雅は表情を険しくした。

 必死で怒りを堪える。

「平気だ、桐生。俺に構う必要はない。やるべきことをやれ」

 制するように律が言う。

 確かめるように彼を見据えた大雅は、やがて歯を食いしばりつつ背を向けて駆け出した。

「えぇ、逃げるの? 大雅らしくない選択だな。……それとも、よっぽど僕が怖い? まぁ、何度も何度も封じ込められてるからね。トラウマになるのも無理ないけど」

 ヨルは鋭く大雅を目で追った。

「あいつはオレが殺るぞ」

 素早く彼を追い走っていく。

 冬真としても、律という情報源を確保した以上、別に大雅はどうでもよかった。

 出来れば憎らしくも可愛い元手下をこの手で殺したかったが、この際構わない。

「見捨てられちゃったね、律。おかえり、僕のもとへ」

「……嬉しそうだな。俺たちの掌の上にいるとも知らず」

 律は口角を上げる。

 強気な彼の態度に冬真は少し怯んだ。何なのだろう、彼のこの余裕は。

「何……?」

「皮肉なものだよな。操り人形の糸を引く立場にあるお前が、今度は人形の側になるんだから」

 言っている意味が分からず、冬真は困惑した。

 律は構わず畳み掛ける。

「お前の負けだ」



*



 大雅は足を止めた。律からは充分に距離を取ることが出来ただろう。

 逃げたのではなく、律に害を被らせないため、そして冬真の妨害を受けないために離れたのだった。

 ヨルなら追ってくるはずだ、と踏んだのはやはり間違いではなかった。

「鬼ごっこはおしまいか?」

 彼は嘲笑しながら言う。
 それを耳にゆるりと振り向いた。

「……瑚太郎、お前何やってんだよ」

 その名を出すと、彼の顔から笑みが消えた。

 眉間に皺を寄せ、大雅を睨めつける。

「あ?」

「まだ朝だぞ。何こいつに身体明け渡してんだよ」

 ヨルは苛立ちを募らせていく。

(……どいつもこいつも、何も分かっちゃいない)

「聞こえてんだろ? お前に言ってんだよ、瑚太郎」

 大雅がそう言った瞬間、飛んできた何かが頬を掠めた。

 熱い、と感じると同時に血が滲む。

 ヨルの放った水弾だった。

「馬鹿が。死にてぇのか」

 射るような眼差しで凄む。

 しかし、大雅は一切怯まない。

「黙ってろよ。俺は瑚太郎と話してんだ」

「黙るのはてめぇだ。あいつはもういねぇんだよ」

「適当なこと言ってんじゃねぇ。瑚太郎を返せよ」

 あえて何度も彼の名を呼んだ。

 ヨルに押さえ込まれているであろう彼に届くことを願って。

 しかし変わらなかった。何度呼びかけても、瑚太郎は現れない。

 ヨルの憤りを増長させる一方だ。

「よし、決めた。てめぇのその口塞いでやるよ」

 彼は水の塊を作り出す。

 空中でも形を保ったままのそれは、放たれると一直線に大雅のもとへ飛んできた。

 蛇のようにうねりながら追尾してくる水を、大雅は俊敏に避けていく。

 捕まれば溺れる。本能的にそれが分かる。

「いつまでそうしてられっかな。目障りだからとっとと消えろよ」

 ヨルは再び人差し指の先を大雅へ向けた。

 水弾を撃ち込むと、そのうちの一発が彼の脇腹に命中した。

 水に追われながらではさすがに避けきれなかったらしい。

「く……っ」

 じわ、と赤い染みが浮かび上がる。

 重く響くような痛みが大雅の動きを鈍らせる。

 いつまでも逃げ続けることは出来ない。

 一か八か────。
 大雅は器用に攻撃の合間を縫い、巧妙にヨルと距離を詰める。

 確かめるようにヨルの双眸を覗き込んだ。彼の頭の中には、相変わらず漆黒の闇が広がっている。

 何も見えない。まるで新月の夜空だ。

 突然詰められたヨルが戸惑っているうちに、大雅は彼の腕を掴んだ。

「な……」

 すぅ、と彼の瞳から光が失われる。
 電池が切れたように大人しくなった。



「はぁ……はぁ……。痛ってぇ」

 負傷と反動、それらに苛まれ、大雅は肩で息をしていた。
 銃創を押さえると熱い血があふれてくる。

 どうにかヨルを操作することは出来たが、瑚太郎を呼び起こすことは出来なかった。

 どうすればいいのだろう。

 どうすればヨルの暴走を止め、瑚太郎を救い出せるのだろう。

 あるいはヨルの言う通り、もう瑚太郎はいないのかもしれない。

「瑚太郎……。おい、目覚ませよ」

 彼の胸ぐらを掴み揺さぶる。

 どうすれば、この声が届くというのだろう。

「くそ……」

 手詰まり感に苛立ち、くしゃりと髪をかき混ぜる。

 瑚太郎のことは、諦めるしかないのだろうか。

(……ごめん、大雅くん。本当にごめん……)

 微かに声がした。

 意識しなければ聞こえないほど小さく、今にも消えてしまいそうだ。

 だが、はっきりと大雅には届いた。

 誰の声なのか分かり、驚きに目を見張る。

「瑚太郎!?」

 どうやらテレパシーのようだった。大雅が触れているから探知出来るのだろうか。

 いや、大雅による操作は、その間対象に意思も記憶もなくなる。

 どうやら瑚太郎の場合、色々と例外のようだった。

(僕は……何処か暗くて深いところに閉じ込められたみたいだ。昨日の夜からずっとヨルのまま戻れない。さっきのこともぜんぶ見てた。やめろっていくら叫んでもヨルには届かない……!)

 彼の声は涙を堪えるように掠れていた。

(手遅れになっちゃった。ぜんぶ僕のせいだ。皆を失いたくなくて、ずっと隠そうとしたから……)

「違う、お前は悪くねぇよ。真剣に向き合わなかった俺たちのせいでもある。お前は一人で戦ってたんだろ、俺たちのために!」

 実際、ヨルの問題は瑚太郎本人にしか解決出来なかったかもしれない。

 それでも、一度でも彼とその話をしただろうか。

 最初に真実を突きつけたきり、すべて彼に委ねていた。押し付けていた。

(大雅くん……)

「何か……、何かあるはずだ。お前がヨルに打ち勝つ方法。早坂瑚太郎でいる方法。俺たちが見つける。だからどうか耐えてくれ。頼む」

(……駄目だ)

 ぽつりと呟くように瑚太郎は返す。

 既に何もかも諦めてしまったかのようだった。

(もう無理だって分かるんだ! このままいたら、ヨルが皆を殺してしまう! 僕はそれをヨルの中から黙って見てることしか出来ない。耐えられないよ……!)

「瑚太郎……」

 悲痛な叫びだった。

 まるで冬真による傀儡と変わらない。

 解放されることがない分、瑚太郎の方がさらに酷だろう。

(だからお願い。このまま僕を殺して────)

「……っ、馬鹿か! 出来るわけねぇだろ」

 いったい何を言い出すのだ。

 そんな途方もない申し出、受け入れられるわけがない。

 しかし、瑚太郎は食い下がった。

(お願い……、大雅くん。僕が死なない限り、ヨルは止められない。どうか頼む、皆を殺したくない!)

 瑚太郎は涙混じりに懇願した。

 それしかヨルを封じる方法はないのだ。

 大雅にも気持ちは理解出来る。理由に納得も出来る。

 だが────と思い直す。
 思わず気圧されたものの、首を左右に振った。

「……嫌だ、絶対に」

 それが正しいとはとても思えない。

 そんな判断が許されていいはずがない。

 それでこの問題に終止符を打つようなことになれば、すべてを瑚太郎のせいにして終わるのと同義だ。

「大雅くん!」

「もういい、黙ってろ。俺はやらねぇからな!」

 抗議するような瑚太郎の声を聞きながらも、大雅は彼を放した。

 それきり瑚太郎の声は聞こえなくなる。

 大雅は荒い呼吸を繰り返し、たたらを踏んだ。頭を抱える。

 割れるような頭痛がした。心臓が脈打つのに合わせ、痛みが波動のように広がる。

 息が苦しい。肺を捻られているようだ。

「う……っ」

 しかし、ヨル封じるのに唯一有効な手段はこれしかない。大雅が操作状態でいるしかない。

 ずっとは無理だが、少なくとも今は────。

 かぶりを振る。気を持ち直す。

 律の安否が気にかかった大雅は傷を押さえつつ、おぼつかない足取りながら、操っている瑚太郎とともに高架下の方へ歩き出した。



*



「何処が僕の負けなの?」

 冬真は嘲笑う。

 拘束された律は抗う術もなく、いとも簡単に絶対服従状態になった。

 こんな調子で彼の何処に勝機があるのだろう。

 自分の何処に負ける要素があると言うのだろう。

 見掛け倒しにも程がある。

「抵抗するなよ。大雅にテレパシー送るのも禁止」 

 そう命じた上で冬真は彼の蔦をほどいた。

「君と大雅以外の仲間たちは何処にいる?」

「さぁな。そんなこと俺に聞かれても知らない」

 意外なことに、服従させられても律の態度は変わらなかった。

 まさか、これも作戦のうちとでも言うのだろうか。

「じゃあ別のことを聞こう。時間停止の魔術師、彼女の名前は?」

「……藤堂紅。そんなことを聞いてどうする」

「停止出来る時間は最大でどのくらい?」

「一分間だが」

 さすがにこれらの問いかけには素直に答えた。

 術にはしっかりとかかっているようだ。冬真はせせら笑う。

「滑稽だな。強気に勝利宣言した割には、何の打開策もなさそうだけど?」

 事ある毎に冬真は律を挑発したが、彼は乗らなかった。悔しがることもしない。

 冬真にはそんな律の態度が不服でもあり怪訝でもあったが、追及したら負けな気がした。余裕がないと認めることになりそうで。

 自分が既に負けている、とは考えにくいが、これ以上彼と対峙していたくなかった。妙な違和感がある。

 想定外の出来事が起きてからでは遅い。

 禍根はさっさと断つべきだ。

「……律、残念だけどお別れだ。今まで楽しかったよ。それじゃ────その橋から飛び降りて死ね」

 冬真は最後の命令を下した。

 律の足が意思とは関係なく橋に向かっていく。

「…………」

 しかし、不意にぴたりと律の足が止まった。

「……!」

 大雅がテレパシーによって絶対服従を解いてくれたのだ。

 ────事前に、律は大雅に依頼していた。

『仮に拘束されても、絶対服従にかかれば解放されるはずだ。だが、だからといってやるべきことを果たす前に“死ね”などと命令されたらまずい』

『そうだな』

『だから数分おきに俺にテレパシーを送って欲しい。すぐに応答しなければ絶対服従を解いてくれ』



 くるりと方向転換した律は駆け出した。勢い任せに冬真へ手を伸ばす。

「!」

 突然のことに冬真は戸惑ったものの、咄嗟に後ずさって避ける。

 刃のような葉を飛ばすと、律の身体に切り傷が刻まれた。衝撃でその勢いが削がれる。

 血が流れ、地面に赤い雫が落ちた。
 首に鋭い痛みが走り、目眩を覚える。くらくらする。

「桐生……!」

 気力でどうにか堪えつつ、律は顳顬に触れた。

『動くな』

 その瞬間、冬真の頭の中で声が響く。

 はっと彼は瞠目した。……大雅?

 大雅のテレパシー自体に絶対服従効果はなかったが、突然のことに圧倒されてしまった。

 彼らの意図がまったく読めないのだ。

 その不気味さは、真正面から攻撃を仕掛けられるより余程脅威を感じるものだった。

 ひゅん、と唐突に飛んできた水弾が冬真の足元すれすれに撃ち込まれる。

「……!?」

 顔を上げれば、頬を掠めるほどの距離をもう一発通過していった。

 少し離れた位置に、人差し指を向ける瑚太郎の姿を認める。彼の仕業だ。

 あえて攻撃を外しているのが分かる。

(大雅に操られてるのか……?)

 ヨルが自分に牙を剥くはずもない。彼のことは丁寧に飼い慣らしてきたのだ。

 操られているに違いない。だが、何故そんなことになったのだろう。

 まさか、ヨルが負けたとでも────。

 思わず後退すると、ぴちゃ、と水音がした。

 いつの間にか足元には水溜まりが出来ている。

 動揺した瞬間、両腕を拘束された。あのまとわりついてくる水が、冬真の手首を掴んで離さない。

 驚く間もなかった。

 水溜まりから触手のように伸びた水が、足までもを捕らえてきた。

 完全に動きを封じられる。

 律が地面を蹴った。
 今度こそ、伸ばした手が冬真に届く────。

「!」

 殺される、と冬真は咄嗟に思った。
 だが、そうではなかった。

「……さよなら、如月」

 律は冬真の頭に触れた。

「……っ」

 彼はよろめいた。苦しげに顔を歪め、頭を抱える。

 深層に及ぶ大規模な記憶の改竄が行われ、激しい頭痛に襲われていた。

 ふっ、と力が抜け、どさりとその場に倒れる。
 膨大な記憶操作により一旦気を失ったのだろう。

 傀儡の遺体も糸が切れたように地面に落ちた。

 次に目覚めたとき、彼は残忍な野望も利己的な本性も忘却しているはずだ。

 ────最初から記憶操作を行うつもりだったため、律は絶対服従を恐れなかったのであった。

 そもそも服従させられることなんて容易に予想出来ていた。

 どうせ記憶をいじるため、情報を吐かせられても問題ないと判断し強気に出られた。

「…………」

 ぽた、ぽた、と、いくつもの深い傷から血が垂れる。ぱっくりと開いた首の傷から、どく、と鮮血があふれ出た。

 頭痛と息苦しさを覚え、浅い呼吸を繰り返す律の周囲に、赤い花が咲いていく。

 両手が震える。視界がぼやける。

 割れるような頭痛のせいで周りの音が遠のいていく。

 心臓も肺も破れそうだった。痛くて苦しい。

 これほどまでの反動は初めてだ。身体に負った傷と大量出血の影響で、通常より大きな負荷がかかっているに違いない。

 力が入らなくなり、地面に膝をついた。その拍子に口から血があふれる。

 広がる血溜まりの上に倒れ込んだ。血が跳ねると、赤い花はさらに開く。

「……これで、いい……」

 呟いた声は掠れた。

 空を見る。もう焦点も合わない。だが、心なしか以前よりも近く感じた。

 ゆっくりと、律は瞑目する。

 “やるべきこと”は果たした。成し遂げた。
 ……あとは、だけだ。



*



 少し離れた位置で、大雅も同じように強烈な反動を受けていた。

 蹲るようにして倒れる。

 腹部に負った銃創からの出血で、ひどい寒気がしていた。
 肌が青白く色を失っていく。体温が奪われていく。

 それで衰弱しているというのに、その上で瑚太郎を操作し魔法を使った。ただでさえ反動の大きな術を。

「く、そ……っ」

 大雅の身体は限界だった。もう動くことも出来ない。

 残念ながら高架下までは辿り着けず、律や冬真の結末は見届けられなかった。

 とはいえ、律のことだ。上手くやっただろう……。

 ────頭の中から律が消える。その命が尽きたことを悟る。

 ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返した。咳き込むと、血があふれた。

 内側から槌で殴打され続けているような頭。
 捻り潰されているかのような肺。
 拍動に合わせ爆発するかのような心臓。

 耐え難い苦痛が大雅の命を削っていく。

 彼は仰向けになった。決然たる眼差しで睨めつける。

「見てるか……。天界の、クソ野郎ども……」

 途切れ途切れの声は、それでもしっかりと空気を揺らした。

「……これが、俺たちの勝ち方だ」

 大雅は不敵に笑う。

 心残りはあるが、後悔はない。

 力を抜き、目を閉じた。

 一足先にゲームクリアと行こう────。



*



 大雅の死により、瑚太郎の操作が解けた。

 彼の内側では、ヨルと瑚太郎がせめぎ合っていた。

 大雅のお陰で一時的に瑚太郎の人格が浮上出来たのだろう。

 だが、それもいつまで持つか分からない。

「…………」

 何度も考えた。何度も模索した。

 ヨルを追い出し、自分を完全に取り戻す方法を。

 だが、想定以上にヨルは強力だった。

 彼の存在は根深く、瑚太郎には敵わないことを散々思い知らされた。

 もう、次はないかもしれない。

 ここでヨルに押し負けたら、もう二度と出てこられないかもしれない。

 そして、それは想定しうる最悪のパターンだ。
 ヨルによる完全な乗っ取り────。

 それを防げるのは、ヨルを封じ込められるのは、恐らく今しかない……。最後の機会だ。

 瑚太郎は涙を流した。

「ごめん、大雅くん……」

 大雅は言ってくれた。“生きろ”と。
 負けるな、と。諦めるな、と。

 ……自分もそうしたかった。

 ヨルになど屈したくはなかった。瑚太郎として、最後まで戦いたかった。

 しかし、もうそんな悠長なことは言っていられない。

(本当にごめん、皆)

 諦めるわけではない。
 負けを認めるわけでもない。

「でも、どうしてもお前だけはここで殺さなきゃいけない……!」

 瑚太郎は人差し指の先を、すなわち銃口を、顳顬部分に押し当てた。

 ざわ、と心が騒ぐ。暗い夜の森を風が駆け抜けていくようだ。

『やめろ!』

 ヨルが内側で叫ぶと、瑚太郎は身体を強張らせた。

 意図せず、勝手に末端から硬直していく。

 彼が必死に抵抗しているのだろう。そのうち瑚太郎は、自分の意思では動けなくなるはずだ。

 残された時間はわずかだった。

 猶予はない。躊躇している暇はない。

(────これは僕の身体だ。僕の人生だ。僕が決める)

 目を瞑った。
 つ、と涙が頬を伝い落ちる。

「……うるさい」

 水弾を発砲した。

 鮮血が翻り、瑚太郎は地面に崩れ落ちる。

 即死だった。
 自らが死ぬことで、ヨルを葬ったのだ。

 この選択に、悔いはなかった。



*



『すまないが私はやることがある。先に行っていてくれ』

 そう言った紅を置いて、小春と蓮は星ヶ丘高校へ急速飛行した。

 大雅の言っていた通り、旧校舎の方はフェンスに穴が空いており、誰でも侵入可能な状態だった。

 そこから中へ入るも、まるで人気ひとけがない。大雅と律の姿もない。

 小春は顳顬に触れる。

「大雅くん、大丈夫?」

 いつもならすぐに反応があるのに、彼からの返答は一向になかった。

 胸騒ぎがする。嫌な予感が膨らんでいく。

 同じ感覚を覚えた蓮は彼に電話をかけた。しかし、どれだけ待っても応答なしだ。

 膨張した不安感は爆発寸前だった。

 信じたくない可能性が脳裏を過ぎる。

「嘘だったの……?」

 ……大雅は嘘をついたのだろう。

 星ヶ丘高校へ行くというのも、助けて欲しいというのも嘘だ。

 小春たちを、仲間たちを守るための嘘。

 当初の予定通り、大雅と律の二人だけで決着をつけに行ったのだ────冬真たちと。

「くっそ……!」

 蓮は苛立ちを顕にフェンスを殴った。小春もただただ動揺し消沈した。

 応答がないということは、つまりそういうことだろう。

 信じられなくても、事実はこちらの心情になど構ってくれない。

 大雅と律を失っても、冬真の脅威は止まない。今なお迫ってきている────。

 瑚太郎のことも心配だった。いや、ヨルなのだろうか。

 いったいどうなったのだろう。蓮は昨日の時点で彼にも電話をかけたが、連絡はつかなかった。



「……やはりな」

 紅が姿を現した。

 重苦しく沈んだ空気から事態を察する。

 否、そもそも先ほどの大雅とのやり取りの時点で八割以上こうなることを予測していた。

 小春も蓮も俯いたまま顔を上げない。

 ……救えなかった。間に合わなかった。
 自責の念が絡みつく。

 いくら現実を受け入れることを拒絶しても、悲しみとやるせなさに引きずり込まれた。

「一度、状況を共有してはどうだ?」

 一人、冷静な紅が提案する。

 ほとんど言われるがままに、小春と蓮は他の仲間たちと連絡を取った。

 連絡のついた面々は瑠奈、奏汰、日菜、紗夜だ。
 少なくとも彼女たちの生存は確認出来た。

 大雅と律が恐らく冬真たちに敗れてしまったこと、瑚太郎の現状が不明であることをそれぞれに伝えておく。

「これからどうしたらいいのかな……」

 小春は力なく呟いた。

 大きな喪失感が、心にぽっかりと穴を空ける。

 これまで積極的に全員をまとめ、能動的に動いてきてくれた大雅。

 律を説いてくれたのも彼だ。

 記憶の件に関しても、彼には本当に助けられた。

 それなのに彼が危険なとき、そばにいることさえ出来なかった。

 結局、最後まで守られっぱなしだ────。

「……なぁ、あいつ引き込めねぇかな」

 ぽつりと蓮が言う。

「あいつ?」

「雪乃」

 聞き返した紅に彼は答えた。

 少しでも仲間は増やしたいし、雪乃の魔法があれば実質的に蘇生も可能である。

 はたと小春は思い至った。

 大雅たちの死亡はかなり濃いとはいえ、正確にはまだ未確定だ。

 テレパシーや電話も、弱っていて応えられなかったか、服従させられていただけかもしれない。

 既に死んでしまっているとしても、二分以内かもしれない。

 もしそうなら、今すぐ雪乃に会えば、時を戻して生き返らせることが出来るかもしれない。

「そうだね、雪乃ちゃんなら……」

 小春自身、一度蘇生して貰った。

 彼女の能力は身をもって知っている。

 蓮は頷いた。自分が以前頼んだときは断られたが、小春の申し出なら雪乃も無下にはしないだろう。

「一刻を争う。今すぐ飛んで行くのだ」

「俺も行く」

 ここへ来たとき同様、小春は蓮とともに浮かび上がる。

「私も名花へ向かう。そこで落ち合おう」

 紅が言った。小春は頷く。

 冬真やアリス、依織に見つからないよう、光学迷彩の結界を張った。



 名花高校へ降り立つ。

 校内へ入ると、急いで雪乃を捜した。

 やはりと言うべきか、行方不明となっていた小春が現れても騒ぎになることはなかった。

 大雅の言っていた通り、周囲の異常さが際立ってきている。

「いた……!」

 廊下の突き当たりに雪乃を見つけた。

 莉子や雄星もいる。雄星に背中を踏みつけられているようだった。

 蓮が「あいつ」と低く呟く。

 彼が雄星を制する前に、小春が閃光を瞬かせた。突然のことに三人は戸惑う。

 本当は莉子たちを追及したいところだが、今は時間がない。

 彼女たちが並べ立てるであろう言い訳を、あるいは開き直りを、聞いている余裕はない。

 小春は雪乃の手を取り、駆け出した。蓮もついて走る。
 渡り廊下へ出ると足を止めた。

「水無瀬さん……」

 小春の姿を認め、雪乃は瞠目する。

「よかった、生きてた……」

 蓮は思い至る。

 そういえば、小春と再会したことを雪乃に言いそびれていた。悪いことをした。

「雪乃ちゃんにお願いがあるの。時間を巻き戻して欲しい」

 小春は真剣な眼差しで雪乃を捉え言った。

「何でです……?」

 何故か雪乃の表情が強張る。

 身勝手なのは承知だが、理由を説明している時間もない。

「頼む、わけならあとでいくらでも話すから」

「けど……」

「おい、頼むよ!」

 何かを躊躇う雪乃に、蓮は強引に懇願した。

 それでは雪乃を怖がらせてしまう、と案じた小春だったが、彼女が怯えたりすることはなかった。

 どん、と苛立ったように蓮を突く。

「無理なんだって! あたしもう、一回につき三十秒くらいしか巻き戻せないんだよ!」

 小春も蓮も目を見張った。

 どういうことなのだろう。

 “最大で二分間”という話ではなかったのだろうか。

 雪乃も眉を寄せた。

「あたしも最初は知らなかった。でもな、どうやら時間操作系の魔法は、使用を繰り返すほどに劣化してくらしいんだ。……あたしは私怨で巻き戻し過ぎたみたいだな」

「そんな……」

 とんだ後出しのルールだった。

 三十秒前と言えば、名花高校へ着いた頃だろうか。巻き戻しても全然間に合わない。

「ごめんなさい、水無瀬さん」

 雪乃は小春の力になれないことを心苦しく思いつつ謝った。

 小春は慌てて首を左右に振る。

「こちらこそ無理言ってごめんね」

 蓮は神妙な顔で黙り込んだ後、口を開く。

「……時間操作系っつったか?」

 確かめるような彼の問いに雪乃は首肯した。

「たぶん、時間停止とかもそうなんじゃないか? 繰り返し使えば、止められる時間がだんだん短くなってるはずだ。他の空間操作系とか回復とかそういう強力な魔法も劣化してくと思う。……でもな、反動は小さくならねぇ」

 例えば、巻き戻し可能な時間が短くなっても、停止していられる時間が短くなっても、強烈な反動だけは変わらず術者を苦しめる。

 小春は雪乃を見やった。

 魔法が劣化するという事実のせいで、彼女の秘めていた性格キャラへの衝撃がすっかり薄れる。

 どちらが本性であれ、雪乃が義理堅く優しい人物であることに変わりはない。

「……雪乃ちゃん」

 一歩踏み出すと、彼女は顔を上げる。

「私たちのところに来ない? 莉子たちからも守るから」

 蓮の提案がなくとも、小春はこう言うつもりでいた。

 雪乃は少し驚き、苦く笑う。

「……あたしは自分で復讐を選んだ。何度も何度もあいつらを殺した。魔法ももう使い物にならない。こんなあたしがいても、水無瀬さんの邪魔になるだけです」

 小春を真っ直ぐに見返す。

 悲観しているわけでも、卑屈になっているわけでもない。

 復讐のために寿命を削っていることに後悔などないのだ。

「向井から、運営側を倒すって聞きました。あたしは仲間にはなれないけど、味方……っていうか。信じてます」

 雪乃の瞳に陰鬱な影はなかった。

 小春は彼女の思いと言葉を真摯に受け止め、凜然と頷く。

 背負っている様々な人の思いを自覚した。

 立ち止まっている暇などなかった。



 雪乃と別れた二人は学校を出た。

 校門前には紅の他、瑠奈と奏汰、紗夜の姿もある。

 大方の事情は紅が説明してくれているようだった。

「五条さん、どうだった?」

 奏汰が尋ねると、蓮は首を横に振る。

「なんつーか、一緒に行動はしねぇけど、味方ではある感じ」

 積極的に害したりはしないが、助けたりもしないだろう。小春は別として。

「紅ちゃん、ちょっといい?」

 小春は彼女に向き直る。

「その時間停止魔法、何秒止めていられるの?」

 紅は一瞬目を見張り、すぐに普段の無感情に戻った。
 目を伏せる。

「……劣化のことでも聞いたのか。確かに私も例外ではない」

 確かに魔法は劣化している。

 河川敷の高架下でアリスを拘束した際も、一分と経たずして限界が来た。

 四十六秒……次に止めるときにはもっと短いはずだ。

 停止可能な秒数の減少の仕方に規則性があるわけではないため、小春の問いにははっきりと答えられない。

 分からないが四十六秒未満、というのが回答だった。

「ごめんね、あたしのせいで……」

 瑠奈はしおらしく謝った。

 失踪していたとき、幾度となく時間停止で助けて貰ったのだ。

「何を言うのだ。胡桃沢氏のせいではない」

「だけど、今後は考えて使わないと、肝心なときに大変なことになる……」

 紗夜が物憂げに言った。その通りだ。

 これ以上劣化させないため、なるべく使わないようにしたいが、冬真たちが不意に襲ってきたときは使う他ない。

 今となっては、紅の魔法だけが頼りだ。

「ねぇ、とりあえずメッセのグループでも作らない?」

 あえて明るく瑠奈は言った。

 大雅を失ったとなると、今後の指針を立てるにあたり、全員の意思疎通に滞りが生じる。

 ここにいる面子に日菜を加え、メッセージアプリでグループを作った。

 今後はこれを通してコミュニケーションを図ることになるだろう。

「助けが必要なときには、遠慮も躊躇もしないですぐに言ってね」

 小春は全員を見回しつつ言った。

 ────ふと、ロック画面に表示された日付が目に入る。

 十一月二十七日。

 “時間がない”という、大雅の言葉を思い出す。

 勘違いしてはいけないのは、十二月四日に何かが起きるのではなく、十二月四日にはすべてが終わる、ということだ。

 運営側への逆襲という大それた目的を遂げるにしろ、為す術なく全滅するにしろ、十二月四日はリミットなのだ。

 そんなことを考えていると、不意にスマホが鳴った。

「!」

「わ、何?」

 その場にいる全員のスマホが、だ。

 見ると、ウィザードゲームのアプリからの通知だった。

 こんなこと、今までになかったのに。
 訝しみながら、各々アプリを開く。

 “中間発表”と、銘打たれたメッセージが届いていた。

【12月4日まで、残り7日となりました。
現在の生存者を発表するよ~!
※本日からは毎日午前9時に公表されます。

・朝比奈 莉子
・雨音 紗夜
・有栖川 美兎
・如月 冬真
・胡桃沢 瑠奈
・五条 雪乃
・斎田 雄星
・佐伯 奏汰
・藤堂 紅
・三葉 日菜
・水無瀬 小春
・向井 蓮

以上、12名。
各自殺し合い、頑張って生き残ってください】

 小春は驚いた。ほとんどがここにいる人物であり、そうでない者でも面識はある。

 だが、納得と言えば納得だった。自分たちは守り合いながらここまで来たのだから。

 十二人という人数を多いと見るか少ないと見るかは微妙だった。

 魔術師に選ばれた高校生の全数は不明だが、それでも随分と減っているはずだ。

「……ないな、あいつらの名前」

 蓮が呟いた。感情が揺れる。

 やはりと言うべきか、大雅と律は亡くなっていた。

 さらには瑚太郎の名前もない。結城依織の名前もだ。

 瑚太郎も依織も如何にして命を落とす羽目になったのだろうか。

 そして、今朝の連絡の後、大雅たちに何があったのだろうか。

 確かめるには冬真に聞くしかないが、現実的にそれは不可能だろう。

「百合園さんを襲った後、結城さんに何があったんだろう」

「私の毒が回ったんだと思う……」

 紗夜は小さく答える。

 咄嗟のことだったとはいえ、結果的に自分が殺してしまったのだ。

「冬真くんが手を貸してたんでしょ? もしかしたら、うららちゃん殺害を果たしたイコール用済みってことで、始末したのかもよ」

「それもありうるよな。冬真のことだし」

 瑠奈の言葉に蓮は同調した。

「ところで、この朝比奈氏と斎田氏とやらについては把握しているのか?」

「ああ。そいつらはな、名花の魔術師だ。雪乃いじめの主犯格で付き合ってる」

「要するにカスカップルってわけね……」

 紗夜は容赦なく蔑むように言った。

 あの二人は恋人同士だが、最終的な意向は不明だ。保有している魔法も不明である。

 小春の信念によれば、彼女たちも守るべき対象に含まれているのだろうが、積極的に手を取り合いたい連中ではなかった。

 莉子たちとはゲームについて話し合う気も、関わり合う気もない。

「如月氏や有栖川氏といい、その二人といい、守る価値なんてなさそうだが」

 腕を組み、紅が淡々と言ってのけた。

 全員、その気持ちは理解出来る。小春も否定はしなかった。

「……でも、守る命と切り捨てる命を選んだら、何だか運営側の連中と同格になっちゃう気がする」

 命を弄んだり生死を左右したりする資格は、自分にはないのだ。

 その性根に関係なく、魔術師たちは皆同じ立場なのだから。

 勿論、冬真やアリスのことは、許せない、というのが本音だった。

 仲間たちの、そして他にも多くの人の命を奪った。

 だが、彼らとてこんなゲームに巻き込まれなければ、普通の高校生として生きていたはずだ。家族や友だちだっている。

 許せないという感情だけで同じことをし返せば、悲しみの連鎖が続くだけだろう。

 そんなことはしたくなかった。

「……そうだな」

 小春が“殺害”という手段を取らない理由には、充分納得がいった。反論はない。

 ただの綺麗事ではなかった。
 それほどまでに強固な信念を持っていたとは。

「だけど、それはそれとして。現実問題、如月やアリスを何とかしないとでしょ……」

 紗夜が言う。

 怨恨や因縁は根深いが、殺害して復讐するという選択肢はない。

「私がやろう」

 紅が名乗りを上げた。

 時間を止めることに対しては、誰がどんな手を使おうが対処不可能だ。

 停止した世界は、術者の掌の上なのである。

「でも、劣化と反動が……」

「問題ない。拘束することくらい出来る」

 彼女を案ずる声が上がっても、紅は気丈に跳ね除けた。

 ……やるしかない。自分にしか出来ない。
 とっくに覚悟は決まっている。

「分かった」

 一行は冬真とアリスを捜索することとした。

 何処にいるだろうか。

 これまで冬真は星ヶ丘高校の屋上を主な拠点としていたようだが、それは既にこちらにも露呈している。

 大雅も律もいなくなり、最早そこに固執する必要などなくなったはずだ。

「そういえば、アリスに河川敷の高架下がバレたんだったよな」

 昨日はそれで彼らが来ることを危惧して解散した。
 だったら────。

「そこにいれば来るんじゃ……?」



*



「……っ!」

 目覚めた冬真は顔を歪め、両手で頭を押さえた。

 ズキズキと激しい頭痛に襲われる。意識の明瞭化とともに徐々に治まっていく。

 いったい何をしていたんだったか、と思いを馳せると、ほんのりと曖昧に蘇ってくる。
 ……誰かと戦っていたのだ。

(それで、どうなったんだっけ……?)

 身を起こし、周囲を見回す。

 血まみれで倒れている律と瑚太郎がまず目に入った。

 はっと息をのみ、狼狽する。

 慌てて駆け寄ったが、既に彼らの息はない。

 何があったのだろう。何故、思い出せないのだろう。自分たちは誰と戦っていたのだろうか。

「…………」

 冬真は立ち上がり、二人に黙祷を捧げた。

 もう一人、倒れている男子生徒のことは何となく把握している。

 声を借りているのだ。“たまたま事故死した”彼を傀儡にして。
 すっ、と屈み、彼に触れる。

 傀儡の男子生徒を伴い彷徨うように歩くうち、大雅を見つけた。こちらも息がない。

(何だ……?)

 自分だけ無傷で生き残るなんて、本当に何があったというのか。

 混乱したものの、遺体を放置出来ず、大雅を律と瑚太郎のいる高架下へと運んだ。

 切り傷や銃創だけでなく、血を吐いた痕跡がある。目や耳、鼻からも出血しているようだ。

 身体の内側を損傷したのだろうか。そんな魔法があっただろうか?



 そのとき、ざっ、と不意に数人の足音がした。
 冬真は顔を上げる。

「!」

 ────小春たちと目が合った。

 冬真の姿。大雅や律、瑚太郎の遺体。地面を染める赤黒い血。

 それらを見比べ、小春たちはひどく動揺した。

 衝撃的な光景だった。

 蓮は鋭く冬真を睨みつける。

「……お前がやったのか」

 責めるような懐疑の目に、冬真は戸惑った。

「違う。僕が仲間に手をかけるはずない」

 ふるふる、と首を左右に振る彼に困惑してしまう。

「“仲間”……?」

 倒れている三人は、確かにもともと冬真の一味だった。

 しかし、今は違う。

 ヨルはともかく、大雅も律も冬真とは完全に決裂していた。

 彼らを殺そうとまでした冬真が“仲間”などと称するのはおかしい。

 それに、何だか様子が変だ。

 この間相見えたときとは明らかに人が違う。演技をしているのだろうか。……何故?

「有栖川さんは何処に?」

「知らない。彼女は裏切り者だ」

 奏汰の問いかけに冬真はそう答えた。

 冬真のことも裏切ったのだろうか。

 一同はそう思い至ったものの、不意に運営側が送ってきた生存者リストを思い出す。

 冬真を裏切ってまで取り入るような相手はいないはずだ。

 ……何だろう。何かがおかしい。

 警戒心と違和感が膨らんでいく。

 身構えてここまで来たのに、何だか冬真からは殺意や敵意が感じられないのだ。

「何が、あったの?」

 小春が尋ねると、冬真は力なく首を横に振る。

「分からない……。誰かと戦ってたはずなんだけど、気付いたら意識を失ってた。目が覚めたら皆死んでた。何があったのか、まったく思い出せない」

 “思い出せない”という言葉にはっと閃いた。
 まさか律が……?

 横たわる彼を思わず見やる。律が決死の覚悟で記憶操作を施したのではないだろうか。

 お陰で冬真は、こちらへの敵意を忘却してくれた。

 否、それだけではない。冬真の中では、小春たちとは仲間だという認識に恐らく書き換わっている。

 つまり、邪心も野心も忘却の彼方で、今後は味方ということ────なのだろうか。

 それぞれ、惑ったように顔を見合わせる。

 困った。どうしたものだろう。

 その結論が正しいという確信が欲しい。過程を知りたいのに冬真は覚えていないし、ほかに知っている者もいない。

 いや、覚えていたらまた振り出しだ。
 忘れていてくれた方がいい、はずなのだが……。

「…………」

 一度俯いた蓮は、ふと大雅の傍らに屈んだ。

「馬鹿野郎……」

 固く目を閉じ、血まみれで息絶えている彼の襟を、ぎゅう、と掴んだ。
 
「お前に助けて貰ってばっかじゃねぇかよ。いつも……小春が消えたときも、戻ってきたときも、お前は助けてくれたのに。俺は……」

 小春も呼吸を震わせる。じわ、と視界が滲む。

「仲間だって、助けに行くって、言ったのに……」

「佐久間くんも佐久間くんだよ。なに最後にかっこつけてくれてんの……」

 呟いた小春に奏汰も続いた。

 紅は鋭く律の遺体と冬真を見比べる。

 こちらに隙が生まれても、冬真の態度は変わらなかった。

 術者が死んでも記憶操作は解除されないらしい。

 やはり冬真の脅威は、律の記憶操作により去ったわけだ。

 ふと、瑚太郎のそばに屈んだ瑠奈は、その顳顬の弾痕を指した。

「これ、自分で……?」

 痕跡的にそうとしか考えられない。

 ヨルに乗っ取られるくらいなら────と、自我のあるうちに死を選んだのだ。

「……っ」

 皆を守るために。
 三人が三人とも、そのために命を擲った。

 不意に、それぞれの遺体が光に包まれた。一瞬の閃光の後、忽然と消えてしまう。

 残ったのは血溜まりだけだ。

「うそ、消えた……」

 信じられないと言うように瑠奈が呟く。

 紅は小春を一瞥した。

「わ、私じゃないよ」

 確かに小春も閃光で目眩しをすることは出来るが、今のは違う。

 以前に屋上で慧の遺体が消えたときと同じだった。

 魔術師の死体は天界に還るのだ。一定時間が経過するとそうなるのだろう。

 ただ今回は、明らかに死亡後の処理が速い。

 もともと“死亡後何分で遺体が消える”というような規則性はないのか、それとも人数が減ったことや終わりが近いことが関係しているのかは不明だが。



「皆が誰にやられたか知ってるの?」

 冬真は傀儡を介し不安気に問うた。

 各々が難しい表情を浮かべる。

 ここで起きた出来事をすべて把握しているわけではないが、冬真が関わっているのは確かだ。

 だが、それを正直に言うわけにはいかない。

「運営側だ」

 淡々と紅は嘘をついた。

 ヘイトはまとめて連中に向けてしまえばいい、と考える。

「運営側……」

 呟いた冬真は思案顔になる。

 自分の知る運営側、少なくとも祈祷師は、自分に味方してくれていたはずだ。

 いつ、何に関して味方をしてくれたのかは忘れてしまったが。

 ずきん、と頭が痛む。

 あのときの光景がほんのわずかにちらつく。靄がかかったように不鮮明だった。

 ……学校の旧校舎だろうか。
 笑う祈祷師と、自分の他に律もいた。
 その場に倒れていたのは────誰だったか。

「ま、まぁまぁ……。ともかく冬真くんが以上、警戒すべきはアリスちゃん一人ってことだよね」

 取りなすように瑠奈が言った。

 そうだ、と一同は思い至る。

 アリスは何故いないのだろう。何をしているのだろう。まったくもっていい予感はしないが。

 恐らく冬真なら把握していたはずだが、先ほど尋ねたときの口振りからして覚えていないだろう。

 もともとこちらの仲間だった、というふうに記憶が書き換わったことで、相対的にアリスとのことも忘却したのかもしれない。

 あるいは律の意図だろうか。

 それを覚えていると、本来の記憶が戻ってしまう可能性が高くなるため忘れさせた?

 後者であるならばもう聞かない方がいい。

「何とかしてアリスちゃんを捜し出したいところだよね」

 期日まで時間がないのは向こうも同じだ。彼女もこちらを捜しているのではないだろうか。

 冬真の記憶のことも知らないはずだ。

 大雅たちに会いに行ったことは知っていたとしても、生存者リストを見た限りでは、冬真の完勝を信じて疑わないだろう。

 だが、その後連絡を絶たれたら、アリスは混乱するに違いない。正気ではいられないはずだ。

 依織が冬真に切り捨てられたのだとしたら、同じ末路を辿るのではないか、と。

(連絡……。そうだ、まずい)

 はっとした小春は冬真に向き直る。

「冬真くん、ちょっとスマホ貸してくれない?」

 アリスから連絡でも来ようものなら。

 同じことを思い至った蓮もはっとする。

 それもそうなのだが、アリスとのトーク履歴を見られたら一発でアウトだ。

 アリスと手を組んでいたこと、小春たちの敵だったこと、すべてを思い出してしまうかもしれない。

 そうなったら今度こそ終わりだ。

 大雅と律の勝利────作ってくれた最後の機会────も無意味なものになってしまう。

「スマホ? いいけど」

 冬真は訝しみつつも素直に差し出した。

 半ば奪うように受け取った蓮はメッセージアプリを開き、慌ててアリスをブロックする。トーク履歴も削除しておいた。

「危ねぇ……」

 蓮は息をつきつつ彼にスマホを返却した。

 これで冬真とアリスの連絡手段はなくなったはずだ。

 一同は安堵する。その様子に冬真は首を傾げるも、それだけに留まった。

「……そうだ。アリスのことだけど、あの子は何故か一方的に如月を仲間だと思い込んでる……」

 紗夜は冬真に先んじて嘘の説明をしておく。

 もし冬真と彼女が顔を合わせたとき、アリスの反応に違和感を覚えさせないためだ。

 冬真は少し驚いたようだったが“何故か”と曖昧にぼかしたことで追及しなかった。

「へぇ、そうなんだ。だったら、それを利用して呼び出せるんじゃない?」

「確かに! ナイスアイディア」

 思わず瑠奈が同調する。

 しかし、懸念点もあった。

 アリスが余計なことを言って、冬真の記憶を呼び起こしてしまうかもしれない。

 律の記憶操作は不完全なのだ。何をきっかけに本来の記憶が戻ってしまうか分からない。

 だが、それこそがアリスをおびき寄せられる確実な方法だ。

 冬真はスマホを操作する。

「待て、俺がやる」

 蓮は冬真の手からスマホをふんだくる。

 冬真にやらせるのでは安心出来ない。

 一時的にアリスのブロックを解除した。

「どうしてわざわざ君が……」

「まぁまぁ」

 ぼやく冬真を苦笑した奏汰が宥め、スマホから遠ざける。

 ちょうどそのタイミングでアリスからのメッセージを受信した。

【生存者リスト見たで。桐生と佐久間のこと片付けられたんやな。早坂もあんたの仕業か?】

【何にしろ残りの顔ぶれ見た限り、如月の天下取りは確定やな】

 スマホを持つ蓮と画面を覗き込んだ小春は、ほっと胸を撫で下ろす。

 間一髪だった。

 危なかった、これを見られたら────。

 蓮は素早く“河川敷に来い”とだけ打つと、送信しようとした。

 慌てて小春が「ちょっと待って」と制する。

 明らかに冬真の口調ではないし、冬真らしくもない。

「あの子、結構鋭いから生半可じゃ罠だってバレちゃうよー」

 瑠奈も小声で同調する。

 蓮は口をへの字に曲げ、入力した文字を削除した。スマホを小春に渡す。

「ねぇ、冬真くん。例えばの話なんだけど……憎んでた人を討てたとしたら、何て報告する?」

 やや無理のある例え話だろうか。内心ひやひやしながら小春は尋ねる。

 存外彼は素直に思案した。

「うーん……“思い知らせることが出来て何よりだよ。これであいつも分かったんじゃないかな? 端から僕には敵わないって。あぁ、死んでから分かっても意味ないか”」

「よし、お前一発殴らせろ」

 腕捲りをする蓮を小春は慌てて止めた。

 やはり、冬真は冬真だ。間違いない。爽やかな笑顔を浮かべながら鬼畜な言葉を並べ立てる姿があまりにも似合っている。

 紗夜は「ほんとクズ……」と思わず蔑んだ。

「記憶なくなっても本性は変わらないってこと?」

「怖すぎるんだけど……」

 奏汰と瑠奈は、ひそひそと声を潜め囁き合った。

 心苦しさを覚えたものの、小春は今の冬真の言葉をそのまま文字にする。

 それから“河川敷に来てくれる?”と打ったものの、はたと指を止める。思案するように顔を上げた。

 何か尤もらしい口実はないだろうか。

「私の名を出すがいい」

 小春の考えていることを察した紅がいち早く名乗りを上げた。

「あいつは、この中では特に私を恨んでいる。私を見つけたと言え」

「……分かった」

 小春は頷き、再びキーボードをタップする。

【藤堂紅を見つけた】
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