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11.合同訓練開始前
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高い空は混じりけない青に染められ、白亜の城をくっきりと浮かび上がらせる。
降り注ぐ陽光は誰もを眩く照らし、落とす影との対比が瞼の裏にちりちりと焼き付いて離れない。
騎士団の合同訓練当日はそんな晴天に恵まれた。
王城の正門前にはあらゆる方角へと道を伸ばす半円形の広場が造られている。平時であれば貴族や賓客用の馬車が乗り入れるために利用されているその空間が、今日の合同訓練の舞台となる。
半円形の広場には一回り小さな半円を描くように複数の騎士たちが配置されている。正門に背を向けて立つ彼らは一本の長い綱を後ろ手に握り締めることで広場を二分して、臨時の訓練場と市民の観覧場を作り上げている。と同時に市民が侵入して怪我を負うことがないように目を光らせていた。
観覧場側となる半円形の縁には様々な色形の天幕が彩り鮮やかに立ち並び、串焼きや焼き菓子、果実水など市民の間で親しまれている飲食物を売り出して食欲をそそる香りを漂わせている。
一方で正門前にも王国の紋章を掲げた立派な天幕がいくつか建てられていた。
訓練に参加する騎士たちが待機、休憩するために建てられたものの他、武器や防具を管理するための天幕、万が一に備えて救護を行うための天幕、そして飲食を行うための天幕がある。当然のことながらカレンはそこに待機していた。
「カレンは合同訓練を見るのが初めてなんだって?」
ひょろりと長い長身を曲げてテーブルを拭く同僚のニコライが尋ねてきた。
「はい、生まれは地方ですので」
「そりゃ楽しみだな! うちの息子も今頃どこかで大騒ぎしてるはずさ」
からりとしたニコライの笑顔にカレンは内心でほっと息を吐いた。
一筋の光すら通さない分厚い織布で作られた騎士団所有の広い天幕。中央で組み立てられたテーブルは騎士団が遠征時の軍議に使うものらしく、大小様々な傷が刻まれている。いくつか設置されている簡素な椅子は見るからに硬そうで座り心地が想像出来ない。
それらの見慣れない品々は物珍しさを通り越し、カレンを異空間に放り込まれたような気分にさせた。そんな中で日頃から食堂で顔を合わせているニコライの存在が頼もしい。
彼が拭き作業を終えたことに気付き、天幕の最奥に置かれた木箱に近付く。料理人の用意した軽食が詰められており、テーブルに並べようと思ったからだ。
「開始前の今なら余裕があるから広場の空気を楽しんでおきな。天幕の入り口からでもよく見えるから」
しかしニコライからこんな言葉が飛ぶ。
彼は非常に働き者で、食堂でも率先して仕事に取り組んでいる。その勤勉さにはカレンが働き始めた当初から随分と助けられている。
ニコライと一緒に割り当てられたのはマーリルの心遣いに違いない。統括責任者に心の中で感謝しつつ、ニコライ本人には言葉で直接礼を述べた。
「ありがとうございます。お言葉に甘えます」
広場に面して大きく捲られた出入り口からそっと顔を覗かせる。内部にいるときは逆光で白い世界にしか見えなかった広場が一瞬で色付いた。
カレンが王城前広場を歩いたのは過去に一度きり。初登城の日に通って以降は、ずっと職員寮近くの裏口を利用して街に出ている。
すぐ側で生活しているにも関わらず、全く馴染んでいない王城前広場の景色は大勢の市民で埋め尽くされていて、またも現実感が遠のいていく。
(こんなにたくさんの人が集まるところは初めて……)
随分と離れているはずなのに、行き交う人々が踏む石畳の音が大きな塊となって辺りを支配している。何とも判別がつかない雑多な香りが風に乗って流れてくる。
露店で買った焼き菓子を頬張る男女、綱を持つ騎士の間近で訓練開始を待ち侘びる子どもたち、騎士が待機する天幕を真剣な眼差しで見つめる少女、遠目に見ても皆楽しそうだ。
「苦労を掛けるな、カレン」
賑わう市民の様子に見入っていたカレンに労いの声が掛けられた。
深緑の制服に綺羅びやかな金の腕章を着けたカッツェがこちらに向かって歩いてくる。いつもより綺麗に撫で付けられた髪が燃えるような色彩を放っていた。
「カッツェ団長、こんにちは」
「休みのところをすまないな」
「いえ、実は楽しみにしていたんです」
思わず浮かんだ笑みのままで伝えると、ほんの少しだけカッツェの表情が緩む。
「団長も参加されるのですか?」
「全団長、副団長は参加する決まりだからな。上の者が見本を示してこそだ」
言い切るカッツェに圧倒されつつも、ふと彼が腰に下げているものに意識が向く。
「細剣を見るのは初めてか?」
「はい。騎士様が普段帯剣されている長剣以外の武器を見るのは初めてです」
鞘も細身だが鍔や持ち手を守る護拳の装飾までもが繊細で芸術品のように美しく、陽の光を四方八方に拡散している。
「これは式典用の謂わば見世物だ。柔らかくて実戦向きじゃない」
「お使いにならないのですか?」
「訓練前に行進することになっている。そのためのお飾りってやつだな」
武器を鑑賞するのも貴重な機会であるのに、騎士団長の解説付きとは贅沢な話だ。しかしカッツェは面倒そうな素振りも見せず、見入るカレンを好きにさせてくれていた。
(ソフィアがこの場にいないのが惜しいわ)
式典用の細剣をこんなに間近で見られる機会はそうそうないのでは、と思う。
きっとソフィアも興味深くカッツェの話に聞き入ったに違いない。王都で暮らしていた彼女なら合同訓練も既知だろうし、話に花が咲いたのではないだろうか。
他人事ながら残念だと内心がっかりしたところでお節介な自分に気付き、一人恥ずかしくなる。
「カレン、こっちに来い」
「えっ?」
「社会勉強だ」
強面がにんまりと笑うと底知れない恐ろしさを感じる。しかしそれは噯気に出さず、ニコライの勧めもあって素直にカッツェに追従することにした。
向かった先は武具管理用の天幕だった。天幕の傍らに立つ騎士らがカレンの顔を見て「ご苦労さん」と気安い挨拶を投げてくる。紺青と白の制服を来ている彼らも食堂での顔馴染みだ。
会釈を返し、入り口前のカッツェの半歩後ろに立つと肩越しに見下ろされた。
「あれが実際に訓練で使う武器と盾だ」
広い背中の向こうを覗き込むと、薄ぼんやりとした内部には木組みの武器立てが鎮座していた。そこには長剣や細剣、戦鎚、棍棒、手斧など様々な武器と見るからにずしりと重そうな盾が並んでおり、カレンの目を驚かせる。
「それとこっちもだな」
顎で天幕の裏を指すので再び付いていくと、一層大きな武器立てに長さの異なる槍が数本立て掛けられていた。
青天を刺すような穂先の鋭さに一瞬ぎくりとする。
「ドノヴァが得意な武器だ。俺は好まんが」
「色々な武器をお使いになられるのですか?」
「有事に自分好みの武器が手元にあるとは限らんからな」
レグデンバーが槍を握る姿を想像しかけたところで現実的な話になる。
カレンが知る限り、この国では長き年月に渡って戦は起こっていない。しかし平和とは約束されたものではない。
(……いいえ、戦だけではないわ)
国や王族のみならず、市民をも守るために彼らは存在している。
何気ない日常の中でもその身に危険は付き纏う。現に市民の問題行動を止めようとして負傷した騎士を間近で見たばかりだ。
するりと吐かれたカッツェの言葉は心に重く響いた。
「まぁカレンも慣れておくといい」
「武器にですか? それは使えという意味で……?」
「なんだ、使うなら教えてやろうか」
「いっ、いえいえ、それは無理です」
カレンの反応に楽しげに肩を揺らすカッツェの真意が汲めず首を傾げていると、天幕の入り口の方から話し声が聞こえてきた。
「裏ですか? あぁ、いますね。ありがとうございます」
姿を見せたのは眉間に皺を刻んだレグデンバーだった。鋭い目付きでカッツェを見つめていたが、カレンの存在に気付くと険しい空気がふわりと霧散した。
「カレンさんもこちらにいらしたのですね。今日はお世話になります」
「こちらこそ。本日はよろしくお願いいたします」
「ところで、団長」
カッツェに向き直ったその顔には再び不機嫌な色が浮かんでいる。
「食事をしてすぐに戻ると仰っていたのでは?」
「ちょっと世間話をしていた」
(世間話だったかしら?)
またも首を捻るが、多分答えはもらえないだろうから口は噤んでおく。
「時間が差し迫っていますので食事をするなら早めにどうぞ」
「わかったわかった。悪いな、カレン。すぐに食えそうなものはあるか?」
そこでようやくニコライ一人に仕事を任せていたことを思い出した。
「はい、あの色々用意していただいているので、あちらの天幕でお選び下さい!」
先に戻ります、と言い残してその場を去るカレンの耳に「レオ……」と低い囁きが聞こえたが気に留めている余裕などなかった。
降り注ぐ陽光は誰もを眩く照らし、落とす影との対比が瞼の裏にちりちりと焼き付いて離れない。
騎士団の合同訓練当日はそんな晴天に恵まれた。
王城の正門前にはあらゆる方角へと道を伸ばす半円形の広場が造られている。平時であれば貴族や賓客用の馬車が乗り入れるために利用されているその空間が、今日の合同訓練の舞台となる。
半円形の広場には一回り小さな半円を描くように複数の騎士たちが配置されている。正門に背を向けて立つ彼らは一本の長い綱を後ろ手に握り締めることで広場を二分して、臨時の訓練場と市民の観覧場を作り上げている。と同時に市民が侵入して怪我を負うことがないように目を光らせていた。
観覧場側となる半円形の縁には様々な色形の天幕が彩り鮮やかに立ち並び、串焼きや焼き菓子、果実水など市民の間で親しまれている飲食物を売り出して食欲をそそる香りを漂わせている。
一方で正門前にも王国の紋章を掲げた立派な天幕がいくつか建てられていた。
訓練に参加する騎士たちが待機、休憩するために建てられたものの他、武器や防具を管理するための天幕、万が一に備えて救護を行うための天幕、そして飲食を行うための天幕がある。当然のことながらカレンはそこに待機していた。
「カレンは合同訓練を見るのが初めてなんだって?」
ひょろりと長い長身を曲げてテーブルを拭く同僚のニコライが尋ねてきた。
「はい、生まれは地方ですので」
「そりゃ楽しみだな! うちの息子も今頃どこかで大騒ぎしてるはずさ」
からりとしたニコライの笑顔にカレンは内心でほっと息を吐いた。
一筋の光すら通さない分厚い織布で作られた騎士団所有の広い天幕。中央で組み立てられたテーブルは騎士団が遠征時の軍議に使うものらしく、大小様々な傷が刻まれている。いくつか設置されている簡素な椅子は見るからに硬そうで座り心地が想像出来ない。
それらの見慣れない品々は物珍しさを通り越し、カレンを異空間に放り込まれたような気分にさせた。そんな中で日頃から食堂で顔を合わせているニコライの存在が頼もしい。
彼が拭き作業を終えたことに気付き、天幕の最奥に置かれた木箱に近付く。料理人の用意した軽食が詰められており、テーブルに並べようと思ったからだ。
「開始前の今なら余裕があるから広場の空気を楽しんでおきな。天幕の入り口からでもよく見えるから」
しかしニコライからこんな言葉が飛ぶ。
彼は非常に働き者で、食堂でも率先して仕事に取り組んでいる。その勤勉さにはカレンが働き始めた当初から随分と助けられている。
ニコライと一緒に割り当てられたのはマーリルの心遣いに違いない。統括責任者に心の中で感謝しつつ、ニコライ本人には言葉で直接礼を述べた。
「ありがとうございます。お言葉に甘えます」
広場に面して大きく捲られた出入り口からそっと顔を覗かせる。内部にいるときは逆光で白い世界にしか見えなかった広場が一瞬で色付いた。
カレンが王城前広場を歩いたのは過去に一度きり。初登城の日に通って以降は、ずっと職員寮近くの裏口を利用して街に出ている。
すぐ側で生活しているにも関わらず、全く馴染んでいない王城前広場の景色は大勢の市民で埋め尽くされていて、またも現実感が遠のいていく。
(こんなにたくさんの人が集まるところは初めて……)
随分と離れているはずなのに、行き交う人々が踏む石畳の音が大きな塊となって辺りを支配している。何とも判別がつかない雑多な香りが風に乗って流れてくる。
露店で買った焼き菓子を頬張る男女、綱を持つ騎士の間近で訓練開始を待ち侘びる子どもたち、騎士が待機する天幕を真剣な眼差しで見つめる少女、遠目に見ても皆楽しそうだ。
「苦労を掛けるな、カレン」
賑わう市民の様子に見入っていたカレンに労いの声が掛けられた。
深緑の制服に綺羅びやかな金の腕章を着けたカッツェがこちらに向かって歩いてくる。いつもより綺麗に撫で付けられた髪が燃えるような色彩を放っていた。
「カッツェ団長、こんにちは」
「休みのところをすまないな」
「いえ、実は楽しみにしていたんです」
思わず浮かんだ笑みのままで伝えると、ほんの少しだけカッツェの表情が緩む。
「団長も参加されるのですか?」
「全団長、副団長は参加する決まりだからな。上の者が見本を示してこそだ」
言い切るカッツェに圧倒されつつも、ふと彼が腰に下げているものに意識が向く。
「細剣を見るのは初めてか?」
「はい。騎士様が普段帯剣されている長剣以外の武器を見るのは初めてです」
鞘も細身だが鍔や持ち手を守る護拳の装飾までもが繊細で芸術品のように美しく、陽の光を四方八方に拡散している。
「これは式典用の謂わば見世物だ。柔らかくて実戦向きじゃない」
「お使いにならないのですか?」
「訓練前に行進することになっている。そのためのお飾りってやつだな」
武器を鑑賞するのも貴重な機会であるのに、騎士団長の解説付きとは贅沢な話だ。しかしカッツェは面倒そうな素振りも見せず、見入るカレンを好きにさせてくれていた。
(ソフィアがこの場にいないのが惜しいわ)
式典用の細剣をこんなに間近で見られる機会はそうそうないのでは、と思う。
きっとソフィアも興味深くカッツェの話に聞き入ったに違いない。王都で暮らしていた彼女なら合同訓練も既知だろうし、話に花が咲いたのではないだろうか。
他人事ながら残念だと内心がっかりしたところでお節介な自分に気付き、一人恥ずかしくなる。
「カレン、こっちに来い」
「えっ?」
「社会勉強だ」
強面がにんまりと笑うと底知れない恐ろしさを感じる。しかしそれは噯気に出さず、ニコライの勧めもあって素直にカッツェに追従することにした。
向かった先は武具管理用の天幕だった。天幕の傍らに立つ騎士らがカレンの顔を見て「ご苦労さん」と気安い挨拶を投げてくる。紺青と白の制服を来ている彼らも食堂での顔馴染みだ。
会釈を返し、入り口前のカッツェの半歩後ろに立つと肩越しに見下ろされた。
「あれが実際に訓練で使う武器と盾だ」
広い背中の向こうを覗き込むと、薄ぼんやりとした内部には木組みの武器立てが鎮座していた。そこには長剣や細剣、戦鎚、棍棒、手斧など様々な武器と見るからにずしりと重そうな盾が並んでおり、カレンの目を驚かせる。
「それとこっちもだな」
顎で天幕の裏を指すので再び付いていくと、一層大きな武器立てに長さの異なる槍が数本立て掛けられていた。
青天を刺すような穂先の鋭さに一瞬ぎくりとする。
「ドノヴァが得意な武器だ。俺は好まんが」
「色々な武器をお使いになられるのですか?」
「有事に自分好みの武器が手元にあるとは限らんからな」
レグデンバーが槍を握る姿を想像しかけたところで現実的な話になる。
カレンが知る限り、この国では長き年月に渡って戦は起こっていない。しかし平和とは約束されたものではない。
(……いいえ、戦だけではないわ)
国や王族のみならず、市民をも守るために彼らは存在している。
何気ない日常の中でもその身に危険は付き纏う。現に市民の問題行動を止めようとして負傷した騎士を間近で見たばかりだ。
するりと吐かれたカッツェの言葉は心に重く響いた。
「まぁカレンも慣れておくといい」
「武器にですか? それは使えという意味で……?」
「なんだ、使うなら教えてやろうか」
「いっ、いえいえ、それは無理です」
カレンの反応に楽しげに肩を揺らすカッツェの真意が汲めず首を傾げていると、天幕の入り口の方から話し声が聞こえてきた。
「裏ですか? あぁ、いますね。ありがとうございます」
姿を見せたのは眉間に皺を刻んだレグデンバーだった。鋭い目付きでカッツェを見つめていたが、カレンの存在に気付くと険しい空気がふわりと霧散した。
「カレンさんもこちらにいらしたのですね。今日はお世話になります」
「こちらこそ。本日はよろしくお願いいたします」
「ところで、団長」
カッツェに向き直ったその顔には再び不機嫌な色が浮かんでいる。
「食事をしてすぐに戻ると仰っていたのでは?」
「ちょっと世間話をしていた」
(世間話だったかしら?)
またも首を捻るが、多分答えはもらえないだろうから口は噤んでおく。
「時間が差し迫っていますので食事をするなら早めにどうぞ」
「わかったわかった。悪いな、カレン。すぐに食えそうなものはあるか?」
そこでようやくニコライ一人に仕事を任せていたことを思い出した。
「はい、あの色々用意していただいているので、あちらの天幕でお選び下さい!」
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