銀鷲と銀の腕章

河原巽

文字の大きさ
27 / 48

27.祖父

しおりを挟む
 鮮やかな赤髪を持つ人物をカレンは一人しか知らない。
 そして開かれた扉からおもむろに現れたのはとてもよく見知った男だった。
 第二騎士団の深緑に身を包んだカッツェは入室したものの入り口傍から動こうとはせず、難しい表情でミラベルトに告げた。

「動きません」
「多少強引でも構わないよ」

 その言葉に素早く頭を下げたカッツェは再び扉の向こうへと消えてしまった。
 扉が閉じる音に重なるように「困ったものだね」と小さく呟く声が聞こえる。しかしその声にはどこか喜色が混じっているように感じられた。

(カッツェ団長ではないのね)

 夜会の終わり際に含みを持たせたカッツェであればあの言葉が今に繋がるかと思ったのだが、ミラベルトが指すのは彼ではないらしい。
 行儀よく座ったまま、落ち着かない時間を過ごす。ややあって、重たいノック音が響いた。

「入りなさい」

 主のよく通る声に呼応するように使用人が再度取手に手を掛ける。
 戸口に現れたのはやはりカッツェだったが、今度は一人ではない。その後方、同じような高さにチョコレート色の頭髪が覗いて見える。

(……レグデンバー副団長?)

 彼こそがミラベルトの指す人物なのだろうか。
 そう思いかけたとき、先を歩いてきたカッツェが足を止めて真横に一歩身体をずらした。瞬間、カレンは無作法も忘れて声を上げてしまっていた。

「ソフィア?」

 大柄な騎士団長と副団長の間にすっぽりと収まっていたらしい小柄な女性が露わになる。そこには見慣れた親友の姿があった。
 しかしソフィアはカレンの呼び掛けに応じることなく、視線を床に落としたまま表情を曇らせている。身の置き場がないとでも言いたげに身体を縮こませて。

「話は座ってからにしよう。さぁ、お嬢さんの隣に掛けなさい」

 ミラベルトの一声に反応を示したソフィアだが動きはぎこちなく、カレンの顔も見ずに長椅子に腰を落ち着けた。彼女の後を追うように動いたカッツェとレグデンバーはカレンたちが座る長椅子の背後に立ち、退室する様子はない。
 当たり前のように進んでいく事態にカレンだけが予定調和の世界から外れているような気分だった。

「一度お茶を淹れ直させよう」

 ミラベルトが使用人に指示を出している隙に隣をそっと盗み見る。膝元のスカートを強く握り締めているソフィアはやはり俯きがちで、その顔は青ざめているようにも見える。何かに怯えている、そんな印象すら感じた。

「そうだ、お嬢さんにはお礼を言わなければと思っていたんだ」

 一方、この場を支配しているであろうミラベルトは変わらず朗らかな様子で上着の内ポケットをまさぐり始める。かと思えば、抜き取った手をカレンに向けて差し出してきた。
 手首を返してよく見えるようにと示された、白いそれ。

「素敵な出来栄えだ。とても気に入ったよ」

 窓から差し込む陽光に照り輝く赤紫色の糸が純白のハンカチに薔薇模様を描いている。カレン自身も手に取って検めたことがある、紛うことなきソフィアの作品だ。
 二枚あったうちの片割れの純白。そしてもう一枚の薄灰色は昨晩別の場所で見掛けたばかりだ。

「孫のために手ほどきをありがとう、レディ・カレン」
「はい、いえ……え、えっ?」

 それとなく返答しかけたところで、たった今投げられた言葉に多くの意味が込められていると気付き、狼狽で語尾が乱れてしまう。
 しかしミラベルトは笑顔で受け流して続けた。

せがれときたら娘の刺した刺繍に感激してしまったようでね、早速夜会の席でポケットに忍ばせていたらしい。お嬢さんにも見覚えがあるんじゃないかな?」

 今日はそのハンカチの在処について考えたいと思っていたくらいに覚えがある。

「つまり……ミラベルト様はソフィアのお祖父様で、財政部門のあの方はソフィアのお父様……ということでしょうか?」

 内情に踏み込みすぎではないかと危惧しつつも、眼前の好々爺が導く先の答えを口にした。
 満足のいく返答だと言わんばかりに笑みを深めた老人は慣れた手つきでハンカチを仕舞う。そして未だ無言を貫いているソフィアに優しい視線を送った。

「倅の名はグラットと言って、お嬢さんの言う男に違いない。そしてソフィアの父親でもある」

 ならばあのハンカチは正真正銘ソフィアの刺繍したものに他ならないのだろう。
 嬉しそうに披露された二枚のハンカチは肉親への贈り物だったらしい。

(でも、ソフィアは……)

 カレンの隣で静かに座り続けるソフィアに目を向けると、彼女の顔色が益々悪くなっていることに気付く。

「ソフィア、大丈夫? 具合が悪いの?」

 囁くような声音を意識したつもりだったが、ソフィアの肩が大きく揺れる。

「え、えぇ、大丈夫よ」

 気丈にもそう答えるが、やはり表情は優れない。彼女らしからぬ様子が心配で強張らせた肩をゆっくりさすってやると、ほっと吐息を吐くのが掌越しにわかった。

「ソフィアはグラットの娘に違いないが、倅の妻である現侯爵夫人の娘ではない。グラットと夫人の間に生まれた息子はソフィアの異母弟に当たる」

 頭の中でぼんやりとした相関図を思い浮かべてみる。
 異母弟ということはソフィアの誕生が先であり、ソフィアの母は先妻となるのだろうか。
 
「ソフィア、君の母親はパトリシア・ルベンといったね?」
「……はい」
「パトリシアはポーリアム家に出入りしていたルベン商会の娘で、時折手伝いとして屋敷に訪れることがあった。そこでグラットと知り合ったのだろう」

(……そういうことだったのね)

 そこまで明かされれば先の話は想像に難くない。
 許されない恋がそこにあったのだと色恋に疎いカレンにだって察せられる。

「貴族とは家と家の繋がりを重要視する。グラットには然るべき縁談をと奔走している合間の出来事でね、私は気付けなかった」

 カレンですら伯爵の後妻に入るようにと縁談を進められていたくらいなのだ。侯爵家の嫡男ともなれば一層相手の見極めに慎重になることも、市井の娘を迎え入れることが困難であることも理解出来る。
 ミラベルトは湯気が引きつつある紅茶を勢いよく喉に流し込んで続ける。

「ルベン商会の者が訪れた折にグラットの婚約を伝えた。その場にいたパトリシアには私から直接、今後の出入りを控えて欲しいとお願いした」

『貴族による市民への強要はいかなる場合も認められておりません』

 母に再会した日のレグデンバーの言葉が蘇る。
 強要は出来ないが、貴族の発する『お願い』が額面通りのものとは限らない。

「これが私の犯した大きな過ちだよ。『お願い』の真意を察したルベン夫妻は得意先の子息の手付きとなったパトリシアに憤怒し、彼女を勘当してしまったんだ」

 ゆっくりと首を振るミラベルトは眉を歪めて悲痛な表情を浮かべている。先程までの明るい印象と打って変わった雰囲気に、彼が過去の行いに深い後悔を抱いているのが伝わってくる。

「しばらくしてルベン商会は破産した。長年世話になっていた手前、再就職のツテを紹介しようとそれぞれの行き先を辿っていて、私はようやくそこでパトリシアが勘当されていることを知った」

 痛ましい眼差しでソフィアを見るミラベルトに家族の愛情を感じ取る。自身の祖父母――会ったことがあるのは母方の祖父母だけだが――にはがっかりした目つきでしか見下ろされたことがないカレンには十分温かいものに見えた。

「使いの者をやった頃にはすでにパトリシアは出産した後だった。お嬢さんも世話になった、あの修道院でね。リース院長からパトリシアが身を寄せた日を訊き出せば、生まれた子がグラットの子であると確信した。そこで私は修道院の傍に一軒家を用意してパトリシア親子を住まわせることにしたんだ」

 そう言えば、と思い出す。
 カレンが修道院で過ごしていたあの頃、ソフィアは近くに住んでいてたまに手伝いに来ていると言っていた。一軒家に住んでいるとも聞かされていたが、働いて給金を稼ぐようになった今、ひとつの家を持って暮らしを続けるのは容易ではないと知っている。
 彼女の生活の背景にポーリアム家の助力があっただろうことが窺えるが、しかしソフィアからそんな話を聞いたことはない。
 ちらりと隣に目を向けると、ソフィアが不安げな瞳でカレンを見つめていた。

「安心なさい。私がちゃんと説明するから」

 くすりと笑ってソフィアを励ますミラベルトは真に孫を想う顔をしていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

姉の婚約者と結婚しました。

黒蜜きな粉
恋愛
花嫁が結婚式の当日に逃亡した。 式場には両家の関係者だけではなく、すでに来賓がやってきている。 今さら式を中止にするとは言えない。 そうだ、花嫁の姉の代わりに妹を結婚させてしまえばいいじゃないか! 姉の代わりに辺境伯家に嫁がされることになったソフィア。 これも貴族として生まれてきた者の務めと割り切って嫁いだが、辺境伯はソフィアに興味を示さない。 それどころか指一本触れてこない。 「嫁いだ以上はなんとしても後継ぎを生まなければ!」 ソフィアは辺境伯に振りむいて貰おうと奮闘する。 2022/4/8 番外編完結

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

愛されなかった公爵令嬢のやり直し

ましゅぺちーの
恋愛
オルレリアン王国の公爵令嬢セシリアは、誰からも愛されていなかった。 母は幼い頃に亡くなり、父である公爵には無視され、王宮の使用人達には憐れみの眼差しを向けられる。 婚約者であった王太子と結婚するが夫となった王太子には冷遇されていた。 そんなある日、セシリアは王太子が寵愛する愛妾を害したと疑われてしまう。 どうせ処刑されるならと、セシリアは王宮のバルコニーから身を投げる。 死ぬ寸前のセシリアは思う。 「一度でいいから誰かに愛されたかった。」と。 目が覚めた時、セシリアは12歳の頃に時間が巻き戻っていた。 セシリアは決意する。 「自分の幸せは自分でつかみ取る!」 幸せになるために奔走するセシリア。 だがそれと同時に父である公爵の、婚約者である王太子の、王太子の愛妾であった男爵令嬢の、驚くべき真実が次々と明らかになっていく。 小説家になろう様にも投稿しています。 タイトル変更しました!大幅改稿のため、一部非公開にしております。

【12月末日公開終了】これは裏切りですか?

たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。 だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。 そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?

報われなかった姫君に、弔いの白い薔薇の花束を

さくたろう
恋愛
 その国の王妃を決める舞踏会に招かれたロザリー・ベルトレードは、自分が当時の王子、そうして現王アルフォンスの婚約者であり、不遇の死を遂げた姫オフィーリアであったという前世を思い出す。  少しずつ蘇るオフィーリアの記憶に翻弄されながらも、17年前から今世まで続く因縁に、ロザリーは絡め取られていく。一方でアルフォンスもロザリーの存在から目が離せなくなり、やがて二人は再び惹かれ合うようになるが――。 20話です。小説家になろう様でも公開中です。

追放聖女35歳、拾われ王妃になりました

真曽木トウル
恋愛
王女ルイーズは、両親と王太子だった兄を亡くした20歳から15年間、祖国を“聖女”として統治した。 自分は結婚も即位もすることなく、愛する兄の娘が女王として即位するまで国を守るために……。 ところが兄の娘メアリーと宰相たちの裏切りに遭い、自分が追放されることになってしまう。 とりあえず亡き母の母国に身を寄せようと考えたルイーズだったが、なぜか大学の学友だった他国の王ウィルフレッドが「うちに来い」と迎えに来る。 彼はルイーズが15年前に求婚を断った相手。 聖職者が必要なのかと思いきや、なぜかもう一回求婚されて?? 大人なようで素直じゃない2人の両片想い婚。 ●他作品とは特に世界観のつながりはありません。 ●『小説家になろう』に先行して掲載しております。

姉に代わって立派に息子を育てます! 前日譚

mio
恋愛
ウェルカ・ティー・バーセリクは侯爵家の二女であるが、母亡き後に侯爵家に嫁いできた義母、転がり込んできた義妹に姉と共に邪魔者扱いされていた。 王家へと嫁ぐ姉について王都に移住したウェルカは侯爵家から離れて、実母の実家へと身を寄せることになった。姉が嫁ぐ中、学園に通いながらウェルカは自分の才能を伸ばしていく。 数年後、多少の問題を抱えつつ姉は懐妊。しかし、出産と同時にその命は尽きてしまう。そして残された息子をウェルカは姉に代わって育てる決意をした。そのためにはなんとしても王宮での地位を確立しなければ! 自分でも考えていたよりだいぶ話数が伸びてしまったため、こちらを姉が子を産むまでの前日譚として本編は別に作っていきたいと思います。申し訳ございません。

【完結】気味が悪い子、と呼ばれた私が嫁ぐ事になりまして

まりぃべる
恋愛
フレイチェ=ボーハールツは両親から気味悪い子、と言われ住まいも別々だ。 それは世間一般の方々とは違う、畏怖なる力を持っているから。だが両親はそんなフレイチェを避け、会えば酷い言葉を浴びせる。 そんなフレイチェが、結婚してお相手の方の侯爵家のゴタゴタを収めるお手伝いをし、幸せを掴むそんなお話です。 ☆まりぃべるの世界観です。現実世界とは似ていますが違う場合が多々あります。その辺りよろしくお願い致します。 ☆現実世界にも似たような名前、場所、などがありますが全く関係ありません。 ☆現実にはない言葉(単語)を何となく意味の分かる感じで作り出している場合もあります。 ☆楽しんでいただけると幸いです。 ☆すみません、ショートショートになっていたので、短編に直しました。 ☆すみません読者様よりご指摘頂きまして少し変更した箇所があります。 話がややこしかったかと思います。教えて下さった方本当にありがとうございました!

処理中です...