銀鷲と銀の腕章

河原巽

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33.帰路

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「そろそろ出ましょうか」

 階下のざわめきもとうに引いた頃、レグデンバーが切り出したので二人揃って席を立つ。
 扉を開ける前にどこか躊躇いがちに尋ねられた。

「私のエスコートに不安を感じるのであれば申し訳ありません。どうか職員寮まで我慢していただけますか?」
「そんな、不安だなんてとんでもないです」
「良かった。では、どうぞ」

 彼がこんな言い方をする理由はわかっている。先程打ち明けられた告白に、カレンが何の反応も示せなかったからだ。
 開いた扉を押さえるレグデンバーの前を申し訳ない気持ちで歩いて廊下に出る。そこに人影はなく、開演前に見掛けた護衛任務中の騎士も見当たらなかった。

「レオがいるので大丈夫ですよ」

 カレンの心中を察したかのようにレグデンバーが囁く。その長身を屈めて耳元に顔を寄せる仕草は今まで以上にカレンをどきりとさせた。

(し、信じられないわ……)

 レグデンバーの突然の告白をカレンは信じられずにいた。
 彼の心がソフィアに向いていると長らく思い込んでいたせいもあるが、それが誤解とわかったとて、自身が想われる理由が判然としないからだ。
 どこかふわふわとした考えに囚われているうちに階段へと差し掛かる。さも当然といったていで差し出されたレグデンバーの手を無視するわけにもいかず、上りのときと同じように礼を述べて指を重ねた。

(汗をかいてしまわないかしら)

 一度目のエスコートとはまた違った緊張感に襲われる。
 指先にこもる力が不自然でないだろうか、階段を下る速度は遅くないだろうか、呼吸は乱れていないだろうか。
 一旦考え出すと不安は際限なく涌いてくる。その事実に更なる焦りを感じたカレンは思わず隣を見上げてしまい、即座に後悔した。

「大丈夫ですか?」
「は、はい」

 柔らかい眼差しでこちらを見下ろしているレグデンバーと視線が絡んでしまったから。
 カレンが状況に左右される中、彼の態度は変わらない。それはレグデンバーに打ち明けられた想いが以前から変わりないものだと知らしめているようで、益々カレンの居心地を悪くする。
 階段を全て下り終えたときには、安堵の息が零れるくらいだった。

「疲れていらっしゃるのであれば馬車を呼びますが」
「いえ、そこまでしていただくわけには」
「何かあれば遠慮なく仰って下さい」

 そう言いながらレグデンバーの手がゆっくりと下がり、カレンの指先から離れていく。その感覚に意識を引っ張られながらも何とか頷いた。
 随分と人気ひとけの引いた劇場であったが立ち話に花を咲かせている客はそこかしこに散見され、その誰よりも立派な体躯を持つレグデンバーのこなれた立ち居振る舞いが人目を引いていることにカレンは気付いていた。

「あなた、騎士団の副団長さんですよね?」

 劇場を出て少し歩いたところで、とうとう声を掛けてくる者が現れた。
 くっきりと目鼻立ちを浮き立たせる化粧を施した女性がカレンたちの行く先に割り込んでくる。香水と酒の香りがふわりと漂った。

「失礼。今は勤務時間外ですので」
「あら、だったら好都合だわ。私のお店にいらっしゃらない? お連れ様とご一緒に」
「申し訳ありませんが、先を急ぎますので」

 そつなく断りを入れたレグデンバーに「行きましょう」と促されて止めかけた足を再び動かすと、背後で「あら、残念」とくすくす笑いが聞こえる。

(やっぱりお気付きの方もいらっしゃるわよね)

 そろりと視線を泳がせば道行く人々の視線がレグデンバーに注がれていることは一目瞭然で、直接声は掛けられずとも反応を示す様子が見受けられる。

「道を変えても構いませんか?」

 潜めた声で不意にそう言われ、慌てて彼の顔を確認すると申し訳なさそうな目配せを送られた。
 この状況は彼にとって不本意なものなのだろう。元よりカレンに拒否するつもりはなく、「はい」と短く答えた。
 それから大した距離も置かずに脇道へと逸れる。劇場のあった通りから二本隣の通りへ出ると、先程の喧騒が嘘のように静まり返った夜の街があった。

「こちらは職人街なので騒がれる心配はないかと」
「初めて歩く道です」

 以前料理人のおつかいで出向いた工房のある通りとはまるで異なり、古めかしい建物がぎゅうぎゅうと並んでいる。ちらほらと光を漏らしている店舗にはまだ職人たちが残っているのかもしれない。
 王城で遅くまで詰めている文官がいれば、劇場で張り込んでいる騎士がいて、工房で作業に打ち込む職人もいる。屋敷にいた頃には意識すらしなかった人々の営みが身近にあった。

「遠回りをさせてしまいましたね。やはり馬車を呼ぶべきでした」
「いえ、私は構いません。ですが……レグデンバー副団長は大丈夫なのですか?」
「名前呼びは定着しませんね」
「も、申し訳ありません。周りに人がいないので、つい」

 慌てた弁明にレグデンバーがくすりと笑みを溢す。

「いえ、こちらの我が儘ですから。それよりも私をご心配下さる理由は?」
「大勢の方がレグデンバー副団長と気付いていらっしゃったようなので、お困りにならないかと……」
 
 レグデンバー一人であれば問題はなさそうだが、傍らにはカレンが連れ立っている。彼にとって不名誉な言葉が駆け巡ってしまわないかと心配だった。

「そういうことでしたらご心配なく。困るようなことは何ひとつありませんよ」
「噂が立つことを良しとされないのでは?」
「噂のお相手が誰かによりますので」

 前を向いたまま、さらりと言ってのけるものだから危うく聞き流しそうになった。
 ソフィアでは困るのにカレンでは困ることはない、と。彼の主張を総合すればそういうことになる。

「こちらこそ耳目を集めてしまい、カレンさんに不快な思いをさせてしまったのではありませんか?」
「いえ、私は……」

 そこで、ふと思考に陥る。
 人々の視線に気付いたとき、自分は何を考えただろうか、と。
 真っ先に至ったのはレグデンバーにとって不名誉な噂が出回らないかという懸念。そこに付随するのは噂の相手が自分であるという申し訳なさ。

(それだけだわ)

 大勢から注視されることを喜ばしくは思わないが、不快と言って斬り捨てるほどではない。
 嫌だとも迷惑だとも感じていなかった。

「私もご心配には及びませんので!」

 また無反応では気遣わせてしまうと思ったら勢い付いてしまった。カレンの思いを見透かすようにレグデンバーはまなじりを下げて微笑んだ。

「こんな言い方は卑怯ですが、どうかカレンさんは気負わずにいつも通りでいて下さい。こちらの一方的な吐露に困惑されたでしょう」

 やはり思い至っていたらしい。
 ということは、今のカレンは平常通りに振る舞えていないのだろう。
 自覚はあったがレグデンバーにまで伝わっているとわかるとにわかに頬が赤らんでしまう。しかし口には出せない言い訳が心を埋め尽くす。

(いつも通りと言われても、こんなこと初めてなんだもの!)

 男性と出掛けることすらこれまでの人生にはあり得なかった。
 そもそも職務外に二人きりで会話をすることも、レグデンバーと中庭を歩くまで経験したことはない。
 そんなカレンに明確に向けられたレグデンバーの好意は予兆を飛び越えてやってきた。

(本当にわからないのよ……)

 彼はカレンのどこに惹かれたというのか。
 修道院を頼り、子爵家から離籍した事実をミラベルトから聞かされているという。母との会話も聞いていたのならイノール家での扱いも察せられるはず。
 カレンの抱える事情を知りながら好きだと言い切れるものなのだろうか。

 そもそも彼の好意の向かう先はどこなのか。
 ソフィアに借りた恋愛小説ではヒロインとヒーローは困難を乗り越えて結ばれていた。婚姻を経て幸せな家庭を築いたという描写もあった。
 侯爵家の令息で騎士団の副団長を任されているレグデンバーが望む未来の形がカレンにはわからない。
 「カレンさん」と声を掛けられ、考えに没頭して立ち止まっていたことにようやく気付いた。

「も、申し訳ありません」
「いえ。私が突然のことで惑わせてしまったせいですから。焦りのあまり、勢いで告げてしまったのがいけなかった」

 同じように足を止めたレグデンバーは緩やかに首を振る。街灯の黄色い光が揺れるチョコレート色の髪を少しだけ明るい色に照らしていた。

「ですからカレンさんは普段通りでいて下さい。変わるべきは私です」
「変わる、のですか?」
「えぇ」

 人通りのない石畳の上で二人向き合う。
 藍色の瞳を柔らかく細めた笑顔は見慣れているはずなのに、これまで無意識だった胸の鼓動をはっきりと感じる。

「今は半信半疑かもしれませんが、私の想いが真実だと伝わるように励みます。あなたに私を知って欲しい。だからいつものカレンさんで見極めて下さい」

 紡がれる言葉は淀みなく、今までのカレンが知るレグデンバーらしい語り口。
 しかしその内容はカレンの頬を益々熱くさせる。
 思わず片側の頬に掌を当てて「でも……」と口走ってしまった。

「……ご迷惑ですか?」
「いえ、そうではなくて、その……」

 ぽろりと零れ落ちた一言にレグデンバーが少しだけ表情を硬くした。
 誤解を生みたくないので首を横に振る。もにょもにょと唇を動かして何とか言葉を絞り出した。

「今まで通りの私でしたら、その、お気持ちに気付けないままですから、私も変わる必要があるのではないかと」

 そう思いまして、と続けたが最後の方は消え入りそうな声になってしまった。
 一方のレグデンバーは彼にしては珍しくきょとんと呆けた顔をしている。一瞬の後、ふっと吐息と共に相好を崩した。

「では、私を意識して下さいますか?」
「……はい、努力いたします」

 レグデンバーの屈託のない笑顔が夜空の下にぱっと咲いた。

(努力する必要なんてないのに)

 もう十分過ぎるほど彼を意識してしまっていることにカレンは気付いていた。
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