特別な人

鏡由良

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恋しい人

恋しい人 第100話

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「葵の機嫌は治ったみたいね。流石虎ね」
「! 母さんっ」
「ほら、手を洗って座りなさい」
 僕の様子に安堵を見せる母さん。ホッとしたその表情に出てきた言葉は不平や不満じゃなく、「心配かけてごめんなさい」っていう謝罪の言葉だった。
 母さんは僕の頭を撫でるとすぐにごはんだからと笑う。優しいその笑顔に僕も素直に頷きを返すと、テーブルへと視線を向けた。
 すると、そこに並んだ夕食の数々に随分沢山作ったんだねとちょっぴり驚いてしまう。
 大企業の社長夫人である母さんは料理が得意というわけじゃない。
 MITANI程じゃないにしろ世界で活躍する資産家でもある葉山のお嬢さまである母さんは父さんと結婚するまで家事全般自分でしたことが無かったと言っていた。
 そんな母さんは、父さんと結婚して、父さんのために何かしたいと必死に練習したらしい。
 初めは食べ物を食べれないものに作り変えていて、姉さんは今でも偶に母さんが新しい料理に挑戦すると当時を思い出して微妙な面持ちで食事をしていたりする。
 そして今も料理が得意というわけではないから人よりも一品作るのに時間がかかると言っていた。
 それなのに今テーブルに並ぶ料理の品数はいつもの倍以上。僕は一日中料理をしていたのかと母さんに尋ねてしまう。
「今日は泉伯母さんと玲伯母さんが遊びに来たのよ」
「泉伯母さん達が来たんだ? そっか。ならこれは泉伯母さん作?」
「酷いわね。今あからさまにホッとしたでしょ?」
「そ、そんなことないよ? 凄く豪華だったから納得しただけだよ?」
「いや。それ、全くフォローになってないぞ」
 母さんの悲しそうな笑い顔に慌てて弁解するも茂斗が言ったように全然フォローになっていなくて、母さんを悲しませてしまうと血の気が引く思いをする僕。
 すると母さんは困ったように笑いながら「明日のために色々手伝ってもらったのよ」と小声で教えてくれた。
 僕は何故そんな小声で話すんだろう? って思ったけど、明日はめのうの誕生日だからかと納得した。まだ幼い妹に飛び切り喜んでもらいたいから僕も母さんに習ってめのうに気づかれないように頷き笑った。
「そういうわけだから、明日は寄り道せず帰って来てね。虎、お願いね?」
「! 寄り道しちゃダメなの……?」
 母さんの言葉に、僕はハッとする。明日、僕は虎君と大事な約束をしている。虎君の家で二人きりで過ごすっていう、誰にも言えない約束を……。
 それなのに母さんは明日学校が終わったらすぐに家に帰ってくるよう言ってくる。
 きっと僕達の約束なんて母さんは知らないだろうから二人きりにさせないための意地悪とかそういうんじゃないってことは分かってる。分かってるけど、でも意地悪だと思ってしまう。
「葵、そんな顔してどうしたの? 毎年張り切ってお手伝いしてくれていたのに……」
 めのうのお誕生日をお祝いしてあげないの?
 そう尋ねてくる母さん。僕はそうじゃないと言いながらも歯切れの悪い言葉を返してしまう。
(流石に親に『虎君とエッチするから』なんて、言えないよ……)
 母さんはとても理解のある親だと思う。でも、理解があると言えどすべて開けっ広げに話すことはできない。それが性的な話なら、なおのこと。
 虎君と愛し合うことを後ろめたいとかそういう風に想っているわけじゃないけど、わざわざ誰かに話すことじゃないしただただ恥ずかしいと感じるからどうしても説明できないのだ。
「すみません、樹里斗さん。俺が明日のお祝いのことを忘れて出かけようって誘ってしまっていて……」
「! 忘れてたの? 酷いお兄ちゃんね」
「返す言葉もありません」
 苦笑を漏らす虎君だけど、忘れてたわけじゃないはず。きっと僕と同じ想いだから秘密にするために嘘を吐いたんだろう。
 僕は虎君の手を握り、ごめんねと心の中で謝る。虎君は僕の手を握り返し、俺こそごめんと答えてくれた。まぁこれは僕が思っただけなんだけど。
「出かけるのは明後日じゃダメなの? 明後日なら土曜だしゆっくりできるでしょ?」
「そうですね。……出かけるのは明後日にしようか?」
「うん。分かった」
 母さんの言葉に虎君は笑みを零し、僕に尋ねてくる。明日の『約束』を明後日に持ち越してもいい? と。
 僕は虎君に寄り添い、勿論いいよと笑った。きっと僕の笑い顔は恥ずかしさが滲んでいるだろう。でもそれは仕方ない。愛し合う約束を母さんの前で交わしているんだから当然といえば当然だ。
「ほら、手を洗ってらっしゃい」
 僕達を促してくる母さんに従い僕達は洗面所へと向かうためリビングを後にした。するとリビングを出て直ぐ茂斗が渋い顔をして振り返ってきた。
 茂斗は僕と虎君を交互に見ると、わざとらしく大きなため息を吐いた。
「な、何……?」
「……いや、お前らさ、隠すならもうちょっとちゃんと隠せよ。母さんは気づいてないみたいだったけど、あれ、親父ならすぐ気づいてたからな?」
 たぶん姉貴も気づいてるぞ。
 そう言葉を続けた茂斗は虎君に向き直り、「優しい弟からの忠告だからな」って握り拳で虎君の肩を軽く殴った。
「ああ、悪い。気を付けるよ。……桔梗には後でちゃんと説明しておく」
「そうしてくれ。……まぁ姉貴も昔みたいに目くじら立てることはねぇーだろうけど、念のため、な」
 虎君の返答に気が済んだのか、茂斗は踵を返して洗面所へと足を進める。
 僕は二人が何の話をしているか分からず呆けていたんだけど、虎君が促すように手を引くから追いつかない頭のまま足を進めた。
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