特別な人

鏡由良

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初めての人

初めての人 第25話

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 顔を真っ赤にして俯き固まっていた僕の腕を掴んで立たせるのは慶史で、この話の続きは部屋でするから着いて来るよう三人に言葉を残し、そのまま僕を引っ張って歩き出した。
「頼むからあんまり無防備な顔しないで。先輩の脅威があるって言っても理性がぶっ壊れた野獣は後先考えずに突っ走るんだからね」
「ど、どういうこと……?」
「葵が可愛すぎて理性を無くす奴が出てくる可能性の話。ったく、可愛いのも大概にしてよね。こんなんじゃ防ぎきれない」
 怒気を含んだ声。内容はともかく、迷惑をかけていることは伝わったからまずは素直に謝ったんだけど、それは慶史をますます怒らせることになってしまった。
「どうせ『僕は可愛くない』とか思ってるんでしょ! 本当、いい加減にして!」
 と。
 慶史は僕のことを何度も可愛いといい、今度可愛くないと自分を卑下したらその都度虎君を罵倒すると訳の分からないことを言ってきた。
「意味が分からないよ」
「先輩はクソヘタレ童貞野郎」
「! 慶史っ!」
「分かったって言うまで続けるから」
「もう! 分かった! 分かったから酷いこと言わないで!!」
 虎君の悪口なんて聞きたくない僕は慶史が言う通りもう自分を卑下する言葉を口にしないと声を荒げた。お願いだから虎君のことを悪く言わないで。と。このままだと慶史のことを嫌いになっちゃう。と。
 訴える僕に慶史が返すのは無言。昇降口に到着すると一時的に腕は解放され、居心地の悪さを感じながらも靴に履き替えれば、すぐにまた手を掴まれそのまま引っ張られてしまった。
 強引な手に掴まれているから、腕が痛い。慶史が何をそんなに怒っているのか分からず、僕は戸惑いを隠せない。
 すると突然寮への帰り道を歩く慶史が「げっ」と声を上げた。僕が何かと思った次の瞬間、解放される腕。そして―――。
「何で此処にいるんですか」
 辛辣な物言いは敵意が剥き出し。そのせいでそれが誰に向けられた言葉か僕は嫌でも分かってしまった。
「葵は今から俺の部屋に遊びに来るんですけど? ちゃんと聞いてますよね?」
「ああ。聞いてるよ。……時間を潰しに行く前に少しでも逢えればと思って待っていただけだ」
 慶史の背中越しに顔を覗かせれば、正門の前に虎君の姿があった。
 一目逢いたいからとわざわざ待っていてくれた虎君に僕は駆け寄ろうと思ったんだけど、機嫌が悪い慶史に行く手を阻まれてしまった。
「け、慶史……」
「藤原、何の真似だ?」
「葵をさっさと解放して欲しかったら我慢してください。俺の機嫌を損ねたら葵と過ごす時間、減りますよ?」
 満面の笑みを浮かべ、「先輩は損得を考えられない低能じゃないですよね?」と挑発の言葉を続ける慶史。
 本当、どうして慶史がこんなに怒っているのか全く分からない僕はただただオロオロしてしまう。
「……わかった」
「! 随分聞き分けが良いんですね」
「葵を困らせたくないだけだ。……葵、話が終わったら連絡して?」
「うん……。分かった」
 疲労を滲ませた虎君は片手で目元を覆い隠すと盛大に溜息を吐き、手を離した時にはいつもの笑顔に戻っていた。でも、手で顔を隠していた時に眉間に不快感を示す皴が寄ったのを僕は見逃さなかった。
(本当は怒りたいのに我慢してくれたんだ……。僕のために……)
 『ライバル』からの明らかな挑発。もし僕が虎君の立場なら、絶対にこんな大人な対応はできない。きっと感情に任せて挑発に乗ってしまうだろう。
 でも虎君は僕が板挟みになって辛い思いをするぐらいならと自分を制し、こんな風に笑ってくれたのだ。
(ああ……。やっぱり僕、虎君が大好きだ……)
 心臓がギュッと締め付けられ、苦しくなる。
 どうしようもないほどこの人が好きだと実感していたら、僕は舌打ちを零して再び歩き出す慶史に手を引かれ、虎君の隣を通り過ぎる。
 ついつい振り返ってしまうのは、やっぱり愛しい人が恋しいからだろう。
 手を振り見送ってくれる虎君。僕は小さく手を振り返し、もらった愛にとても穏やかな気持ちになれた。
 虎君の愛に満たされたおかげで生まれた余裕は周りを気遣う優しさを僕にくれて、親友と向き合う勇気も湧いてきたから本当に人の心って不思議だ。
「慶史、なんでそんなに怒ってるの?」
 親友に向き直ると、その機嫌の悪さを心配する。すると、慶史から返ってきたのは小さな謝罪の言葉だった。
「……ごめん」
「『ごめん』より理由が知りたいな。僕、また慶史に嫌な思いさせちゃった?」
「! 葵は何も悪くない! てか、今まで葵に嫌な思いさせられたことなんてないから!」
 振り返って弁解する慶史。きっと慶史自身、良心の呵責に苛まれているのだろう。だってとても辛そうな顔をしているから。
 僕は足を速めて慶史の隣に並ぶと、もう一度「どうしたの?」と尋ねた。
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