特別な人

鏡由良

文字の大きさ
539 / 552
my treasure

my treasure 第21話

しおりを挟む
「お前ら、朝っぱらから勘弁しろよ……」
「悪い雲英、寝てたよな?」
「当たり前だろうが。今何時だと思ってる」
 玄関先で寝起き丸出しの顔で海音と虎を出迎えたのはぼさぼさ髪の男で、彼――雲英はサイズの合って無いよれたスエット姿で大欠伸を見せた。
 『朝っぱらから』というにはいささか時間が経ちすぎているが、夜の街でバーテンダーをしている雲英とってはまだ十分『早朝』になるようだ。
 ふざけるなよと言いながら金髪を掻き毟ると雲英は連なる顔にわざとらしくため息を吐くととりあえず部屋に入れと踵を返した。
 通路には脱ぎ捨てられたままの服と空のコンビニ弁当の容器が無造作に詰め込まれたゴミ袋が放置されていて、お世辞にも清潔とはいいがたい。
 「お邪魔します」と遠慮気味に呟いて雲英の後ろをついて歩く海音。そしてその後ろには虎が続き、「ゴミぐらい捨てろよ」と呆れたと言いたげな声で家主のズボラな生活具合を窘めた。
「うるせぇ。文句があるなら帰れ」
「文句じゃなくてアドバイスだろ。夏場にゴミ放置とか虫が沸くぞ」
「洗ってあるから大丈夫だ。それにプラゴミの回収は来週だから仕方ないだろうが」
 衣類はともかく、ゴミには気を付けていると返す雲英は先程まで自身が眠っていただろうベッドに腰を下ろすと枕元に置いた煙草へと手を伸ばした。
 それを見た虎は眉を顰め、「窓を開けてもいいか?」と家主に尋ねた。
「はぁ? そんなことしたら冷気が逃げるだろうが」
 9月とはいえまだまだ残暑厳しいこの時期は冷房無しで過ごすには無理がある。
 当然雲英の家もエアコンが稼働しており、おかげで蒸し暑さとは無縁の快適な空間になっている。
 それなのに虎はわざわざ窓を開けたいと言っており、無駄な電気代がかかると雲英から即座に却下されてしまった。
 このクソ暑い中窓を開けて熱気を部屋に取り込もうとする神経が理解できないと言わんばかりの雲英。すると眉間の皺を濃くして難しい顔をしている虎の言動を海音が通訳し始めた。
「ごめん、雲英。アポなしで押しかけてきて勝手な事言ってるのは分かるけど、煙草吸うなら窓開けるとかして換気させてもらえると嬉しい」
「あぁ、そっか。お前ら二人とも吸わないんだっけ?」
「うん。俺も虎も煙草は吸ってない。わがまま言ってごめんな?」
「いや、吸ってないなら煙キツイってよく聞くし、別にいいよ。……ただ、お前は言葉が足りなすぎるぞ。海音に手間かけさせるなよ」
「喜んでるから問題ないだろ」
 火を点けようとしていた雲英は煙草を元の場所に戻すと虎を指さし、「煙草が嫌なら嫌って言え!」と一喝する。
 しかし虎は悪びれる様子もなく窓際の空いたスペースに座ると家主でもないのに部屋の入り口で突っ立ったままの海音に「座れば?」と促していた。
「お前のそのメンタルの強さ、やべぇな」
 俺達、雲英に迷惑かけてる側だぞ?
 そう苦笑する海音の言葉に虎は少し考える素振りを見せるとそのまま今度は雲英へと視線を移し、「本当に迷惑なら家に上げたりしないよな?」と返事はYES以外無いと確信している様子だった。
 虎は今のこの状況を雲英が『迷惑だ』と思っているわけがないと知っている。しかし海音がそれを知らない理由も知っているから多少面倒でも小芝居を打つのだ。
(好きな人と過ごせるチャンスを棒に振る奴がいるわけないんだよ。まぁ海音は鈍いからその辺分からないだろうけど)
 虎はこれまで生きてきて海音以上に恋愛面で疎い男には出会ったことがない。
 海音は良く自分のことを『モテない』と、『彼氏にしたいと思われない』と悲観しているが、それは上辺しか見ていない女性とばかり付き合っているからだ。
 皆に優しい彼の長所を『特別扱い』を求めて短所にしてしまうような相手と付き合うから自己肯定感が下がってしまうのだ。
 海音の『親友』である虎はその恋愛遍歴を間近で見てきたわけだが、彼の歴代の恋人は全員『自己中女』でとてもじゃないが好感を持てる人物ではなかった。中には海音と付き合いながら虎にアプローチをかけてくる輩もいたから、女を見る目が無いと思ってしまうのも無理はない。
 しかし、何が楽しいのか理解し難い男女のやり取りに巻き込まれている最中、いじらしい存在が居たことを虎は知っていた。
 遠くから海音を見つめるだけの者もいれば、自分の友人が海音の恋人になったため無理して笑っている者もいた。
 彼女達は海音が海音らしく過ごしていることに喜びを感じているようだったから、ああいった女性と付き合っていれば明後日の方向に勘違いもしなかっただろうにと親友を憐れに思う。
(でも全員『見てるだけ』で告白するつもりはなさそうだったし、言われなきゃこいつは絶対気づかないぐらい鈍いからある意味どっちも自業自得、か)
 そんなことを考えながら虎が視線を雲英から海音に向けると「迷惑かけてないならいいんだけどさぁ……」とまだ多少遠慮を残しつつもベッドの近くにあった座椅子に腰を降ろす親友の姿を見ることができた。
(雲英の暑苦しい視線にも全く気付いてないんだよな、あのバカ)
 いうなれば『恋する乙女』的な眼差しをしているアラサーの男を横目に、雲英を少しでも知っている人物なら誰だって気づくだろうにと虎は深い息を吐いた。
(『絶対に報われない片想い』か……)
 雲英が『海音に想いを伝えるつもりはない』と言ったのはいつのことだっただろうか。過去を回想していれば、懐古のせいか少し胸が苦しくなった。
 虎は深い息を繰り返し、乱れそうになる感情を戻そうと努めた。
 これは記憶がもたらす痛みと悲しみであり、今それらを感じる必要はない。そう己に言い聞かせながらも一〇年を超える恋慕が記憶となって巡り、自分にとって唯一の人の笑顔が恋しくて堪らなくなる。
 手を伸ばせば届く距離に居ながらも見てることしかできなかった日々も、何度も己に負けそうになりながらも募る想いを秘め続けた日々も、もう過去のこと。
 今は、手を伸ばし抱きしめることができ、溢れる想いのまま愛おしさを伝えることができる。
 そして、『幸せ』という言葉が無くとも幸福に満ちた笑みを浮かべ、愛しい人は背中に手を回してくれる……。
(葵に逢いたい……)
 逢って、抱きしめて、キスをしたい。誰よりも愛していると伝え、この腕の中に閉じ込めてしまいたい。そしてこれは夢ではないのだと早く実感したかった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

リンドグレーン大佐の提案

高菜あやめ
BL
軍事国家ロイシュベルタの下級士官テオドアは、軍司令部のカリスマ軍師リンドグレーン大佐から持ちかけられた『ある提案』に応じ、一晩その身をゆだねる。 一夜限りの関係かと思いきや、大佐はそれ以降も執拗に彼に構い続け、次第に独占欲をあらわにしていく。 叩き上げの下士官と、支配欲を隠さない上官。上下関係から始まる、甘くて苛烈な攻防戦。 【支配系美形攻×出世欲強めな流され系受】

ずっと好きだった幼馴染の結婚式に出席する話

子犬一 はぁて
BL
幼馴染の君は、7歳のとき 「大人になったら結婚してね」と僕に言って笑った。 そして──今日、君は僕じゃない別の人と結婚する。 背の低い、寝る時は親指しゃぶりが癖だった君は、いつの間にか皆に好かれて、彼女もできた。 結婚式で花束を渡す時に胸が痛いんだ。 「こいつ、幼馴染なんだ。センスいいだろ?」 誇らしげに笑う君と、その隣で微笑む綺麗な奥さん。 叶わない恋だってわかってる。 それでも、氷砂糖みたいに君との甘い思い出を、僕だけの宝箱にしまって生きていく。 君の幸せを願うことだけが、僕にできる最後の恋だから。

処理中です...