逃亡産婦人科医

三日月李衣

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逃亡産婦人科医

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 二〇二二年五月九日昼下がりの東京都の下町にある「やはぎラーメン」というラーメン屋があった。
 やはぎラーメンはコクのあるしょうゆラーメンが人気の店だ。東日本大震災の年にオープンし、美味しいしょうゆラーメンが口コミで評判が広がって、毎日行列を作るくらい人気店になった。
 このラーメン店の店長の矢作はラーメンをこよなく愛する親父で太陽のように明るい男だ。
「いらっしゃい! やはぎラーメンはいかがですか?」
 矢作は厨房でラーメンを作りながら、豪快な声でお客さんに挨拶をした。
「………」
 店に入ってきた客は一八六センチもあるお男で目つきが鋭くて右の頬に青あざがあった。黒いキャップを被っていて、そのキャップにはARCANGELと青い文字のロゴが入っていて怪しい感じがしていた。
 青あざのある男は無言のまま端っこにあるテーブルに座る。矢作は何だあの客は、と訝しんでいた。
「水谷さん! お冷、持ってきて!」
「はーい!」
 矢作は水谷というぷくぷくした中年女性の従業員に黒いキャップを被った客にお冷を持ってきてあげてと、頼んだ。
「メニューが決まったら、このボタンを押してくださいね!」
 水谷が、お冷を持って黒いキャップを被った男が座る席まで持ってこう伝えた。
 男はお冷を持ってきてくれたのに何もお礼を言わない。
 水谷は何だろうこの人はと、思いながら他の客の所に行った。
 今、お昼なのでお客でいっぱいだった。
 お昼休みに食べに来たサラリーマンやOL数人、テレワークの若い夫婦、定年退職して暇が出来た老夫婦、フリーランス風の若い女性、不登校の男子高校生などの客で席で埋まっていた。
 その客の中に黒いキャップを被ったまま黙っている大男がいて、何か異質な雰囲気を矢作と水谷は感じていた。
『滋賀県の総合病院で殺傷事件がありました。
 三十代の総合病院の院長の息子の医師が同僚の医師に刃物で刺されて殺されたと、情報が入ってきました』
 マンガ本とか置かれている棚の上にあるテレビでニュース番組が流れていた。
 黒いキャップを被った青あざのある男が、何か気付いたのか、テレビの方に目を向けた。
「何々? 殺人事件?」
「ひえー。病院で殺人事件? こわっ!」
 ニュース番組で滋賀県の総合病院で院長の息子の産婦人科医が上司の医師に刃物で殺されたという情報にラーメン屋の客が興味津々にテレビに夢中になっていた。
『殺害された院長の息子は同僚の医師と金銭的なトラブルがあったとの情報がありました。
 院長の産婦人科医の息子を刺した犯人の男は逃走しているようです』
 院長の産婦人科医を殺した犯人の医師の男は逃走しているらしい。
 
『逃走した犯人の医師の男はもうすでに滋賀県を出て、東日本方面へ逃げているという情報がありました』
 犯人の医師の男はすでに滋賀県から出ているらしい。
『東日本行きの新幹線に乗っていたと、防犯カメラの映像で分かりました』
 東日本へ逃げているという話を聞いた矢作は、
「何で犯人を逃がすんだよ。滋賀県の警察はアホだなあ」と、滋賀県の警察の無能っぷりに呆れていた。
『犯人はすでに東京駅で降りており、東京のどこかへ逃げているとの目撃情報がありました』
『逃走した犯人の医師の男の特徴は身長は一八六センチくらいで、黒いキャップを被っていて、ARCANGELのロゴが入っていました。鋭い眼で右の頬に青あざがあります』
 ラーメン作りが忙しい矢作はテレビのニュースを聞き流していた。ラーメンの麺を茹でていた矢作はテレビのニュースを聞き流していた時に何かに気付いたのか、後ろを振り返って客達をちらっと見た。
 テレビでやっていた逃亡犯の産婦人科医の男のニュースを観ていた客達は不安なのかざわついていた。
「そういえば、あの黒いキャップの人怪しくない?」
「何か、凄い大柄の男だよね。注文もしないし、何しに来たのかな?」
 ラーメン屋の数名の客がひそひそと、顔にあざのある大男に怪しいと小声で言ってきた。
 矢作も席に黙って座って注文すらしない黒いキャップのお男の事を怪しんでいた。
 矢作は小声で水谷を呼んで、
「おい。あの黒いキャップの男の客、見てきて欲しいんだ」と、黒いキャップの大男に話しかけて欲しいと頼む。
「でも、大丈夫かしら」
「いざという時は俺が何とかするから」
 矢作に何とか頼むとお願いされて、水谷は渋々と端っこのテーブルまで行ってみた。
「ご注文とかありますか?」
 水谷は端っこのテーブルに座ってただ黙っている黒いキャップの男に話しかけて見るが、
「……」、と男は黙ったままだ。
「どこか、体調でも悪いですか?」
「黙れ」
 男が初めて声を出した。低い声だった。
「具合が悪いなら、病院に行った方が良いんじゃないですか?」
 水谷は心配して男の顔をじっと見ながら、病院に行った方が良いよと接する。
 他の客達は心配そうな顔をする。
「あの黒いキャップにARCANGELってロゴあるよね? もしかして」
 他の客が男の黒いキャップにARCANGELとロゴが書かれてあると、ひそひそ声で言っているのを聞いた水谷は不安を覚えた。
 確かに男の黒いキャップにARCANGELとロゴが入ってあった。男は顔をこっちに向けないが、鋭い眼のきつい顔立ちだ。
「あの、どこかから逃げてきたんですか? 事情があるなら私に聞かせてくださいな」
 水谷は男に何とか話を聞かせてもらおうと、声をかけた。
「うるさい!」
 椅子から立ち上がって大きな声で叫んだ男は水谷の方に顔を向け、鋭い眼でこっちを睨んできた。右の頬に大きな青あざがあった。
「ひいい! あ、あんたは! もしかして、例の逃亡犯ですか!?」
 青あざのある男を見た水谷は悲鳴を上げた。
 一八六センチくらいある大柄の体躯に鋭い目つき、右の頬に大きな青あざのある怪人みたいな容貌の男はあの殺人事件を起こして、逃亡した産婦人科医だった。
「動くな! この事を警察に知らせたら、お前ら全員殺すぞ!」
 産婦人科医の男が、ポケットからナイフを取り出し、ラーメン屋にいる者達に刃を向けた。
「ひいいぃ! 助けて! 殺さないで!」
 矢作と水谷とラーメン屋にいる者達は迫力ある体躯の男に刃物を向けられて、恐怖で泣きたくなる。
「俺は滋賀県の総合病院の産婦人科医の水海(みずうみ)京太郎(きょうたろう)だ。京都大学医学部卒だ。今は人を殺して追われている所だ。
 お前らは俺の素顔を見たから、とっとと死んでもらおうか」
 指名手配犯の産婦人科医の男は水海京太郎という名前だった。超高学歴のエリート産婦人科医がなぜ人を殺したのか、理由を知りたいラーメン屋の者たちは、犯人の異様な姿に怯えて聞き出せなかった。
「な、何で、人の命を救う聖人がこんな事するのですか?」
「黙れ! 俺ははっきり言って知り合いを殺したくなかった。俺は知り合いに裏切られて、怒りに身を任せて殺してしまったんだ」
 京太郎は憎しみめいた声で、知り合いに裏切られて仕方なく殺してしまったから、滋賀県から逃げたと言った。
「じゃあ、真実を警察に話せばいいじゃないですか」
「ハハハハハ! お前は馬鹿だな。真実を打ち明けても何も変わんねえよ。世の中は甘くねえんだよ!」
 京太郎はナイフをヒュッと振りかざしてラーメン屋にいる矢作と水谷と客達を脅した。
「ひいい!」
 京太郎に脅された矢作たちは、泣きそうな顔になる。
 京太郎はラーメン屋にいる矢作たちにこう言った。
「お前らはここで集まって、大人しくしてろ」
 そう命令された矢作たちは自分達が助かるには指名手配犯の産婦人科医の言う事を聞くしかなかった。
 矢作たちは店内の片隅に集まって、大人しく体育座りした。
 京太郎は冷たく笑いながら、店内の入り口のドアを鍵を掛けた。
「あ! 店に鍵を掛けるなよ!」
 店から出られなくされた矢作は怒って、男に刃向かおうとするが、
「少しでも動いたら、速攻で殺すからな」と京太郎に睨まれて体を硬直するしかなかった。
 店の外からパトカーのサイレンがどこからか聞こえてきて、矢作は助けてと祈った。
 京太郎はチッと舌打ちした。
 サイレンを鳴らしているパトカーがやはぎラーメンの前まで来て、
「警察だ! 指名手配犯の産婦人科医の水海京太郎容疑者! ここを開けろ!」
 店の前にいる警察官が大きな声でラーメン屋の入り口を開けろと、叫ぶ。
 京太郎は絶対に開けるものかと、無視した。
「今、開けないと、お前の命を奪ってでも開けさせるぞ!」
 警察官たちは指名手配犯の京太郎に閉じ込められた店の客達を救うために、必死に説得を続ける。
 京太郎は警察の言う事を聞かないと、一切声を上げなかった。
 人質となった矢作たちは、早く助けてと祈っていた。
 矢作は思い切って、京太郎にこう言った。
「水海さん、早く俺達を出してくれ。いま、解放させてくれればあんたの罪は軽くなるぞ。
 あんたの事情をきちんと警察に話せばわかってくれるぞ」
「黙れ! お前に俺の気持ちが分かるか!」
 京太郎は頑として矢作の説得に応じなかった。
 京太郎が店に現れてから二時間が経っていた。警察も店の前に張り込んでいたまま。人質となった矢作もみんな床に座りっぱなしで、お尻が痛くて仕方ない。
 沈黙が続く店内は、ただ時間が過ぎていくのを待つしかないと思ったその時、
「ああ~! う、うう、あああ、うう! ああ~!」お腹がふっくらしたフリーランス風の女性が突然お腹を抱えて苦しそうにしていた。
「ど、どうしたんですか!?」
 水谷がお腹を抱えて苦しむフリーランス風の女性に声をかけた。
「うう、う、うま、れる~!」
 フリーランス風の女性が顔に汗をかきながら、陣痛が来たと呻いていた。
「こ、子どもが生まれるの!? ど、どうしよう!」
 フリーランス風の女性は妊婦だった。妊婦が陣痛が来て、京太郎は妊婦が苦しむ姿を見て、手が一瞬震えた。
「風子! お前! 早く病院に行かないと!」
 フリーランス風の女性の夫が慌てた声で、早く病院に行こうと焦っていた。
「は、はやく、病院にー! いか、ないと!」
 妊婦の風子が顔を真っ赤にして、病院に行きたいと苦しそうに嘆いていた。
 矢作もみんなどうしよう、どうしようと焦っていた。
 産婦人科医の京太郎は、妊婦の風子の苦しそうな顔を見て、ざわついていた。今、解放させたら自分は逮捕される。陣痛が始まって、このまま放っておけば母子ともに危険になる。
「おい! あんた、産婦人科医だろ! この妊婦さんと生まれてくる赤ちゃんを助けろよ!」
「う、お、俺は」
 動揺していた京太郎は、この妊婦と赤ちゃんを助けるべきか声を震わせる。
「あ、ああ、うま、れる、た、たすけて」
 風子の夫が目から涙を滝のように流して、京太郎に土下座した。
「俺の妻と赤ちゃんを助けてくれ! 俺達は苦しい生活でも必死にやって来たんだ! 愛する妻と赤ちゃんを助けてくれ! お願いだ!」
 風子の夫は犯罪者の京太郎に妻と赤ちゃんを助けて欲しいと、涙ながらに懇願する。
 京太郎は冷徹な目つきで、
「お前らはただの人質だ! 今すぐお前らを殺すぞ!」
 京太郎はナイフで人質たちを脅そうとした。
「バカ野郎!」
 矢作は京太郎の腕をバシーッと大きな蹴りをかましてやった。
「う、うう。お前は」
 矢作に蹴りを入れられた京太郎は、体をフラフラとよろけた。矢作は京太郎の胸ぐらを掴んでこう叫んだ。
「いいか! 命は一つしかないんだ! 生まれてくる命を助けてくれれば、みんな分かってくれる! 今、お母さんと赤ちゃんを助けられるのはお前しかいないんだ! 助けてくれ! お願いだ!」
「お、俺は今、指名手配犯だ。母子が俺に助けられても迷惑だろ」
「くうう、うう、ああああああー!」
「そんなことはない! 今、お母さんと赤ちゃんはお前しか頼れないんだ! お前なら出来る!」
「く、クハハ。なら」
 京太郎は何か決意したような表情で、矢作にこう言った。
「分かった! 助けてやる。だか、お前らも手伝えよ!」
 京太郎は陣痛が始まった風子と生まれてくる赤ちゃんを救うために、立ち上がった。
「分かった! 俺達は何をすればいいの?」
「とにかく、綺麗な布と綺麗なお湯、綺麗な布団を持ってこい!」
 京太郎は人質たちに綺麗な布とお湯、布団を用意しろと指示する。
「俺が持ってくる!」
「私、布団持ってきます!」
 矢作は大きなスープ用の鍋で綺麗なお湯を沸かし始めた。
「出来るだけたくさん持ってこい! 後、綺麗なはさみと糸を用意しろ!」
 水谷が厨房の奥にある住居へ行って、綺麗な敷布団とはさみと糸を持っていこうとした時、
「待て、俺も一緒についていく」と、京太郎が凄みのある声で水谷が逃げられない様にと付いて行った。
 水谷は京太郎の事が怖いけど、風子を救うにはこうするしかなかった。
 厨房の奥へ入り、住居の中へ来た京太郎と水谷は敷布団とはさみと糸を探した。
 敷布団を運んでいる京太郎は、タンスの中をゴソゴソと探している水谷にイラついていた。
「早くしろ。妊婦の命が危険になる」
「わ、分かっていますよ!」
 水谷は京太郎に急かされて、裁縫道具を探していた。
「あ、ありました!」
 水谷は裁縫道具の箱を見つけて、それを京太郎に見せた。
「良かった。これで赤ちゃんのへその緒を切る事が出来る」
 京太郎が裁縫道具の箱の中身を見てフッと微笑んでいた。
「あんた、笑う事できるんだね」
「笑ってない。はさみと糸があって良かっただけだ」
「ねえ、あんた何で人殺したんですか? そこだけは聞きたいわ」
 水谷の問いに京太郎はなぜ人を殺したのかと、答えるのに迷った。
「院長の息子となんか金がらみのトラブルがあったって言ったね。話聞いてあげるから、話してちょうだい」
 水谷に優しく手を添えられて、京太郎は初めて人の温かさを感じた。
「あ、ありがとう。怒らないで聞いてくれるか?」
「良いよ。何でも話してちょうだい」
 水谷の心の温かさに京太郎の湖のように暗い心を溶かされた。京太郎は水谷の優しい目を見て、重い口を開いた。
「実は俺は母子家庭育ちだったんだ。狭い木造アパートで住んでて。食べるものも本当に困ってた。母は看護師で毎日深夜まで働いていた。
 俺は母を助けたくて、医者を志した。友達と遊ばずに勉強しまくった。京都大学に特待生として入って、バイトしながら通った」
「そうなんだ」
「俺は首席で卒業して医師免許をとって、産婦人科医になった。俺は弱い人の役に立ちたくて、毎日必死に働いた。赤ちゃんが無事に生まれた時は本当に嬉しくて、仕事の辛さを忘れさせてくれるくらいなんだ」
 京太郎は穏やかな口調で自分の生い立ちを語った。京太郎は自分は母子家庭で貧しい生活を送っていた事、看護師の母を助けるために医者になった事、赤ちゃんが無事に生まれた時の仕事の充実感はすごくあると、水谷に語った。
「でもな、あそこの病院の院長の息子の医者はちょっと問題があってな。東大卒のミスター東大何だか知らんが、本当に仕事が出来ない奴で。
 金遣いも荒いし、あいつは患者なんか金蔓しか思ってないんだ。命の大切さを知らん奴なんだ」
 京太郎が唯一不満だったのが、病院で一緒に働いていた病院の院長の息子だった。
 東大卒でミスター東大のコンテストで優勝したほどの容姿だけはエリートだが、金に以上に執着していて患者の事を金蔓しか思っていないクズだったと、京太郎は不満げに語る。
「あなたはその院長の息子さんの医者とトラブルになった理由って」
「あいつの借金の保証人になってくれと、頼まれたんだ。キャバ嬢の愛人が妊娠してトラブルになったので五百万円払って欲しいと。俺は嫌だったんだ。でも、あいつは俺が借金の保証人になってくれなかったら、俺をこの病院をクビにしてやると脅してきた」
 京太郎は怒りを滲ませた口調で、京太郎が勤めていた病院の院長の息子の医者から借金の保証人になってくれと、頼まれたと語った。
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「院長の息子の医者から逆恨みされた俺はあいつは患者に死ねといったとか、麻薬をやっているとか変な噂を流されて院内で孤立した」
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 京太郎と院長の息子がもみ合っているうちに京太郎が自己防衛でナイフで院長の息子を刺してしまったと、語った。
 右の頬の大きな青あざは院長の息子ともみ合っているうちに怪我してできたものだと、京太郎が右の頬のあざに触れながら無言で語った。
「俺は真っ当に生きていきたかった。でも、院長の息子がクズ過ぎて嫌がらせに耐えられなくなったから、殺しただけなのに。何で、母子家庭育ちの俺ばかり非難されなければいけねえんだよ!」
「なら、妊婦さんと生まれてくる赤ちゃんを助けましょう! あなたは今、それしか出来ないんですから」
 水谷が強い声で、京太郎を奮い立たせるように言った。
 京太郎は水谷に妊婦と生まれてくる赤ちゃんを助けろと、懇願されて京太郎の鋭い目から熱い涙がこみ上げてきた。
 自分は今、必要とされている。だから、弱い人を助けると、京太郎は決意した。
 京太郎と水谷はすぐに妊婦の元へ行った。
 風子は陣痛が始まってから十分くらいたっている。京太郎は素早く、風子を敷布団の上に乗せて、矢作が用意したバスタオルを風子のお腹にかけて出産の準備を始めた。
 京太郎は風子の履いている物を脱がした。
 破水が始まって、子宮口が開いていた。
「もう、頭が少し出始めている。逆子ではない」
「うう、ああああー! た、助けー!」
 風子はあまりの痛さに悲鳴を上げていた。
 京太郎は風子の手を握り、
「大丈夫です。俺達が付いている。安心して産んでください」と優しく声をかけた。
「ぐうう、ああああああー!」
「しっかりいきんでください!」
 京太郎はゴム手袋をつけて、生まれてくる赤ちゃんを救おうとした。
 赤ちゃんは少しずつ出てきている。風子も頑張っている。
「大丈夫です! 赤ちゃんは出てきています! もっといきんでください!」
「ん、んん、んんんんー!」
 汗をびっしょりかいている風子は体に力を入れていきんだ。
「おい! 妊婦さんにもっと声をかけて! それから、お湯をもっと用意して!」
「はい!」
 矢作は厨房でお湯をもっと沸かしていた。
「ううぐ、あああああー!」
「大丈夫だよ! 風子! 産婦人科医さんを信じよう!」
「もう、お腹の方まで出てきているわ! 大丈夫! 大丈夫!」
 風子は力一杯いきんだ。赤ちゃんが産道から順調に出ている。今、胴体まで出てきている。
「もう少しです! 大丈夫です! 俺を信じてください!」
 京太郎が力強い声で、赤ちゃんは順調に産道から出てきていると風子に声をかけた。
「ぐうううう、うううううー!」
 風子が力一杯いきんだ時、赤ちゃんがググっと産道から全部出てきた。
 赤ちゃんがオギャアオギャアと、大きな産声を上げて生まれてきた。
「あ! 生まれました! 生まれました!」
 他の客が赤ちゃんが無事に生まれた事を風子に伝えた。
「よし!」
 京太郎は生まれたばかりの赤ちゃんを抱き上げ、火であぶったはさみでへその緒を切った。
 へその緒を切った赤ちゃんのへそに消毒液で消毒して、脱脂綿で切った所を押さえた。
「おめでとうございます。玉の様な女の子ですよ!」
 京太郎は赤ちゃんを抱き上げて、命を懸けた出産に臨んだ風子に赤ちゃんを見せて労いの言葉をかけた。
「可愛い女の子だわ。良かった」
「命って素晴らしいわ」
「ああ、良かった。無事に生まれた良かったわ~」
 矢作が赤ちゃんが無事に生まれて、ホッとしたのか、フ~と力が抜けた。
 京太郎がギロッと矢作を睨んで、
「まだ終わってない。お湯で体を洗ってあげるんだよ」と、赤ちゃんを桶に入れて体を洗ってあげた。
 矢作も生まれたばかりの赤ちゃんを京太郎と一緒に洗ってあげた。
 生まれたての赤ちゃんは小さくて温かくて乱暴に扱ったら壊れてしまいそうで繊細な命だ。
 京太郎は新しい命の誕生に目頭が熱くなっていた。捕まる前に人の命を救う事が出来て良かったと思っている。
 その時、ラーメン屋の前にいる警察官たちが、ドン! ドン! と鉄の太い棒を使って入り口を壊そうとしていた。
 矢作たちはあっ、もうすぐ助かると期待感を抱いていた。
「ラーメン屋にいる皆さん、今すぐ助けますから!」
 ラーメン屋の入り口を鉄の太い棒を使ってドカッ、ドカッ! 大きな破壊音を立てて壊そうとしていた。
「みんなを解放してやる。俺はもう自首する」
 京太郎は自分の罪を認め、澄んだ目で客達を見た。水谷が抱えている赤ちゃんの無邪気に笑っている姿を見て、フッと微笑んだ。
「水海さん、ちゃんと真実を話すべきです。みんな分かってくれるから。ね?」
 赤ちゃんを抱えている水谷は自分に語った真実を警察に話して欲しいと、涙声で訴えた。
 出産を終えて、安静にしている風子も、「私達を助けてくれてありがとうございます。あなたは命の恩人です」と京太郎に震えた声でお礼を言った。
「奥さんと子どもを絶対に大切にしろよな」
 京太郎が風子の夫に、奥さんと子どもを大切にしろと、穏やかな声で言った後、京太郎は入口のほうに歩いて行った。
 ドガラッシャーン! と、入り口が壊れて警察部隊がラーメン屋の中に入っていった。
 警察官が京太郎に、
「水海京太郎容疑者、殺人容疑と監禁容疑で逮捕する!」と京太郎に手錠をかけようとした。
 京太郎は全てを悟ったような目で警察官を見つめて、手錠をかけられた。
 マスコミの記者のカメラの強いフラッシュの光が辺り一面を眩しくさせた。
 京太郎は何も言わないまま、警察間に連れられてパトカーに乗せられる。マスコミの記者がスクープを取るために、パトカーを張り付いていた。
 矢作は水海京太郎という一人の産婦人科医によって、自分の運命を大きく変えられた。
 この世に善と悪なんて単純な決め方ではやっていけないという事を知った。
 逮捕された京太郎は、警察の取り調べによって、自分は母子家庭育ちで苦学生生活を送りながら、産婦人科医になった事、病院の院長の息子から借金の保証人になるのを断ったら、院長の息子から陰湿な嫌がらせを受けた末にもみ合いになって殺してしまった事を警察に打ち明けた。
 風子から京太郎が殺人を犯して追われている最中に風子の出産を施してくれて、赤ちゃんを救ってくれて嬉しいと、手紙を送られた。
 矢作や水谷、風子と他の客達から京太郎の罪を軽くしてほしいとの訴えの手紙を送ってくれた。
 殺人と監禁の罪を犯した京太郎は裁判で、懲役十年の実刑判決を受けた。京太郎は刑務所の中で反省の日々を過ごすことになった。
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