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14.愛称
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出会った頃、そいつはまだほとんど無名だった。聞いたことも無い遠くの国からわざわざ海を渡って何でこんな国を選んだのか知らないが、変わった奴がいるもんだと、話を聞いた時には思った。
「ジメル、例の研修のデザイナー、今日から来てるから。会ったら挨拶しろよ」
「わかったよ」
そうは答えるが、挨拶を交わしたところで、自分とは仕事上直接の関わりは無いし、研修が終わればいなくなるのだ。だったら丁寧な関係作りなんて無駄だと思う。
「今時翻訳も通さずこっちの言語をちゃんと勉強して来てる、真面目な良い子だよ。
――ああ、ちょうど、彼女だ」
そう言われて目をやれば、通路の向かいからやってきた人影に気付く。小柄な、黒い髪をした若い女だった。
「やあ、レイマン」
「こんにちは、ジョンさん……と、イメル・フランシスさん?」
目を瞠った。名前を知っていたこと、よりも、その発音に。
「おや、もうスタッフの名前まで覚えたのかい。でも残念。こいつはジンメルっていうんだよ」
「ああ、ジンメルさん――」「イメルだ」
そいつが手に持っていた人員配置名簿を見る。“Jimmelle Francis”。
「本来の読みは、イメルで合ってる」
「え、おい、じゃあ俺たち、お前のこと間違って呼んでたのかよ」
「今更変えられねぇよ」という同僚に「いいよ」と断りを入れる。本心だ。故郷の国を出てからは一度も正しい読みで呼ばれたことなんてなかった。いちいち訂正していたら切りがないし、今更正すなんてどうでもいい。
ただ、だからこそ、遠い異国からやってきた、言葉もたどたどしいこの人物が、正しい発音を見抜いたことに驚いていた。
そんなことも知らずに当人は「よろしくおねがいします」と頭を下げている。見慣れない動作だが、彼女にとってはそれが普通の挨拶らしい。
そうやって、俺たちの初対面は果たされた。
てっきりそれだけの関わりで終わるかと思っていたら、どういうわけかそいつは存外俺に懐いているらしい。
何故かと聞いてみたら、「声が大きくて言葉が少なくてはっきりしているから聞き取りやすい」そうだ。何も期待などしていなかったが、なんだか肩透かしを食らったのを覚えている。
その日も、毛の生え換わっていないひよこのように俺の傍にいた。
「イメルの、愛称は何?」
何故そんなことを聞くのかと訊いてみれば、自国には無かった“親しい仲で愛称を呼ぶ文化”に憧れているらしい。こっちの国でも個人差があると言ったが、憧れの前には意味を成さなかったようで食い下がられた。無邪気な様子に深く息を――溜息を吐く。
「愛称なんてねぇよ」
呼ばれたことがないのだ。考えたことも無い。これまで、正しい名ですら呼ばせたことが無かったのだ。愛称を呼ばれる関係性なんて、ことさらなかった。
「では、イム……でも、これ、言いにくいですから、ジムとも読めますね?」
「…………」
何が「では」なのか、勝手に短縮形を作っていく。しかも人の名を言いにくいとか抜かして、結局誤読の方に近くなってやがる。
「いままで、ジムと呼ばれたことは?」
「ねぇよ」
「僕が、ジムと呼ぶことは、問題ありません?」
「…………」
「もし、イメルが嫌だったら――」「いいよ、ジムでもなんでも、好きにしろ」
それから、今日まで俺はこいつから「ジム」と呼ばれるに至った。人生で本名の「イメル」より最も多く呼ばれたのは誤読の「ジメル」「ジンメル」だが、その次に多いのは間違いなくこいつからの「ジム」だ。
まさかその後マネージャーに誘われて一緒に活動して、海まで渡るようになるとは思ってもみなかった。
「ジメル、例の研修のデザイナー、今日から来てるから。会ったら挨拶しろよ」
「わかったよ」
そうは答えるが、挨拶を交わしたところで、自分とは仕事上直接の関わりは無いし、研修が終わればいなくなるのだ。だったら丁寧な関係作りなんて無駄だと思う。
「今時翻訳も通さずこっちの言語をちゃんと勉強して来てる、真面目な良い子だよ。
――ああ、ちょうど、彼女だ」
そう言われて目をやれば、通路の向かいからやってきた人影に気付く。小柄な、黒い髪をした若い女だった。
「やあ、レイマン」
「こんにちは、ジョンさん……と、イメル・フランシスさん?」
目を瞠った。名前を知っていたこと、よりも、その発音に。
「おや、もうスタッフの名前まで覚えたのかい。でも残念。こいつはジンメルっていうんだよ」
「ああ、ジンメルさん――」「イメルだ」
そいつが手に持っていた人員配置名簿を見る。“Jimmelle Francis”。
「本来の読みは、イメルで合ってる」
「え、おい、じゃあ俺たち、お前のこと間違って呼んでたのかよ」
「今更変えられねぇよ」という同僚に「いいよ」と断りを入れる。本心だ。故郷の国を出てからは一度も正しい読みで呼ばれたことなんてなかった。いちいち訂正していたら切りがないし、今更正すなんてどうでもいい。
ただ、だからこそ、遠い異国からやってきた、言葉もたどたどしいこの人物が、正しい発音を見抜いたことに驚いていた。
そんなことも知らずに当人は「よろしくおねがいします」と頭を下げている。見慣れない動作だが、彼女にとってはそれが普通の挨拶らしい。
そうやって、俺たちの初対面は果たされた。
てっきりそれだけの関わりで終わるかと思っていたら、どういうわけかそいつは存外俺に懐いているらしい。
何故かと聞いてみたら、「声が大きくて言葉が少なくてはっきりしているから聞き取りやすい」そうだ。何も期待などしていなかったが、なんだか肩透かしを食らったのを覚えている。
その日も、毛の生え換わっていないひよこのように俺の傍にいた。
「イメルの、愛称は何?」
何故そんなことを聞くのかと訊いてみれば、自国には無かった“親しい仲で愛称を呼ぶ文化”に憧れているらしい。こっちの国でも個人差があると言ったが、憧れの前には意味を成さなかったようで食い下がられた。無邪気な様子に深く息を――溜息を吐く。
「愛称なんてねぇよ」
呼ばれたことがないのだ。考えたことも無い。これまで、正しい名ですら呼ばせたことが無かったのだ。愛称を呼ばれる関係性なんて、ことさらなかった。
「では、イム……でも、これ、言いにくいですから、ジムとも読めますね?」
「…………」
何が「では」なのか、勝手に短縮形を作っていく。しかも人の名を言いにくいとか抜かして、結局誤読の方に近くなってやがる。
「いままで、ジムと呼ばれたことは?」
「ねぇよ」
「僕が、ジムと呼ぶことは、問題ありません?」
「…………」
「もし、イメルが嫌だったら――」「いいよ、ジムでもなんでも、好きにしろ」
それから、今日まで俺はこいつから「ジム」と呼ばれるに至った。人生で本名の「イメル」より最も多く呼ばれたのは誤読の「ジメル」「ジンメル」だが、その次に多いのは間違いなくこいつからの「ジム」だ。
まさかその後マネージャーに誘われて一緒に活動して、海まで渡るようになるとは思ってもみなかった。
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