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48.Idle Chat
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冬のオフシーズンを過ぎた初日のアトリエは、それまでの静けさとの対比もあって、途端に賑やかになる。
本格的な開業の前に、内輪でパーティーを開くのが、毎年の習わしだった。今日に限っては、制作スタッフのリーさんの子であるリンちゃんも参加している。学校に入る前は、リーさんに付いてアトリエによく来ていた。その頃と比べるとだいぶお姉さんになったが、それでも夢中になって食事している姿はまだまだ子供で、何度見ても微笑ましい。
そして今年は、新しいスタッフであるアツシ君にも来訪してもらったという点で、特別だ。
『これ何すか? 煮魚?』
「これね、お魚の中に、細かく切った野菜を入れて煮込んだやつ。美味しいよ」
制作スタッフのチコさんと話しながら、口にした料理を絶賛しているその様子を見る。
ホールのテーブルを繋げて作った島を盛大に飾っているのは、様々な料理。自分と、リーさんとチコさんが、それぞれ自国の料理を作って振舞うのが、アトリエのホリデースタイルだ。文化圏の偏りから、この空間だけは急に異国的になる。
リーさんが作ってくれた春巻と、この空間を堪能していると、ちょうど料理人その人が隣にやってきた。
「リーさん、これ、すごく美味しい!」
「そうでしょ。今回はお肉の下味を工夫してみたのよね」
料理上手な彼女からは、実に教わることがたくさんあると感じる。この下味の付け方は今度訊いておくべきだと留意していると、リーさんから改まって「ねえ」と少しだけ声を潜めて切り出された。
「ジメルと、上手く話せたみたいね? 彼、“石が落ちた”ようだもの」
「ああ、うん。大丈夫って言ったでしょ?」
彼女の懸念の解消に、笑って答える。独特な表現は彼女の文化のもので、いわゆる「憑き物が落ちた」と同意の言い回しらしい。
「全く、どんな話し方をしたのか気になるわ。今までも色々あったけど、正直、今回はちょっと、不安だったのよね」
「あー……そうだよね。ごめんね、心配かけちゃって」
「ああ、いや、そうじゃないのよ。
……今だから言えるけど、展示会が終わってからしばらくの間……レイちゃんを見ていたあいつの目、ちょっとヤバかったもの」
「あたしの前の旦那みたいだった」と付け足しながら、リーさんが嫌そうな顔をして飲み物を口にする。リーさんは、出会った頃には既にシングルマザーだった。彼女の離婚した夫については、彼女の口から語られる存在でしか知らないので、良い印象ではない。
そんな人物と「同じ」と語るからには、ジムの「目」とやらによっぽど強いものを感じていたのだろう。そして彼女の経験から語られるそれは、自分にはよく解らないが、きっと的を射ていたのだろうとも思う。
だから、改めてジムのことを訊いてみる。
「もう、大丈夫そう?」
「……大丈夫でしょ。あいつはあんなんだし、レイちゃんもこんなんだし」
自分達が“どんなん”かは解らないが、多分寄せられているのは信頼だと感じて、曖昧に笑う。
ジムを見ると、アツシ君の横で彼の話に応えながら、食事を進めている。目が合って、顰められる。それを見て自分も眉を顰めて上げる。
『え、なんすか? 喧嘩?』
「ちがうよ、アツシ。ジンメルさん、レイさんと仲直りしたもんね?」
「だから、そういうんじゃねぇって……」
チコさんの言葉に更に不満げな顔をしながら、ジムが面倒くさそうに否定していく。人の顔を見て変な顔をするからそうなるのだと、助け船は出さない。
しかし近付いてきたアツシ君の質問には応えねばなるまい。
『え、何、二人、喧嘩してたんすか?』
『してない、してない。ええと、気付かぬ間に認識の齟齬から摩擦が生じていたことが分かったから摺り合わせたって感じ』
『あー、なるほど』
「それ、普通なら喧嘩なのよねぇ……」
自分たちの会話の翻訳結果を眺めながら、リーさんが呟く。自分としては、摩擦が噴出的な“衝突”にならなければ、喧嘩ではないという判定だ。それに、過去に本当にしたことのある“喧嘩”と比べたら今回の“摩擦”は別物だ。彼女もそれを知っているから、完全ではないながらも納得してくれているのだろう。
『まあ、喧嘩する程って言いますもんね』
『あー……そういう意味なら、まあ』
さらりと言われたアツシ君の言葉には、納得できなくもない。久々に聞いた自国の諺の意味を思い返してみて、そう思う。本当の喧嘩も含め、これまで何度も対話を重ねてきたことを考えると、そうなのだろう。
これまでも、デザイナーとマネージャーとして、そうしてきた。
今回も、デザイナーとマネージャーで在り続けるためにそうした。
これからも、自分はそうするだろう。
ジムが特別に作ってくれた、甘いカフェオレを口にしながらそう思い至る。
「……まあ、何があっても、僕が健在な限りレイマンブランドは続くし、その点で皆に心配かけることはないよ」
アツシ君が端末の翻訳を見ているのを確認しながら、皆に向けて言う。
「その“健在”がレイちゃん一人じゃ成り立たなくて破綻するのが目に見えてるからジメルが重要なんだけど」
「うっ……」
「というか、ジメルは確かに過保護だけど、そもそもレイちゃんがしっかりしてればそうする必要もないのよね?」
「……そ、その通りです……」
リーさんから急に放たれたとっても正しい意見が鋭く刺さる。皆を安心させるために言った筈の言葉が、こんな藪蛇となるとは。
『でも、ジンメルさんが必要ないレイさんってレイさんじゃなくないっすか?』
『なにそれ……』
なんだか場から急に味方がいなくなったようで不満に感じる。素知らぬ顔をしているジムを見ると目が合うが――無視をされて、ややむかつく。
「ヘイ、君も当事者だからね」
「…………」
だから、無理やり引きずり出してみる。ちらりと合う目線。吐かれる溜息。
「……“退屈な話”だな」
乱暴な言葉選び。
妙にくすぐったくて、口を噤んでじっと睨んでしまう。こんな言葉で照れてしまうなんて、今の自分は感情の栓が緩いんじゃないだろうかと思う。
ジムの言い様にリーさんが文句を言って、それをチコさんが宥めて、早口になった会話の翻訳をアツシ君が注視する。
ヴラダさんが静かにリンちゃんのお話に付き合ってくれていて、リンちゃんがご飯を食べながら笑っている。
いつものアトリエと特別な日。充足感と心地良さ。
リーさん相手に少したじろいでいるジムと目が合う。いつもの彼と、少し変わった僕たち。続く関係。
静かな喜び。自然と顔がほころんだ。
本格的な開業の前に、内輪でパーティーを開くのが、毎年の習わしだった。今日に限っては、制作スタッフのリーさんの子であるリンちゃんも参加している。学校に入る前は、リーさんに付いてアトリエによく来ていた。その頃と比べるとだいぶお姉さんになったが、それでも夢中になって食事している姿はまだまだ子供で、何度見ても微笑ましい。
そして今年は、新しいスタッフであるアツシ君にも来訪してもらったという点で、特別だ。
『これ何すか? 煮魚?』
「これね、お魚の中に、細かく切った野菜を入れて煮込んだやつ。美味しいよ」
制作スタッフのチコさんと話しながら、口にした料理を絶賛しているその様子を見る。
ホールのテーブルを繋げて作った島を盛大に飾っているのは、様々な料理。自分と、リーさんとチコさんが、それぞれ自国の料理を作って振舞うのが、アトリエのホリデースタイルだ。文化圏の偏りから、この空間だけは急に異国的になる。
リーさんが作ってくれた春巻と、この空間を堪能していると、ちょうど料理人その人が隣にやってきた。
「リーさん、これ、すごく美味しい!」
「そうでしょ。今回はお肉の下味を工夫してみたのよね」
料理上手な彼女からは、実に教わることがたくさんあると感じる。この下味の付け方は今度訊いておくべきだと留意していると、リーさんから改まって「ねえ」と少しだけ声を潜めて切り出された。
「ジメルと、上手く話せたみたいね? 彼、“石が落ちた”ようだもの」
「ああ、うん。大丈夫って言ったでしょ?」
彼女の懸念の解消に、笑って答える。独特な表現は彼女の文化のもので、いわゆる「憑き物が落ちた」と同意の言い回しらしい。
「全く、どんな話し方をしたのか気になるわ。今までも色々あったけど、正直、今回はちょっと、不安だったのよね」
「あー……そうだよね。ごめんね、心配かけちゃって」
「ああ、いや、そうじゃないのよ。
……今だから言えるけど、展示会が終わってからしばらくの間……レイちゃんを見ていたあいつの目、ちょっとヤバかったもの」
「あたしの前の旦那みたいだった」と付け足しながら、リーさんが嫌そうな顔をして飲み物を口にする。リーさんは、出会った頃には既にシングルマザーだった。彼女の離婚した夫については、彼女の口から語られる存在でしか知らないので、良い印象ではない。
そんな人物と「同じ」と語るからには、ジムの「目」とやらによっぽど強いものを感じていたのだろう。そして彼女の経験から語られるそれは、自分にはよく解らないが、きっと的を射ていたのだろうとも思う。
だから、改めてジムのことを訊いてみる。
「もう、大丈夫そう?」
「……大丈夫でしょ。あいつはあんなんだし、レイちゃんもこんなんだし」
自分達が“どんなん”かは解らないが、多分寄せられているのは信頼だと感じて、曖昧に笑う。
ジムを見ると、アツシ君の横で彼の話に応えながら、食事を進めている。目が合って、顰められる。それを見て自分も眉を顰めて上げる。
『え、なんすか? 喧嘩?』
「ちがうよ、アツシ。ジンメルさん、レイさんと仲直りしたもんね?」
「だから、そういうんじゃねぇって……」
チコさんの言葉に更に不満げな顔をしながら、ジムが面倒くさそうに否定していく。人の顔を見て変な顔をするからそうなるのだと、助け船は出さない。
しかし近付いてきたアツシ君の質問には応えねばなるまい。
『え、何、二人、喧嘩してたんすか?』
『してない、してない。ええと、気付かぬ間に認識の齟齬から摩擦が生じていたことが分かったから摺り合わせたって感じ』
『あー、なるほど』
「それ、普通なら喧嘩なのよねぇ……」
自分たちの会話の翻訳結果を眺めながら、リーさんが呟く。自分としては、摩擦が噴出的な“衝突”にならなければ、喧嘩ではないという判定だ。それに、過去に本当にしたことのある“喧嘩”と比べたら今回の“摩擦”は別物だ。彼女もそれを知っているから、完全ではないながらも納得してくれているのだろう。
『まあ、喧嘩する程って言いますもんね』
『あー……そういう意味なら、まあ』
さらりと言われたアツシ君の言葉には、納得できなくもない。久々に聞いた自国の諺の意味を思い返してみて、そう思う。本当の喧嘩も含め、これまで何度も対話を重ねてきたことを考えると、そうなのだろう。
これまでも、デザイナーとマネージャーとして、そうしてきた。
今回も、デザイナーとマネージャーで在り続けるためにそうした。
これからも、自分はそうするだろう。
ジムが特別に作ってくれた、甘いカフェオレを口にしながらそう思い至る。
「……まあ、何があっても、僕が健在な限りレイマンブランドは続くし、その点で皆に心配かけることはないよ」
アツシ君が端末の翻訳を見ているのを確認しながら、皆に向けて言う。
「その“健在”がレイちゃん一人じゃ成り立たなくて破綻するのが目に見えてるからジメルが重要なんだけど」
「うっ……」
「というか、ジメルは確かに過保護だけど、そもそもレイちゃんがしっかりしてればそうする必要もないのよね?」
「……そ、その通りです……」
リーさんから急に放たれたとっても正しい意見が鋭く刺さる。皆を安心させるために言った筈の言葉が、こんな藪蛇となるとは。
『でも、ジンメルさんが必要ないレイさんってレイさんじゃなくないっすか?』
『なにそれ……』
なんだか場から急に味方がいなくなったようで不満に感じる。素知らぬ顔をしているジムを見ると目が合うが――無視をされて、ややむかつく。
「ヘイ、君も当事者だからね」
「…………」
だから、無理やり引きずり出してみる。ちらりと合う目線。吐かれる溜息。
「……“退屈な話”だな」
乱暴な言葉選び。
妙にくすぐったくて、口を噤んでじっと睨んでしまう。こんな言葉で照れてしまうなんて、今の自分は感情の栓が緩いんじゃないだろうかと思う。
ジムの言い様にリーさんが文句を言って、それをチコさんが宥めて、早口になった会話の翻訳をアツシ君が注視する。
ヴラダさんが静かにリンちゃんのお話に付き合ってくれていて、リンちゃんがご飯を食べながら笑っている。
いつものアトリエと特別な日。充足感と心地良さ。
リーさん相手に少したじろいでいるジムと目が合う。いつもの彼と、少し変わった僕たち。続く関係。
静かな喜び。自然と顔がほころんだ。
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