日刊幼女みさきちゃん!

下城米雪

文字の大きさ
上 下
69 / 221
第二章 仕事と子育て

話をした日

しおりを挟む
 時間が経って、俺は少し冷静になった。
 
 あいつに仕事よりゆいちゃんを優先させるという目的は変わっていないが、その為に出来る事が全く思いつかない。例えば普通に話をしたとして、それで考えが変わるようなら俺が何も言わなくたって最初《ハナ》からゆいちゃんを優先しているだろう。

 そもそも、俺とあいつは偶然どこかで何度か会っただけの赤の他人だ。そんな相手があれこれ口を出してくるって……鬱陶しいってレベルじゃないだろ、殴られても文句言えねぇよ。

「……どうしようもねぇな」

 考えれば考えるほど無理だ。
 でも、

「……納得いかねぇ」

 深夜。
 みさきの寝息が聞こえ始めてから暫く経った後、こっそり部屋を出た。少し歩いて、道路の真ん中で立ち止まって夜空を見上げる。夏祭りで見たほどでは無いが、ここからでも少しは星が見えた。

 プールに行った日から既に一週間は経過しているが、俺は未だ具体的な案が浮かばすに悶々としていた。何も考えずにぶつかるって案もあるかもしれないが、それは無意味だって水着を買う時に分かった。交渉事ってのは回数を重ねる度に不利になるもんだから、出来る限り次で決めたい。

 俺が悩んでる理由はハッキリしている。みさきの大切な友達が、まだ六歳の女の子が、あんなにも母親の事を大好きな女の子が、自分の気持ちを抑えてる。それが許せないからだ。

 やりたいこともハッキリしている。なのに方法が思い付かない。
 ふと、プログラミングに似ているなと思った。ほんの数ヶ月前、俺は試験で人生ゲームを作ろうとした。その時と同じだ。動機も目的も明確なのに、方法だけが思い付かない。

 あの時はどうやって解決したんだったか――

 そこまで考えた時、足音が聞こえた。
 それは獲物を狙う獣のように、ゆっくりと、慎重に近付いてくる。だが獣にしては随分と臆病で迫力が無い。

 まさかみさきが起きてきたのか? そう思いながら振り向くと、そこには――

「こ、こんばんわんっ」

 まるで緊張感の無い子犬が居た。
 子犬って、隣に住んでる小日向さんだ。

 ……どう返事をしたものか。
 悩んでいると、小日向さんはひっくり返った犬みたいに両手をあげて、

「わおーん」

 ……。

「え、ええと、あの、なにやら空気が重いなーと思いまして、私なりに和ませようかなと考えた結果こうなったと言いますか、その、あの……はい」

 今度はしょんぼりした犬みたいになる小日向さん。

 ……かける言葉が見つからねぇ。

「まぁ、その、なんだ……ありがとな、気ィ遣ってくれて」
「いえ、そんな、ええと、ふひひ……」

 と、尻尾を振る子犬みたいになる小日向さん。相変わらず愉快な人だ。

 小柄で、見た目と一緒に性格も控えめな小日向さん。よく見ると綺麗な肌をしていて、話をすれば不思議と気持ちが軽くなる。そのせいか事ある毎に悩みを相談していた俺だが、流石に今回は遠慮した。理由はいろいろあるが、忙しそうだったからというのが大きい。

「ええと、何かお悩みでせう?」
「悩むっつうか……考えてるって言った方が近いかもしれない」
「お仕事のことですか?」
「個人的なこと、なのか? 小日向さんこそ、仕事はいいのか?」
「…………」

 あれ、なんか固まってる。いま俺ヤバイこと言ったっけか?

「ほら、祭りの準備がどうとか言って忙しそうだっただろ?」
「まつり……あぁ、コミケの話でしたか。ふひひ、私あやうく来世にワンチャンかけるところでした」

 なんか知らんが目がヤバイ。この話題は避けることにした方がよさそうだ。

「コミケでしたら、先週くらいに無事終了しますた。いやはや、今年も残りわずかですねぇ」

 まだ八月なんだが……このやりきった表情見ると何も言えねぇな。

「私のことは置いておいて……ええと、考え事ですか?」

 頼まずとも悩み相談を受けてくれるらしい。相変わらず迷惑かけっぱなしで申し訳ない。
 しかし、話すにしてもどう伝えようか。

 自分と違う考えを持った相手に、それが間違っていると伝えて考えを変えさせる……何様だよこいつ、俺様だよ。冗談はさておき、マジでどう伝えればいいんだこれ。

 どう考えても自己中心的で、だけど自分の中では何よりも正しい行動。
 それを耳障りの良い言葉で表現するなら――

「女の口説き方……」
「アヘっ!?」

 あ、やべ、今の無し。しくじった。

「ええと、へっ、あの、えっと、わた、わたし、あのっ」

 激しく手を振る小日向さん。何度もバランスを崩して転びそうになりながら、なんとか元の姿勢に戻ると、胸の前で人差し指を合わせて俯き気味に言う。

「私いま、口説かれてます……?」
「いや、全然」
「ですよねー」

 なんだこの、何とも言えない空気。
 いかんな、ふざけているつもりは無いんだが……。

「とにかく、こんな感じでワケ分かんなくなってる」
「……ふむふむ。良く分かりました」

 マジか、今ので分かったのか。

「では、私から言えることはひとつです。はい」

 小日向さんは大きく深呼吸をして、力強く親指を立てる。

「とりあえず、ご飯食べに行こうぜ! 今日はオレの奢りな!」
「……」

 いつにも増してテンション高いな。祭り、上手くいったのか?

「……ええと、良かったら一緒にご飯でもどうですか? みたいな、ふひひ……」

 何にせよ、小日向さんなりに俺のことを考えてくれてるってのは伝わった。

「わりぃな、いつも」
「いえいえ、困った時はお互い様ですから」

 ……やっぱ、まだ慣れねぇな。
 この百パーセント善意に満ちた顔を見ると、なんだか背中が痒くなる。

「ありがとうな、よろしく頼む」
「ふひひ、頼まれました」






「久しぶりに顔を見せたと思ったら面倒な話を持ち込みやがって……偉くなったなクソガキ」

 簡素なカウンター席に座った後かいつまんで事情を話したら、兄貴は呆れたような顔をして言った。

「……なるほど、そんな事情だったんですね」

 と小日向さん。彼女にも事情を話したのはこれが初めてだ。上手く話せた自信は無いが、ちゃんと伝わっていると信じたい。

「情けねぇ話だが、どうすればいいのかさっぱり分かんなくてな……」
「しるか、とりあえず何か注文しろクソガキ」

 容赦ねぇな……そりゃ数ヶ月振りに顔出して悩み相談なんかされたら誰でも怒るか。

「いつもの、二人前で☆」

 俺とは対照的にキラキラとして言う小日向さん。やっぱテンション高いな。

「……ほう、なるほどな」

 なるほど? ……良く分からないうちに注文が通ったらしい。いつものって何だ、兄貴はどうしてニヤニヤしてやがるんだ……こいつは、ちょっと覚悟しないといけねぇかもな。

「しっかし、ほんと客いねぇなこの店」
「時間が悪いだけだ」

 と、フライパンを片手に答えた兄貴。

「常に閑散としてなかったか? 今だって俺達しかいねぇし、よく潰れねぇなこの店」
「相変わらず口の悪いガキだ。金には困ってねぇから安心しろ。そこの漫画家さんが溜めてたツケも返って来たことだしな」
「ふひひ、この度は、ご迷惑をおかけしました」
「どうせまた来月から溜め始めるんだろ? ケータイ料金じゃねぇんだから逐一払いやがれってんだ」
「ふひひ、サーセンサーセン」

 なんだか親子みたいな会話だな。仲が良さそうで何よりだ。

「前にも思ったが、小日向さんって金に困ってんのか?」
「……困っているわけではないのですが、いざという時に無いと困るというか、無いと落ち着かないというか、その、そんな感じです」

 いかん、良く分からん。

「ようはチキンなんだよ」
「ふひひ、チキンて……」
「そうか、良く分かった」
「分かっちゃったんですか!?」
「古い知り合いに似たようなヤツが居てな。それもう妄想だろってくらい最悪の状況を想定して準備するヤツだったんだが……ああいや、忘れてくれ」
「えっと、どうして言うのを止めたのか気になりますが……知ったら知ったでトラウマが増えそうなので聞かないでおきます」

 俺はコホンと咳払いをして、

「とにかくゆいちゃんの話だ。社会人ってのは仕事してねぇと死ぬのか? ちょっとくらい休めねぇのかよ」
「知らん」

 ばっさりだな、あんた一応社会人だろ。

「職場が特殊だからってことか……小日向さんはどうなんだ? 漫画、休んだり出来ねぇのか?」
「し、締め切りにさえ間に合えば過程はプレイスレスです、はい。締め切りに間に合わなかったら原稿料がプライスレスになっちゃうんですけどね、ふひひ……」

 休めるってことでいいのか?

「テメェはどうなんだよ」
「俺のとこも特殊過ぎて参考にならん……」

 あのロリコンほんっと社会人的には役に立たねぇな。技術は本物というか、素直に尊敬できるんだが。

「ふっ、見事に全滅だな」

 返す言葉もねぇ……いや、立場同じじゃね? なんで兄貴は誇らしげなんだ?

「でも、本当に難しい問題ですよね。お仕事じゃ、仕方ないとしか……はい」

 小日向さんの言う通りだ。

「だけど、一日も休めないってのはおかしくないか?」
「まっくろなんでしょうね……ひぇっ、やっぱり働いたら負けでござる」

 ガクガクと震える小日向さん。

「まっくろってなんだ?」
「へ? ええと、ブラック企業と言いまして、休み無し、残業代無し、夢も希望も無い会社のことで……」
「誰が入社するんだよそんな会社。バイトしてた方がマシだろ」
「ええと……私も分かりませんけど、世の中にはいろんな事情の人が居るということで」
「いろんな事情か……」

 働く理由なんて、金が必要だからって以外に無いよな……? なら、なおさら一日休むくらい大丈夫だろ。それで生活が出来なくなるくらいギリギリな状況ってなんだよ。そもそも有休を取ればいいんじゃねぇのか?

「……くだらねぇ」
「くだらないって、何がだよ」
「転職すりゃ終わる話だろ。それすら出来ないってんなら、それはそいつが勉強してこなかったツケを払ってるだけの話だ。テメェのツケをガキに残すってのは、親としてどうかと思うがな」

 ……耳が痛い話だな。俺も、みさきをボロアパートに住まわせちまってる。
 確かに、自分のツケを子供に払わせるってのは間違ってるよな。
 
「あの、ええと、やっぱり、その人には事情があるんだと思います。それを知らないで辛辣なことを言うのは、ちょっと酷いんじゃないかなー、なんて……ふひひ、私子供いないんで、よく分かりませんけど」

 あいつの事情か……。

「そりゃ事情はあるんだろうが、視野が狭いって話だ」
「ふひひ、そですね。でも、真剣な人ほど目の前のことしか見えなくなると言いますか……確かに良いことじゃないけど、それを責めるのは違うんじゃないかなぁ……なんて」

 ……そうか、そういう考え方もあるのか。

「なるほどな。これが鬼畜同人の神様の発言じゃなけりゃ、ちっとは感動できたんだが」
「今年は純愛物描きましたよぉ!!」

 なんだ今の、漫画の話か?

「おいクソガキ、黙ってねぇでテメェも何か言ったらどうだ? もともとテメェが持ち込んだ話だろうが」
「……ああいや、悪い。ちょっと考え込んでた」

 少し話しただけで、俺一人では考えられなかった意見が次々と出て驚いた。もう他に考えられることは何も無いってくらい必死で考えていたのに……これが兄貴の言う視野ってことなら、なるほどさっきまでの俺は絶望的に視野が狭かったわけだ。

「そうだな……二人は、何か困ったことがあった時、もしもそれが絶対に解決しねぇといけないことで、だけど、どんなに頑張っても無理って分かったら、どうする?」
「ヤケに遠回りな質問だな」
「苦手なんだよ、こういうの。だけど、なんとなく意味は伝わるだろ?」
「まぁな……」

 兄貴が返事をして、少しだけ場が静かになった。
 俺達の声の代わりに、兄貴が料理をする音が耳に入り込んでくる。
 やがて、小日向さんが小さな声で言った。

「……私は、知り合いを頼ります」
「知り合い?」
「はい。えっと、私の場合は同人誌なんですけど、どうしても間に合わないってなったら、知り合いに助けを求めます。だいたいこっちも忙しいって断られちゃいますけどね……それでも、自分だけじゃどうしようもないって分かったら、そうします。その代わり、私が頼られた時は絶対に協力します。ふひひ、困った時はお互い様です」

 ……そうか、そういう考え方もあるのか。

「俺も似たようなもんだな。あんまし経験ねぇけど、困ってる時はだいたい友人《ダチ》が手を貸してくれたような気がする。逆もしかりだ」

 ……兄貴もそうなのか。

「テメェはどうなんだ?」
「俺は……」

 俺は……どうだったかな。

「小日向さん」
「はい、小日向檀です」
「ありがとな」
「え? いえ、どういたしまして……?」

 人を頼る、か。
 その選択肢は俺には無かった。
 何度も小日向さんに悩み相談をしているが、本気で悩んでる時、どうにかする為に誰かの手を借りようって考えたことは無い。それは兄貴が言ったように、視野が狭くなっちまってたからなのかもしれない。

 もしも――もしも、あいつも同じなら。

「ほれ、あんま良いタイミングじゃねぇが、冷めないうちに食いやがれ」
「あ、はい、ありがとうございます」
「おう。これは白米と、唐揚げと……コロッケ?」
「ふひひ、中身は食べてからのお楽しみです。オススメです」
「そうか……えっと、頂きます」

 割り箸を折って、コロッケのような物から食べ始める。

「ふっ、ちっとはまともな面になったじゃねぇか」
「あん? ほうは?」
「飲み込んでから言えクソガキ」

 おっといけね、いつでもみさきの手本になってるつもりで食べねぇと。

 ……ふむ、なんかいろいろ入ってるな、このコロッケ。

「どですか? お口に合いましたか?」
「……ん、いろいろ入ってて、なんか良く分からん」
「そですか……」
「けど、うまい」
「そ、そうですかっ」

 もう一度箸を動かして、残った半分のコロッケを口に突っ込む。それを見守っていた小日向さんが、どうしてか嬉しそうな顔をしてコロッケに箸を伸ばした。

「たく、俺が作ってんだからうまいに決まってんだろうが……」

 そんな俺達を見て、兄貴は呆れたような声で呟いた。
しおりを挟む

処理中です...